まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第2番「霊山寺」~西国四十九薬師めぐり・11(霊山寺奥の院)

2019年12月17日 | 西国四十九薬師

霊山寺の本堂のお参りを終えて、この先にある奥の院を目指す。また「大弁財天」の鳥居をくぐる。奥の院までは約1キロだが、アスファルトの道が続いていて、いわゆる昔の遍路道のようになっていない。

まずは急な上りが続き、ピークに来たところで未舗装の道となる。そしてもう一つ鳥居が出てくる。ここから最近整備されたらしいコンクリートの下り階段が続く。本堂からは上り~下りと続くので、それなりに変化ある道のりである。

鬱蒼とした木々の中、神秘的なものを感じる。「奥の院」は全国あちこちにあるが、その言葉がよく当てはまるように思う。

この奥の院、弘法大師がこの地に龍神がいることを感得して、弁財天として祀った霊地とされている。薬師如来はどこに行ったのかと思うが、霊山寺としては弁財天のほうが大元だとして大切にしているのかなと見える。

川にかかる橋を渡り、お堂の前で手を合わせる。「心正しく一心に祈願すればあらたかなご利益ご加護が授かりますが、不心得のことがあれば神罰もまた厳しいものがあります」という言葉がある。うーん、普段の生活が不心得のことばかりだからなあ、せめて神罰が少しでも軽くなりますように・・。

本堂の前に戻る。ここで次の行き先のサイコロである。出走表は・・

1.舞鶴(多禰寺)

2.加茂(浄瑠璃寺)

3.三田(花山院)

4.天王寺(四天王寺)

5.西宮(東光寺)

6.但馬(大乗寺、温泉寺)

但馬に舞鶴という遠方のエリアが並ぶ。もしここでいずれかが出れば、冬の青春18きっぷの行き先になりそうだ。一方では手近な四天王寺もある。そこで出たのは「5」。「東光寺」と書くと見慣れない名前だが、関西の人なら多くが知っているあの寺である。

さてこの霊山寺、さまざまなスポットがある。その一つが「薬師湯殿」。前の記事で、霊山寺の開創は小野富人が登美山に湯殿を設けたことからと触れたが、それを今に再現しているのがこちら。温泉がではないようだが、さまざまな薬草を使っていろんな効能があるという。旅館の大浴場の風情でサウナもある。これまでの札所めぐりで、境内で入浴するというのは初めてのことである。横の食堂が受付で、入浴料600円を支払う。スタンプカードもあり、10回の利用で1回無料で入ることができるというのも町の銭湯のようだ。なお、寺参りだと受付で入山料を支払うが、食堂や薬師湯殿目当ての場合は受付で申し出ればそのまま入れるようである。

浴槽につかる。薬草のほのかな香りが、それだけでも効き目があるように感じられる。飛鳥時代当時の湯殿はこうした大浴槽タイプではなかっただろうが、薬師如来参りの後だけにありがたみを感じさせる。

この霊山寺はさまざまなものがあり、食堂や土産物店があるのはごく普通としても、湯殿があり、さらには多角化として大規模な霊園にはバラ園がある。そのうえここにゴルフ練習場も加わる。これをどう受け取るかは人それぞれあるだろうが、歴史的由緒あるものと現代的なものを融合させたのがこの寺の特徴と言える。その基礎を作ったのが、前の記事で触れた東山円教・円照夫妻である。「大僧正」「教祖様」という像が建っていたあの人たちだ。

霊山寺は明治の廃仏毀釈により伽藍の規模が半減し、多くの仏像が焼却されたが、薬師如来と大弁財天は何とか残された。後に霊山寺の住職となった東山円教は、自らのシベリア抑留を含む戦地での体験から、世界の平和を願い、心の安らぎを感じてもらおうということでバラ園を開いた。それをきっかけに「心の安らぎ」ということでさまざまな施設ができたそうだ。ゴルフ練習場が心の安らぎかと言われれば、まあそう思う人にとってはそうなのだろうなというところだ。

バスで富雄駅に戻る。昼食ということだが、奈良ということで「天スタ」こと天理スタミナラーメンに入る。白菜たっぷり、ピリ辛のラーメンは体も温まる。また、後で知ったのだが富雄駅近辺というのは奈良のラーメン激戦区だそうだ。もっとも、夜の部のみの営業だったり、日曜定休だったりという店が多いそうで、観光客というよりは勤め帰りや宴会後の締めにラーメンをという人たちをターゲットにしているのかなと思う。

さてこれで年内の西国四十九薬師めぐりは終了となる。来年もまた関西のさまざまな名所をめぐってみたいものである・・・。

コメント