まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6回四国八十八所めぐり~第25番「津照寺」

2017年01月12日 | 四国八十八ヶ所
室戸岬の最御崎寺から第25番の津照寺(しんしょうじ)を目指して歩く。だいたい6キロほどというが、国道55号線まで下りてきたし、後は海岸沿いの平坦な道である。昔からの遍路道は一本山側に入った集落の中を進むようだが、ここはそのまま国道を歩く。歩道もあるし、先ほど甲浦から室戸までバスに乗ったので、少しは黒潮の潮風を受けながら歩くのもいいかなと思う。計画では乗る予定にしていた路線バスも、どこかで私を追い越すはずだ。

高知の黒潮といえば鰹、鯨、マグロ、ウツボという海の幸が連想される。せっかく高知に入ったのだからと、そうしたものも味わいたいのだが、国道沿いにはそうした店はない。それどころか、歩きとこれからの行程、帰りのバスの時間を考えると、ゆっくり昼食をとる時間も厳しいかと思う。前日日和佐のスーパーで買っていたカロリーメイトなどの携行食が昼食になるかもしれない。四国八十八所めぐりに来た割には夜の居酒屋料理の写真を記事に載せているように思う方もいるだろうが、こと昼食となるとお粗末なものである(昼で行程終えて一杯やってた回もあるが・・・)。

国道は室戸岬の新港に出る。歩道もあるのでそのまま歩くが、集落から海側に造られた道路である。進行右手はコンクリートの防波堤が高く造られている。高潮や津波の被害から集落を守るためのものだろうか。その防波堤の所々が開いていて、集落と細い道で結ばれている。その境目のところに椅子を出しておじいさんが日向ぼっこしていたりする。大晦日だが青空が広がり、穏やかな天候である。

新港を抜けると国道は少し山側に入り、両側に家並みが広がる。甲浦からの道のりでは所々に集落はあったが、久しぶりに「町」の雰囲気がしてくる。もう少し行けば室戸市の中心部に出るというところで国道は右にカーブするが、津照寺にはそのまま側道を行くようにとの看板がある。その分岐のところにYショップがあり、その前で休んでいた白衣姿の歩き遍路の男性から挨拶をかけられる。このエリアで初めて見る歩き遍路である。

先ほど見たのが室戸岬の「新港」なら、こちらは室津というところで、元々の室戸港はこちらである。室津と聞くと、姫路の西にある風待ち港を連想するが、こちらの室津も黒潮の中にあって良港となる要素があったのだろう。古い家屋も残る素朴な感じの港である。目指す津照寺はこの集落の中にある。最御崎寺から1時間あまりでの徒歩であった。

「遍路の駅 夫婦善哉」という店の角を曲がると、細い参道の突き当りに石段が見える。石段は125段あるというが、ここまでいろいろな石段を歩いて来た中ではこんなものかと思う。こちらは初詣の準備中のようで、寺のお子さんらしいのが石段の途中にある弘法大師像にお餅を備えていたり、これも石段の途中にある鐘楼も除夜の鐘までは立入禁止の札が出ていたりする。この鐘楼、どこか龍宮城を思わせる造りで、ふと「南国に来たのだな」と感じられた。

石段を上りきって振り返ると、室津の港、そしてその向こうの黒潮を見る。先ほどの最御崎寺はすぐ近くに室戸岬の灯台があったが、境内の本堂前から港や海を見ることができる札所はこれが初めてである。四国八十八所は海べりを巡る修行であるとされているが、意外に海に面した札所は少ない。津照寺はそうした中の一つである。

本尊の地蔵菩薩は楫取(かじとり)地蔵と呼ばれているそうだ。関ヶ原の戦いで土佐を与えられた山内一豊が、ある時室戸沖で暴風雨に遭った。するとどこからともなく一人の僧が現れて、船の楫を取って無事に室津の港まで漕ぎつけた。僧はいなくなったが、衣から垂れていた水滴の跡をたどっていくとこの寺の本堂まで続いていた。そして本堂では本尊の地蔵菩薩が海水に濡れた姿で立っていた。これは地蔵菩薩が僧の形になって現れたと感心し、以後、楫取菩薩として山内氏からも手厚い保護を受けるとともに、海に生きる人たちの信仰を集めたという。現在は小ぶりな寺院であれが、明治の廃仏毀釈政策のために廃寺となり、後に復興したが敷地はごく狭いものとなった。

四国八十八所で本堂とセットとなる大師堂は再び石段を下りたところにある。ここでもお勤めを行い、朱印をいただく。

お参りの後で、門前の遍路の駅に向かう。ちょっとした土産物や食料品が置かれているが、店の半分のスペースには寿司のパックがずらりと並ぶ。これは全て予約品で、地元の人たちが番号を言って引き取りに来る。年越し、正月は親類たちが集まって寿司をいただくのだろう。ここで何か食事を買おうかとも思ったのがそれほどのものはなく、高知県産のお茶や室戸の海洋深層水のペットボトルを購入する。

さて次の第26番の金剛頂寺も同じく6キロほど離れているが、津照寺でのお参りも早く終わったこともあり、バスを待たずにこちらも歩いていくことにする。最短コースでは津照寺の近くの川にかかる橋を渡ればいいのだが、2本ある橋はいずれも補強工事中で通行止めとなっている。ガードマンに訊くと迂回路は少し大回りになるが、そのまま国道55号線に合流するとのこと。改めて地図を見たところそれほどまでのロスにはならないかなということで、次の札所に向けて歩き始める・・・、
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第6回四国八十八所めぐり~第24番「最御崎寺」

2017年01月11日 | 四国八十八ヶ所
室戸岬にある最御崎寺(ほつみさきじ)には以前にも来たことがある。最初は社会人になって間もない頃で、週末の休みを利用してJR乗りつぶしと路線バスでの徳島~高知への路線バスの旅行で来た。その頃はユースホステルの会員でもあったので、最御崎寺の宿坊「へんろセンター」に泊まった。3人部屋を一人で使ったり、夕食に鰹のタタキが出たり、プロ野球のオールスター戦をテレビで観た記憶がある。その後は宿泊の機会はないものの、ドライブで立ち寄りでお参りしたことがある。ただいずれにしても、その時は四国八十八所を(公共交通機関利用ではあるが)回ることになるとは思っていなかったし、まして遍路道を歩いて上ることになるとは思っていなかった。

ガイドブックではバス停から徒歩20~30分とある。ただここに来るまでに回った22番の平等寺のように駅から平坦な道を25分歩くのとは違い、小高い山を上るのである。室戸岬に行かれたことのある方ならご存知だと思うが、奇岩が広がる室戸岬から振り返って中岡慎太郎の像を見ると、背後が小高い山になっている。それを上ったところに最御崎寺がある。何かの慰霊碑の横手の階段を上がる。途中から勾配もきつくなる。徒歩20分とあるからその時間をこらえればいいのだが結構きつい。やはり四国遍路の寺というのは山上りが避けて通れないのかなと思う。まあ、弘法大師が寺を開創した時は室戸岬を回る国道などなかったわけで、海べりの厳しい道を歩いた後でようやく高いところに上がることができると安心できたのかもしれない。

