ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

指輪のはなし

2009年11月11日 | ひとりごと
先日、エミリーの結婚式に行った時、めずらしく指輪をはめてった。
若い頃は、周りに比べると自分の手だけがやけに寂しそうで、意地になって指輪をいっぱいつけてた時もあったけど、
ピアノを弾くたびに外さなあかんかったし、そしたら外したまますっかり忘れて置きっ放し、ほんで無くしたりの繰り返し。
そんなんでアホらしなってだんだんつけんようになり、そのうち全く飾り無しの手にも慣れ、つけるのは肌荒れ防止のクリームぐらい。

まあ、持ってる指輪というても、本物っちゅうたら、高校生の時に伯母ちゃんからもろた真珠の指輪と、亡父の6番目の奥さんからもろたオレンジ色の宝石(名前も知らん)がついた指輪と、前の旦那からもろたダイヤモンドの指輪ぐらい。他はみぃんなオモチャに毛が生えたのばっか。

そんなんで、ここぞっていう時につけるのは、結局前の旦那からもろた指輪になって、それが結構気が引けるっちゅうか複雑な気分。
けど、ほんまにそれぐらいしか無いし、この年になってオモチャ丸出しの指輪もなあ……と思て、今回も結局はそれを出してはめてった。

今の旦那が初めて買うてくれたのは、胡麻つぶみたいなちっちゃい真珠がチョンとついた、なかなか面白い指輪やってんけど、
親に連れてってもろた温泉につけたまま浸かってしもて、お湯からええ気持ちで上がった頃にゃ~変色しまくってパー!
それから以降、指輪の話はすっかり消えてたけど、生活に『楽』の字がうっすら見えてきた3年前のクリスマスに、「1万円ぐらいのやったら買うたる」ってんで、いそいそとデパートに行って、安売りコーナーで買うてもろたんが1個。

前の旦那がくれた指輪は、太い金のかまぼこ状の台に窪みがあって、そこに長方形のでっかいダイヤモンドがはまってる。
今の旦那がくれた指輪は、ほっそい金の輪っかに、虫眼鏡で見なわからんぐらいのダイヤモンド(多分)がポチポチついてる。
そのふたつを並べて、いったいどっちをどの手のどの指につけたらええもんか、わたしはしばらく悩む。
今年のはじめに体重をちょいと減らしたら、やっぱり指までちょっと細なってて、前の旦那のは薬指に、今の旦那のは中指にぴったり。
そやからって、前の旦那のを左手の薬指にはめて、今の旦那のを右手の中指にはめたら、なんかちゃうやんって気になる。
迷って悩んで、けど、しょうがないから、左手の中指に今の旦那のを、右手の薬指に前の旦那のをつけた。

式が終わり、披露宴が開かれる会場の駐車場につく直前に、手がかさついてたからクリームをつけた。
「あ、おかん、またあのハンドクリームつけたな~!くっさいやん」とKが文句を言い、旦那も「ほんまや、くさいくさい」と同調する。
うるさいなあ、と聞き流しながら無視して手をすりすり、クリームが浸透していくのが気持ちいい。
駐車場の落ち葉があまりにきれいやったので、それを写真に撮ろうと、急いでカメラを持って車から降りた。
「あ、今、なんか金属っぽいのが落ちた!」とK。
「なにそれ?なんも落ちてへんで」とわたし。
「いや、確かになんか落ちた。オレ見たもん」とK。
わけ分からんこと言うやっちゃな、と思いながら、いそいそと写真を撮ってたら、
「ほれ、これ、やっぱり落ちてたで」と、Kが手のひらをぐいっとわたしの方に差し出した。
あっ!指輪?
しもた!そやった!クリーム塗る時外して、ほんで、膝の上に乗せたんやった……。

Kが見つけてくれたのは今の旦那の方。前の旦那のはどこ?!
慌てふためいてKに、どこで落ちてたか聞くわたしを見て、Kも旦那もびっくり。
Kが指差した所の周りの落ち葉を手で一枚一枚ひっくり返して探すわたしに、「どないしたん?」と聞いてくる。
「あんな、もう一個指輪落ちてるはずやねん。膝に一緒に乗せてたから」
「いや、オレが見たのは一個だけやった。それに、落ちた音も聞こえんかったし」
「ほな、車の中とちゃうか?」
落ち葉を払いのけて探しても、車の中を調べてみても、やっぱり見つからへん。
「どんな指輪やねん?」
「ええと、丸い太めの金で、長方形のでっかいダイヤモンドがはまってる」
「ええぇ~!ダイヤモンド?なんやそれ?」
「あんたのおとうさんからもろたやつ」
「そんなもん無くすなよぉ~」と、いきなり必死になって探し出すK。
おっきなダイヤモンドやからかなあ、それとも実の父親からのやからかなあと、他人事みたいな気分でその姿を見てるわたし。
しばらく3人で探したけど、車を他の場所に移動させて、葉っぱをのけて探したけど、とうとう見つからんかった。
コロコロ転がろうにも、こんだけ葉っぱが落ちとったら転がらんやろに……。

今の旦那の指輪だけが見つかって、前の旦那のがどないしても見つからんかった。きっとこれには意味があるような気がした。
もうとうの昔に切れてたはずの、縒りから外れた細い細い糸の繊維が、いつも服のどこかにくっついてた。
それを見るたんびに、懐かしむというより、そんなことがあったのかどうかも不確かな、すごく昔のことをぼんやりと思ってた。

無くした無くした!とうとう無くした!

きっと落ち葉の神さんが、さっと手ぇ出して持ってかはったんや。

まだまだ探していたそうなKに、「ありがとう、もう充分や」と言って、披露宴の会場に歩いてった。
若いふたりの新しい門出を祝うわたしにも、またひと味違う門出があった日。
 
コメント (6)
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