まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第8回中国観音霊場めぐり~第10番「千光寺」

2019年12月06日 | 中国観音霊場

尾道七佛めぐりの5ヶ所目、また中国観音霊場の「尾道3ヶ所」の最後となる千光寺に向かう。尾道でもっとも有名な観光スポットに挙げられるところだ。千光寺はこれまでにも何度か訪ねたことがあるが、今回は久しぶりのことだし、こうした「札所」としてお参りするのは初めてである。それだけに新鮮な感じがする。

地上から本堂もはっきり見えるし、あれくらいなら歩いて上れと言われるところだが、上りの片道はロープウェイで行く。まず千光寺公園のてっぺんまで上り、文学のこみちを歩いて下りながら寺に向かうことにする。ロープウェイは通常15分ごとの運行だが、この日は観光シーズンということで臨時ダイヤでの運行である。乗客がある程度いて、発車準備ができ次第出発するとあり、待ち時間もほとんどなく乗り込む。ちょうどどこかの社員旅行の団体がいたので満員である。

少しずつ高度を上げ、尾道の街、向島の姿が少しずつ広がる。この広がりはロープウェイならではだろう。3分ほどで頂上駅に着く。

まずはここからの展望ということで、展望台に上がる。もう少し空が晴れていればよかったのだが、それでも尾道水道のパノラマを楽しめる。あちこちで記念撮影しているし、そりゃ、恋人の聖地にも選ばれる。

さてここから文学のこみちを下る。その中でも有名なのが林芙美子の『放浪記』の一節、「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい」である。ちょうどロープウェイと尾道の町並みを見る場所に歌碑がある。ここから後ろ(上方)に振り返ると志賀直哉の『暗夜行路』の歌碑があるので、ベストポジションなのかな。この辺りに岩がゴロゴロ露出しているのは何か理由があるのだろうが、文学のこみちの中でも見所である。

境内の裏手から入る形で到着した。まずあるのは大師堂。千光寺は平安初期に弘法大師が開いたとも言われている。後に記録で残るところでは、平安中期に多田満仲が再興したとある。もっとも、こうした巨大な岩がゴロゴロしているところというのは、山岳修行者が好みそうなところだし、古代からの磐座だったのではないかとも言われている。そうしたスポットとしての歴史は寺の歴史よりもっと長いのだろう。道順でまずは大師堂で手を合わせる。係の人が「南無大師遍照金剛」と唱えて鐘を鳴らす。誰かが手を合わせる都度そうやっている。

続いて本堂に向かう。こちらは江戸時代の建造だが、舞台が崖の外にせり出している。大勢の人が次々にやって来るが、舞台のへりに立ってお勤めとする。すぐ後ろが舞台の端のため、何かの拍子に後ろによろめくとそのまま落ちそうで、結構ひやひやしながらのお勤めとなる。横ではロウソク、線香やお守りを扱う係の人たちが「おん ばさら だらま きりく」という真言と客の呼び込みを同時に行っている。やはりこれまで訪ねた七佛めぐりの寺にてもっとも賑わっている。

中国観音霊場の朱印と七佛めぐりのスタンプをいただく。七佛めぐりのご利益は「開運厄除祈願」、何でも来いのようだ。寺全体を見るとさまざまな祈願スポットがあるし、巨岩からは何かパワーというか「気」のようなものが感じられるので、開運厄除にもうなずける。

本堂の西に出る。するとこちらには「くさり山」というのがある。熊野権現と石鎚蔵王権現を祀るとして、石鎚山にある鎖と同じものが取り付けられている。元々、大正時代につけられたものだが太平洋戦争の時に鎖と鐘が金属供出されてしまった。平成になって改めて取り付けられ、一般の人も上れるようになった。

石鎚山といえば、私も四国八十八所めぐりの中で上った(普段登山の趣味はないのだが)。ただ、鎖だけは最初からパスした。鎖場を上らなければ修行にならないと言われればそれまでだが、やはり危ない。で、目の前の「くさり山」、高さは石鎚山ほどではないにしても挑むにはスリルがありすぎる。他の参詣者も上り口で見るだけである。

そんな中、ふいと手ぶらでやって来た若い女性が、躊躇することなく鎖に手をかけて、すいすいと上っていく。これには周りからも「すごいなあ」と感心する声が挙がる。

この後は西国三十三所の観音像が祀られるお堂に手を合わせ、少しずつ下っていく。観光、信仰、さまざまなものを含んだ千光寺の素晴らしさを改めて感じたところで、次は天寧寺に向かう・・・。

コメント