この最御崎寺を「ほつみさきじ」と呼ぶのは、「ほつ」は「火つ」、御崎は「岬」で、海に向かって火を焚いて修行をしたところというのが由来だとされている。また通称では「東寺(ひがしでら)」というそうだ。東があるなら西もあるわけで、それがこの後で訪ねる26番の金剛頂寺、「西寺(にしでら)」という通称がある。

少し息が上がったところでようやく最御崎寺の山門に出た。時間は20分を少し切るところ。初めて白衣を着けて山門をくぐる。境内にはクルマで四国巡拝をしているスタイルの人と、室戸岬のドライブという格好の人たちがまじっている。本堂の途中にある鐘石でキーンという金属音を鳴らした後で、本堂にお参りする。ドライブの客が「最御崎寺」の立札をバックに記念撮影するが「これ、何て読むんだろう?」「さいぎょさきてら?」などと言っている。ここの本尊は弘法大師が求聞持法の修行をしたこともあり、虚空蔵菩薩である。

お参りをした後、寺から50mほどのところにある室戸岬灯台に向かう。時刻はちょうど12時になるところで、太陽は南にある。室戸岬という南に向かっている岬の先端で南に太陽を見るとは、タイミングがいいなと思う。見方を変えれば、2016年の大晦日もあと半日、これから太陽が見られるのはあと数時間ということで、その中で残り2つの札所を回るわけだが・・。それにしても天候がよい。風も穏やかで、白衣姿でも寒さを感じないところである。

帰りは自動車の道を通って海岸べりまで下りることにする。クルマで来た時にはヘアピンカーブが続く区間だが、歩きだと室戸の町を見下ろすことができるいい眺めである。遍路道よりは距離があるが、歩くにはちょうどよいくらいの勾配で、これなら膝の後ろがピリッと来ることはないだろう。結構距離があるように思えたが、駐車場から海岸べりまで15分で下ることができた。

当初の計画では室戸岬を12時39分に出るバスで室戸まで移動し、次の札所である25番の津照寺に向かうようにしていたが、バスが来るまで時間はある。また、ここから札所までの区間、そして甲浦までの戻りのバスまでの時間を考えると、津照寺まで歩いてもいいのではないかと思う。距離は5~6キロというところで、歩きの所要時間は1時間あまりというところか。海を見ながらの歩きもいいかなということで、国道55号線の側道を金剛杖を突いて歩き始める・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~室戸までの乗り継ぎ旅

2017年01月10日 | 四国八十八ヶ所
牟岐線の新野から海部行きに乗る。2両で10数人の乗客である。後ろの車両に乗ったが、これは途中の牟岐で切り離すという。

夏の間だけ臨時駅となる田井ノ浜を通過する。牟岐線はシーサイドラインの愛称がつけられているが、海が見えるのもわずかな区間である。それだけ険しい地形を行く路線である。早朝に来た日和佐を8時24分に発車。ここが最寄りの第23番の薬王寺はまたも素通りとなるが、この夜の初詣でお参りすることにしている。

牟岐に到着。下車客も多く、車内は一桁の乗客となった。年末年始はローカル線といえども青春18の乗客で混む列車もあるのだが、牟岐線は行き止まりの路線ということでなかなかそうはいかないのだろう。

終点海部に到着し、反対側のホームの阿佐海岸鉄道の列車に乗り換える。こちらも先客を入れて一桁の乗客である。車両は昨日乗ったのと同じもの。阿佐海岸鉄道は保有車両は2両しかなく、1両が一日中行ったり来たりしている。稼働していないもう1両は何かの時の控えのようだ。もう1両の車両にもイルミネーションが施されていて、整備の人が手作業でLED電球を取りつける様子が阿佐海岸鉄道のホームページでも紹介されていた。ちなみにイルミネーション列車は1月5日までの運行で、この記事を書いている時点でもう終了しているのでご注意を。

海部を9時12分に発車し、連続するトンネルでは青と白のイルミネーションに彩られる。終点の甲浦までは11分。やはり全線乗ってもそれだけの時間とは、鉄道としての規模の小ささを改めて感じる。これでは、いかに経営努力をしようにも収入の増加につなげるのは難しそうだ。高架の線路が中途半端なところで切られたようになっているのももの悲しい。今さら室戸経由の阿佐線建設はできない話だが、土佐くろしお鉄道との経営統合というのも考えたほうがよいのではと思う。

さてその両区間を結んでいるのは高知東部交通の路線バスである。このうち甲浦から室戸までは1日6往復で、これから乗る9時59分発を逃すと2時間待ちとなる。ちなみに室戸から先の安芸までは1時間に1本の割合で出ている。私のこの先の行程は、室戸岬までバスで行き、第24番の最御崎寺を訪ねる。その後の室戸市内の第25番の津照寺、第26番の金剛頂寺は、バスを少しずつ乗って回り、最後は金剛頂寺最寄りの元橋を16時20分に出るバスで一気に甲浦まで。後は鉄道乗り継ぎで連泊の日和佐に戻る。

甲浦からのバスまで少し時間があるので、駅の横にある八幡宮にお参りしたり、駅舎内でパンフレットなど見ながら時間を過ごす。やたら高知の内容が多いなと思うが、手前の宍喰までは徳島県だったが、甲浦は高知県の東洋町である。おおっ、まだ徳島県の札所は残っているが、ここで高知の地を踏んだことで、私の四国八十八所めぐりも第2ステージに入った感がある。金剛杖に貼った四国アイランドリーグのマスコットも、インディゴソックスの蜘蛛からファイティングドッグスの闘犬に替わる。

安芸行きのバスが到着した。ここから乗るのは私の他に二人。いずれも旅行者の格好である。しばらく走ると55号線に入り、早速海岸沿いを走る。この時間は太陽も照りつけ、バス内も暖房が入っているので暖かいを通り越して暑いとすら感じられる。ただバスはそんな感じだが、途中で歩き遍路を追い越す場面もある。あの人は国道を走るバスを見てどのような心境なのかなと思う。

そんな歩き遍路の中でも、室戸まで全て歩くのではなく一部はバスに乗ろうという向きもあるようだ。途中、集落が切れたところからバスに乗った人がいた。バスから見るぶんには絶景の区間は乗っていたが、再び集落に入ると、観光スポットでもないバス停で降りていった。

別にその人と会話しなかったので何とも言えないが、一連の動きを見て、なるほどと思った。これは甲浦駅に地元新聞の切り抜きか貼られていたのを見たのだが、55号線の中でも景色が特によいとされているこの区間に「海の遊歩道」を造ってほしいという記事があった。記者は歩き遍路で四国を回ったそうだが、その中で、室戸までの区間の歩道の整備が十分でないことを残念がっていた。地形や安全性のこともあるのだろうが、海側は車道のみ、歩道は山側に細くあるだけだ。

