まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回四国八十八所めぐり~第42番「仏木寺」

2017年08月26日 | 四国八十八ヶ所
前の記事でこの日のルート取りについて書いたが、結局はバス、列車での移動を考えて42番の仏木寺から41番の龍光寺に向かうという「逆打ち」ルートを取ることにした。そこでバスで来たのは仏木寺。宇和島からのバスは朝の便が学校休みの日は運休で、仏木寺に11時半に着く便が「始発」である。全部で1日5本、うち1本が土日祝日運休、1本が学校休みの日運休では、四国めぐりのガイドブックでもバス便の紹介は難しいだろう。まだ、予土線の伊予宮野下(または務田)から龍光寺を経て歩いて1時間あまりとしたほうがアクセスしやすいのかもしれない。

周りはそろそろ穂をつけた田んぼが広がる、いかにも「村のお寺」という雰囲気である。山門をくぐるとまだ新しい感じの七福神像が出迎えてくれ、奥に鐘楼がある。この鐘楼、屋根が茅葺きというのが珍しいのだとか。境内に入ると奥に本堂と大師堂が並ぶ。

弘法大師がこの地を訪ねた時のこと。老人の勧めで牛の背に乗って進んでいると、楠の大木に出会った。その楠には、弘法大師が唐の地を離れる時に投げた宝珠がかかっており、これは霊地であるとして、その楠で大日如来像を彫り、眉間に宝珠を埋めて安置したという。これが仏木寺の由来で、牛の背に乗ってこの地に来たことから家畜守護のご利益があるとされている。

この「投げた宝珠」というので思い出したのが、36番の青龍寺。ここは唐の地から投げた独鈷が松の木に引っ掛かっていたのを霊地として寺を開いたとある。つまりは「ダーツの旅」方式で札所が決まったパターンである。青龍寺の時は、「弘法大師ももう少しコントロールがよければよかったのに」と思ったが、こちら仏木寺については、平坦なところということでまあいいか。

隣の大師堂でもお勤めをする。その横には仏木寺に多額の寄贈をしたことを記念する石碑があり、広島県の篤志家の名前が刻まれている。そういえば山門横の四国遍路の記念碑や、七福神の像もこれらの人たちの寄贈によるものだった。仏木寺に対して何かのご縁がある方なのだろうか。

本堂の横には家畜堂や家畜の慰霊碑が並ぶ。本尊の大日如来が牛や馬の守り仏だからということだが、ふと周りののどかな田園風景を見ると、大日如来とかは関係なく、地元の農村の人たちが昔から自然に農耕で働いてくれた牛や馬を祀ってきたのが受け継がれてきたのではないかなと感じさせる。昔のいつかの頃の住職が、大日如来だの真言宗だの難しいことを言っても民衆は理解しにくいから、「牛や馬は手厚く葬ってお参りしましょう」ということを方便にしたのかもしれない。それが現在では家畜にとどまらずペット全般の供養ということになっている。

境内には他に聖徳太子堂、不動堂などがあり、まずはのどかな雰囲気ということでご朱印をいただく。

さてこれから41番の龍光寺を目指す。その前に山門前の休憩スペースで、おにぎりとじゃこ天で軽い昼食を取る。龍光寺までは4キロくらいあるだろうか。まずは県道沿いの歩道を歩く。地元の三間高校の生徒の手で整備されているそうで、コスモスが何輪か咲いている。連日猛暑が続くが、秋の気配というのはひっそりと、しかし少しずつ訪れているのかなと思う。一方で、地元宇和島では27日に市長選、市議会議員選が行われる。こちらは暑い選挙戦になるだろうか(・・・いや、当選する人はもうすでに事実上決まっていたりして)。

一度県道を外れ、来るときにバスで通った集落を今度は歩いて通り抜ける。再び県道と合流するところで、「龍光寺、中山池自然公園」を示す看板に出る。龍光寺は県道沿いではなく、少し山の中に入ったところにある。これが順路かと看板に従って進む。途中で「四国のみち」の道標も出て、仏木寺と龍光寺の双方を指している。これは大丈夫だと、山道に入り、保護林の中を歩く。これは昔ながらの道かなと思いながら歩くうち、池のほとりの展望台に着く。対岸の様子もよく見える。

ではこのまま先に・・・というところで焦る。道がないのだ。これはおかしい、分岐を間違えたかなと思い引き返すが、よくわからない。途中で1ヶ所道が分かれていたが草ぼうぼうである。龍光寺への矢印はあったが、これはどういうことか。結局この中を突破するのはあきらめて、また県道まで歩いて戻る。30分近くロスしたことになり、余裕だと思っていた伊予宮野下から宇和島への列車に間に合うかなと別の焦りが出てきた。策に溺れるというやつで。

龍光寺にはどこかのタイミングで山道に入ることになると注意しながら県道を歩くと、右手の歩道の外に石碑を見つけた。その反対側には、畑の中の畦道がある。ひょっとしたらこれかとその中を進む。畑の奥には墓地があり、その横に上り道がある。そこを進むと、木にくくりつけられた「遍路道」の札に出会った。これで間違いない。後は金剛杖を支えに坂を上り、平坦になったところで石柱が現れた。仏木寺への近道であることを示すものだった。

するとまた墓地が現れ、その向こうに、山の斜面を利用して造った構えの堂宇が見えた。この角度から見ると風格ある寺に見える。無事に着いたようで、これなら予土線の列車にも十分間に合うだろう。

順打ちなら「寺の横の墓地を抜けて山道を行って・・・」ということで、何ら問題なく仏木寺に行ける道。それが仏木寺から来ると一時迷ってしまう。「逆打ちは難しい」と言われるのはこういうことも一因のようで、「四国のみち」の案内にもしっかりしてほしいのだが、まあそこは自分の下調べが不十分だったわけで・・・・。
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