ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

スピリット・オブ・ウクライナ!

2009年11月14日 | 友達とわたし
ウクライナ国立民族舞踊団 "PAVLO VIRSKY"を観に行ってきました。

"The Spirit of Ukraine"



世界最高峰!華麗なる民族舞踊。
海外60カ国以上で称賛を浴び、観客を圧倒した“スピリット・オブ・ウクライナ”
いま、世界でもっともダイナミックかつ感動的な民族舞踊団総勢60名。
現在、「リバーダンス」等、民族舞踊をショーアップさせたダンスショーが世界的に流行している中、
舞踊団の中でも特に、世界最高峰の実力と称される、ウクライナ国立民族舞踊団"PAVLO VIRSKY"。


「ヘーイ、まうみ、ジェーンだけど、今夜暇?」
超元気印のジェーンからいきなりのお誘い電話がかかってきました。
やることはいっぱいあるのだけれど、彼女に暇?と聞かれるとついつい……。
彼女が今の音楽プロモーション事務所に転職する直前に手がけた仕事の関係で、この舞踊団のチケットが2枚余分に手に入ったそうで……、
その舞踊団のことをなんにも知らない旦那とわたしでしたが、ホイホイ行く行く!と返事をしました。
場所は『State Theater』、ニュージャージー州立大学ラトガースのある町の劇場です。

劇場に先に着いた旦那とわたし。次々にやってくる観客は、ほぼウクライナの方々と見受けられ、英語はともかく、ちょっとでも日本語で話そうもんなら、ギョッとした目でジロジロ見られる始末……すんません、変わり種で……久しぶりの感覚でした。
客席はもうウクライナ一色。何百人もの望郷の念が会場いっぱいに漂っていて、温かな、それでいてちょっと切ない気持ちになりました。

そんなノスタルジーを一蹴してしまうような、なんとも高度なダイナミックな、人間離れしたダンスを繰り広げる若者達。
コサックダンスはもちろんのこと、クラシックバレーのしっとり感あり、コミカルなドラマあり、こっちの方が目が回ってしまう回転技ありの、どの舞台も大満足の、すばらしい舞踊でした。

休憩時間に舞台裏を訪れたジェーンから「今日はあの60人の団員のうち、16人がインフルエンザにかかってんだって。それであんなの踊ってんだからもう、信じられない。おまけに彼らは、明日も2回の公演があるんだよ?!」と聞き、わたしもびっくり!

美しい民族衣装に包まれて舞台に現れる若い彼らは皆、とても誇らし気でエネルギッシュ。
踊っているからあんなに顔が真っ赤なんだと思っていた彼らの中の、およそ4分の1の人達がインフルエンザにかかっている……。
なんであんなことができるんだろう……。
彼らの思いの強さと、日頃の鍛錬の成果が眩しい、感動的な舞台でした。
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わたしのピアノ

2009年11月14日 | 音楽とわたし
ちょっと罪滅ぼしのために。

わたしはピアノを8才から始めました。それ以前にも、ヤマハの音楽教室に通ったりして、教室ではオルガンを弾いたりしていましたが、
本格的にピアノ一本に絞ったのは、『相愛学園子供音楽教室』の試験に合格して、毎週土曜日のお昼から夕方までのレッスンに通うことになってからです。

*久しぶりに音楽教室のことを書いて懐かしくなったので、ちょっと調べてみました。
1955年、山田耕筰が相愛女子短期大学音楽科長に就任したが、山田は、東京において桐朋学園の子供のための音楽教室が成果を上げていることに刺激を受け、井口基成、伊藤武雄、斎藤秀雄、吉田秀和、井口愛子、池内友次郎、柴田睦陸、鷲見三郎、團伊玖磨、山田真梨子など教授陣を迎えた。
そして、1960年10月、大阪における音楽の早期教育を行う教室の先駆けとして「相愛学園子供の音楽教室」が設置された。
その後、相愛学園の学校法人化とともに名称を「相愛音楽教室」と改めた。

山田耕筰さんが始められただなんて、今の今まで知りませんでした!
その頃の両親が、そのような素晴らしい場所で音楽を学ばせてもらえるための経済力を持ってくれていたことに感謝せずにはいられません。
今のわたしの、心強い底力になってくれているので。
途中で断念せざるを得なくなってしまったけれど、それまでの7年間に受けたスパルタな英才教育と、そこに居たからこそ出会えた素晴らしい先生方からの教えは、今だにわたしの精神の中で息づいています。