これはバスに乗っている私もわかる。また、クルマで移動する方も実感するところではないだろうか。景色がいいからといっても、ちょっと路肩に寄せて写真でも撮ろうかというスペースはない。交通量はそれなりにあるので停車することもはばかられる。先ほどこの区間だけバスに乗った人も、歩き疲れたり時間短縮の意味もあるだろうが、歩行者に厳しい区間だという情報があったのかな。乗り合わせた地元の人にやたらバス停の名前を確認していたから、そうした情報が出回っているのかもしれない。

いくつかの集落と海岸を抜けるうちに、室戸のエリアに入った。夫婦岩に代表される奇岩や、室戸海洋深層水の拠点などが車窓に見え、オーシャンビューを売りにする宿泊施設も出てきた。そんな中、大師像前のバス停で下車した。ここで上着を脱いで再び白衣姿となる。すぐのところに真っ白な大師像が太平洋に向かってそびえ立つ。なおこの像は、麓にある明星来影寺のシンボルマークというが、実際に来てみると、大師像そのものは立派だとしても、必要以上に拝むものでもないかなと感じる。

まずは室戸の奇岩を見る。弘法大師が行水したとされるところも。

そしてやって来たのが御厨人窟(みくろど)と神明窟。弘法大師がここに住み着いて修行し、難行の時に明星が口に飛び込んで悟りを得たとされている。御厨人窟から見える景色は空と海だけで、そこから空海の名前をつけたとされる由緒あるところである。四国八十八所の遍路、巡拝の人たちの憧れの場の一つと言える。

ただ、今は洞窟の中に入ることができない。長年の風雪で落石の恐れがあり、安全確保のためという。立ち入らないようにフェンスが張られて、監視の人もいる。普通の洞窟ならコンクリートで補強工事をするのは簡単だが、弘法大師のそうしたゆかりのところとあればなかなか手をつけることもできないようだ。次年度あたりからぼちぼち工事するような看板はあったが・・・。

さらに岬方面に歩くと、室戸岬灯台、そして最御崎寺方面への遍路道が出ている。こちらに回ると中岡慎太郎像のある岬の先端に行くことができなくなるが、今回は直接寺に向かうこの道を上ることにする。八十八所めぐりとしては室戸岬は今回でクリアだが、おそらくもう一度、この地を回ることになるはずである・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~第22番「平等寺」

2017年01月09日 | 四国八十八ヶ所
12月31日の大晦日、朝の6時に日和佐駅のホームに立つ。普段会社に行くのと同じような時間なのだが、駅員のいない日和佐駅には乗客も2~3人しかいない。

この日の行程は室戸への往復コースなのだが、室戸に行く前に、第22番の平等寺に行くことにする。最寄となる新野(あらたの)へは、日和佐6時08分の鳴門行きで北上して6時31分着。案内では、平等寺には駅から徒歩30分とある。戻りは新野8時03分発の海部行きに乗り、海部から甲浦、そして甲浦からバスで室戸に向かう。バスの時間や室戸での滞在、室戸から日和佐への戻りを考えると、新野からのこの列車に間に合わなければ後の行程がズタズタになり、室戸の3ヶ所のうち一つか二つは次回に回すことになる。折り返しの列車まで1時間半、寺までは歩いて30分ということは、寺の滞在は30分である。まあ大丈夫かとは思うが・・・。

この時季の6時台はまだ外は真っ暗。淡々と走り、定刻に新野に到着する。ホームは1本だけである。運転手に「四国みぎした55フリーきっぷ」を見せて下車する。降りたのは私だけで、これから駅までの歩きも私一人である。駅の待合室で上着を脱ぎ、白衣を羽織る。少し冷えるが、中に着込んでいるし、歩くと温まるだろう。金剛杖もケースから取り出して、ようやく巡拝モードに入る。

スマホの地図を頼りに暗い中を歩く。寺までは一本道に近いようで、住宅の並ぶ県道を行く。途中、新野高校の横を通る。後ろを振り返ると山の稜線が少しずつ見えてくる。

そのうち平等寺への案内看板が出るようになり、製材所の横を進んで川沿いに歩く。ようやく周りの景色もはっきり見えるようになったところで、山を背にした里山の寺という感じの建物に出た。時刻は7時。駅での身支度もあったから、寺まで25分ほどで着くことができた。これなら、8時の列車にも間に合うだろう。

本堂から仁王門まで一直線に五色の紐で結ばれている。まず手を清めて、紐の下を男厄の石段を上って本堂に向かう。最近改修したのか、内陣も新しい感じである。

平等寺は弘法大師が開いたとされている。この地で厄除け祈願をすると大日如来の梵字と薬師如来が現れて、その場で錫杖を突くと乳白色の水が湧き出た。その水て身を清めた後、薬師如来を彫って安置したのが寺の興りという。平等寺という名前は、万民誰にも薬師如来のご利益があるようにという願いなのかな。正面におわすのがその本尊で、常に開帳し、撮影もOKという。弘法大師作にしては金色に輝き、やけにきれいにその姿をとどめているようだが・・・。

お勤めを始めると、他に数人の参詣者がやって来た。いずれもクルマのようである。大晦日、朝イチに平等寺から始めると、この後は室戸を経由して高知市内で年越しも行けるかもしれないな。

本堂からは新野の集落を見下ろすことができる。そろそろ明るくなってきて、2016年最後の朝を迎えている。

再び石段を下り、大師堂にもお参り。寺じたいコンパクトにまとまっているので、一通り回ってもそれほど時間はかからなかった。

平等寺は厄除けの護摩供に力を入れているようである。ポスターに「焼八千枚護摩供」とある。12月31日~1月21日の間、1日3回の護摩供を行い、最終日の21日には通しで8805枚の護摩木を焚くという。なお、護摩木を焚くのは不動明王の儀式だが、現世の厄除けなら不動、薬師の両方が活躍するところである。寺のホームページによれば、八千枚の護摩供は、過疎化の進む新野地区にあっての祭りのようなもので、地域振興の一つになればというので始めたそうである。寺じたいは札所の中では地味な存在の印象だが、地道にいろいろ活動しているようだ。

来た道を駅まで引き返す。少し時間ができたので一旦駅前を通過して、県道沿いのローソンに立ち寄る。買い物をして「お気をつけて行ってらっしゃい」の言葉に送り出される。ここで一度、白衣の上に上着を羽織る。はたから見たら変な格好かもしれないが、予定通り8時すぎの列車に乗り、ここから室戸を目指すのであった・・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~日和佐での夜

2017年01月08日 | 四国八十八ヶ所
12月30日、31日と連泊するのは、日和佐駅の東口(道の駅に面していないほうで、本来の駅舎があるほう)の前にあるビジネスホテル・ケアンズ。日和佐に唯一あるビジネスホテルであるが、いわゆる全国チェーンではなく、ご夫婦でやっているようだ。フロントは2階ということで階段を上がる。別に自動ドアやロビーがあるわけでもなく、上がったところがすぐフロント。緑のボタンを押すと扉の向こうからご主人が出て来てチェックイン。2泊分を前払いすると、外出時には部屋のカギはそのまま持って行っていいとのこと、ただし31日の朝出発時だけフロントに置いておくようにとのことである。

