ろくに眠れないまま朝を迎え、同じ頃に息子達は眠りにつき、家猫はニャアニャアとうるさく鳴き、ええい起きよ!とばかりにベッドから出てシャワーを浴びました。
簡単に朝ご飯を食べ、お金を引き出しに銀行に行ったのが9時過ぎ。金額が大きかったので、身分証明にしっかり時間を取られてしまいました。
気ははやるのになんだか異常に道が混んでいて、なかなかアパートメントまでの距離が縮まりません。
ピアノ運送会社の人達から、「ちょっと前にもう着いて、あんた達が来るの待ってんだけどさ~」という電話がかかって来ました。
旦那は慌てて、「もうあと10分ほどで着く所にいるけれど、我々のことなんか待たなくてもいいから、作業を始めてください」とお願いしました。
本当は、梱包にかかる前に、傷のチェックや内部の再確認などをしたかったのだけど仕方がありません。
路上駐車が意外に簡単にでき、5階の部屋にハアハア言いながら駆け上がると、やっぱり待ってくれていて、作業はまだ始まっていなかったのでした。
申し訳ないったらありません。でも、助かりました。反響板がとても頑丈な1枚板でできていて、今の時代、こんなのは無いと教えてくれました。
それだけに、今の新しいピアノとは比べ物にならないぐらい重いはずだと、早くも作業員さん達はくら~い顔……。
前にブランカから聞いた、クレーンを使っても800ドルだという運搬料は間違いで、4千ドル以上はかかる(どんだけ違うねんっ?!)とわたしはちょっと怒りました)と言われた旦那は、それじゃ担いで5階から1階まで降りてくれる会社を探そうと頑張ってくれたのでした。
そして見つかったのが『ベートーヴェン』という名の会社。5人の屈強なアフリカンアメリカンさん達が勢揃いでやって来てくれました。
でもなあ、あの、マンハッタン特有の、めちゃんこ狭くて急な階段を5階から1階まで……わたしやったら絶対イヤ!無理!と心の中で叫んでおりました。
案の定、部屋のドアを通り抜ける時点からえらい騒ぎに。そして階段と階段の間の踊り場でもまた問題が発生!
結局まるまる2時間かけて、身体がへろへろになりながら、5階から1階まで降ろしてくれたのでした。
その間にわたしはカルロス氏のピアノの本を見せていただきました。
楽譜のぎっしり詰まった本箱の前にたたずんでいると、カルロス氏のおかあさんがそばにやってきました。
白黒の、2人のピアニストが写っている写真をわたしに見せて、「これがわたしの息子」と、カルロス氏の顔を何度も指で撫でています。
スペイン語が話せないわたしには、会話が全く成立しないのだけど、若くして息子を亡くした母親の悲しさを想像するだけでたまらなくなり、彼女の小さな身体をぎゅっと抱きしめました。
今までずっと堪えていた悲しみが押し寄せたかのように、声をあげて泣き出したおかあさんの背中をさすりながら、
わたしはただただ「悲しいね、ほんとになんてことだ、悲しいね」と言うことしかできません。情けないでした。
何回も気をとり直そうとするのだけれど、一度外に溢れ出た感情は思いの外激しく、彼女の意思を無視して繰り返しこみ上げてくるようです。
こういう時は泣きたいだけ泣かせてあげたいと思いました。おかあさんはわたしの胸元に顔をうずめ、時には語り、時には嗚咽し、時には静かに泣いていました。
息子を病で失い、そして今また、彼が慣れ親しんで毎日弾いていたピアノまで部屋から消えてしまいました。
その喪失感と悲しみの深さは、わたしなどには計り知れるものではありません。
「ペルーに来てね。絶対に来てね。そしてピアノを聞かせて」
「きっと行きます。絶対に行きます。ピアノももちろん弾きます。それと、スペイン語、少しは話せるように勉強してから行きます」
わたしがそう言うとおかあさん、濡れたままの目を細めて、少しだけ笑ってくれました。
いつか、おかあさんがアメリカにいらっしゃった時には、ぜひぜひうちに来て、カルロスさんのピアノに逢ってください。
そして、わたしが弾くピアノを聞いてください。
カルロスさんの命の分も生きて、カルロスさんには到底及ばないだろうけれど、彼の残してくれた本を少しずつ学んでいきます。
それがきっと、カルロスさんの思いを、祈りを、願いを、この世につなげていけることになると信じて。
わたしの気持ちとおかあさんの気持ちを、孫のブランカが通訳してくれました。
ある女性にとって、とても大きな意味になる約束をしました。
ゆめきたる。それはまた次のステップに進む出発点に立つこと。気をひきしめて、これまで以上に頑張りたいと思います。
おかあさんからいただいた写真です。「この写真を額に入れて、息子のピアノの上に置いてね」全部スペイン語だったけれど、わたしにはちゃんと分かりました。
3時半から4時までには着くと言っていた作業員さん。待てども待てども来ません。夕飯を作りながら、いつ食べたらいいものかと迷いながら待っていました。
あかん、もう食べよ!とばかりに、グツグツと煮える牡蠣鍋の蓋をあけたその時、「コンコンコン!」……やっぱりなぁ~……そんな予感120%でした!
