この、1時間半以上にも及ぶ、アーニー・ガンダーセン氏のインタビューを、文字起こししてくださった方がいらっしゃいます。
小林順一さんとおっしゃる方で、去年の3.11の震災と津波、そして3.12の原発事故以来、1日も欠かさず、
『星の金貨』 というご自分のブログに、記事を書いておられます。
小林さんの記事は、アメリカやドイツで報道された記事の翻訳が主で、わたしは彼に、何度助けていただいたか、数えきれないくらいです。
今回も、自分で文字起こしをしようかと思いましたが、もしかしたら小林さんがしてくださってあるかもしれないと覗いてみたら……、
ありました!
小林さんが、この文字起こしをするにあたり、どれほどの手間と労力を使われたか、それがわかるだけに、心の底から感謝です!
ありがとうございます!
そして、読ませていただいてからは、事故を起こした原発の現場で、毎日必死で作業をされている方々のことを、本当にもっと考えないといけないし、
彼らが日常の環境だけでも、人並み以上に快適に、そして手厚い保護と報酬を保証するよう、
守ってもらっている我々が、もっともっと働きかけていかねばならないと、強く強く思いました。
VIDEO
『会見で使用された資料
http://www.jnpc.or.jp/files/2012/02/709cb5f939f98575ef2ea7df46455afa.pdf
Fairewinds Associates Inc. のホームページ
http://fairewinds.com/
司会:井田由美/日本記者クラブ企画委員(日本テレビ)
通訳:長井鞠子(サイマル・インターナショナル)
【以下、お時間の無い方のために内容を起こしています。ご参考まで】
※今回は日本語のみの起こしとします。ご了承ください。
(司会) 皆様こんにちは。
著者と語るシリーズ、今日は、『福島第一原発、真相と展望』お書きになった、アメリカの原子力技術者でエネルギーアドバイザーの、アーニー・ガンダーセンさんにお越しいただきました。
ガンダーセンさんは、1949年生まれです。
エンジニアとして、全米で、原子炉の設計、建設、運用、そして、廃炉に携わってきました。
福島の原発事故直後の去年3月18日に、CNNに出演し、「メルトダウンは既に起きている」と指摘された方です。
事故の原因や現状、そして、今後の対処法などについて、今日は、専門家の立場からお話しいただきます。
通訳は、サイマルの、長井さんにお願いします。
私は、進行を務めます、日本記者クラブ委員で、日本テレビの井田でございます。
まず、ガンダーセンさんに、通訳を含めて、1時間ほどお話をいただき、その後、皆様からのご質問にお答えいただきます。
それではどうぞよろしくお願いいたします。
(ガンダーセン氏) ありがとうございます。
私は、アーニー・ガンダーセンと申しまして、バーモントに住んでおります。
私は、自分の職業人生の間、完全に同一、とまではいかないかもしれませんが、
福島第一の原子炉と、非常に似ております、『マークI』と呼ばれております原子炉関係の仕事を、ずっとしてまいりました。
皆様方には、本日お運びいただきましたことに、心より御礼申し上げます。
それと同時に、集英社にも、御礼を申し上げたいと思います。
私がこうして、講演をするようなツアーをスポンサーいただきましたし、
それから、福島のこの事故と、今後の展望、ということにつきましての私の意見を、いろいろと説明・発表する機会を与えてくださいまして、感謝しています。
私は、原子力工学に関しまして、学士号と修士号を持っております。
それから私は、資格認可を持っております、原子力発電所でのオペレータをする資格を持っておりまして、
それからまた、原子力安全に関する、特許も保有しております。
原子力産業界における、上級副社長も務めております。
福島第一発電所の1号機と、ほとんど同一であるという、マークIの炉を手がけましたのが、私の最初の仕事でありましたが、
その後マークⅡ、マークⅢもするようになりまして、上級副社長でありましたときには、私の下には、400人ほどの人間が働いておりました。
また、私個人としましても、全部で70か所くらいの原子力発電所に、足を運んでおります。
まず、私の話を始める前に申し上げておきたいのは、今回の事故で、福島第一、それから福島第二発電所におきまして、
まことに勇敢に、事故に対応するために、働かれました男性、女性の皆さん、主に男性だと思いますけれども、
誠に勇敢なお仕事をしてくださった方々に、感謝の気持ちをささげたいと思います。
事故直後からの1週間、2週間、本当に見事な、勇敢な戦いぶりだったと思います。
