まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

三重県内サイコロの旅・6~紀勢線を鈍行で南下、熊野市へ

2017年06月25日 | 旅行記D・東海北陸
6月18日の朝8時、近鉄四日市から鳥羽行きの急行に乗る。前日からこの近鉄名古屋線を行ったり来たりしている。クロスシートのLCカーなので移動は快適である。これでまずは松阪まで向かう。

前の記事で、18日の最初はどこに行こうかというサイコロで、よりによって一番遠い熊野市の鬼ヶ城というのが出た。熊野市までは津、もしくは松阪からJR紀勢線に乗り換える必要があるが、特急「南紀1号」を利用した場合だと、熊野市には11時13分着。そしてもう一つ後の鈍行となると、多気乗り継ぎで12時43分着である。いずれにしても午前中は熊野市までの移動で終わる。また帰りが大変で、熊野市からは11時34分発の鈍行の多気行き、13時04分発の特急「南紀6号」、13時59分発の鈍行の紀伊長島行き(紀伊長島から多気行きに乗り換え)くらいで、その後は16時05分発の亀山行きまで列車はない。そういえば津や松阪に行く高速バスがなかったかと三重交通の時刻表も見るが、日中のバスはすべて名古屋行きで、津や松阪に行く路線そのものがなくなったようだ。

急ぐなら「南紀1号」に間に合うのだが、「どうせ行くなら鈍行にしましょう」という話になった。ただこの鈍行、多気から熊野市まで約3時間で、新型車両だがオールロングシートである。ロングシートの3時間というのも修行のような感じがするが、それもまたよかろう。なお、今度は着いて21分後の特急で戻るということはせず、13時59分発の鈍行までの1時間15分ほどで見学することにする。もっとも、そこから先は時間的にももう帰宅するだけで、サイコロを振ることはない。

「考えたら四日市から熊野市でしょ? 三重県南部もきっちり押さえることになりましたな」と笑うしかない。

8時55分、松阪に到着。熊野市までの鈍行は多気始発で、その多気には松阪9時24分発の伊勢市行きで移動する。それまでの時間、いったんJR側の改札を出て、窓口で熊野市までの乗車券を購入する。乗り継ぎという形だが、せっかく松阪にも足を記すことから、ちょこっとお土産なんかも購入する。

紀勢線のホームに行く。前日は近鉄での移動のみだったが、今日はJRでの移動である。「JRとの乗り比べができるとは思いませんでした。紀勢『東』線にずっと乗るのはほとんど初めてかも」とは同行の鈍な支障さんである。いろんな形の特急や急行、普通の電車が行きかう近鉄と比べると、気動車の紀勢線ホームは雰囲気が違う。ちょうど名松線の列車が発車を待っていたり、老舗駅弁の「あら竹」の牛肉弁当の広告など見る。紀勢線の往年の列車がシリーズで弁当の掛け紙になっており、その掛け紙狙いで弁当を買うファンも多いという。私も購入しようか迷ったが、どうせなら昼食は熊野市で調達したいということで見送る。

9時16分、特急「南紀1号」が4両でやって来て発車して行った。繰り返しになるが、急ぐならあれに乗ればよかった。ただもう今は「鈍行で3時間かける」というモードになっていたのでそのまま。同じ列車を待つホームには小学生の児童たちが20人ほどいる。引率の先生が2~3人というところか。学年がバラバラのようなのでクラスの遠足という感じでもなく、地域の子ども会のお出かけだろうか。まさか熊野市まで行く・・・わけはなく、伊勢神宮とか、鳥羽のほうにでも行くのだろう。あ、でもそれなら普通は近鉄に乗るかな。「こういう時、先生はなかなか大変なんですよ。で、ルールやマナーに厳しくて怒る先生と、怒られた生徒をケアする役回りの先生がいて、何とか全体を乱さないようにしているんです」「子どもたち見ていても、これぐらいの人数いたら先生を独り占めしようとする子もいれば、全く輪に入ろうとしない子どもとか、きれいに分かれるもんですよ」など、そちらの方面の仕事に就いている支障さんが分析をする。

伊勢市行きに乗車し、2駅で多気に到着する。ホーム向かい側に2遼編成のロングシート気動車が停車している。私たちは2両目に乗り込んだが、何と小学生の集団もどやどやと1両目に乗り込む。「こりゃどこまで行くのかな?」と興味深いことになってきた。まさか熊野市まで行くとは思わないし、熊野古道を歩くというものでもないだろう(もしそうなら、もっと山歩きにふさわしい服装をするだろう。特に女の子はスカート姿の子も結構いるので)。