フロントの横には四国巡拝の納札が多数掲示されている。繰り返し書いているが、23番の薬王寺の次は室戸岬まで札所はない。特に歩きで回る人は室戸まで過酷な行程になるわけで、ここ日和佐で一旦宿泊して、翌日から室戸に挑む人が多いようである。それを前にしてのお礼ということで納札を置いていく人がいるのだろうか。

その部屋だが、まず扉が木でできている。そして中に入ると、フローリングの床に、木で造られたベッドやテーブルが並ぶ。これらはご主人の手作りでリフォームしたもので、こうなるとビジネスホテルというよりは、洋風の民宿かユースホステルに来たかのような感覚である。さすがにバス・トイレは普通の年期の入ったユニットバスだが、部屋全体も広々としているし、エアコンをつければ寒さは気にならない。

駅前ということで、窓を開けるとすぐ駅があり、時折気動車のエンジン音が響く。また薬王寺の瑜祇塔が見える。

さて、そろそろ日が暮れる中、日和佐の美味いものをいただこうと町に出る。事前の調べで、日和佐の昔ながらの町並みの中で、地元の料理を出す居酒屋があるというのがあった。満席になってはいけないということで17時半には店に向かったのだが・・・店は真っ暗。少し先に店の前に来ていたクルマがUターンして立ち去って行く。玄関の前に黒板が出ていて、12月29日~1月1日はお休みと書いていた。あらら・・・まあ、30日の夜となると仕方ないかな。

日が落ちて照明もほとんどない中、しばらく町をぶらつく。料理店もあるにはあるが入りづらい店構えだったりして、これは地元の酒肴で夜を楽しむのは無理と判断。駅の向こう、国道沿いにコンビニはあるのだが、これは翌日夜にとっておきたい。そんな中さてどうしようかと駅のほうまで戻ると、ホテルからすぐ逆方向のところに地元スーパーを見つける。先ほどの海部駅近と同様に地元の人が結構来ており、鮮魚コーナーもタイムサービスが始まっていた。それを利用して刺身の盛り合わせや寿司、そして酒のアテや翌日の朝食などを買い求める。持ち込み自由なのがビジネスホテルのメリットである。郷土料理の店は楽しめなかったが、地元の人に交じってスーパーで買い物というなかなかない旅の楽しみができたのでよしとする。うつぼのみりん干しを小さく切って酒のアテにした商品がその中で結構いけた。

時刻は18時すぎだが、夜に出歩くこともないので部屋でゆっくりと食事とする。テレビはNHK以外の民放は、地元ケーブルテレビのテレビトクシマのおかげで、関西の3局(毎日放送、朝日放送、関西テレビ)、日本テレビ系列の四国放送、そして和歌山テレビが映る。そしてテレビトクシマのチャンネルが2つあるのがすごい。時間帯が時間帯なのでいずれも全国放送の番組だが、徳島の南部で大阪の番組が見られるというのもケーブルテレビさまさまだと思う。

ただ、年末ということもあってどの局も特番をやっているが、正直それほど見たいと思うものはなかった。適当にテレビをつけてチャンネルをいろいろ変えていたのだが、ある時間、チャンネルをそのままにした時間帯があった。それが地元のテレビトクシマ。

20時から、四国遍路についての1時間番組をやっていたのである。最近若い人も様々な理由で四国遍路をしているということで、徳島在住の20歳代のお笑いコンビ「ランダムハンター」の2人が2016年の春から2ヶ月ほどかけて四国一周をした・・・という番組である。

最初は2人揃って全部歩こうとしたのだが、そのうちの一人が実は健康診断で「長時間の歩き」にドクターストップがかかっているというので、一人が歩き、そしてもう一人がスタッフの運転するクルマで移動し、札所では合流して一緒にお参りするということになった。途中、高徳線の板野駅前、私も横を通った「気合いの丸刈りしませんか」という看板の出ていた理髪店で二人とも丸刈りになる。

番組では、コンビを結成して5年ほど経つが全国的に売れているわけでもなく、これからのコンビの在り方やそれぞれの人生についてどうするか、その葛藤を遍路を通して二人で話すきっかけにしようというコンセプトだった。ただ、思いがけずコンビで「歩き」と「クルマ」に分かれ、今度は遍路の手段でのそれぞれの葛藤が出てくる。途中、歩きのほうはしんどいながらも歩き続けることでの達成感を素直にコメントするのに対して、クルマのほうが待ち時間の間に「どうせ歩き遍路メインなんやろ!!」とキレて手持ちのノートなどを地面にたたきつけたりする場面もある。コンビの絆を深めるどころか、この遍路がきっかけでコンビが解散してしまうのではないかということである。

途中、見かねたスタッフがお互いに腹を割って話す場をつくったり、最後のほうではドクターストップがかかっているクルマのほうも「少しくらいなら歩ける」として再び二人で歩くようになり、最後は「二人で八十八所を回りきった」という感じだった。まあテレビなので演出も入っているだろうが(私には、クルマ遍路では何となく満たされず、やはりガチの歩き遍路のほうが達成感は大きいという演出に見えたが、最後はクルマのほうも自分に納得していた感じだったので、結局は手段はそれぞれ、要は巡拝の中で自分で何を考えるか、考えたかということなのかと思った)、「水曜どうでしょう」の四国早周りよりは遍路を通したガチの本音が出ていて面白かった。こうした番組を見られただけでも、ここまで遠征してきた甲斐があったと思う。

さて翌日31日は室戸岬まで往復する。ただその前に、今回対象とした札所の一つ、日和佐から北に向かう22番の平等寺がある。私はランダムハンターの二人のようにガチの歩きでもクルマ利用でもないのだが、公共交通機関ならではのややこしさや時刻表の制約を受けている(そうした制約からの解脱が遍路ではないかとお叱りを受けそうだが)。日和佐を始発で、それも逆方向への出発だが、長い1日になることを思って眠りに着くのであった・・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~別格4番「鯖大師本坊」

2017年01月07日 | 四国八十八ヶ所
牟岐線の列車に乗り、鯖瀬で途中下車。鯖瀬という名前を聞くと、この辺りは鯖がよく獲れるのかなと思うところである。

ここで下車したのは、日和佐の薬王寺と室戸岬の最御崎寺の間にあって、弘法大師とゆかりの深い「四国別格二十霊場」の一つとされている八坂寺というところを訪れるためである。八坂寺というのが正式な寺の名前であるが、通称「鯖大師(本坊)」というのが知られている。駅からほど近く、ホームからお堂の屋根も見えている。このくらいの距離ならキャリーバッグを転がしても苦にはならない。

さて「弘法大師とゆかりの深い」と書いたが、この寺にまつわる一つの伝説がある。鯖大師のホームページをはじめとしていろいろなところで紹介されていた話のあらすじをまとめると・・・。