彼らが、勇敢にも戦ってくれたということが、私個人の意見ですけれども、日本という国を救ったと思いますし、
それだけではなく、世界全体をも救ったと、言えるのではないかと思います。
ですから、我々全員は、彼らに負うところ大であると、彼らに対する感謝の気持ちを、本当に持たなければならないと思っておりますし、
あのように、本当に酷い条件の中で、大変な仕事を成し遂げられた、現場の人々に対しまして、私は個人的に、本当に感謝をしたいと思います。
彼らが、日本を救ったと、思っております。
本当に、勇敢な方々でした。
マークIという、沸騰水原子炉というのは、長い間問題を抱えた、という歴史を持っております。
このことは、よく知られたことでありまして、私が1972年大学を卒業してすぐに、関わった仕事というのは、このマークIの仕事でありましたけれども、
まずNRC(アメリカの原子力規制委員会)が、その時に言っておりましたのは、
「マークIというのは、原子炉として格納が、あまりにも小さい」
ということでありました。
この炉が、出力するパワーに比べて、格納があのように小さいというのは、極めて原子炉の中でも、ユニークなものでありまして、
他の原子炉というのは、このマークIよりは、遥かに格納容器のサイズが大きいものであります。
1972年当時に、このNRCのメモがあります。
皆様方が必要とあらば、それをE-mailでお送りすることもできますけれども、
1972年当時、NRCは、
「このような問題を持った、マークIというのは、ライセンス=許可を与えるべきではなかった。
しかしながら、既に許可は与えてしまっているので、もし、この炉を止めるということになってしまったならば、アメリカの原子力産業全体の、伸びを止めることになってしまう。
だから、それは、あまり好ましいことではない」
という趣旨のことが書かれたメモが、既に、72年当時に出ています。
1976年当時、私は、今度はマークⅢの仕事を始めることになったんですけれども、
このマークⅢというものに関しては、NRCは、テストをすることが必要でありました。
テストをしてみたところ、判ったのは、圧力というのが下がるどころが、上がるということが判ったわけです。
その結果、マークIにしても、ひょっとして事故があった時には、あの原子炉自体が吹っ飛んでしまう、
地上から浮き上がってしまって飛んでしまう、というような、設計上の問題があるだろう、ということが判ったわけであります。
そのようなことに対応するために、NRCは、マークIに関しては、ストラップ=ベルトのようなものを装着しまして、
トーラスと呼ばれております、円形の丸い部分というのが、飛ばないように押さえつけるというような、デザインの変更をしたわけです。
これが、1976年でありまして、初めて、マークIの設計に対して修正が加えられたのは、この時であります。
1979年に、スリーマイル島の事故が起こりました。
あの時には、スリーマイル島の、原子力発電所の格納容器の中で、水素爆発があったのです。
その時まで、水素が発生するなどということは、原子力産業は、全く推定はいたしておりませんでした。
そこで、10年くらい経ちまして、水素のベントをする、という部分が、マークIの設計に付け加えられました。
従いまして、ベントが付け加えられたわけですが、『ベント』という発想は、『格納』という発想の、ある意味で逆であります。
格納というのは、できるだけ放射性物質を格納して、中に閉じ込めておこう、という発想なわけですけれども、
『ベント』というのは、そうではなくて、格納容器から、それを放出してやろうというものであります。
そのために、エスケープバルブという、放出弁のようなものが付け加えられまして、
このマークIの格納では、格納がもし、このような水素が発生したようなときには、ホールドすることはできないということで、
このようなバルブが設けられ、『ベント』というシステムが加えられたのです。
私は、バーモント州に住んでいるといいましたが、毎朝、家内と散歩をするのを、日課にしております。
ある2月、本当に、福島の事故が起こる3週間くらい前のことでしたけれども、いつものように散歩をしておりましたときに、
「これだけ、原子力のコンサルをやっているわけだけれども、こんなに原子炉には問題が有るという中で、実際に次の事故が起こるとしたら、どこだと思う?」
と聞きました。
私はその時、彼女に言ったんです。
「どこで起こるかは私にはわからないけれども、起こるとしたら、マークIの原子炉で起こるだろう」
と言いました。
ということで、
