来年の2月と3月に、ウィーンと日本から、大好きな友達が遊びに来てくれることになりました。
2月には、ウィーン在住のピアニストS子と、彼女の夫で元スターテノール歌手のW氏。
3月には、日本の音大でバリバリ教えているソプラノ歌手のA子。
S子とわたしは幼馴染み。物心ついた頃から毎日のように、着せ替え人形ごっこをしたり、音の当てっこをしたりして遊んでいました。
ヤマハ音楽教室にも一緒に通い、当時の幼児科からセコンダリークラスという科に進み、
そこから相愛子供音楽教室のオーディションを経て、毎週土曜日にあった教室に、はるばる三重県から大阪まで電車とバスを乗り継いで通いました。
ずうっとそばに居て、お互いのピアノを聞きっこしながら、いいライバルとしていられたのはわたしが13才の春まで。
彼女は、もちろん辛いことはいっぱいあっただろうけれども、音楽家になるべく、順調に進み、わたしはどんどん外れていってしまいました。
彼女が突然ウィーンに留学したのは彼女が30才を過ぎてからのこと。それはとても勇気のいる決断だっただろうと思います。
伴奏楽や、本業のピアニストとしての修行を一所懸命にして、そこで知り合ったA子の専属伴奏者として、ヨーロッパの世界的なコンクールで賞をとりました。
情けないことに、わたしが彼女の成功を心から喜べたのは、今の旦那と一緒に暮らし始めてからのこと。
それまでは、できるだけ、音楽家になるのが当然のようにバリバリ頑張っていた頃のわたしと関わった人達に会うことを避けていました。
自分が、正直に言うと本望ではない生活を送っていても、心が幸せであれば、人の幸せや成功を喜べるものなんだと学びました。
S子との交流がまた始まり、A子とも知り合うことができました。
A子は、とても温かな、心のひだのひとつひとつにスウッとしみこんでくるような歌を聞かせてくれます。
何語の歌であれ、発音がとてもきれいで心地良く、あの小さな体からは想像もできない豊かで繊細な響きの声を勉強に勉強を重ねて作り上げた人です。
S子のピアノもどんどん進化し、どっしりとした安定感のあるフォルテ(強音)と鳥肌が立つほど美しいピアノ(弱音)、
聞く者をどんどん引き込んでいく構成力の確かさと音のバランスの良さが絶妙な演奏を聞かせてくれます。
あのままずうっと心を閉じていたら、決して知り合ったり、元に戻ったりすることができなかったでしょう。
旦那に感謝しなければなりません。
それで今朝、久方ぶりの臨時コーヒー(今日だけ飲んで、また休止します)を飲みながら、S子やA子の訪米のことを話していたら、
「彼女達はきっとオペラやミュージカルを観に行くだろうから、まうみもそれぞれ1回くらいは、彼女達と一緒に行けば?」と旦那が言いました。
え?ほんま?ほんまにほんま?と心の中ではウキウキしたのだけれど、
「けど、今わたし、生徒の数が急に減って稼ぎが良くないから、そんな時にそんなことできひん」などと殊勝な顔を作りながら言ってみたら、
「そんな~、アホみたいな考えはやめなあかん。稼ぎがいいとか悪いとか、そんなこと全然関係ないやん。まうみはいつものように一所懸命働いてるねんから」
おおぉ~、なんという優しいお言葉!感動……
「それにさ、もしかしたら5年後には死んでるかもしれんし」
なぬ?
「そやから、そんなしょうもないことは考えんと、今を楽しく生きなあかん」
……。
5年後って、それ、どっからその数字出てきたん?
2月には、ウィーン在住のピアニストS子と、彼女の夫で元スターテノール歌手のW氏。
3月には、日本の音大でバリバリ教えているソプラノ歌手のA子。
S子とわたしは幼馴染み。物心ついた頃から毎日のように、着せ替え人形ごっこをしたり、音の当てっこをしたりして遊んでいました。
ヤマハ音楽教室にも一緒に通い、当時の幼児科からセコンダリークラスという科に進み、
そこから相愛子供音楽教室のオーディションを経て、毎週土曜日にあった教室に、はるばる三重県から大阪まで電車とバスを乗り継いで通いました。
ずうっとそばに居て、お互いのピアノを聞きっこしながら、いいライバルとしていられたのはわたしが13才の春まで。
彼女は、もちろん辛いことはいっぱいあっただろうけれども、音楽家になるべく、順調に進み、わたしはどんどん外れていってしまいました。
彼女が突然ウィーンに留学したのは彼女が30才を過ぎてからのこと。それはとても勇気のいる決断だっただろうと思います。
伴奏楽や、本業のピアニストとしての修行を一所懸命にして、そこで知り合ったA子の専属伴奏者として、ヨーロッパの世界的なコンクールで賞をとりました。
情けないことに、わたしが彼女の成功を心から喜べたのは、今の旦那と一緒に暮らし始めてからのこと。
それまでは、できるだけ、音楽家になるのが当然のようにバリバリ頑張っていた頃のわたしと関わった人達に会うことを避けていました。
自分が、正直に言うと本望ではない生活を送っていても、心が幸せであれば、人の幸せや成功を喜べるものなんだと学びました。
S子との交流がまた始まり、A子とも知り合うことができました。
A子は、とても温かな、心のひだのひとつひとつにスウッとしみこんでくるような歌を聞かせてくれます。
何語の歌であれ、発音がとてもきれいで心地良く、あの小さな体からは想像もできない豊かで繊細な響きの声を勉強に勉強を重ねて作り上げた人です。
S子のピアノもどんどん進化し、どっしりとした安定感のあるフォルテ(強音)と鳥肌が立つほど美しいピアノ(弱音)、
聞く者をどんどん引き込んでいく構成力の確かさと音のバランスの良さが絶妙な演奏を聞かせてくれます。
あのままずうっと心を閉じていたら、決して知り合ったり、元に戻ったりすることができなかったでしょう。
旦那に感謝しなければなりません。
それで今朝、久方ぶりの臨時コーヒー(今日だけ飲んで、また休止します)を飲みながら、S子やA子の訪米のことを話していたら、
「彼女達はきっとオペラやミュージカルを観に行くだろうから、まうみもそれぞれ1回くらいは、彼女達と一緒に行けば?」と旦那が言いました。
え?ほんま?ほんまにほんま?と心の中ではウキウキしたのだけれど、
「けど、今わたし、生徒の数が急に減って稼ぎが良くないから、そんな時にそんなことできひん」などと殊勝な顔を作りながら言ってみたら、
「そんな~、アホみたいな考えはやめなあかん。稼ぎがいいとか悪いとか、そんなこと全然関係ないやん。まうみはいつものように一所懸命働いてるねんから」
おおぉ~、なんという優しいお言葉!感動……
「それにさ、もしかしたら5年後には死んでるかもしれんし」
なぬ?
「そやから、そんなしょうもないことは考えんと、今を楽しく生きなあかん」
……。
5年後って、それ、どっからその数字出てきたん?