野上電鉄の廃線跡を少し歩いた後、本題の禅林寺に向かう。住宅の合間のちょこっとしたところにみかん類の畑があるのも和歌山らしいところだ。
ちょっとした丘の麓に、里山の伽藍が広がる。鐘楼が目立つ。山門はなくそのまま境内に入る。最近になっていろいろ整備されたという。
正面の本堂に上がる。禅林寺は奈良時代に唐から来た為光上人(紀三井寺を開いた人でもある)が聖武天皇からこの地を与えられ、伽藍を建てたことが始まりとされている。本尊の薬師如来は秘仏で見られないが、塑像でできたという全国でも珍しいものだという。かつては巨大な伽藍や寺領を持っていたが、豊臣秀吉の紀州攻めの際に寺は焼かれ、領地も没収された。
本堂の前には丸太から切り出したベンチも置かれている。まずはそちらでお勤めとする。ちょうど心地よい風が吹いている。本堂に併設の納経所には、「紀州十三佛霊場」のパンフレットが置かれている。禅林寺はその第7番、薬師如来担当である。
本堂の脇には弘法大師像と大師堂があり、真言宗の寺院であることを示しているが、禅林寺でもう一つ有名なのが「ぼけよけ地蔵」である。たくさんの小さな身代わりのお爺さんやお婆さんの像が奉納されていて、多くの信仰を集めていることがうかがえる。実際、「ぼけよけ二十四地蔵霊場」というのが和歌山、奈良、大阪にわたって結成されていて、禅林寺はその第3番とある。まだそうしたものを認めたくないのだが、医学的に見れば私くらいの年齢だとぼけは進行しているそうだ。ここはしっかり手を合わせておく。薬師如来にぼけよけ地蔵、現世利益の要素が強く、ただ地元の人には身近に親しまれている存在の寺のように感じた。
本堂の裏に四国八十八所のお砂踏み霊場があるので、どんなものか一回りしてみる。山道を進むと、それぞれ石を積んだ祠があり、その中に本尊と弘法大師像が祀られている。そのまま行くが、第10番くらいまで来たところで前方の茂みが深くなった。それをかき分けてもう少し進むが、道しるべもないし、木が生い茂っていてとても最後までたどり着けそうにない。本当は正しい道があるのだろうし、正面突破すればいいのかもしれないが、この時はそうは思えなかった。道に迷うのも困るので適当なところで引き返す。それも私が選ぶ道である。
さて本堂まで戻り、次の札所を決めるサイコロである。くじ引きで出た出走表は・・
1.多気(神宮寺)
2.丹波(達身寺)
3.三田(花山院)
4.生駒(霊山寺)
5.池田(久安寺)
6.湖南(善水寺)
出たのは「4」。生駒の霊山寺である。これも自宅からまあまあ近い距離で行くことができる。年内に行くことにしよう。
さてこれで海南駅に戻るが、バスの時間も中途半端だし、再び野上電鉄の廃線跡をたどって戻る。和歌山行きの列車はほど良いタイミングで来るので、これで紀三井寺まで移動する。次は西国三十三所めぐりの3巡目である・・・。