まず、マークIの原子炉に関する最初の問題というのは、設計的に、これは各種ある原子炉の中でも、最も格納機能が弱い原子炉である、ということが、第一の問題 であります。
第二の問題というのは、地震の問題であります。
これは、福島というところに限らず、日本というのは、一般論といたしまして、世界のどの国よりも、最悪の地震に襲われやすい国であります。
この、福島の原子力発電所というのは、1970年から1978年にかけて作られていくわけでありますけれども、
その時にはもちろん、地震ということに関しては、当時持つことができたベストな危険をもって、設計されたのだろうと思いますけれども、
しかしながら、80年代から90年代になるにつれまして、実は、福島の第一発電所が設計されていた時に想定されているよりも、
もっと強い津波・地震が、あの地域に、或いは、日本全体には起こりうる、という地震学上の知見が増えてまいりました。
ですから、
二つ目の問題というのは、ここは少なくとも、過去20年くらいの間に、十分な情報がだいたい上がってきまして、
第一・第二発電所というのは、当初設計されていたものに対して、より大きな地震・津波が来るかもしれないということがわかってきたわけでありますので、
設計には手直し・修正がなされるべきであったのに、それがなされなかった、という問題 であります。
三つ目、このパズルの中の、三つ目のピースというのは、この、規制当局と東電の間の関係が、密接過ぎたということであります。
これに関しては、日本の皆様に、いろいろ申し上げる必要はないかと思います。
今申し上げましたとおり、三つのピースがあいまって、3.11になった、ということであります。
すなわち、第一は、マークIというものがもつデザイン上の問題、
それから二つ目は、地震に関する情報があったにも関わらず、その知見が利用されなかった、或いは無視された。
三つ目は、規制当局と東電との間の関係が、密接過ぎたということ であります。
<19:30頃>
しかしながら、この問題というのは、なにも日本だけに限った問題ではありません。
この問題、すなわち、規制当局と事業者が、あまりにも近い関係を持っているということは、アメリカでも、またヨーロッパでも、私は散見してまいりました。
ただ、一番懸念しておりますのは、途上国というのは、これから原子力をやっていこう、という緒に就いているわけでありますけれども、
そういう時に、規制当局と、原子力発電所を所有している事業者との間の関係が、あまりにもぬくぬくとした近い関係になりすぎるのではないか、という懸念であります。
私はこれを 『やまびこ効果』と呼んでおります。
ご存じのように、残響質といいますか、エコーチェンバーというところに人々を入れ、
そこでみんなの意見が一致しますと、みんなが同じ意見しか持ってないということになりますと、同じことしか言いませんので、
そこでは、やまびこのように、どんどん声が大きくなっているというような現象があります。
この問題というのはなにも、日本の問題というのは、アメリカよりは大きいだろうと思いますけれども、しかし、日本だけの問題ではありません。
これは、エコーのように、みんなが同じ意見を持つということによって増幅され、そして、原子力に関する神話が、どんどん広がっていったのであります。
私は、今回の事故を振り返りますと、世界の原子力界が、これからまた、新たに原発を作っていこうということを決める前には、
もうちょっと理解しなければいけないことがある、と考えます。
まず最初、なかなか理解できない、そして定量化できない問題でありますけれども、デザインベースが的確であったか、という問題であります。
どういうことかと申しますと、
エンジニアとか科学者というのは、設計をするときには、当該発電所が、最も高いところで耐えうるレベルのイベントはこれであろうと、
そのイベントに対して、この設計は大丈夫であろうということで、同意して定める わけです。
私が仕事しております、
原子力の世界におきましては、一旦事故が起これば、その事故というのは、ものすごく重大な事故になるわけですけれども、
しかし、その事故が起こる蓋然性、或いは確率というのは、とても低いわけであります。
普通の日常生活をやっておりますと、100年に1回ということを言われても、なかなか理解はできない わけでありますが、
それでも、閾値としては、十分ではないと言われますと、例えば、2万分の1と2万年に1回、というようなことを言われますと、それはなかなか、理解をしがたいわけであります。