弘法大師が修行でこの地を訪れて休んでいると、馬の背中に塩鯖を満載した男が通りかかった。そこで弘法大師は鯖一匹を所望したが、男は罵倒して立ち去ってしまった。ところがしばらくして、大坂というところに男が差しかかった時、馬が急に腹痛を起こして倒れて、動けなくなってしまった。これは男が鯖をくれなかったというので弘法大師が

「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師に『くれで』馬の腹病む」

と詠んだからである(『』は私の注書き)。男は鯖をあげなかったことを詫び、すぐに大師に鯖一匹を施した。すると大師は

「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師に『くれて』馬の腹止む」

と詠み、山の水を馬に飲ませたところたちどころに息を吹き返した。「くれで」は「くれないで」という意味で、「で」と「て」の違いで全く正反対のことが起きたということである。

その後大師はその鯖を沖合の島に持って行き、海中に放った。すると鯖が生き返って泳ぎだした。馬方の男はこの霊験に発心して、この地にお堂を造って人々を助けるようになったという。これが鯖大師本坊の由来とされている・・・。

・・・鯖一匹恵んでくれなかったからといって馬を動けなくするとは、弘法大師もみみっちいことするなあと思うし、また、運送屋の視点で言わせていただければ、馬方の男だって商売で鯖を運んでいるのに、それを取り上げて生き返らせるとは、鯖を待っているであろう山の人たちはどうなるのかとも思う。ただ、この手の伝説はそのように現代的なひねくれた見方をしてはいけないようである。「施し」と「不殺生」という教えが込められており、今の鯖大師でも「鯖断ち」という願掛けがあるそうだ。

四国めぐりの参考にしている五来重の『四国遍路の寺』によれば、昔から峠には手向けの神がいて、その神様に何かをあげると無事に峠を越えられるという信仰、言い伝えがあり、よく手向けられたのは生飯(さば)、つまり飯粒であるという。その生飯がいつしか魚の鯖に替わり、登場人物も弘法大師や、それ以前に同じような伝説を持つ行基に変化していったのが、この鯖大師の伝説であるとされている。

本堂の脇には鯖の石像があるし、大師堂の中の弘法大師像は右手に鯖を持っている。別に弘法大師が「鯖をとったど~!」というわけでも、これから鯖を三枚に下ろしていただくわけでもなく(どうも今回、弘法大師相手にからんでいるな)、先に書いたようなことの戒めの像である。

境内では初詣の準備でバタバタした感じだったが、特別に納経帳の後ろに朱印をいただく。この八十八所めぐりでは基本の88寺プラス高野山奥の院の朱印をベースとするが、それ以外の余白のところには、私が回る中で「これは」というところのものをいただくことにする。鯖大師は別格二十霊場の一つであり、別格専用の納経帳というのもあるのだが、今回は私にとっての四国の特別版ということにしておく。

寺そのものは本堂、大師堂の他に、観音をまつる多宝塔や、祈祷を行う護摩堂がある。また立派な宿坊もある。護摩祈祷も毎日行われているそうで、そうした祈願に訪れる人も多いとのことである。

詣後、国道55号線を挟んだ海岸に向かう。遠くに小島が見える。弘法大師が鯖を海に放ったとされるところだろう。波も穏やかで、こうして眺めている分にはいい。ただ、これをずっと歩き通すとなるとどうだろうか。

そろそろ列車の時間となる。やってきた列車は牟岐止まりで、日和佐に行くには牟岐ですぐ接続の特急「むろと6号」に乗る。前回、桑野から徳島まで乗った列車だ。特急なのでもちろん特急券がいるが、今回使用の「四国みぎした55フリーきっぷ」は自由席なら特急料金不要で乗れる。これを逃すと、次の普通列車まで牟岐で1時間以上待つことになる。

16時58分、日和佐に到着。今回のベースキャンプとなる日和佐駅前のビジネスホテルに向かう・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~四国みぎした55フリーきっぷ

2017年01月06日 | 四国八十八ヶ所
阿佐海岸鉄道の宍喰駅に到着する。阿佐海岸鉄道は海部、宍喰、甲浦の3駅8.5キロというミニ鉄道である。ただ第三セクター鉄道の中でも最も経営が厳しいとされる鉄道であり、路線の廃止、あるいはDMV車への置き換えも検討されているという。元々は室戸岬を経由する阿佐線というのが計画されていて、東と西から建設を始めて途中で中断された区間である。その西側が土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線、そして東側が阿佐海岸鉄道である。そういう経緯でできた両路線であれば、合併して「阿佐くろしお鉄道」とでもすればよいのにと思うが、そこは第三セクター、徳島県と高知県では事情が異なるところなのだろう。

3つの駅で駅員がいるのは宍喰だけである。またここでは伊勢えびが「駅長」を務めており、改札のところの生け簀、もとい水槽に2匹いる(料理にして食うにはちょっと小ぶりかな・・・って食べたらアカンやろ)。また改札の柱には脱皮した伊勢えびの皮が飾られており、苦しい経営状態から脱皮したいという願いが込められている。

こちらの駅にも先ほどと同じく上田監督と尾崎3兄弟の写真パネルが飾られている。今となっては「オリックス・ブレーブス」というユニフォームの写真姿というのも希少なものである。また、この駅は旅番組で訪れることもあるのか、芸能人やアナウンサーの色紙も飾られている。阿佐海岸鉄道のメインの駅としての存在感を出している。

これから日和佐まで戻るわけだが、ポスターでこのようなきっぷを見つけた。「四国みぎした55フリーきっぷ」というもので、四国の右下部分、徳島~室戸岬~高知という国道55号線沿いのエリアをターゲットとしたもので、JR牟岐線の全線(特急の自由席も料金なしでOK)、阿佐海岸鉄道、高知東部交通バス(甲浦~室戸~安芸)、土佐くろしお鉄道(奈半利~安芸~後免)、そしてJR土讃線の後免~高知(これも特急の自由席OK)が3日間乗り放題で値段は55号線にちなんで5500円。5500円といえば結構な値段がするように思うが、今回訪れる日和佐や室戸への行き来、そして帰りの徳島まで使えるということを考えると、元は取れるのではないかと思う。いちいちきっぷを買ったりバスの小銭を出す必要もない。

ということで1枚購入。写真では折り畳んだ状態だが、これを広げるときっぷの説明書になっている。ただ、この後列車、バスの利用時にこれを呈示するのだが、一瞬「?」という顔をする乗務員が結構多かった。このデザインは阿佐海岸鉄道仕様のものなのかはわからないが、一見するときっぷらしくない形状であり、見る人によってはパンフレットを見せられているのではないかと思ったのではないだろうか。このきっぷは2017年の2月末までの発売、有効期間という限定商品のようだが、四国の「みぎした」の公共交通機関利用促進のために、遍路、巡拝の方々にも大いに使ってもらいたいものである。