解体された部品が部屋に運び込まれました。
アパートメントの階段の時は5名でしたが、家には3名で来てくれました。
本体をよっこらしょと立て、足やペダルを装着します。
「あんたに文句言ってんじゃないけどさあ、これまで運んだピアノの中でいっちばん重かったんだから。それをまた選りにも選って5階からときた!参ったよ」
「でも、こんなきれいな反響板もなかなか無いよ。重いってことは、使われてる木の質がいいってこと、今みたいなベニヤ板の合板なんかじゃないってことだ。いいピアノだよ」
恐縮したり嬉しがったり、忙しいくせに、それでもチョロチョロ彼らの周りに張り付いて、写真をパチリ。邪魔ったらない!
「さあ、今日のハイライト、これを入れなきゃピアノじゃねぇ~!鍵盤鍵盤!」と、勢いも良く鍵盤の梱包を解く彼ら。
ん???「ちょい待ち!ここ、これ、ほら、ちょっと見て見て!」とわたし。
高音部のハンマーの高さがバラバラ?!なぜに?!
なんと、よくよく見ると、ハンマーが乗っかる部分のフェルトに、ハンマーの軸の部分が埋もれているではあ~りませんか!
なので、鍵盤を押しても全く下がらないどころか、指で埋まっているのを取ろうとするとハンマーがポロリ?!げっ!!取れちゃった?!
ということで、鍵盤だけ病院に入り、急きょ治療を受けることになりました。
この運搬会社はとてもケアがしっかりしていて、明日か明後日にはすっかり直してもらった鍵盤が届くのだそうです。
「ホッ……」←これがどれぐらい深く大きい「ホッ」なのか、それはここアメリカにある程度の期間住んで、痛い目に遭わされた者にしかわからないかもしれません。
とにかく、今日のお約束の写真、二台並んだピアノです。
鍵盤無いですけど……。
さすがに部屋がいっきに狭くなってしまいました。また模様替えを考えないといけません。
これを書いているわたしの背中に、ピアノがかなり迫ってきています。練習練習!とつぶやかれているようでちょっと焦ります。ハハハ。
簡単に朝ご飯を食べ、お金を引き出しに銀行に行ったのが9時過ぎ。金額が大きかったので、身分証明にしっかり時間を取られてしまいました。
気ははやるのになんだか異常に道が混んでいて、なかなかアパートメントまでの距離が縮まりません。
ピアノ運送会社の人達から、「ちょっと前にもう着いて、あんた達が来るの待ってんだけどさ~」という電話がかかって来ました。
旦那は慌てて、「もうあと10分ほどで着く所にいるけれど、我々のことなんか待たなくてもいいから、作業を始めてください」とお願いしました。
本当は、梱包にかかる前に、傷のチェックや内部の再確認などをしたかったのだけど仕方がありません。
路上駐車が意外に簡単にでき、5階の部屋にハアハア言いながら駆け上がると、やっぱり待ってくれていて、作業はまだ始まっていなかったのでした。
申し訳ないったらありません。でも、助かりました。反響板がとても頑丈な1枚板でできていて、今の時代、こんなのは無いと教えてくれました。
それだけに、今の新しいピアノとは比べ物にならないぐらい重いはずだと、早くも作業員さん達はくら~い顔……。
前にブランカから聞いた、クレーンを使っても800ドルだという運搬料は間違いで、4千ドル以上はかかる(どんだけ違うねんっ?!)とわたしはちょっと怒りました)と言われた旦那は、それじゃ担いで5階から1階まで降りてくれる会社を探そうと頑張ってくれたのでした。
そして見つかったのが『ベートーヴェン』という名の会社。5人の屈強なアフリカンアメリカンさん達が勢揃いでやって来てくれました。
でもなあ、あの、マンハッタン特有の、めちゃんこ狭くて急な階段を5階から1階まで……わたしやったら絶対イヤ!無理!と心の中で叫んでおりました。
案の定、部屋のドアを通り抜ける時点からえらい騒ぎに。そして階段と階段の間の踊り場でもまた問題が発生!
