まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

三重県内サイコロの旅・3~桑名に歴史あり、世界遺産あり

2017年06月22日 | 旅行記D・東海北陸
時刻は11時を回り、桑名に到着。近鉄名古屋線、JR関西線、養老鉄道、三岐鉄道北勢線と多くの路線が並ぶ(後の2路線は元々近鉄の路線だったが、移管された)。今回訪れてはいないが、3つの異なる幅の線路を渡る踏切もある。鉄道好きとしては、バラエティに富んだ車両を見ることができる。

さてそんな中で目指すのは桑名城。ちょうど昼前で食事をどうするか。桑名城まで1キロあまりなので、まずは城を目指して歩き、途中でめぼしい店があればチェックして帰りに入るとする。桑名は「その手は桑名(食わな)の焼き蛤」という言葉もあり、どうせなら蛤を食べたいところだ。

駅から「八間通り」に出る。この道は城までまっすぐ続く。なお、初めて知ったのだがこの通りにはかつて「日本一距離が短い路面電車」が走っていたそうだ。営業キロわずか1キロの桑名電軌で、昭和2年に開業したが、わずか17年後の昭和19年で廃止となった。元々、東海道の七里の渡しや桑名城など、町の中心は揖斐川沿いにあった。国鉄の関西本線は町の西外れを通るコースで、桑名電軌は桑名駅と市街地を結ぶ路線として開かれた。もっとも、計画ではさらに路線を伸ばし、最終的には四日市までの路面電車網を作ろうとしていたようだ。ただ、昭和の初期は乗り合いバスが全国に広がりつつある時期で、桑名電軌も苦戦。さらには戦時中には不要不急の路線とされ、廃止となった。もう少し早くに路面電車網ができていれば事情は違ったのかもしれないが、戦後にはマイカーの普及で全国で多くの路面電車がなくなったことを考えると、同じような運命だったのかなとも思う。

八間通りを進むうち、交差点の角に中華料理店がある。その上になぜか「薩摩藩士の墓」という文字が見える。「桑名、薩摩藩士・・・ああ、宝暦治水。何か聞いたことありますわ」と支障さんが反応する。果たしてその横が海蔵寺という寺で、平田靱負(ひらたゆきえ)をはじめとした薩摩藩士らの墓がある。宝暦治水とは江戸中期に幕府が薩摩藩に命じた木曽三川の治水工事であるが、幕府が薩摩藩の弱体化を狙って命じたものだった。薩摩藩からはこれを拒否して幕府と一戦まじえるべしとの強硬論が出たが、家老だった靱負は世のため人のため、そしてお家安泰のためとそれを抑えて命令を受け入れ、自らも美濃に向かい陣頭指揮をとった。しかし工事は過酷な条件であり、幕府からも多くの嫌がらせを受けた。それに抗議して自害する者も出るなど多くの犠牲を払いながら、何とか工事を完成させた。ただ靱負は最後に責任を取ってか、あるいは幕府への抗議か、自害してしまう。亡骸は国に帰ることなく、桑名の寺が引き受けて葬った。この事件も後の倒幕につながったかは別だが、「教科書で見たのか、道徳の話で誰かから聞いたのか忘れたけど、聞いたことがある」という支障さん。

桑名城の手前でこのような案内板を見る。「ユネスコ世界遺産登録」・・・桑名に世界遺産があったかなと首をかしげる。「世界遺産登録を『目指す』とか」「案内板の横に小さく『候補』と書いてあるとか」などと怪しむが、ならばどんなものかと、桑名宗社に向かう。

境内に入るとその謎はすぐに解けた。この神社で毎年夏に行われる「石取祭」が、ユネスコの「世界無形文化遺産」に指定されているとある。昨年、全国33件の「山・鉾・屋台行事」が指定されたが、石取祭もその一つである。世界遺産はいろいろな形があるものだ。

桑名宗社は春日神社の俗称があり、拝殿も桑名神社、中臣神社の二つが並んでいる。ちょうど神前での結婚式が行われていた。

桑名で思わぬ世界遺産に遭遇して、桑名城跡に着いた。揖斐川沿いに文字通りの平城である。揖斐川の堤防のほうが高い。

桑名城を建てたのは徳川四天王の一人である本多忠勝。後には松平氏の分家が何代か続く。当初は天守閣もあったそうだが元禄期に大火があって焼失し、以後は櫓を残すだけとなった。幕末には会津の松平容保の弟・定敬が藩主となり、京都所司代の任についていたが、薩長軍との戦いでは幕府側として朝敵とされた。結局下級藩士の反発で無血開城したが、開城の証しとして櫓が焼き払われた。

