だまされたことってありますか?
わたしの記念すべき第一回目は、傘の修理のおじいさんでした。
なんだかいろんな小道具が入った、ボロボロの布袋を自転車のハンドルの所に下げ、傘の修理はいらんかな~と言いながら、自転車をとぼとぼ押していたおじいさん。
その頃住んでいた家はかなり急な坂道の上にあったので、ここまでやってくるのはしんどかったろうなあ、とまずそのことがとても気の毒になりました。
家の玄関先で、独りでケンケン遊びをしていたわたしは、おじいさんを喜ばせたい一心で、慌てて家の中に入り、壊れた傘を数本集めて外に飛び出しました。
その時わたしは5才。細かいことは覚えていません。ただ、後で母に、こっぴどく叱られたのを覚えています。
「ああいう人は、人をだましてお金を稼ごうとしているのやから、今後一切、大人に聞かずに頼んだりしたらあかん」
わたしは泣きそうになりながら、母の怒った声を聞いていました。
だます、という言葉を初めて聞いた日でした。
それから2年後の7才の時、第二回目もおじいさんでした。
「おじいさんなあ、道に迷ってしもたんや。飴ちゃんあげるから、わしと一緒にちょっとそこまで歩いてくれへんか」
迷ってしまった人と、どうしてわたしが一緒に歩かなければならないんだろ?
子供心にもそう思いましたが、ベレー帽を被ったおじいさんは小柄で気が弱そうに見えました。
可哀想になって、少しだけならいいかと思い、おじいさんと並んで歩き始めました。
しばらく歩いて行くと全く知らない道に入ろうとするので、もうここらへんでさよならしようとおじいさんの方を見上げると、
わたしの肩にかけたおじいさんの手に、急にとても強い力が入り、痛いほど掴まれてしまいました。
恐い……そう思ったけれど、言葉が出ません。
「知らない人に付いていったら絶対あかんよ。そういう人は、子供をゆうかいしようとしてるのやから」
突然、母の声が聞こえてきました。
もしかしたら、この人、ゆうかいする人かも。どうしよう、どうしたらええやろう。
歩きながらウンウン考えました。通りには誰もいません。声を出しても無駄だとあきらめました。
そうだ!
ひらめいて、突然わたしはスッとしゃがみました。その瞬間、おじいさんの手からわたしの体がすっぽりと抜けました。
そして素早く立ち上がって、そのまま後ろも振り向かず、必死に走って走って走り続けました。
近くの交番に駆け込んで、おじいさんのことを話しました。ベレー帽の色、背の高さ、縞模様のシャツ、ズボンの色。
彼は誘拐の常習犯でした。誘拐といっても、子供をしばらく連れ回す程度のことだったと思います。
もうずいぶん昔のことなので、詳しいことは覚えていませんが、警察から感謝状のようなものをいただきました。
そしてそれから経つことなんと30年。もう立派な大人になったわたしが、またまたおじいさんにだまされました。
大阪に住む弟が遊びに来てくれた日でした。
天気が良かったので、息子達も連れて、4人で近くのなぎさ公園に遊びに行きました。
その日の琵琶湖は波もおだやかで釣り日和。たくさんの子供や大人が釣りをしに来ていました。
うちの息子達も、安物の釣り竿を手に、餌用のミミズを針につけて、ブラックバスを狙って待っていました。
「お、なかなか上手に釣れてますねえ」
急に声がして、びっくりして振り向くと、小柄で上品なおじいさんがニコニコしながら息子達のバケツを覗いています。
「別に上手でもないんですけど、今日は日がいいのかもしれませんね」
なんて言って、それからしばらく、息子達の横で、のんびりとたわいのない話をしていました。
「さあ、そろそろ行かないと」と言って、おじいさんが腰を上げたので、わたしも挨拶をしようと立ち上がりました。
すると、おじいさんはちょっと困ったような顔をして、なにかもじもじと言いたそうです。
「どうなさいましたか?」
腰でも痛めたのかと心配になりました。
「あの、こんなこと、初めてお会いしたあなたに申し上げにくいのですが、実はわたし、これから東京に高速バスに乗って帰るところなんですが……お金が足りなくて困ってまして……」
それを聞いてわたしも困りました。本当に貧乏だった頃で、その日もおにぎりとお茶しか持っていなかったのです。
「ごめんなさい。今日はお金を持って来なかったんです」
