「やりたい事、なりたいものが分からないまま、大学に通いたくない」
Kははっきりと、最後にこう繰り返しました。
ちょっとKを連れて、彼の好きなレストランに3人で行き、家だとなかなか煮詰まらない話をしてみようか。
旦那のアイディアに賛成して、Kにはその企みを内緒にしながら誘ってみました。
木曜だったら行けるというので、今夜、『AOZORA』という、この町で1番のジャパニーズレストランに行きました。
すっかりお腹が膨れて、ワインも適量入ったところで、デザートを分けんこしながら話が始まりました。
今の大学の教師達のこと、試験の様子、寮生活を復活させる意味、専攻科目の変更などの、いつもの話から始まり、
どうして大学に行くのか、どうして大学に行ったら生活し易いと決めつけられるのか、
僕はいったい何をしたいと思っているのか、それはお金のためなのか、生きる意味のためなのか、
とにかく今はなにも分からなくなって混乱しているので、とりあえず休学させて欲しい、という、
Kの、とても真剣な、そして若者らしいナイーブな気持ちを聞くことができました。
そんなこと言わずに、大学だけは続けた方がいいよ、なんて思っていません。
1人の子供を大学に行かせるのに、どれほどのお金が必要か。
有り余っているのならともかく、どうしても行きたいから行かせて欲しいと頼まれたのならともかく。
それにしても、Kは幼い頃からおもしろいことを言う子でした。
「Kはおっきくなったらなにになりたいの?」「そうじき!(まさしく掃除機のことです)」
「おかあさん、ぼくはどうしてぼくなん?」
「なんで人って生きてるの。なんのために生きてるの」
「生きるってなんやろ?死ぬってなんやろ?」
そんなことを、ふと思い出したように聞いてくるのでした。
Kが見つけたい答は、正否ではなくて、それ自体に意味があるのかどうか、それが大切なんだと思います。
TはKとは逆に、意味よりも先に、それが機能的かどうか、役に立ちそうかどうか、それに重きを置いて決めました。
意味は後からついてくる。そんな感じで物事を選択しているように思えます。
どちらもそれぞれ、一個の立派な人格を持った大人なので、旦那もわたしも、その人がよく考えた末に決めたことを尊重したいと思っています。
ただ、尊重はするけれど、様子を見ていて、腑に落ちないことがあったり、望ましくなかったりすることが続いた場合、注意したり叱ったり、時には止めたりするかもしれません。
子供が大人になり、独り立ちするまでは、ほんとにいろいろな種類の迷いや悩みが生じます。
けれどもそれらは、ほっこりとした温かみとともに思い出すようなものが多いということを知っています。
迷ったり悩んだりしている最中は、もちろん楽しくはなく、時にはかなり辛かったりするけれど、
いつかまた思い出せる時が来る日を楽しみに、今回のKの心が決まる日を待ちたいと思います。
Kよ、この写真の頃のあんたのように、一心不乱に、がむしゃらに、希望のタンバリンをパン!と鳴らしてみなよ。
Kははっきりと、最後にこう繰り返しました。
ちょっとKを連れて、彼の好きなレストランに3人で行き、家だとなかなか煮詰まらない話をしてみようか。
旦那のアイディアに賛成して、Kにはその企みを内緒にしながら誘ってみました。
木曜だったら行けるというので、今夜、『AOZORA』という、この町で1番のジャパニーズレストランに行きました。
すっかりお腹が膨れて、ワインも適量入ったところで、デザートを分けんこしながら話が始まりました。
今の大学の教師達のこと、試験の様子、寮生活を復活させる意味、専攻科目の変更などの、いつもの話から始まり、
どうして大学に行くのか、どうして大学に行ったら生活し易いと決めつけられるのか、
僕はいったい何をしたいと思っているのか、それはお金のためなのか、生きる意味のためなのか、
とにかく今はなにも分からなくなって混乱しているので、とりあえず休学させて欲しい、という、
Kの、とても真剣な、そして若者らしいナイーブな気持ちを聞くことができました。
そんなこと言わずに、大学だけは続けた方がいいよ、なんて思っていません。
1人の子供を大学に行かせるのに、どれほどのお金が必要か。
有り余っているのならともかく、どうしても行きたいから行かせて欲しいと頼まれたのならともかく。
それにしても、Kは幼い頃からおもしろいことを言う子でした。
「Kはおっきくなったらなにになりたいの?」「そうじき!(まさしく掃除機のことです)」
「おかあさん、ぼくはどうしてぼくなん?」
「なんで人って生きてるの。なんのために生きてるの」
「生きるってなんやろ?死ぬってなんやろ?」
そんなことを、ふと思い出したように聞いてくるのでした。
Kが見つけたい答は、正否ではなくて、それ自体に意味があるのかどうか、それが大切なんだと思います。
TはKとは逆に、意味よりも先に、それが機能的かどうか、役に立ちそうかどうか、それに重きを置いて決めました。
意味は後からついてくる。そんな感じで物事を選択しているように思えます。
どちらもそれぞれ、一個の立派な人格を持った大人なので、旦那もわたしも、その人がよく考えた末に決めたことを尊重したいと思っています。
ただ、尊重はするけれど、様子を見ていて、腑に落ちないことがあったり、望ましくなかったりすることが続いた場合、注意したり叱ったり、時には止めたりするかもしれません。
子供が大人になり、独り立ちするまでは、ほんとにいろいろな種類の迷いや悩みが生じます。
けれどもそれらは、ほっこりとした温かみとともに思い出すようなものが多いということを知っています。
迷ったり悩んだりしている最中は、もちろん楽しくはなく、時にはかなり辛かったりするけれど、
いつかまた思い出せる時が来る日を楽しみに、今回のKの心が決まる日を待ちたいと思います。
Kよ、この写真の頃のあんたのように、一心不乱に、がむしゃらに、希望のタンバリンをパン!と鳴らしてみなよ。