乗ったのは14時57分の宍喰始発の海部行き。海部までは1駅7分である。車内に入ると天井に青と白のLEDの電極が光っている。

で、これがトンネルに入るとこのように車内にイルミネーションが広がるという仕掛けである。阿佐海岸鉄道は全線が高架橋の上を走り、途中にはトンネルが多い。それを逆手にとってのイルミネーションである。このような列車は、同じようにトンネルの多い新潟の北越急行ほくほく線で乗ったことがあるが、あちらはプロジェクションマッピングのような趣向だったのに対して、こちらは素朴な手作り感のあるイルミネーションである。

海部に到着。次の列車は15時47分発ということで40分ほど時間がある。ホームには牟岐線の列車も停まっているがまだ車内に入れないようなので、少し駅前を歩く。行きに高速バスで通過した時に駅近くにショッピングセンターがあったので、そちらをのぞいてみる。地元の人たちに密着したスーパーのようで、正月用の食材などを買い求める人たちで賑わっていた。こういうところでは鮮魚コーナーが面白く、近くの鞆浦漁港直送という魚がいろいろと並ぶ。中にはうつぼの開きなんてのもある。さすがに買って帰ることができないのが残念だ。

駅に戻り、列車もガラガラの状態で発車。このまま乗れば日和佐には16時半前に着くのだが、その前にあるところを訪ねることにする。今回、翌日31日に日和佐から室戸岬に向かうのだが、その間札所がないところで、宍喰と同じくその途中で立ち寄ってみようと思っていたところである。ただ最終的な計画を立てるにあたり、大阪からの移動日である30日のうちに訪ねてしまおうというものである。

ということで、海部から3つ目の鯖瀬という駅で下車する。ここには八十八所の札所ではないが、弘法大師の伝説にゆかりがあるということで・・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~宍喰温泉と地元ゆかりの有名人

2017年01月05日 | 四国八十八ヶ所
12月30日、大阪から5時間のバス乗車でやってきたのは宍喰。今は平成の合併で海陽町という名前であるが、鉄道や道の駅など含めて、宍喰と呼んだほうがしっくり来るようである。

次は阿佐海岸鉄道に乗るとして、ここでは2時間あまりある。少しゆっくりする時間ということでいいだろう。まずは食事ということで道の駅のレストランに入る。ドライブの客がほとんどだが、中には白衣姿のご夫婦もいたりする。うーん、輪袈裟は食事の時は外すのがマナーのようなのだが・・。後でロビーでご主人が地元の人相手に大声で話していたのを聴いたのだが、歩き、自転車、クルマいろんな方法で回ったが全然飽きることがないようなことを自慢げに語っていた。あまりこういう方とはお近づきになりたくないなあ。ちなみに私はこの時点では白衣も着けていないし、金剛杖もまだカバーにしまったままで、「何か長いものと大きな荷物を持っているただのおっさん」でしかない。

さて何をいただこうかというところだが、徳島の南部では「南阿波丼」というのが名物のようである。これは徳島県産の米、徳島県産の食材(肉や魚)を使用したもので、提供する店それぞれに個性的な一品があるとのことだ。道の駅にも丼は置いているが、目を引いたのは普通の海鮮丼ではなく、鰹酒盗丼というもので、これを注文する。

やってきた一品は、丼の上に鰹の切り身のあぶり、そして酒盗が結構盛られている。真ん中に温泉玉子があり、店の人の説明では全体にごまだれをかけて食べるようにとのことである。土佐に近いということで鰹の切り身はわかるが、酒盗とは。それぞれ単品でもいけるし、特に酒盗なんぞ出た日には、本当に酒をいただきたくなる。丼にするのはもったいないくらいだし、かけるのはごまだれよりも普通に醤油のほうが合うように思った。それでも、オリジナルの一品として美味しくいただいた。

食後改めてロビーに出ると、宍喰出身の2人の有名人を記念するコーナーに出会った。まず一人は阪急、オリックス、日本ハムで監督を務めた上田利治、そしてもう一人が、ゴルフのジャンボこと尾崎将司。ともに徳島海南高校出身である。ものの本で読んだことがあるのだが、上田監督とジャンボ尾崎を含めた尾崎家のそれぞれの実家というのはご近所で、子どもの頃には頭のいい上田少年が尾崎3兄弟の勉強を見てあげていたというエピソードがあるとか。

ロビーには上田監督の阪急、オリックス、日本ハムの監督のユニフォームが飾られるとともに、ジャンボ尾崎のサインボール、帽子などが展示されている。さらに売店の中ではゴルフクラブも飾られている。ジャンボ尾崎は海南高校で甲子園で優勝し、西鉄に入団するが、同期入団の池永正明の投球を見てプロではやっていけないと感じたそうだ。後にプロゴルファーに転身して大活躍するのだが、その尾崎が、プロ野球の「黒い霧事件」で球界からの永久追放処分を受けた池永の復権に尽力するのも人情味のある話だと思う。

ここはあくまでプロゴルファーとしての尾崎将司の記念なので甲子園や西鉄での尾崎に関する展示はなかったり、同じ尾崎3兄弟だが健夫や直道については写真くらいしかなかったが、こうした地元ゆかりの有名人を、国道を行く人たちに紹介してたたえるというのはすばらしいと思う。

隣接するホテルリビエラの日帰り温泉に入る。ここは歩き遍路の宿泊先としても有名なようだ。南国リゾートを意識した建物のフロントで入浴料を支払い、浴室へ。これは25mプールのレーン2つぶんくらいの大浴場。子どもも泳いでる。マナーとしては悪いのだが、泳ぎたくなる気持ちはわかる。大浴場、檜風呂を備えたなかなかの温泉である。

入浴後、55号線を挟んで目の前にある太平洋を望む。穏やかだが波も立つこの地は波乗りに適しているのか、ウエットスーツ姿の人が海に浮かんでいる。波乗りというのは季節はあまり関係ないのかな。

またここは55号線の徳島から88キロ地点。四国八十八所めぐりの「88」との偶然の一致にうなる。これは55号線をそのまま来ればということであり、ガチの歩き遍路はそれ以上の距離を、しかも遍路ころがしを3つ過ぎたうえでずっと来るのだから相当のものだと思う。

そろそろ時間ということで、今度は鉄道の駅に向かうことにする。宍喰の集落を歩いて、海陽町の宍喰庁舎と学校の先にある高架駅に到着する・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~国道55号線で降りたのは・・・

2017年01月04日 | 四国八十八ヶ所
いつものことかもしれないが、今回の四国八十八所めぐりはあれやこれやあって、何回にわたってブログ記事になるのかなと思う。

国道55号線を走る。徳島から室戸岬を経て高知まで結ぶ道で、以前ドライブで走り通したこともある。この時は高知が目的地だったが、道中ふらりと寄り道したり、食事したりしながら1日がかりで走った。今はクルマを持っていないのでそういうことはできないが、今回高速バスで追体験してみようと思う。

