全部で154の札所がある神仏霊場巡拝の道めぐりのうち、およそ半分に近い72ヶ所まで回ることができたが、一方で札所数を追い越された形になったのが広島新四国八十八ヶ所。
地元だからいつでも行けるということもあるのだが、前回広島新四国めぐりを行ったのは、広島原爆の日である8月6日よりも前の7月30日とある。そのまま、夏が過ぎてしまった。
次に目指すには第69番の普門寺。場所は元安川、平和大橋の近くである。
出かけたのは10月15日・・・前回から2ヶ月半開いた。さらに、記事にするのはそれよりさらに半月以上後となった。
10月15日は、ちょうどクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦の当日である。この数日前、気まぐれでチケット取引サイトをのぞいてみると、内野席に手頃なチケットが出ていたので購入した次第である。マツダスタジアムに行くにあたり、市内中心部に札所が残っているので行っておくことにしよう。カープの必勝も祈願しようか。
マンションや病院が並ぶ中、コンクリート造りの建物に出る。正面の門は閉まっているが、横の駐車場から入ることができる。本堂、座禅堂とも階段を上がったところに扉があるが、いずれも閉まっている。ということで階段の下でのお勤めとする。なお境内には枝垂桜が植えられており、桜の時季には見物に来る人も多いそうだ。
普門寺は毛利元就ゆかりの寺として紹介されている。奈良時代、行基が安芸吉田に滞在していた時、村人から時折川底から一筋の光が発し、山頂の樹上にかかるとい話を聞き、吉田山の山頂で座禅を組んだ。すると老人が現れ、光を発していたところを指したので、川底に網を下ろすと観音像が引き上げられた。この観音像を山上に祀ったのが寺の起こりとされる。
後に、毛利元就が観音堂で夜通し願掛けことがあった再、夢に大士の妙相が現れ、軍配団扇を授けられたという。また孫の輝元は、なかなか子どもに恵まれなかったが、観音堂に籠ってお参りしたところ、長男の秀就に恵まれたという。
毛利時代に吉田から広島近隣を転々とした後、関ヶ原の福島正則の時に現在地に移ったという。
またこの時は閉まっていたが、普門寺じたいは定期的に座禅会や「広島精進料理塾」などが開かれているという。当寺の吉村昇洋住職は精進料理についての著作も出しており、メディアにもしばしば出演しているそうだ。
この後、広電の線路をまたぐ。その交差点で、名古屋手羽先の「世界の山ちゃん」を見つける。広島にも店舗があったとは!・・・と驚いたのはウソで、店があることは以前から見かけて知っていた。八丁堀や本通りから少し離れた市役所近くにある店だが、この辺りもホテルが多いので夜の需要があるのだろう。これは一度は行ってみようか。
向かったのは、第66番・禅林寺。前回訪ねた時、ちょうど法事の前で取り込んでいる様子だったので朱印をいただくのを見合わせた寺だが、次の第70番・金龍禅寺のすぐ裏にあるのでこの機会に朱印をいただくことにする。本堂の前でお勤めとした後、無事に朱印をいただく。
そして金龍禅寺に向かったのだが・・・ちょうどクルマが境内の駐車場に続いて入り、本堂や庫裏の前では喪服姿の人たちが何人かいて、挨拶などしているところ。どうやらこの後から法事でも行われるようだ。前回の禅林寺と同じような形になったが、広島新四国なら次に出直しでいいだろう・・。
この後、広電には乗らずにそのまま歩いてマツダスタジアムに到着。カープ対ベイスターズのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦を観戦。カープが終盤に勝ち越し、タイガースとのファイナルステージに進んだ。結果はタイガースのストレート勝ちでバファローズとの日本シリーズとなり、連日の熱戦の末日本一となった。
個人的には現在の地元、第2の故郷である広島のカープが下克上して、バファローズとの日本シリーズを実現してほしかった。ただ、2位のカープが出場したとして、はたしてあのような連日の死闘の日本シリーズになったかどうかは、また別の話である・・・。