「2千円だけでもお借りできませんか。2千円あればなんとかなるんですが」
「すみません。お恥ずかしいですが、百円さえも持っていないんです」
そう言うと、おじいさんは何も言わずに、サッと歩き出してしまいました。
わたしはその後ろ姿を見ながら、悪かったなあ、せめて千円だけでも持っていれば、と申し訳なく思いました。
少し離れた所に居た弟がやってきて、「今の知り合い?」と聞かれたので、いきさつを話しました。
すると弟は急に恐い顔をして、「金、やらんかったんやろな」と言いました。
「やるもやらんも、ほんまに持ってへんかったんやからしゃあないわ」とわたしが言うと、
「あほか、あんなんだましに決まってるやないか。ああやって、ちょっとずつあちこちで金取ってるんや」
そうかなあ……横でプリプリ怒っている弟の声を聞きながら、それでもわたしはおじいさんのことを信じていました。
家に戻って夕飯を作り、大阪に帰る弟を見送ってから、わたしは急いでおにぎりとお味噌汁をプラスティック容器に詰めて、東京行き高速バスの発着所のプリンスホテルに向かいました。
お金をあげることはやっぱりできません。人様に渡せるお金など、ほんとに1円も無い状態でした。
なのでせめて、お金が無くてお腹を空かしているだろうおじいさんに、温かいおにぎりとお味噌汁を食べてもらおうと思いました。
弟は「あれは詐欺師の顔や」と断言したけれど、わたしにはどうしてもそうは思えませんでした。
バスは1時間に1便。8時半のバスに合わせて行きました。おじいさんは見つかりませんでした。
家に戻って、温め直した食べ物を持ってまた9時半に行き、諦めきれずにもう1度、最終の10時半に行きました。
毎回バスの中に入って、乗客の顔を調べましたが、とうとうおじいさんを見つけることはできませんでした。
やっぱりだまされたのか。
車の中でお味噌汁をすすりました。2度も温め直したので、すっかり塩っ辛くなっていました。
まあ、こんなこともあるわさと、ちょいと軽くため息をついてから、車のエンジンをかけました。
どうしてだか、おじいさんに弱いわたしです。だから世のおじいさん達、お願いですからわたしをだまそうとしないでね。
わたしの記念すべき第一回目は、傘の修理のおじいさんでした。
なんだかいろんな小道具が入った、ボロボロの布袋を自転車のハンドルの所に下げ、傘の修理はいらんかな~と言いながら、自転車をとぼとぼ押していたおじいさん。
その頃住んでいた家はかなり急な坂道の上にあったので、ここまでやってくるのはしんどかったろうなあ、とまずそのことがとても気の毒になりました。
家の玄関先で、独りでケンケン遊びをしていたわたしは、おじいさんを喜ばせたい一心で、慌てて家の中に入り、壊れた傘を数本集めて外に飛び出しました。
その時わたしは5才。細かいことは覚えていません。ただ、後で母に、こっぴどく叱られたのを覚えています。
「ああいう人は、人をだましてお金を稼ごうとしているのやから、今後一切、大人に聞かずに頼んだりしたらあかん」
わたしは泣きそうになりながら、母の怒った声を聞いていました。
だます、という言葉を初めて聞いた日でした。
それから2年後の7才の時、第二回目もおじいさんでした。
「おじいさんなあ、道に迷ってしもたんや。飴ちゃんあげるから、わしと一緒にちょっとそこまで歩いてくれへんか」
迷ってしまった人と、どうしてわたしが一緒に歩かなければならないんだろ?
子供心にもそう思いましたが、ベレー帽を被ったおじいさんは小柄で気が弱そうに見えました。
可哀想になって、少しだけならいいかと思い、おじいさんと並んで歩き始めました。
しばらく歩いて行くと全く知らない道に入ろうとするので、もうここらへんでさよならしようとおじいさんの方を見上げると、
わたしの肩にかけたおじいさんの手に、急にとても強い力が入り、痛いほど掴まれてしまいました。
恐い……そう思ったけれど、言葉が出ません。
「知らない人に付いていったら絶対あかんよ。そういう人は、子供をゆうかいしようとしてるのやから」
突然、母の声が聞こえてきました。
もしかしたら、この人、ゆうかいする人かも。どうしよう、どうしたらええやろう。
歩きながらウンウン考えました。通りには誰もいません。声を出しても無駄だとあきらめました。
そうだ!