55号線に入り、国道沿いの停留所がいくつか続く。そこで下車する人も出始めた。先ほど置き去りにした1号車もいつの間にか追いついて来て、こちらの停車中に追い越した。そのクルマの客がどこで下車するかによって、2台のバスは前後して走る。

55号線で気になるのが、路面に書かれた数字。これは対空標識というもので、南海地震など大規模災害が起きた時の状況確認や救助要請に使うのだとか。私はてっきり、高知までの長い道を行く遍路のためのキロポストかと想像していたのだが、キロポストは別に立てられているし、わざわざ路面に書かなくてもというところだろう。この数字もこれから走るに連れて1つずつ増えていく。

バスは小松島市内を通過し、阿南市に入る。那賀川を渡り、阿南駅に停車する。ここで結構な下車がある。阿南駅周辺は55号線に近いこともあり、徒歩圏内にも大型店が揃っている。今回の宿泊地の一つに、ビジネスホテルのほかに一通りのものが揃っている阿南駅前も考えていたが、日和佐の初日の出に間に合う列車がないので断念した。

橘営業所に到着。ここは徳島バスの拠点で、1、2号車とも4時間走った運転手はここで交替。なるほど、運転手を分けて長距離運転に対応しているのか。先に着いていた1号車は営業所の建物の横に後ろ向きで停車しており、乗客もトイレに行ったりしている。一方2号車はここで下車しようとした客に運転手が「運転手替わったらすぐに出発するんで車内でお待ちください」と言う。この差は何なのだろうか。

牟岐線の線路が並走するようになり、バスは55号線の自動車専用区間の日和佐道路に入る。しばらく走って出口を出て、由岐駅に到着。「ブリの市」の幟が並んでいる。果たしてこの日、駅前のグラウンドでブリの即売やブリ料理の出るイベントが行われたそうだ。海の近いところであるがバスは再び日和佐道路に戻る。海沿いではなく、ちらりと見える程度だ。

12時、日和佐に到着。なんばから4時間半が過ぎた。JRの駅に併設の道の駅は大勢の観光客、ドライブの客で賑わっている。今回のベースキャンプとなる日和佐であるが、夕方にまた戻って来るとしてこのままバスに乗り続ける。最初はここで下車して昼間の間に、手前の新野にある第22番の平等寺、そして目の前の第23番薬王寺にお参りしようかとも考えていたが、この日はとりあえず先に進むことにした。

日和佐の向こうが国道55号線の55キロ地点。ここから再び山の中に入る。この途中で、一人の歩き遍路を追い越す。札所間が長いこのあたり、歩きにとってはハードなところである。このバスが走る間に誰かいないかと思っていたが、ここで出会った。昼でこのあたりということは、この日は宍喰あたりまで進むのだろうか。日和佐から室戸岬まで、歩きであれば2日かかるとされている。人によっては、こういうところを歩くからこそ意味があると言うかもしれない。これについては、私は無条件で頭が下がる思いである。

海沿いに戻ったのは牟岐を過ぎてからである。八坂八浜と呼ばれるところで、岬と入江が交錯している地形である。牟岐線と比べれば55号線のほうが海に近いところを走り、バスの座席からその景色を楽しむことができる。こういう景色があると長時間の乗車もそれほど苦にはならない。

牟岐線の終点、そして阿佐海岸鉄道の起点である海部を過ぎ、海沿いに走った宍喰に到着。12時40分過ぎ、なんばから5時間を過ぎたここで下車する。日和佐で降りず、かといって室戸まで乗らずという中途半端な位置と言えるかもしれない。結局ここを下車地にしたのは、四国八十八所めぐりの札所間の距離が長い日和佐の薬王寺と室戸岬の最御崎寺の間を列車とバスで移動する間、どこかポイントとして訪れたかった中で、昼食や温泉が楽しめる道の駅があることである。ドライブで走った時は時間が早くて営業していなかったこともある。また、阿佐海岸鉄道の宍喰駅にも、道の駅から歩いて10分ほどで行けるというのも、日和佐まで戻るのに都合がいいかなというところである。

四国めぐり初日は札所に行くことはないが、移動日兼リフレッシュの日ということで、これからいよいよ四国編である・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~高速バスは阿波南部を目指す

2017年01月03日 | 四国八十八ヶ所
12月30日の朝、南海なんばに現れる。リュックを背負い、片手にはまだカバーに入った金剛杖、もう片手にはキャリーバッグという出で立ちである。これから乗るのはなんば7時30分発の徳島バス「エディ号」室戸行きである。途中の日和佐までで4時間半、終点の室戸となると6時間かかる。高速バスとはいうが、高速を走るのは鳴門までで、後は国道11号線~国道55号線を走るルートである。

バス乗り場はなんばパークスの1階、場外馬券売り場に隣接されている。ただこれはなんば駅改良工事にともなう仮の乗り場という。なんばパークスの駐車場の通路に面している。朝の時間なのでギャンブル中毒者の姿もなく、清々しい気分で出ることができそうだ。

この便は2台運行ということである。年末ということで増車しての運行であるが、特に降車地で号車を分けているわけではなく、単純に1台が埋まれば2台目に割り当てられるというものである。私は2号車の一番前が割り当てである。一度1号車で予約していたのだが、その後札所めぐり計画の変更で、その予約を一旦取り消すことになった。その後で取り直しをしようとすると1号車が満席となったので、まだガラガラの2号車を予約したというものである。それでも直前に予約サイトを見ると2号車も満席表示だった。関西から徳島県南部への帰省、旅行の足として人気のようである。

そんな状態だが、なんば出発時は2台ともガラガラであった。この先梅田(ハーピス大阪)、高速舞子に停車するので、おそらくそれで満席になるだろう。なんばから梅田という短距離であるが湊町から阪神高速に乗り、梅田で降りる。四ツ橋筋をまっすぐ行けばいいのにと思うが、高速料金を支払ってでも市街地の混雑を避けるということか。そのハーピス大阪で2台とも大勢の客が乗ってくる。

梅田からまずは高速舞子を目指すが、昨年の夏に阪急高速バスで四国を目指した時は、梅田から乗って環状線~東大阪線~大阪港線~湾岸線と走った。今回はどうするのかなと見るに、国道2号線の野田阪神から北港通に入り、途中で曲がって見慣れない入口に出た。淀川左岸線の大開で、ここから湾岸線を目指す。この辺りは仕事の関係でクルマで通ることはちょこちょこあるのだが、淀川左岸線自体乗るのは初めてである。まずは地下トンネル区間を走り、地上に出たときはUSJの近くに出る。そして湾岸線に合流する。

30日の朝ということで渋滞が心配されたが、湾岸線は順調、住吉浜の分岐もスムーズに通過する。神戸線に乗る京橋では少し混んでいたが、後はスムーズに走る。高速舞子にも定刻に到着した。ここで2号車も満員御礼となった。11月にここから神姫バスで徳島に向かったのを思い出す。あの時は明石海峡に昇る朝日がきれいだったが、この日は高速舞子の時点で9時だし、少しどんよりとしていた。この年末年始は穏やかな天候の予報だったのでこの先も大丈夫だと思うが。