アップライトピアノからグランドピアノへ。
初めて買ってもらったグランドピアノは、わたしの人生さながら波瀾万丈の生を受け、
モダンなタイル敷きの洋間から床板が腐ったボロボロの三畳の畳部屋に押し込まれ、
そのうち入れ墨もにぎやかな男衆に乱暴に担がれて、どこかの倉庫にゴミのように捨て去られ、
ところが、なんとも心優しい若者が必死の思いで探し当ててくれたのをきっかけに、またまた普通のお家の部屋に戻されて、
そこで一生を終えるかと思いきや、元の持ち主のわたしがやっぱり不安定な暮らしをしていたので、そこからまた2度、引っ越しを強いられました。
ある時は、真下に下水道が流れていて、あまりの湿気に、弦からポタポタとしずくを垂らしていたことも……。
わたしとの最後は滋賀県の大津市の旧道沿いの町屋。
アメリカに引っ越す時、それはそれは思い悩みました。ほんとにいろいろあって、何回も引きはがされたけど、結局はまた一緒に暮らしていたピアノ。
なにも話さなくても、わたしの気持ちをいつも受け取ってくれていた同士。
でも、やっぱり先立つものが無くて、とてもじゃないけれど輸送を決心できないでいたわたしに、
「とてもがんばっている子がいるんだけれど、経済的に大変なお家で、グランドピアノが必要なのにどうしても持てないの。まうみちゃんのそのピアノ、彼女に受け継がせてもらえないかしら」というお話が、ピアノの師匠から舞い込んできました。
弾きたくても弾けなかった時がいっぱいあったわたしには、その子の気持ちがじんじんと分かるような気がして、「もちろん」と答えました。
今度こそ、ほんまにバイバイやね。
その晩は、ピアノが居た畳の上に座って、気の済むまで泣きました。


そしてこちらに移り、まだ船便の荷物が届いてもいないのに、ピアノを探し始めました。
でも、考えが甘かった!とすぐに後悔しました。
日本製のピアノがとんでもなく高い!中古でさえも手が出ません。大学の模様替えセールに行っても然り、怪しいピアノセールに行っても然り。
しまったなあ……こんなことなら、借金してでもあの子を連れてくるべきやった……なんて後悔しても後の祭りです。
あちこち回り、試し弾きして、値段の割にはなかなかイケるかもと思うピアノを見つけました。SAMICKという、韓国製のピアノです。
中古ではなく新品のベビーグランドなのに8000ドル?!1万ドル以上の値段ばかりにうんざりしていたので、とても嬉しかったわたし。
旦那父が、引っ越しのお祝いとして半分出してあげる、と言ってきてくれたのもあって、買うことに決めました。
そして……運送会社の人達に運ばれてきたサミック。うちに来てくれたお礼に磨こうとしたら……蓋の部分にものすごく大きな傷を発見!
それはもう傷というより、塗装がぱっくり剥がれていて、中の木材が3センチ四方に渡ってむき出しになっています。
慌てて契約した会社に連絡したら……通じない?!……連絡先にその会社が無い?!……とうとう通じたら、今度は知らんぷり?!
地獄のような、拉致の開かない、のらりくらりの交渉(にもならない)を続け、もう精魂尽き果てたわたし……あきらめました。
ピアノ自体は、う~ん、調律がすぐに必要になるのが困るのですが、弾いていて不快になることもなく、もちろん足りないことはいっぱいあるけれど、新品であの値段なら(多分この傷を隠していたからでしょうけれど)我慢できないこともない、という感じ。
で、いつか本当に自分が気持ち良く弾けるパートナーに出会えるまでは、この子ともそれなりに、できたら気持ちよくやって行きたいと思い、
調律師アルバートの勧めもあって、つい最近、こんな装置をつけてもらいました。

自動の、ピアノ除湿乾燥器です。



一番左側が電源、真ん中が水分、右側がピアノパッドの状態を示します。お水が切れると黄色のランプが、パッドが乾き過ぎると赤いランプが点滅します。

これが、ピアノの胴体裏側に設置されたタンクにお水を補給する容器。右側のちっちゃいのは、そのパイプに汚れが残らないようにするための薬品。



そしてこれが胴体の裏側。なんだかおっきな手術をした直後の患者さんみたいで変な感じです。



明日、日曜日なんですが、アルバートに来てもらって調律をしてもらいます。
この装置と彼の腕で、すっきりと音を整えてもらい、月曜日の夜に合わせにやって来るタイソンと、気持ちよく演奏ができたらいいなと思います。

どうして罪滅ぼしかというと……ごめんね……明日の日曜日、カルロス氏のピアノを弾きに行かせてもらえることになったから。
この9年間、あなたがいなかったら今のわたしもいないのだから。それは本当に心から感謝しているよ。
それに、もしかして、弾いてみたら、アレ?って思うかもしれないしね。ピアノだけはほんと、その人その人の好みがあるから。

なんて、とっても揺れ動いている今日この頃……。

コメント (4)
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