11月23日、木次線を走る観光列車「奥出雲おろち号」が25年の運行の幕を閉じた。夕方のテレビニュースで「ああ、今日がラスト運行だったか」と気づいた次第だが、木次線沿線や備後落合駅には大勢の人が駆け付けたそうだ。
「奥出雲おろち号」には何度か乗車したことがあり、最後に乗ったのは今年の5月、ちょうどG7広島サミットと重なった時である。この時は出雲坂根~備後落合の往復という限られた区間での乗車だったが、現地までクルマでアクセスしたこともあり、出雲坂根で下車した後も国道を並走して「奥出雲おろち号」を外から「なんちゃって撮り鉄」した。
そして車両をナマで最後に見たのは、9月に芸備線応援のクラウドファンディングで「呑み鉄鈍行ちどり足号」で備後落合に着いた時。この時には「おろち号」の運行終了へのカウントダウンが進む中、「ちどり足号」で同乗した人たちとの会話で、もうこの列車の指定席を取ることはできないなという話題も出ていた。「ちどり足号」の旧国鉄首都圏色のキハ47と「おろち号」が同じ駅で並び立ったのも、引退する列車への惜別シーンとなったことである。
機関車が客車を牽引することじたいが希少なものとなる中、これも一つの区切りなのかなと思う。ともかく、お疲れさまでした・・・。
さて、11月12日の「みまさかスローライフ列車」乗車記の続きである。津山から因美線をのんびりと走り、物見トンネルを抜けて鳥取県に入った那岐に到着。列車じたいはこの先鳥取方面や智頭急行に乗り継ぐ客のために智頭まで向かい、折り返してくるのだが、那岐で下車する人がほとんど。まずは気動車の発車を見送る。
鳥取県は観光PRとして「蟹取県」、「星取県」などのキャッチコピーがあるが、鳥取でも限りなく山あいのこの駅にも、「蟹取県」の「カニ帽子」姿の方も出迎える。駅前のテントではカニ汁も販売されており、一杯いただく。鳥取で松葉ガニをがっつりいただく・・・とは懐具合からしておいそれとはいかないのだが、ほんの少しでも風情を味わうことができる。
カニ汁を味わっているうち、駅前スペースでは地元のグループによるよさこい踊りの演舞が披露される。威勢がいい。
その後はということで・・・津山から乗って来た寅さん御一行のうち、津山市の金田稔久議員以外のお二方が登場。「松江の寅さん」こと「フーテンの純ちゃん、フーテンの福ちゃん」と発します・・・。
フーテンの純ちゃんは「松江から来ました」と自己紹介しており、島根にそうした芸人さんがいるのかなと思って一時を楽しんだのだが、後で知ったところでは、プロの芸人ではなく、本業は自動車整備・販売業の社長さんだという。松江では観光などのボランティアに携わっているとか。隣のフーテンの福ちゃんも自動車整備業の方で、純ちゃんのお弟子さんだという。
寅さん、いや純ちゃんのトランクから出てきたのはネタの小道具。番号とネタが書かれていて、ギャラリーの指名でそれを披露する。東京や大阪の笑いの基準だと単なる素人の出し物でしかないのかもしれないが、こういうローカル線の駅前でのほっこりしたイベントだからこその笑いが起こる。純ちゃん、福ちゃんにしても、(本業があるからというのは別にして)純粋にお客さんに楽しんでもらおうという気持ちでのひとときである。
それはそうと、次から次へと「寅さん」が乗車するというのは・・。確かに全国見渡せば寅さん好きも多く、寅さんに扮して地域で活動している方も幅広くいるのだと思うが、「みまさかスローライフ列車」に乗せてしまうのはやはり金田議員の尽力によるものだろう。
帰りの列車の時刻が近づき、ホームに上がる。津山行きは、キハ40の旧国鉄一般型塗色。地元の方たちの見送りを受けて発車する。
帰りのボックス席には相客がおらず、一人占めの形で乗車する。
岡山県に戻り、おもてなしの後片付けがほぼ終わった美作河井で地元の人たちの盛大な見送りを受け、美作加茂に到着。列車行き違いのためということもあるが、往路の買い物で当たりくじを引いた人への景品交換の時間でもある。
復路は淡々と走り、16時17分、津山に到着。この日は日曜日、翌日に備えて早めに広島に戻ろうと、そのまま津山線に乗り継ぎ、岡山から新幹線に乗車・・・。
秋の1日を里山ローカル線の車窓で楽しむことはできたが、この「みまさかスローライフ列車」、現在は春、秋の時季に運行されているものの、はたしてこの先はどうなっているのだろうか。「奥出雲おろち号」の件があるにせよ、これからも少しでも長い期間、運行してほしい列車である・・・。