淡路島に入り、室津パーキングエリアで10分休憩。運転手の放送では「乗務員の安全運行のため」と説明していた。確かにこの先室戸まで合計6時間走るのだから、2時間走ったということで休憩も必要だろう。それにしても、四国に向かう高速バス、観光バスの休憩は室津というのが多い。どうせなら淡路サービスエリアに停めたほうが買い物の楽しみもあるのだろうが、駐車スペースのこともあるし、サービスエリアの土産物や飲食物のコーナーであれやこれやと迷われたら出発が遅れてしまう。あくまで長距離運行となる運転手の一時休憩が目的であり、乗客がトイレに行くのはまだしも、買い物するのは二の次三の次である。まあ、室津はコンビニがあって土産物コーナーもあるのでそれで十分であるが。

10分過ぎ、2号車は乗客全員が席に着いていたが、1号車の運転手が2号車の運転手に「まだ1名戻ってきてへんわ」と言う。「先行きよって」ということで、これまで1号車の後ろにくっつくように走っていた2号車が先に出発することになった。うーん、どこにもいるよな、バスの集合時間に間に合わない人。トイレの順番待ちなら、最悪車内備え付けのトイレに行けばいいことだし、コンビニのレジにも結構列ができていたからそれに並んでいたのだろうか。

淡路島を走る。対向する高速バスが多い。関西と四国を結ぶ高速バスは全てと言っていいくらい淡路島を通過しており、いろんな会社のバスと2~3分おきにすれ違う。年末年始ということで増車の会社も多いようだ。もしバスを列車に置き換えて、列車のダイヤグラムのような感じで淡路島の通過時間帯のダイヤを分析すると、さまざまな会社の路線が入り組んでいるのがわかるような気がする。バス好きな方にとってはたまらない区間だと思う。運転手はすれ違うたびに片手を挙げて挨拶をしているが、そんな中でよく見ると、同じ徳島バスはもちろんだが、四国のバスや関西の私鉄系のバスの時は手を挙げるものの、JRバス、そして海部観光のバスの時には何もせずすれ違う。何だか、「JRバス対私鉄系バス」のライバル意識の一端を見たようである。また海部観光は3列シートの車両を昼間から走らせているということで、こちらもライバル意識があるのだろう。

大鳴門橋を渡り、鳴門インターから国道11号線に入る。これまで高速バスで来たときは市街地に入って徳島駅に向かったが、今回は徳島駅前を経由しない県南へのルートである。いつしか国道55号線に入り、南に向けて走り続ける・・・・。
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第6回四国八十八所めぐり~年越し巡拝、今回はいよいよ高知に入ります

2017年01月02日 | 四国八十八ヶ所
以前の記事にも書いたように、この年末年始は四国八十八所めぐりである。2016年の7月に始めたこの札所めぐりも初の年越しで、今回は年末年始の行き先は迷いなく四国ということに決めていた。

そしてこれまで5回、それぞれいくつかの札所を回っての今回が第6回となるが、徳島の南部、そしてその先にある室戸岬まで行ってしまおうと思う。いよいよ徳島を終えて、高知編に入ることになる。

改めて、今回の目的地としている札所を整理すると、第13番大日寺、第14番常楽寺、第15番国分寺、第22番平等寺、第23番薬王寺、第24番最御崎寺、第25番津照寺、そして第26番金剛頂寺である。実は最初の3つは途中で飛ばすことになった徳島市郊外の札所、中の2つは徳島県南部、そして後の3つは室戸岬周辺である。後はこれをどう回るかである。

普通に考えれば、番号順に北から南に下れば早い話である。ただ、私の場合は公共交通機関を組み合わせた回り方であるのと、どうしても荷物が多くなるのでできるだけ持って歩く距離が短く済む「ベースキャンプ方式」を取りたいところ。となると、必ずしも北から南というのが順当とは限らない。

年末年始の予定の関係で、12月30日出発、1月1日帰阪という日程である。その中で2泊を固定するとなるとどうなるか。年末年始ということで宿が空いていなかったり、また普段よりも割高料金になることが多い。徳島市街のビジネスホテルが空いている一方で、室戸岬近辺は宿そのものが少ないうえ、ほとんどが民宿形式、おまけに空いていない。宿選びも難しい。

そんな中で見つけたのが、途中の日和佐駅前のビジネスホテル。日和佐はちょうど3エリアの中での真ん中にあたる。今回ヒットだなと思ったのが、ちょうど2日目の大晦日~元日というのは、日和佐駅前にある薬王寺では年越しの初詣が大々的に行われること。JRが夜間に初詣列車を出すくらいの県内有数の初詣スポットである。また、ウミガメで有名な大浜海岸は県内有数の初日の出スポットでもあるという。となると、31日の夜に日和佐に泊まり、その夜に初詣、そして翌朝は初日の出を見に行くというのが今回の大きな目玉となる。

ならば30日の宿泊はどうするかだが、今回「ベースキャンプ方式」を取るということで、これも日和佐に泊まろう。ビジネスホテルも空いていたので連泊ということで予約する。

ここでお気づきの方もいるかもしれないが、日和佐の薬王寺には宿坊があり、一般の旅館と同じように素泊まりや2食つきで泊まることができる。ただ、時刻表をめくってあれこれ考えるうち、どうしても早朝の出発や、初日の出を見るなどの自分なりの動きがあるので、ビジネスホテルを選択した(1泊ずつ分ける・・・というやり方もあったかもしれないが、同じ町で1泊ずつ宿を変えるというのもアホらしい)。

後は、他の札所をどういう順序で回るか。先に徳島市内をこなすか、一気に室戸岬まで行って少しずつ戻ってくるか。列車、室戸岬の路線バスの時刻表をあれこれ組み合わせていくつかのパターンが出た。ここで引っかかってくるのが、第22番の平等寺。JR牟岐線の新野から徒歩で25~30分のところに位置するが、列車の本数が限られるところ。単純に途中下車して・・・というのもちょっと考えどころである。ここを結局どうこなしたかは、旅行記が進むにつれて追々わかってくることである。

そして第6回の四国へのアプローチは、初めてとなる南海なんばからの出発となる。徳島バスの高速バス「エディ号」で、徳島駅を見向きもせずに阿南や日和佐などの県南部はおろか、便によっては室戸の市内まで行くという路線である。前回、太龍寺まで行った後の帰りに、途中の橘や阿南から乗れないかと検索したが満席だった路線である。今回、これを行きの便として県南部まで行くことにする。さて、それでベースキャンプ地の日和佐に直接向かうのか、はたまたもっと先に向かうのか?続きは次からの記事ということで・・・。
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本年もよろしくお願いします

2017年01月01日 | ブログ
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

皆さまにとって素晴らしい1年になることをお祈り申し上げます。



この年末年始、穏やかな気候の下、四国めぐりを行うことができました。まずはその様子を(例によって長くなりますが)書き進めていきたいと思います。

本年も当ブログへのご支援よろしくお願いします。
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