福島のような事故が、世界のどこかで起こらない、ということを担保するためには、そのような数字での確立を、考えなければいけないというのは、なかなか定量化、理解するのは難しいことです。
次の問題は、地震に関わる問題であります。
どうやら、
福島第一の2号機と3号機というのは、地震には耐えたらしいと、ただし津波によってやられてしまった、ということは言えそうでありますけれども、
1号機に関しましては、本当に地震に耐えたのかということは、明らかではありません。
ですから、今後、数年間かけまして、1号機は、本当に地震に耐えたのかどうか、ということに関する教訓は、学んでいかなければなりません。
東電、それから原子力規制委員会というのは、外部電源喪失というところに、注目をしているようであります。
確かに、津波が襲ったということで、1号機から4号機、それから5号機に関するディーゼル発電機というのは、全く機能を喪失してしまった、ということがありました。
6号機に関しましては、1機だけ、ディーゼル発電機は生き延びたようであります。
さて、このディーゼル発電機というのは、地下に置かれておりました。
これは、非常に重量が重いものでありますので、日本のように、地震多発国においては、重いものは上の方に置きたくない、ということはあるでしょう。
ですから、1970年当時には、論理的な帰結として、ディーゼルのような非常に重いものは、地下に装着するという判断がありました。
しかし、結局は、あそこにそういうことが判っていなかったために、間違ったところに置かれてしまった、ということだろうと思います。
しかしながら、20年くらい前に、このように大きな津波が襲うかもしれない、という情報・知識が有り得たとすれば、
高いところにディーゼル発電機を置く、ということは、有り得た と思います。
そして、
高いところに置いたからといって、発電所の機能・性能に、なんら影響を及ぼすということは無かったでありましょう。
ただし、
それをするためには、米ドルで、1億ドルのお金がかかった 、ということなのです。
あと、次の問題ですけれども、福島でどうなったか、ということについて、やっと今、わかりつつあったということですけれども、
これは、外部電源の喪失ということではなくて、究極的な冷却機能の喪失、究極的な冷却能力がどうであったか、という問題であります。
あの、福島の事故の直後の、写真を見ていただくと判りますけれども、あの福島の現場では、冷却用のポンプというのが、設置されています。
それが、海沿いに置かれています。
このポンプの役割というのは、炉を冷却するということが役目であります。
ディーゼルが、そのような指令を得て、そしてその冷却水を、炉の中に運ぶことを、動力としてやるわけですが、
しかしながら、ポンプそのものが機能しなかったということが、あの事故の時に起こってしまいました。
しかし、ディーゼルの電源があれば良かったではないか、と言われるかもしれませんが、
もし、ディーゼルの電源が生きていたとしても、私は、メルトダウンというのは、避けられなかったと思っております。
なぜならば、海沿いに置かれていたポンプが、結局は、津波によって冠水してしまって、機能を果たさなかったからであります。http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/
事故が起こって、4週間くらい経ったときに、日本人の退職なさったポンプエンジニアの方から、連絡をいただきました。
この方は、
「福島第二の、ポンプを見てみろ」
と言いました。
「第一ではダメだったんだけれども、第二はちゃんと、ポンプは機能を果たしている。それはなぜかというと、設計が違うからだ」
というふうに、彼は言っていました。
ですから、
第二の場合には、ちゃんと教訓を学んで、その違う設計で、ポンプを置いたにも関わらず、
そこで獲得された知見というのは、第一に活かされることは、無かった わけです。
二つ目の問題、これはなかなか手ごわい、対応するのが難しい問題でありますけれども、
冷却を目的としたポンプを、どうやって防護するか、という問題です。
これは、海沿いに置かれているわけですけれども、ディーゼルだったら、別にほかのところに置いてもいい、ということはあるかもしれませんけれども、
ポンプというのは、冷却水を吸い上げるためのポンプであり、冷却水というのは、海にあるわけですから、
海沿いのところから、うんと遠いところに動かす、ということは出来ないわけであります。
ですから、今後の対策として、より難しい問題として、考えなければならないのは、この
海沿いに置かれているポンプを、どのように防護するか、という問題 です。
次は、