9時43分、いよいよ紀勢線を南下する。気動車といっても最近の車両らしく、エンジン音も軽いように感じる。またロングシートの窓も大きく取っているので、向かいの席が空いていれば風景を広々と見ることができる。また、前の車両では早速子どもたちが騒いでいるようで、支障さんも興味を持ってか「ちょっと、トイレ行きついでに様子を見てきます」とそちらのほうに向かう。なお私たちが乗っている後ろの車両は、ワンマン運転のため一部の駅以外ではドアが開かないこともあり、乗客も少なく静かだ。

多気は伊勢平野の南端にあるところで、これから度会の山々に入って行く。3つ目に栃原という駅がある。ここから4~5キロ歩いたところに「丹生大師」の名で知られている神宮寺という寺がある。ここは西国四十九薬師霊場の一つで、現在の新西国めぐりを終えると、いずれは薬師めぐりで来ることになるところだ。この薬師霊場、今度は伊勢、伊賀、北近江、但馬といった、西国三十三所よりも広い範囲に亘っており、結構ハードだと聞いている。

山あいが深くなる中、駅ごとに乗客が降りていく。特に後ろの車両はガラガラで、こうなると客がほとんどいないのをいいことに、ロングシートにチンと座ることもなく、体を進行方向に向けて足をシートの上に乗せる。あるいはそのまま背中を倒す。普段の大阪の通勤電車では絶対にできないことである。こうしてしまえば、ロングシートの長時間の旅というのも耐えられる。いやかえって広々と使えていて快適だとすら思う。まあこれは今の時期だからで、「青春18きっぷ」のシーズンとなると混雑してこうはいかないだろう。

伊勢柏崎で後ろの車両にいた最後の客が降りて行くと、この車両は完全に私たち二人での貸切となった。「これ、カップル二人だけで貸切になったら、何か変なことになりませんかねえ」などといらん心配をしてしまう。一方前の車両は、他にも乗客はいるのだろうがこちらも小学生の貸切のような感じで、通路を走ったり吊り革で懸垂したりするのが見える。「そろそろ、子どもたちも列車に飽きてきていますね」という支障さんの指摘で時計を見ると、多気を出てからちょうど1時間というところである。

10時46分、大内山に到着。するとここで前の車両に動きがあり、子どもたちが一斉に下車して行った。駅前に大内山牛乳の工場が見えるくらいで駅前に何かある様子はうかがえないが、まあ、子どもたちが集団で降りるくらいだから、何かがあるのだろう。また、この分だと私たちが帰りに乗る列車に、大内山から乗ってくる可能性が高そうだ。「たぶん帰りはぐったりしてシートで爆睡しますかね」。

次の梅ヶ谷を境に荷坂峠を行く。今は同じ三重県だが、昔はこの峠が伊勢と紀伊の境であった。途中で長いトンネルもあり、これを抜けると前方に入江が見えてきた。11時に紀伊長島に到着。山の景色が一変して海の景色となる。

ここで28分の停車。3時間の中にはこうした時間も含まれている。この紀伊長島は伊勢と紀伊の境目ということで列車の始発、終点だったり。長時間停車があるのだが、だからといって駅前に何か目につく立ち寄りスポットがあるわけではない。私一人とりあえず改札を出てみる。スマホの地図によれば少し離れたところにはコンビニやスーパーのオークワがあるようだ。ここで和歌山を本拠地とするスーパーが出るということは、昔の紀伊の文化圏の現れなのかもしれない。改めて駅前の案内図を見ると、駅から1キロほど離れた国道42号線沿いに道の駅があるようだ。ここは帰りの立ち寄り地としよう。というのが、熊野市からの帰りの列車は紀伊長島までだが、そこから多気行きまで1時間20分ほどの待ち時間があるのだ。道の駅ならば食事や買い物も何とかなる。

さて紀伊長島から発車。ここから先はリアス式海岸が続くところで、海に接した集落と山地、トンネルが交互に現れる。紀勢線の車窓として面白いところである。そんな中で尾鷲に到着。三重県の南紀地方の中心的な町で、県の合同庁舎もある。ここからは火力発電所を囲むように海岸線をぐるりと回る。対岸に薄く見えるのが尾鷲市の須賀利町。昔からの漁村の景色を残すところで、映画やドラマのロケ地にもなることがある。中上健次原作、若松孝二監督の『千年の愉楽』で知った町だが、クルマでないとなかなか行くのは難しいところだ。中上健次は新宮の出身だが、彼の小説の舞台である「路地」の世界を映像化するのに適したところだったのだろう。そこは三重県だが「紀州」らしさが感じられる場所だったとして。

その後も曇り空、時には小雨も来る中で漁村をたどる。「日本一美しい海水浴場」と称する新鹿海岸も、さすがにこの時期、この天候では海に入る人の姿は見られなかった。

長かった鈍行の旅もようやく熊野市に到着した。列車はこの先熊野川を渡り新宮まで行く。それを見送り駅前に出る。1時間少しの滞在であるが、それまで黒潮の景色を見るとしよう・・・・。
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