まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

三重県内サイコロの旅・7~世界遺産の奇岩と神社

2017年06月27日 | 旅行記D・東海北陸
四日市を出たのが朝の8時、近鉄の急行とJRの鈍行を乗り継いで熊野市に到着したのが12時43分、何とも長い汽車旅となった。天気が心配されたが何とか持ちそうだ。

さてこれからサイコロの目で出た鬼ヶ城を目指そうとするが、改めて案内板を見ると駅から1.8キロとある。熊野市の滞在時間が1時間15分しかない中で、これは歩いて回るには少し厳しいかなと思う。路線バスは通っているがダイヤは合わないし、タクシーを使うのもどうかと思う。

ここでふと、同じような奇岩ということで獅子岩はどうかと思う。ここなら駅から1キロの距離で、さらに300メートル先に花の窟神社がある。いずれも熊野古道の一部としてユネスコの世界文化遺産(今度は正真正銘形のあるもの)に指定されている。長い歴史古道のごく一部のスポットではあるが、ここまで来た甲斐がこれで出てくるというものだろう。

駅前の商店街を獅子岩方面に歩く。古い感じのホテルや旅館もあり、獅子岩の先の国道42号線沿いにはユースホステルを兼ねた青少年の家もある。少し離れてイオンとオークワの看板が並んで見えて、先の記事にも書いたが三重県の中でも和歌山方面とのつながりが強い、紀州らしさを感じさせる。そんなことを話すうち、交差点で信号待ちをしていた自転車に乗った地元の人らしいおっちゃんを見かけるが、着ていたTシャツにはなぜか「南海ホークス」のロゴがあしらわれていた。中日ドラゴンズではなく、(三重県に多くの路線を持つ)近鉄バファローズでもない。和歌山県に乗り入れている南海というのが「三重の紀州らしさ」を連想させる。

獅子岩に到着。青空の下・・とはいかないが、浸食されて獅子が吠えたような形になっているのは見ていて絵になる。自然の力でこうなるというのも不思議なものだ。

こうした岩があるが、その周りは七里御浜という長い砂浜の海岸線が続く。奇岩と滑らかな砂浜が並ぶというのも珍しいもので、支障さんも「風光明媚で良かったです。地球が丸いというのが感じられた」と感心する。おかしなもので、こうした黒潮の景色を見ると、サイコロでこの目が出てよかったと思う。改めて支障さんは「ミスター」と言っていい。

少し先へと花の窟神社に向かう。境内に入ると「日本最古」と書かれた幟が並ぶ。創建の伝承としては、神々の母であるイザナミノミコトがカグツチノミコトを産んだ時に焼かれて亡くなった後、この地に葬られたという。以来、土地の人たちはこの地の巨岩(窟)に花を手向けて祀ったことから、花の窟神社と呼ばれるようになったという。日本書紀にすでに記述があるそうで、天照大神の伊勢神宮よりも古いわけである。もっとも、今のように神社と称するようになったのは明治時代以降で、古くは岩そのものをご神体として手を合わせていた自然信仰が今に続いている。

改めて見上げると、これも長年の自然が造り上げたのか、独特な形である。イザナミノミコトかどうかはさておくとしても、古くからの「窟」という石への自然信仰が古くからあり、やがて東海岸から熊野詣をする人たちも手を合わせるようになって名が広まったことである。伊勢信仰とはまた違った雰囲気の熊野信仰。現在はパワースポットとして訪れる人も多い。

獅子岩と花の窟神社を回ると結構いい時間となり、昼食がまだなのだが今から店に入るのは時間が心配である。ふと、神社の横がちょっとした土産物コーナーになっていて、覗いてみると熊野名物のさんま寿司があった。南紀の代表的な料理だ。また、めはり寿司は売り切れのようだったが柿の葉寿司があった。それも、一般的な鯖や鮭だけでなく、マグロもあるという。これは土産も兼ねて購入した。合わせて、「これも三重ならでは」というのを二人ニンマリして買い、それらは帰りの車中でとしたのだが、それが何かは次の記事で。

熊野市の駅に戻り、松阪までの乗車券を購入する。この後乗り継ぎで松阪まで行き、そこからは特急で大和八木まで進むことにする。さて、来た道と同じルートを戻るわけだが、この後はこの後で面白く・・・。
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