バッテリーが充分ではなかった、という問題 であります。
バッテリーというのは何も、原子力発電所の、例えばディーゼル電源のような、巨大な動力を動かすのに使われるためのものではありません。せいぜい小さなバルブを動かしたりするための数時間もてばいいというためのものであります。
ですから、そのうちディーゼル発電が復旧すれば、それまでの間持てばいい、というのがバッテリーであります。
ですから、
今回の事故におきましても、バッテリーの存在というのは、全く不適切でありました。
これは、世界的にも言えることでありますので、世界的に、これから、バッテリーの量を増やしていかなければいけないということもありますし、
それと同時に、「4時間持てばいい」ではなくて、「最長2日間くらい持つ」くらいの発想の、バッテリーの準備が必要 だと思います。
<34:30頃>
福島では、1号機と3号機の間で、二つの爆発が違っております。
エンジニア的観点からいいますと、1号機と、3号機の爆発は、違います。
この話は、格納が不適切である、という話なんですけれども、爆発が違う、ということで、
1号機の場合には、ショックウェーブ=衝撃波は、音速よりも少ないところで伝わってきております。
これを、エンジニア的言葉で言いますと、"Defragration"と呼びます。
このようなDefragrationというのは、 当然損傷と伴うようなものでありまして、1号機も、それなりの損害を受けております。
しかしながら、3号機の爆発は、これは、全く違った種類の爆発です。
私はこの、3号機の爆発の場合の、衝撃波を測定してみました。
まず、建物をスケーリングして、それから、その建物が実際に動いたか、ということから測定をしたわけですけれども、
3号機の場合には、音速よりも早い速度で、衝撃波が走っております。
エンジニア的言葉で言いますと、音速よりも早いスピードで、衝撃波が走ることを、"起爆(Detonation)"と言います。
そして,音速よりも遅い速度で,衝撃波が走った時を、こうやって"Defragration"と言いま す。
例えば,どういう違いがあるかと言いますと、
もし"Defragration"だった場合、この部屋でそれが起こったとすると、窓は吹っ飛ぶでしょうし、この部屋にいる私たちは、皆怪我をするでしょう。
しかしながら、"起爆(Detonation)"ということになりますと、この部屋全体が、構造的に破壊されてしまう、という種類の爆発です。
従いまして、
原子力産業界では、3号機の爆発というのはどういうものであったかということを、よりよく理解しなければなりません。
これは、スリーマイル島とも違います。
それから、1号機とも違います。
それは、それぞれ"Defragration"的な爆発だったんですが、
3号機の場合には、
格納そのものを、構造的に破壊してしまうような種類の爆発であった、ということですので、
このことをよく、原子力産業界は理解し、把握しなければなりません。
最後に書いてあります、ベントにつきましては、もう既に申しましたので、これは言いません。
<38:20頃>
次にお話したいのは、避難です。
事故が起こりまして2日目には、この事故というのはレベル7の、7段階目の事故であるということは、これは明白でありました。
これは、チェルノブイリの事故に相当する、7段階のものであることは、判っていました。
私は、3月15日に、CNNに出た時に、
「これは、もう既に、レベル7の事故だ」
ということを申していましたが、その同じころに、アメリカのエネルギー省のチュー長官は、
「いや、あれは、レベル5である」
という発言をしていました。
この、
5と7の違いは、非常に大事でありまして、
緊急時避難計画にも、重大な意味で影響してきますし、
どれくらい早く、個々人が避難しなければいけないか、ということにも影響してくるし、
また、原発から、どれくらい離れた距離まで、避難しなければいけないか、ということにも関係してくるので、
この違いは非常に大きなもの です。
私は、スリーマイル島の事故の時に、まさにそれに携わっていた専門家として、
福島の事故においても、あのTMIのときに、我々が犯した同じアメリカのミスが、福島においても繰り返されたなと思いました。
スリーマイルの時にも、福島の時にも、現場で実際に原発を動かしていた人たちは、
あの事故が、如何に重大なものであったか、という事故の重大性につきましては、非常によく認識していました。
ところが、スリーマイル島の時にも、福島におきましても、事故自体は、30年という年限の差はありますけど、