ひらめいて、突然わたしはスッとしゃがみました。その瞬間、おじいさんの手からわたしの体がすっぽりと抜けました。
そして素早く立ち上がって、そのまま後ろも振り向かず、必死に走って走って走り続けました。
近くの交番に駆け込んで、おじいさんのことを話しました。ベレー帽の色、背の高さ、縞模様のシャツ、ズボンの色。
彼は誘拐の常習犯でした。誘拐といっても、子供をしばらく連れ回す程度のことだったと思います。
もうずいぶん昔のことなので、詳しいことは覚えていませんが、警察から感謝状のようなものをいただきました。
そしてそれから経つことなんと30年。もう立派な大人になったわたしが、またまたおじいさんにだまされました。
大阪に住む弟が遊びに来てくれた日でした。
天気が良かったので、息子達も連れて、4人で近くのなぎさ公園に遊びに行きました。
その日の琵琶湖は波もおだやかで釣り日和。たくさんの子供や大人が釣りをしに来ていました。
うちの息子達も、安物の釣り竿を手に、餌用のミミズを針につけて、ブラックバスを狙って待っていました。
「お、なかなか上手に釣れてますねえ」
急に声がして、びっくりして振り向くと、小柄で上品なおじいさんがニコニコしながら息子達のバケツを覗いています。
「別に上手でもないんですけど、今日は日がいいのかもしれませんね」
なんて言って、それからしばらく、息子達の横で、のんびりとたわいのない話をしていました。
「さあ、そろそろ行かないと」と言って、おじいさんが腰を上げたので、わたしも挨拶をしようと立ち上がりました。
すると、おじいさんはちょっと困ったような顔をして、なにかもじもじと言いたそうです。
「どうなさいましたか?」
腰でも痛めたのかと心配になりました。
「あの、こんなこと、初めてお会いしたあなたに申し上げにくいのですが、実はわたし、これから東京に高速バスに乗って帰るところなんですが……お金が足りなくて困ってまして……」
それを聞いてわたしも困りました。本当に貧乏だった頃で、その日もおにぎりとお茶しか持っていなかったのです。
「ごめんなさい。今日はお金を持って来なかったんです」
「2千円だけでもお借りできませんか。2千円あればなんとかなるんですが」
「すみません。お恥ずかしいですが、百円さえも持っていないんです」
そう言うと、おじいさんは何も言わずに、サッと歩き出してしまいました。
わたしはその後ろ姿を見ながら、悪かったなあ、せめて千円だけでも持っていれば、と申し訳なく思いました。
少し離れた所に居た弟がやってきて、「今の知り合い?」と聞かれたので、いきさつを話しました。
すると弟は急に恐い顔をして、「金、やらんかったんやろな」と言いました。
「やるもやらんも、ほんまに持ってへんかったんやからしゃあないわ」とわたしが言うと、
「あほか、あんなんだましに決まってるやないか。ああやって、ちょっとずつあちこちで金取ってるんや」
そうかなあ……横でプリプリ怒っている弟の声を聞きながら、それでもわたしはおじいさんのことを信じていました。
家に戻って夕飯を作り、大阪に帰る弟を見送ってから、わたしは急いでおにぎりとお味噌汁をプラスティック容器に詰めて、東京行き高速バスの発着所のプリンスホテルに向かいました。
お金をあげることはやっぱりできません。人様に渡せるお金など、ほんとに1円も無い状態でした。
なのでせめて、お金が無くてお腹を空かしているだろうおじいさんに、温かいおにぎりとお味噌汁を食べてもらおうと思いました。
弟は「あれは詐欺師の顔や」と断言したけれど、わたしにはどうしてもそうは思えませんでした。
バスは1時間に1便。8時半のバスに合わせて行きました。おじいさんは見つかりませんでした。
家に戻って、温め直した食べ物を持ってまた9時半に行き、諦めきれずにもう1度、最終の10時半に行きました。
毎回バスの中に入って、乗客の顔を調べましたが、とうとうおじいさんを見つけることはできませんでした。
やっぱりだまされたのか。
車の中でお味噌汁をすすりました。2度も温め直したので、すっかり塩っ辛くなっていました。
まあ、こんなこともあるわさと、ちょいと軽くため息をついてから、車のエンジンをかけました。
どうしてだか、おじいさんに弱いわたしです。だから世のおじいさん達、お願いですからわたしをだまそうとしないでね。