大聖院から弥山山頂まで到達し、いよいよ第88番・弥山本堂に向かう。ここからは下りだが、弥山山頂に向かういわば表ルートということで、国内外の多くの観光客、登山客とすれ違う。本格的なハイキング姿の人もいれば、それこそ手ぶらで・・という人までさまざま。まあ、弥山で道に迷うとか遭難するということはほとんどないのだろうが、何も持たず標高500メートルまで上がって来るというのはさすがに無謀では・・。
その中でくぐり岩を上からくぐり、不動岩にも立ち寄る。弥山というところ、それこそ至る所に祈りのスポットがあるが、かつての修行の場の名残がうかがえる。
「皇太子殿下大正十五年五月御播種松」と刻まれた石碑がある。大正時代の皇太子だから後の昭和天皇だが、大正十五年といえば大正最後の年。この7ヶ月後の12月に大正天皇が崩御し昭和元年となったから(この当時はすでに摂政に任ぜられていたが)、時代の移り変わりを今に伝えるスポットといえる。
観音堂、文殊堂を経て、三鬼堂に到着。先ほど訪ねた大聖院の摩尼殿と同じく三鬼大権現を祀る。せっかくなのでお堂に上がり、ここでもお勤めとする。お堂の内部には眷属である天狗の額が奉納されている。明治時代には伊藤博文もたびたび参詣したそうだ。
そして弥山本堂、霊火堂の一角に下りる。弥山でも人気スポットであり、ここで休憩を取る人もあってベンチも賑わっている。平安時代初期、弘法大師空海が訪れてこの山を弥山と名付け、百日間の求聞持法の修行を行ったのが始まりで、阿波の太龍寺、高知の室戸岬と並ぶ三大道場の一つとされる。
本堂には平安時代に平宗盛が寄進した梵鐘、さらに「平清盛公 祈りの鐘」が安置されている。後者は鐘というよりは巨大なお鈴だが、平清盛生誕900年を記念して奉納されたもので1回500円で鳴らすことができる。
広島新四国八十八ヶ所は同じ宮島の大願寺から始まり、広島近郊を行ったり来たりして、最後は歴史的スポットで結願となる。本尊虚空蔵菩薩を前にしてのお勤めとする。途中、空白期間も多かったがこれで結願である。札所をきっかけに、広島市内でも訪ねたことがなかった多くの土地を回ることもでき、2度目に住むことになった広島の地の理解、発見も深まったことである・・。
そして向かいにある霊火堂へ。弘法大師空海が弥山で修行した際に焚いた護摩の火が1200年以上燃え続けている「消えずの火」。この火は広島平和記念公園の「平和の灯」の種火でもあり、広島新四国八十八ヶ所開創の主旨でもある世界平和への祈り、願いが込められている。その火に掛けられた大茶釜の中の霊水をいただく。
さてこの後だが、紅葉谷コースを伝って下山としよう・・・。