少し間が空いたが、11月4日の松山行き日帰り旅の最終盤である。柳井から周防大島を見ながらの船旅、三津浜焼き、2代目松山駅舎のさよならイベント、駅前での入浴と一献と盛りだくさんで、19時前に店を後にする。外はすっかり暗くなっているが、この時間から広島に戻るのである。
駅前のフジグランを抜け、高浜線の古町に到着。ちょうど高浜行きの列車が入るところで、そのまま乗車する。まだこの時間だが乗客は少なく、駅ごとに数人ずつ下車する。この辺り、ローカル私鉄らしい。
梅津寺に到着。ホームのすぐ後ろが海というロケーションで、ホーム柵には「東京ラブストーリー ロケ地」の看板があり、ハンカチが結わえ付けられている。このドラマが放映されたのが1991年のことで、もう30年以上経つ。まあ、放送当時も私には縁のない世界の出来事やな・・と思っていたが、まさにこの歳までその通りラブストーリー圏外のまま来てしまっているのも、人間としてどうかと思うばかりで・・。
終点・高浜に到着。数人の客と下車する。駅横から発車のシャトルバスに乗り、松山観光港に到着。当初の予定より早い列車に乗れたので、高浜の駅舎をしばらく見物したり、海岸沿いにぶらぶら歩いてもよかったが、駅員さんの「すぐにバスが出ますよ」の言葉にそのまま乗ることに。
待合室にはそれなりの数の乗船客が待っていた。この後出航するのはいずれも広島(宇品)行きの20時10分発のフェリー、20時30分発のスーパージェットである。どちらを取るか。後発のスーパージェットなら広島に先に到着し、その時間からなら広電を乗り継いで帰宅することができる。一方、先発のフェリーだと広島に着く頃には広電の運転は終わっているため、呉で下船してJRに乗り継ぐ必要がある。ただ運賃はスーパージェットの半分だし、JR乗り継ぎでも西広島から最終の広電に間に合う。そして運航するのは新型「シーパセオ」。ということで、20時10分発のフェリーの乗船券を購入する。
待合室のテレビでNHKで久しぶりに放送の「ブラタモリ」を観た後、乗船の列に加わる。広島からの折り返し便の到着後、結構な数の乗船客が下車する。ちょうど連休最終日、本州方面に出かけていた人たちが帰路に就くところである。松山からの乗船客もそれなりに列をなす。
下船を終えたところで乗船する。陣取ったのは、靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」。一方には桟敷で横になれる「GORONEエリア」もあるが、こちらは早々に埋まった。
それ以外のシートもそれなりに埋まり、出航する。昼間なら屋上の展望デッキに上がって潮風を受けながら景色を楽しむところだが、さすがに夜、それなりに風もある。また、こう言っては失礼だが付近に夜景が広がるわけではなく、航海の途中でデッキに上がることもあったが、長居せずにすぐに船内に引っ込む。
夜ということで船内もウトウトする人がほとんど。「OZASEKIエリア」は3人掛けで、シートに横になる人もいる。私も同じようにしようと思ったが・・無理だった。席の間に固定式の小テーブルがあり、テーブルとシートの間に体を入れて横になるのはさすがに物理的にしんどかったので。
やはり夜のため「移動」の要素が強いなと思いつつ、読書したかと思えばウトウトしたり・・そうこうするうちに呉到着の案内放送が入る。
下船前にデッキに出て、呉の自衛隊基地や造船所の景色を見る。写真が手ブレしているのは仕方ないが、夜の静かな呉港の景色を見ることができて満足である。
22時05分、呉に到着。呉で下船した客のほうが多かったと思う。ターミナルや周辺の商業施設も営業時間を終えてひっそりしているが、その中、下船客は駅に向かって歩く。広島方面へは22時28分発の広島行きがあり、時間には余裕がある。
そしてホームで列車を待つのだが、しれっと「次の22時28分発の広島行きですが、大幅に遅れています。時間の目途はたっていません」とのアナウンス。先ほど、そうした表示や案内は何もなかったが・・。手前の安芸阿賀駅で乗務員に業務連絡を行ったため・・とあるが、何の連絡なのやら。下手したらこの日のうちに帰宅できないかもしれない。ならばフェリーをあのまま宇品まで乗って、タクシーで帰ったほうがよかったのか?いやそれなら合計で「スーパージェット」よりお高くつくことになるし・・。
それやったら改札口で声かけろや、「カスハラ」上等や・・・とも思ったが、そうしたところでどうなるものでもない。ただ呉から西区までタクシーに乗ると1万円でも足りないな・・。
結局、呉には約30分の遅れで到着という案内が流れる。そしてやって来た列車に乗り込む。呉を発車したのは23時前、何とか乗り継ぎで西広島まではたどり着けそうだ。
そのまま西広島に到着し、最後は短距離ながらタクシーの世話になり、日付をまたいだところで帰宅。まあ一応「日帰り」ということで・・。
今回は松山駅を目的地として海を渡ったのだが、そろそろ、本格的な旅先として「次の四国」というのを意識してもよいのではと思う。なかなか機会を得られないのだが・・・。