結局まるまる2時間かけて、身体がへろへろになりながら、5階から1階まで降ろしてくれたのでした。
その間にわたしはカルロス氏のピアノの本を見せていただきました。
楽譜のぎっしり詰まった本箱の前にたたずんでいると、カルロス氏のおかあさんがそばにやってきました。
白黒の、2人のピアニストが写っている写真をわたしに見せて、「これがわたしの息子」と、カルロス氏の顔を何度も指で撫でています。
スペイン語が話せないわたしには、会話が全く成立しないのだけど、若くして息子を亡くした母親の悲しさを想像するだけでたまらなくなり、彼女の小さな身体をぎゅっと抱きしめました。
今までずっと堪えていた悲しみが押し寄せたかのように、声をあげて泣き出したおかあさんの背中をさすりながら、
わたしはただただ「悲しいね、ほんとになんてことだ、悲しいね」と言うことしかできません。情けないでした。
何回も気をとり直そうとするのだけれど、一度外に溢れ出た感情は思いの外激しく、彼女の意思を無視して繰り返しこみ上げてくるようです。
こういう時は泣きたいだけ泣かせてあげたいと思いました。おかあさんはわたしの胸元に顔をうずめ、時には語り、時には嗚咽し、時には静かに泣いていました。
息子を病で失い、そして今また、彼が慣れ親しんで毎日弾いていたピアノまで部屋から消えてしまいました。
その喪失感と悲しみの深さは、わたしなどには計り知れるものではありません。
「ペルーに来てね。絶対に来てね。そしてピアノを聞かせて」
「きっと行きます。絶対に行きます。ピアノももちろん弾きます。それと、スペイン語、少しは話せるように勉強してから行きます」
わたしがそう言うとおかあさん、濡れたままの目を細めて、少しだけ笑ってくれました。
いつか、おかあさんがアメリカにいらっしゃった時には、ぜひぜひうちに来て、カルロスさんのピアノに逢ってください。
そして、わたしが弾くピアノを聞いてください。
カルロスさんの命の分も生きて、カルロスさんには到底及ばないだろうけれど、彼の残してくれた本を少しずつ学んでいきます。
それがきっと、カルロスさんの思いを、祈りを、願いを、この世につなげていけることになると信じて。
わたしの気持ちとおかあさんの気持ちを、孫のブランカが通訳してくれました。
ある女性にとって、とても大きな意味になる約束をしました。
ゆめきたる。それはまた次のステップに進む出発点に立つこと。気をひきしめて、これまで以上に頑張りたいと思います。
おかあさんからいただいた写真です。「この写真を額に入れて、息子のピアノの上に置いてね」全部スペイン語だったけれど、わたしにはちゃんと分かりました。
3時半から4時までには着くと言っていた作業員さん。待てども待てども来ません。夕飯を作りながら、いつ食べたらいいものかと迷いながら待っていました。
あかん、もう食べよ!とばかりに、グツグツと煮える牡蠣鍋の蓋をあけたその時、「コンコンコン!」……やっぱりなぁ~……そんな予感120%でした!
解体された部品が部屋に運び込まれました。
アパートメントの階段の時は5名でしたが、家には3名で来てくれました。
本体をよっこらしょと立て、足やペダルを装着します。
「あんたに文句言ってんじゃないけどさあ、これまで運んだピアノの中でいっちばん重かったんだから。それをまた選りにも選って5階からときた!参ったよ」
「でも、こんなきれいな反響板もなかなか無いよ。重いってことは、使われてる木の質がいいってこと、今みたいなベニヤ板の合板なんかじゃないってことだ。いいピアノだよ」
恐縮したり嬉しがったり、忙しいくせに、それでもチョロチョロ彼らの周りに張り付いて、写真をパチリ。邪魔ったらない!
「さあ、今日のハイライト、これを入れなきゃピアノじゃねぇ~!鍵盤鍵盤!」と、勢いも良く鍵盤の梱包を解く彼ら。
ん???「ちょい待ち!ここ、これ、ほら、ちょっと見て見て!」とわたし。
高音部のハンマーの高さがバラバラ?!なぜに?!
なんと、よくよく見ると、ハンマーが乗っかる部分のフェルトに、ハンマーの軸の部分が埋もれているではあ~りませんか!
なので、鍵盤を押しても全く下がらないどころか、指で埋まっているのを取ろうとするとハンマーがポロリ?!げっ!!取れちゃった?!
ということで、鍵盤だけ病院に入り、急きょ治療を受けることになりました。
この運搬会社はとてもケアがしっかりしていて、明日か明後日にはすっかり直してもらった鍵盤が届くのだそうです。
「ホッ……」←これがどれぐらい深く大きい「ホッ」なのか、それはここアメリカにある程度の期間住んで、痛い目に遭わされた者にしかわからないかもしれません。
とにかく、今日のお約束の写真、二台並んだピアノです。
鍵盤無いですけど……。
さすがに部屋がいっきに狭くなってしまいました。また模様替えを考えないといけません。
これを書いているわたしの背中に、ピアノがかなり迫ってきています。練習練習!とつぶやかれているようでちょっと焦ります。ハハハ。