結局その、重大だと気が付いた現場が、本部に連絡をした時には、
アメリカの場合には、ジェネラルパブリックユーティリティというところでしたし、福島の場合は、東電ですけれども、
現場から、実際の本部にコンタクトが行われたときに、全体のプロセスのスピードが、落ち始めました。
スリーマイルの事故時は、本社側というのは、どうしても会社の資産を守りたい、という発想になってしまいます。
そして現場は、「これは避難をさせなければいけない」ということを望んでいたにも関わらず、
本社側からは、「避難をする、ということはさせないように」という、指令を出しています。
私は、福島でも、全く同じことだったと思っております。
現場のマネージメント、原発を担当していた人たちは、 初日から最初の1週間、如何に、この事故が酷いものであるかを、認識しておりました。
ところが、その情報が、命令系統の上に行けばいくほど、動機付けはどういうところにあったかわかりませんけれども、
情報が上に行けばいくほど、『早く行動する』ということが、できなくなってしまいました。
この二つの事故の間で、機械的な意味での安全性というのは、改善するための努力が相当なされた、ということは言えるだろうと思いますけれども、
しかしながら、
体質的な問題といいましょうか、制度的な問題といいましょうか、
本社の人たち、本社の役員たち、或いは本社機能というのは、どうしてもその部分で、早く行動するという教訓は、学んでいないように思われます。
<44:30頃>
このように、現場と東電本社との、内部的な問題ということに付け加えて、今度は、東電と日本国政府の間の問題、というのもありました。
この地球の中で、緊急時対応ということに関して、誰が一番、備えが出来ているかといえば、日本人以外に無いでしょう。
なぜならば、日本は地震国でありますので、緊急事態が起こった時には対応しなければいけない、という必要性については、誰よりも理解している国民であります。
しかしながら、そのような日本で、このような問題が起こったということは、
世界の他の国も、このようなことが起こった時には、あまり芳しくないような対応しかできないのではないか、ということが想像されます。
私は、
事故が起こってから1週間以内に、CNNに出たんですけれども、その時には、私はこう言っております。
「少なくとも女性と子供たちは、少なくとも50㎞圏外まで、避難をするべきである」 と。
ですから、このスライドの、1行目に書いてあります所、すなわち、あの事故はレベル7であった、ということを認識する、ということと、
だったら、女性や子供たちは、早めに避難させなければならない、という間には、非常に深い関係があるわけです。
ですから、政府も東電本社も、あれが如何に、重大な事故であったかということが、理解できていたかどうかということと、
不適切な、少なくとも、女性や子供たちを、早めに避難させることができなかった、ということとは、繋がっているわけです。
CNNで、私が発言した発言録というのは、全て、フェアウィンズのHPに載っておりますので、
私はデタラメを言っているのではなくて、ちゃんと、こういうことを言ってるんだということは、確かめていただけます。
<47:30頃>
次に、長期的な問題を考えなければならないのは、現場の廃炉、それから、日本全体の除染というか、クリーンアップをどうするか、ということです。
廃炉に関して、アメリカで、初めてハンドブックが出た時に、一つの章を、私は書いております。
一つの章の著者でありますので、廃炉ということに関しては、ある程度の知見を有している人間だ、と自負しております。
これまでの解体作業、或いは廃炉作業として、福島に一番近く似ているものがあるかといえば、それはスリーマイル島しかありません。
スリーマイル島の事故に関しては、アメリカは、20億ドルを使っていますが、
これは、ただ単に、炉の中から燃料を取り出す、ということだけのために、20億ドルが使われています。
建物は、まだ解体もされておりませんで、まだそこにあります。
ほかのユニットが停止になるまで、建物の解体はまだだろう、と思いますけれども、
メルトダウンした原子炉の中から、燃料を取り出すというだけで、20億ドルかかっております。
スリーマイル島の場合には、溶けた燃料棒が、炉の底部のところに重なっているとか、横たわっている状態になっているわけですが、
福島の場合には、メルトダウンしたものが、実際の炉の底部から、外に流れ出してしまっている、格納容器の方にまで、流れ出しているという問題がありまして、
これによって、廃炉の問題というのは、TMIに比べて10倍複雑になっています。
