ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

演奏ミーティング

2008年11月09日 | 音楽とわたし
久しぶりに、聞き手側として参加してきました。
あ~やっぱり気楽やわぁ~という気持ちと、ちょっとつまらんかもっていう気持ちとが半々。でも楽しいミーティングでした。

このミーティング(ACMA)は、クラシック音楽が好きな人なら誰でもどうぞというものなので、
演奏できないけれども聞くのが大好きという人、大人になってから始めたばかりの人、子供の頃やっていたけれども長い間中断していて、最近練習を再開した人、なんだかやたらとうまい人、などなど、いろんな人達が参加します。
今日は初めて、このブログを通じて知り合ったぽりぃさんともお出会いしました。
彼女はショパン弾きを目指す、とても知的でお洒落な女性。
彼女のブログ『めざせ、憧れのショパニスト』、興味のある方はどうぞ http://mina-chin.cocolog-nifty.com/blog/ を訪れてみてください。

さて、ACMAが発足して1年とちょっとしか経っていませんが、登録メンバーはどんどん増え、今では100人を超えました。
わたしは今年の1月からメンバーになったので、あともう少しすると1年になります。

月に1回の演奏ミーティングに、弾きたければ曲名をメールで送ればいいだけ。人数と曲の感じがプログラムに合えばO.K.
これまでに、ブラームスとショパンとドビュッシー、そして1周記念コンサートでガーシュインを弾かせてもらいました。

日本に居る間は、別に音大を出たわけでもなく、ヤマハで講師をしていたり、家で個人レッスンをしていただけのわたしには、
人前で演奏させてもらえるチャンスというと、ただ自分の生徒の発表会だったり、なにかの団体の伴奏だったりするだけで、
鶴の恩返しじゃないけれど、自分の中の何かが痩せ細っていくだけで、音楽と自分のつながりがただ生活の糧だけのためのような気がして、それはそれで大切なことだし、ありがたいのだけれども、なかなかうら寂しいものがありました。

そしてアメリカに移り、旦那の失業や鍼灸師修行の3年間などがあって、相変わらず演奏どころではなかったけれど、
息子達が巣立ったのと同じくして、50才の誕生日のお祝いにクラリネットを買ってもらい、意気揚々とバンドに入会。
ピアノではないけれど、演奏者として舞台に立てる楽しさを味わうことができるようになって半年が経った頃、
そのコミュニティバンドのマネジャー、バーバラが、もう一つの扉を開いてくれたのでした。

その日は去年のクリスマスの直前の日曜日、それはそれは寒い日でした。
消防車に乗って町中の子供達にお菓子を配るサンタクロースを盛り上げるため、バンドメンバーも付いてって演奏しました。
ご苦労さん会の暖かいレストランでランチをご馳走になっている時、隣に座ったバーバラと初めてたくさん話しました。

「いったいまうみはなにしてる人?」
わたしは極端に無口で、バンドの練習会場に行ってクラリネットを吹き、そして一言挨拶して帰る、の繰り返しだったので、入会して半年も経っていたのに、誰もわたしのことを知らなかったのでした。
「ええと、ピアノを教えてます」
「え!?ってことは、ピアノが弾けるってこと?」
「ええ、まあ、そういうことです」
「ふ~ん」
中断して食べるわたし達。
「じゃあさ、もしかしてラプソディ イン ブルーなんか弾けたりする?」
「……多分……」

そして合わせの練習が始まり、練習場でチョロチョロ部分練習をしていると、またまたバーバラがやって来て、
「ちょっとまうみ、そのピアノ、他の人にも聞かせてあげなよ。ほれ、ここに連絡してみ、きっとみんな喜ぶよ」

今年は本当に、たくさんの演奏のチャンスに恵まれて、しんどかったけれども充実した嬉しい年になりました。
来年も引き続き、春と秋にコンサートがあります。休憩無しの練習が続くのだけど、子供の頃に戻ったようで楽しいです。

ミーティングやコンサートで弾いた曲は、その演奏者が断らない限り、すべて録音され、MP3で聞くことができます。
「週末の朝は、まうみのガーシュインとコーヒーで始まるんだよ」
「悲しい時は、あなたのブラームスを聞くの」
「亡くなった父を思い出して寂しくなると、あなたのドビュッシーが聞きたくなるんだ」
こんな言葉を、人からかけてもらえるようになるなんて、本当に夢にも思っていませんでした。
もう少しして、もうちょっと余裕ができたら、室内楽を学べる学校に入って勉強をし直したいと思っています。
演奏も学びも、それが時には違う形であれ音楽につながる何かを頑張り続けていれば、いつか夢が叶う日が来るかもしれない。
Yes, we can.
これはおまじない?

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もやもやしている事

2008年11月09日 | 世界とわたし




大きな会社には、とてもたくさんの人々が関わっています。だから影響も大きいので、優先して助けなければならない。

大きな事故に巻き込まれた人々の、状態の悪い人から順に優先して助けなければならない。

では、その時、その場に居合わせた、小さな会社に関わっている人達や、大けがをしているけれども大丈夫かもしれないと判断されてしまった人達は、優先してもらえなかったことを運命と受け取るしかないのでしょうか。

たまたま大きな車の工場で勤めていることと、たまたま極小さな車の下請け工場で働いていることだけの違いで、
国の保護の恩恵を受けて仕事を続けられたり、工場そのものが閉鎖されて路頭に迷わなければならなくなったり、
大きな会社の、運営を任された者達の怠慢や奢りも失敗の原因のひとつなのに、
そして、小さな会社は日々襲ってくる危機をひとつひとつ乗り越えるために、工夫に工夫を重ねて会社の存続を守ってきたのに、
結局、嵐が吹き荒れる中ではいっしょくたにされて、放っとかれてしまうなんて……どうにも納得がいきません。

本物の嵐に見舞われた船が難破しそうになった時には、まず弱者のお年寄りや子供、それから女性の順に助けようとしませんか?
あれはただの、ハリウッド的な映画だけの世界の幻想なんでしょうか。

希望を捨ててはいけない。Yes, we can!
この言葉に鼓舞されて、涙を流しながらアメリカの再起を祝った大勢の人達。
ここ10年の間に、こんなに嬉しかったことはありません。
でも……このもやもやもなかなか消えてくれません。
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