ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

車を運転するということ

2008年11月19日 | ひとりごと
日本では、2007年9月19日の道路交通法改正施行により、
酒酔い運転の罰則が「5年以下の懲役又は100万円以下の罰金」、
酒気帯び運転の罰則が、「3年以下の懲役又は50万円以下の罰金」、
飲酒検知を拒否した場合も「3月以下の懲役又は50万円以下の罰金」、になりましたね。
この厳しさはそれなりに効いたようで、日本に住むわたしの家族や親族、それから友人知人は、
ブツブツ文句を言いながらも、お酒を飲む=車を運転しない、という法則がくっきりと脳みそに刻まれたようです。

こちらでも飲酒運転は厳しく罰せられると思いますが、州によって罰則や法律が違うので、はっきりとは知りません。
こんなこっちゃあかんのですが……

最近、大阪で、とても痛ましく腹立たしく、どうしてそんなことになるのか理解し難いひき逃げが続きました。
このことについては、なにも言いたくないというより、言う言葉が見つかりません。

けれども、ひとつお話があります。
なぜなら、ひき逃げという言葉を読むたびに、あの痛さがよみがえってくるわたしだからです。

わたしはその時、会社員をしていました。19才の時です。父が再婚してから6年が経っていました。
その6年間の細かいことや詳しい事情の多くを忘れてしまいました。
とてもいやなことや辛いことが多くて、脳か心のどちらかが、積極的に忘れようとしむけたのだと思います。
ぼんやりと覚えているのは、怠け者になった父と、借金取りの怒鳴り声と、父の友人でも親戚でもない、けれどもやけに慣れ慣れしく家に入り込んでくる怪しい男達と、うちが経営していたバーのホステス達と、そのヒモのちんぴら達、そして、どうしても馴染めなかった新しい家族。

家にはお米しかなくなって、半膳のご飯にマヨネーズやお塩、時にはコカコーラなどをかけて食べ出した頃、
家の中のすべての家具とピアノに赤い紙が貼られ、ある日急にすべての物を持っていかれちゃった頃、
父が煙りみたいにフッと家から消えて、聞いてもどこにいるのか分からなくなることが再三あった頃、
借金取りの催促の電話に出る係にならされて、毎晩一日も欠かさずに、「殺す」だの「体売れ」だのと怒鳴られていた頃、
とうとう本当に売られちゃったわたしは、夜中に夜逃げをして、警官と再婚していた母の所に匿ってもらいました。

やくざの連絡網と調査能力はとても優れていて、それから身を守るには、自分の存在を消さなければなりませんでした。
そんな恐ろしいことに絡んでいる子なんか、誰も匿いたくなんかないだろうに、大阪に住む母方の親戚は、それは親切にいろいろと面倒を見てくれました。
けれども、だからといって甘え続けているわけにはいきません。きっといつかは見つかって、とんでもない迷惑をかけるからです。
なので、当時母が住んでいた三重県の四日市に移りました。
そこで、名前を変え、学歴や年令も偽り、新聞広告で見つけた東邦ガスの子会社の臨時就職試験を受けました。
たった1人の採用に、かなりの人数が集まってきていたので、ほとんど諦めていたのに、最終選考まで残って面接を受けた後、合格の通知をもらいました。

半年の見習い期間の半分が過ぎた頃の、よく晴れた初夏のお昼休みのことでした。
仕事仲間の人達と、会社近くのいつものレストランで、ランチを食べることになりました。
わたしはまだ仕事の切りがついていなかったので、先に行く人に、「海老ピラフを頼んでおいて」とお願いしました。
少し思ったよりも時間がかかりました。なので慌てていたのだと思います。
レストランにもう少しという所の四つ角を渡ろうとした時、ふと視界の右横に白い車が見えました。
けれども車が走っている側には一旦停止の標識が立っていたので、そのまま渡り始めました。
それはもう、言葉通り、あっという間の出来事でした。
右側の腰のあたりに、それまで味わったことのない、ものすごい痛みとショックを感じた途端、体がフワリと浮いて車のボンネットに乗り、そのまま勢い良く反対車線の道にうつ伏せに落ちました。
いったぁ~。
その一言しか思い浮かびませんでした。
すぐに大勢の人が寄ってきました。
「大丈夫か!」とか、「あ、車が逃げた!」とか、「救急車呼べ!」とか、口々に叫んでいるのが聞こえてきて、
途端にものすごく恥ずかしくなって、とにかく立ち上がろうとするのだけれど、体のあちこちが痛くて思うようにいきません。
「動いたらあかん、救急車が来るまでじっとしとき」
いや、それは困る。救急車が来たら、きっと警察も来る。そうしたら、わたしは本名を名乗らなあかん。それは困る。
焦って急にスックと立ち上がったわたしを見て、周りを囲んでいた人達は仰天したように後ずさりしました。
「大丈夫です、ほんとに、大丈夫ですから」
「いや、でも……」
止める人達の手を振りほどいて、わたしは精一杯平気な振りをしながら、スタスタとレストランに向かって歩き出しました。

レストランの自動ドアが開いて店の中に入ると、「いらっしゃいませー」と愛想良く笑って迎えてくれたウェイトレスさんの目がギョッと大きくなりました。
友人のいるテーブルの所に行くと、「あんた、ちょっと、それ、どないしたん?」と、皆が立ち上がって驚いています。
え……?と思ってよくよく自分の体を見下ろしてみると、あれまあ、あちこちから血がダラダラ流れています。
「車に轢かれた」
「車に轢かれたってあんた、ほんでどないしたん」
「ひき逃げやったみたい」
「やったみたいって……警察は?」
「せっかく頼んでもらってあったし、お腹も減ってるから、先にピラフ食べてから行こうと思て」
「そうなん、それやったらしゃあないけど……」
ウェイトレスさんが持ってきてくれた大量のナプキンで血を拭き拭き、それでもきちんと残さず食べた海老ピラフ、おいしゅうございました

会社には戻らずに、泣く子も黙ると噂も高かった四日市南警察署に行って事情を話したら、大目玉食らっちゃいました。
「そういう時は、現場から離れて海老ピラフなんか食うとったらあかんやろがっ!」
お詫びに鑑識の人達と一緒に現場に戻り、倒れた所にもう1度寝転がり、そこに白いチョークで人型を書くお手伝いをしました。
現場からレストランまでの道に点々と血痕が見つかり、さらにお叱りを受けました。

逃げた車の持ち主は見つかりましたが、その日のその時間には遠くに出張していて、多分勝手にその車を乗り回していた息子の仕業だろうという所まで分かったまま、うやむやになってしまいました。
はっきりできなかったのは、わたしの事情もあってのことなので、それ以上追求することはありませんでした。

真剣なのかアホなのか、よく分からないお話です。
けれども、あの痛みだけは忘れられません。
車は鉄の塊で、それを動かしている運転者は、本当にそのことをちゃんと分かっていなければなりません。
だからこそ、お酒だけじゃなく、疲れ過ぎていたりする時も絶対に乗るべきではありません。
心身ともによい状態にある人であっても、ちょっとした気の緩みで事故は起きてしまいます。
わたしも、わたしの家族も、全員ドライバーです。
これからの、なんだか忙しくなる季節、気をしっかり引き締めたいと思います
コメント
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