ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

びりびりビリー!

2009年11月20日 | 音楽とわたし
チム・チム・チェリーちゃいます。びりびりビリー・キルソンです!



今夜は、クリス・ボッティバンドのメンバーとして、モントクレアにやって来てくれました。行くっきゃありまへんがな~!
って……ビリーの美人奥さん、もとかちゃんから、チケットを3席もいただいちゃって、ド厚かましい一家なのでありました。

ということで、バンドマスターのハンサム兄ちゃん、クリスはまあ正直どうでもよくて、ひたすらビリーに集中した旦那とKとわたし。
一時ドラマーを目指していたKには、いつか絶対に彼のドラムを生で聞かせたいと思てたので、それが叶ってめちゃ嬉しい旦那。




クリスははじめ、スティングのバンドでトランペットを吹いていたのやけど、そっから独立した6年前、さあどないしょうという時に、このビリーのドラムを聞いてひと目(耳?)惚れ。どんなことしてでも彼をドラマーとして迎えたいと思たのだそうです。
スティングを羨ましがらせようと、ビリーを連れてって演奏したら、地団駄踏んで悔しがったそうな。

トニー・ウィリアムスを尊敬してやまないビリー。聞いている者の血を沸かせ肉を踊らせるパワフルでスリリングなドラミング。
そうかと思うととても繊細で哀し気な、まるでメロディを奏でているような音を聞かせてくれます。

Kは、わたしの横で、最初から最後まで、背筋をぴ~んと伸ばして聞いてました。
時々、彼にしか分からん感動があったのか、ひとり控え目にパタパタ拍手してたりしました。
終わってからロビーで待って、ちっちゃなお土産を渡して、ビリーともとかちゃんの愛娘あきらちゃんと愛息エヴェンくんとも会えて、
さあ帰ろうぞ、というときになって突如、「ポスター買う!」と言い出したK。
ビリーはササッと先手を打って、ポスターを売り場から1枚抜いて、「ほい」とKに渡してくれました。
呆然と立ちすくむK。「あ、ありがとう」とモゴモゴしてるかと思たら、「あの、サインしてください」……ってオイッ!
なんとまあ、主要メンバーの皆さんにサインしてもらってにこにこ顔の、要領の良い次男丸出しのKなのでありました。

このバンド、ピアノをビリー・チャイルド(今キレにキレてるお方です)、ギターにマイク・ウィットフィールドという、蒼々たる演奏者。
彼らのソロを聞いている時のクリスはいつも、ほんま、オラァ~幸せもんだべ~っていう顔しています。

来週の火曜日に、アリゾナ州からやって来たヴォーカルとギターの人達に、ちょっとしたコネでドラムをやらないかと誘われているK。
今夜のショーの中でクリスが、「ボクは大学中退、しかも4年生の真ん中で。でも、あの時、トランペットでジャズをやりたいっていう情熱を大事にしたこと、そして大事にさせてくれた両親に感謝してる」なんてことを言うたのを、Kもしっかり聞いてるはず……。

「ドラムでなんか聞きたいことあったらいつでもおいで。ツアーで留守だらけで、チャンスは少ないけど」
なんてな嬉しいことをビリーから言われて、あらあら、Kの髪の毛、鬼太郎みたいに逆立ってまっせ~!

あのぉ、青年よ、ほらまあ世の中にはいろんな生き方があるんやけどな、とりあえず君、ちゃんと勉強して卒業ってのを第一に……あらら?
全然聞いてないし……ニコニコ手を振りながら去っていったのでありました。


またまためんどっちぃですが、動画を貼る知恵が無いので、申し訳ありませんが、これ→ http://www.youtube.com/watch?v=cdIfHeW-ixQ をコピーしてペーストして検索してみてください。
インディアン・サマーを演奏するビリーのドラムが聞けます。ぜひぜひ!

コメント (8)
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なくなって初めて見えたもの

2009年11月20日 | ひとりごと
それは青い空。



庭続きのおうち。



所在無気なハンモック。



そして、遠く向こうを走る電車。



写真右奥の家の屋根の向こうを、一直線に、銀色の鈍い光を放ちながら、電車が走って行きました。

旦那に鍼治療をしてもらっている部屋の窓から見える、わずかに残った葉っぱが、雨上がりの爽やかな風に揺れていました。




子供の頃に読んだ『最後の一葉』という小説を思い出しました。

ワシントン・スクエアの西側にある、芸術家が集まる古びたアパートに暮らす画家のジョンジー(ジョアンナ)と同じく画家のスー。
貧しいながら暖かい生活を送っていた中、ある日ジョンシーは肺炎を患ってしまう。
スーは、医者から「ジョンジーは生きる気力を失っている。このままでは彼女が助かる可能性は十のうち一」と告げられる。
心身ともに疲れ切り、人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見える煉瓦の壁を這う、枯れかけた蔦の葉[1]を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」とスーに言い出すようになる。

彼女たちの階下に住む老画家のベアマンは、口ではいつか傑作を描いてみせると豪語しつつも久しく絵筆を握らず、酒を飲んでは他人を嘲笑う日々を過ごしていた。ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」と罵った。

その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になっていた。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけるが、しかし翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、ジョンジーは生きる気力を取り戻す。

最後に残った葉はベアマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で描いたものだった。
ジョンジーは奇跡的に全快を果たすが、ベアマンは肺炎になり、最後の一葉を描いた二日後に亡くなる。
真相を悟ったスーは物語の締めくくりで、あの最後の一葉こそ、ベアマンがいつか描いてみせると言い続けていた傑作であったのだと評する。


いろんな解釈があるのでしょうけど、わたしはこの小説が好きでした。
秋も深まり、すっかり葉が落ちた木の枝にしがみつくようにして残る葉を見るたびに思い出します。


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