ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

何もしない日

2008年11月16日 | ひとりごと
……のはずでした。
昨日、マンハッタンから家に戻ったのが夜中の1時を過ぎていて、朝からいろいろ忙しかった我々はとても疲れていました。
あの街のエネルギーと、若者(二十代)に付いていくには、もう年を取り過ぎた、なぁんてことをふと感じた我々でした。

なので、今日は一日だらだらふらふらしよう。そう決めてだらだらふらふら午前中を過ごしていたら、
いきなり旦那が、「ビールを飲みながら小津の映画を見よう!」と盛り上がり出しました。
フフン、映画よりもなによりも、ヤツは昼間っからビールが飲みたいのだな。
まあ付き合ったろか。
こないだから観始めた、小津安二郎監督の四季シリーズの『秋日和』を観ることにしました。
わたしは昼間っからのお酒は苦手なので、烏龍茶で鑑賞です。

小津監督の映画は、旦那の勧めで観るまではまったく知らずにいました。
「品行は直せても 品性は直らない」の心情を語ってきた小津監督は、美意識を持ち凛とした作品を作り続け、
「どんなに悲しいことがあっても 空は何時ものように晴れている」という考えで、場面を誇張することなく演出されたそうです。

『秋日和』の前は『早春』を観ました。
旦那もわたしも単純なので、映画を観終わった後は口調が小津映画調になってしまいます。
「おい、そのスィッチ、消しとけよ」
「なによ、そんなこと、いちいち言われなくても分かってるわよ」
「ふん、分かってたらこっちもいちいち言わないさ」
「いやね、ずいぶん意地悪だこと。わたし、怒っちゃうわよ」
なんて感じで延々と、自分達がアホらしくなるまでやっている、なんとまあ平和な日曜日。

昭和30年代後半から40年代初頭の、わたしにとっては物心ついて間もない頃の、とても懐かしい風景。
旦那にとっては、もちろんまだ生まれてもいなかったのだけど、時代劇を観るような感じもする未知の世界の映像です。
改めてその映画が作られた年を思うと、終戦からまだ20年足らずの間にあそこまで変わった日本の様子に驚きます。

映画を観終えて、それからなんとはなしに、なんとなく気になっていた場所の掃除が始まりました。
昨日まで、あんなに暖かかったのに、今日は北風がビュンビュン吹き荒れています。
引っ越しするつもりでまとめてしまっていた荷物を解き、ここで冬を迎えるつもりは無かった気持ちを切替え、あちこちの隙間に新聞紙や段ボールを詰め、勝手口の網戸の部分にビニールを貼り、冷たい北風予防をしました。

小津さんの映像が、わたしの背中をそぉっと押してくれたのかもしれません

コメント (2)
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小さな世界

2008年11月16日 | ひとりごと
「お、彼女がニューヨークで歌うみたいや」
ニューヨークタイムズのアートセクションを読んでいた旦那が言いました。
「彼女って?」
「ほら、タラッタタラッタタラッタタラ(←歌のイントロ部分です)の彼女」
「おおぉ~、いいねいいね、聞きたいね」
「あ、あかんわ、今夜のみのライヴや」
「ううぅ~残念!」

彼女の名前はマデリン・ペイロー。
旦那が鍼灸師になりたてのホヤホヤの頃、仕事帰りの車の中で、ジャズ専門局から流れてきた彼女の歌を聞いて一目(耳)惚れ。
その頃、家計がとっても苦しい状態だったのにも関わらず、CDを思わず買ってしまったという伝説の歌手です。
でもしゃあない。また次の機会を待ちましょう。
だって、なんてったって、今夜はデイヴの息子ガブリエルがうちに来て、夕飯を一緒に食べることになってるんだもんね。