現在は九華公園として開放され、堀では亀がのんびり日向ぼっこしていたり、菖蒲が咲いていたり、本丸跡には神社がある。地元有志の手で、桑名城の歴史をわかりやすく紙芝居形式でも紹介している。「九華」というのは、中国に九華扇という扇があり、桑名城も扇状をしていたからその名がついたのだとか。また、「九華」は「くはな➡くわな」とも読めるからとも言われている。これも来て初めて知ったことである。

揖斐川の堤防に上がる。こうして見ると幅の広い川である。向かいが長島で、なばなの里やスパーランドがあるところだ。遠くにジェットコースターも見える。この辺りが三重県の北の端に近いところである。

川沿いに櫓が見える。これは水門の管理事務所で、あえて桑名城の櫓をモデルに建てて、中を展望室として開放している。先の宝暦治水や明治以降の治水工事範囲も紹介され、以前ほど水害は減ってはいるが、近年で大規模災害となったのが伊勢湾台風である。その被害の範囲が地図で示されているが、桑名の中心部も長い期間浸水の被害に遭った。

その事務所の向こうにあるのが七里の渡しの跡である。鳥居があるが、向いているのは熱田神宮だろう。今は鉄道や道路で木曽三川は簡単に渡れるが、当時は海を隔てたような感覚があったことだろう。ある意味では東国と西国の境目で、文化の境目にもなったエリアである。

さてそろそろ食事にしよう。蛤料理を何か・・・というところに、結構年季の入った建物を見つける。「川市」といううどん屋だが、蛤の文字もある。蛤料理の老舗は他にあるが、雰囲気が良さそうなので入ってみる。

こちらの名物は味噌煮込みうどんと餃子。さらに、蛤入りのうどんと蛤天丼のセットもある。せっかくなのでその本膳と餃子、さらには朝から歩き回ったからと、生ビールを1杯ずつ行く。うどんは支障さんはすまし出汁、私は味噌煮込みを選んだが、八丁味噌に蛤というのも新鮮な感じだ。よく味が染み込んでいて結構よかった。餃子はあっさり味で、これはこれでビールに合う。こういう形で蛤が食べられるとは、事前情報なくよくたどり着いた店である。

さて、桑名での記事が長くなっているが、次にやることはサイコロである。料理を待つ間に出走表を作ったが、町歩きが続いたので今度はインドアにしようと、博物館・ミュージアムを並べてみた。

1.三重県総合博物館(津)

2.四日市市立博物館(四日市)

3.パラミタミュージアム(菰野)

4.海の博物館(鳥羽)

5.伊勢志摩サミット記念館(賢島)

6.ルーブル彫刻美術館(榊原温泉)

いろいろ散りばめてみたが、私も行ったことがあるのは四日市の博物館だけである。なお、宿泊は四日市なので、2が出れば本日はここまで。また、他の目でも、終わったらその次は時間的にも四日市への移動である。ちなみに、伊勢志摩サミット記念館とは、昨年の伊勢志摩サミットが賢島で行われた記念に、賢島駅の上に新たにできたものだとか。先ほど駅のポスターで見て初めて知った。

今度は私の番ということで出たのは・・・4。桑名から鳥羽に飛ぶ。そろそろサイコロの旅らしくなってきた。今度は時間が合えば特急で移動することにしよう。

帰りは八間通りから横に入り、寺の多いエリアを通る。寺とアーケードの商店街が隣接していて、京都の新京極にも似た感じである。

桑名駅に到着。入口に、石取祭のパネルがあり、「ユネスコ世界遺産」の文字もあった。目立つ場所なのに先ほどは全然気づかなかった。

桑名というところ、町を歩いたのは初めてだったが、多くの歴史を持つ町(まさか世界遺産まであるとは)としてなかなかの場所だった。さてこれからどうなるかというところで、桑名14時27分発の特急券を窓口で購入。ここまでは良かったのだが、この先思わぬ展開になろうとは・・・。
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