デイヴのお葬式に行った時、旦那もわたしも同じことを彼に誓っていました。
ガブリエルのこと、まかしときって。
ガブリエルはティーンの頃、全く無気力で、どちらかというと素行も良くなくて、デイヴはそれをとても心配していました。
高校を出て、のらりくらりとしている彼に、ビデオ関係の学校に行かせたらどうかと思いついたデイヴ。
ビデオゲームが大好きで、ゲームの腕もかなりうまかったので、ひょっとしたら興味がわくかも、という理由でした。
そして……ビンゴ!ガブリエルはそこですっかり生まれ変わったのでした。

今では有名なTVショーの編集責任者として、27才の若さでバリバリ働いています。
わたしの好きなコルベアリポートの編集もしているそうで、思わずサインとかを頼もうかな、なんて……ダハハ。
なので、別にわたし達の助けなんか全く必要の無い彼だけど、ま、たまに一緒にご飯を食べておしゃべりしながら、彼の様子をそばで見守り続けたいな、などと思うジジババなのであります。

うちに着いて早々に、「今夜は10時までにマンハッタンに戻らないといけないんだ。なのでゆっくりできない」とガブリエル。
そりゃちょっと残念。でもまあ、また次の時にゆっくりしたらいいやん。
「で、なんで10時なん」
「実はライヴに行く予定があって」
「ふぅん」
「幼馴染みのライヴがたまたま今夜なんだ。デイヴ(ガブリエルは父親をこう呼びます)の古い友達も一緒に出るし」
「へぇー、それってもしかしてダニー?」
「ああ、そうそう、ダニー。ああ、2人とも、お葬式の時に会ってたよね」
「うん。けど、彼って、こんな言い方したら失礼やけど、ちょいとホームレスっぽくない?」
「彼はそうだよ、ホームレスだよ」
「え?」
「もうかれこれ50年近く、フランスのセーヌ川におんぼろ船浮かべて、そこで住んでるんだから」
「デイヴと知り合った頃も?」
「そう」
「彼は音楽できるの」
「歌えるけど、楽器は全く演奏できない」
「で、どうして彼が今夜ライヴに出るの?アメリカに来てるの?」
「2、3日前に来たみたい。彼ね、マデリンが16才の頃から、なんとなく一緒にバンドやってるんだ」
「ちょ、ちょ、ちょっと、今マデリンって言わへんかった?」
「え?なんで彼女のこと知ってるの?」
「…………

彼女が今みたいに有名になる少し前に、曲のアレンジで悩んでいた時、デイヴがいろいろとヒントを与えたそうです。
それで彼女はふっ切れて、とてもいいアルバムができ、一気に有名になったという話を聞きました。
デイヴはその頃、フランスやイタリアで、奥さんのヴァダナと2人で、路上で歌って生計を立てていました。
ワゴンの後ろに小さな子供だったガブリエルとヴィーダ、自分達は運転席と助手席で寝泊まりしながら、
夏は北上し、冬は南下しながら、ジプシーのような生活を結構長いことやっていたそうです。

デイヴの最後の、ほんの8年間だけしか知らないわたし達。まだまだ楽しい秘密がいっぱいありそうです。
それにしても、なんてすてきな偶然でしょう

もうひとつ。
今日の天気はとても変でした。
この地域の11月というと、日本の真冬という感じになるのに、
今日はまたまた雨が降って、風とかもビュンビュン吹いて、そして気持ち悪いほど暖かでした。20℃を超えてました。
わたしは近頃、夜の運転があまり嬉しくありません。目がなんとなく見えにくい感じがするからです。
なのに今夜は雨降りの夜のマンハッタンを運転する羽目になりました。旦那がワインをしっかり飲んだからです。
雨降りのマンハッタンはタクシーがウジャウジャ走っています。最悪です。
ライヴハウスに着いて、車を駐車する場所を見つけられなかったので、ガブリエルとわたしだけ降りて店に入りました。
旦那はそれから実に1時間半、グルグルグルグルグルグル近所を走り回り続けましたが、とうとう見つけることができず、彼女の最後の歌の最後の部分だけしか聞くことができませんでした

デイヴが一緒に居たんだな。そんな気がする夜でした
コメント (2)
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