スリーマイルと福島の場合、二つのケースでは、違うことがあります。
一つは、スリーマイルの場合には、まだ運転を始めてから、3ヵ月しか経っておりませんでしたので、
そこで蓄積された排熱というのは、そんなに高い熱ではありませんでした。
もう一つは、炉のシステムの違いであります。
福島の場合は、沸騰水型ですが、スリーマイルの場合は、加圧水型の炉でした。
沸騰水型炉の場合には、だいたい70くらいの開口部、穴が開いております。
その原子炉の底に至るまでに、全体、で70の穴が開いております。
ところが、加圧水型炉の場合には、開口部というのは、その炉の上部、上の方にしか空いておりません。
ですから、福島の場合は、溶けた燃料というのは、炉から出ていきまして、格納容器の方にまで移動する、ということが、ごく容易く行われる状況にありました。
穴がなにしろ、たくさんあいていますので。
今では、この溶けた燃料というのは、原子炉を出ていってしまって、今、床のフロアに溜まっている状態でありますので、
一体、炉から出てしまった燃料を取り出す、などということが行えるサイエンスは、この世に全く存在していないわけです。
ですから、今から20年くらい掛けまして、例えば、ロボット工学を発展させて、
床に落ちてしまった溶けた燃料を撤去する、運び出すというような、新しい学問が開発されて行かなければ、
そういう学問が出来ない限り、燃料を取り出すことすら、考えることもできないわけです。
福島第一原子力発電所の、現場のクリーンアップをするというだけで、600億ドルの経費が掛かるだろう と、私は予想しています。
それから、それ以外に、
トータルでクリーンアップをするためには、2500億ドルかかるであろう 、という数字も出ております。
福島県だけで大体、1900億ドルということが言われておりますし、先ほど言いました、600億ドルということを足しますと、
大体、1兆ドルの4分の1くらいの経費が、トータルのクリーンアップに必要だ、ということが予想されます。
<55:00頃>
次の点に書いてありますのは、
福島の事故があったことの影響、結果として、追加的に、
向こう20年間の間に、100万人の癌の発症があるであろう 、ということがあります。
私の、20年間で100万件のガン発症というのは、原子力産業界でよく言われてます数字よりは、高いということは承知しています。
しかし、私のこのような意見というのは、スリーマイルでの治験に、立脚した上での数字であります。
ノースカロライナ大学の、スティーブ・ウィングという先生がおられるんですけれども、
この人は、スリーマイル島の後どうなったかという、広範囲にわたる、疫学的な研究をされました。
このウィング先生が、スリーマイルの後で、どれだけのガンの発症があったか、という分析をなさった。
それと同じ手法、同じ考えで延長して、福島に当てはめますと、20年間で100万のガンの発症、という数字に私は到達しました。
原子力規制委員会は「スリーマイル島の事故の結果、誰も死んでいない」ということを言っていますけれども、
今、いろいろな分析が始まっておりまして、それによりますと、肺がんに関しては、発症が10%増えた、
またほかのガンについても、同じようなことが言われる、という分析が示されています。
こういった『Study』というのは、まさにスリーマイル島が起こってから、30年くらい経って、やっと分析結果が出てくるようになった のです。
次に書いてあることでありますが、
放射能、或いは放射線というものを、
いろんなものと混ぜて薄めていく、というような方向というのは、私は、日本にとって、適切な方法ではない と
思います。
例えば、東京の学校の例なんですけれども、ビニールで何かを覆った所に、非常に高い線量が検知され、たということがありました。
その処理を、どうしたかといいますと、
ビニールシートの1㎏あたり1000kgに相当する、すなわち1対1000という割合で、クリーンなものをそこに混ぜ、その割合で焼却した、ということであります。
このような形で、放射線量の濃度を下げて、これを埋め立ての材料に使うことにできるようにする、そういう処理の仕方がなされました。
私は、このようなやり方というのは、間違っていると思います。
これまで歴史的に、廃棄物をどういうふうに処理したかというと、大体が穴に埋める、ということをしてるわけですが、
その穴からは、漏出する、ということがあったりいたします。
ですから、非常に高濃度の放射線を含んだものをまとめて、量は少ない形にして、発電所の非常に近いところに貯蔵する、ということの代わりに、
低濃度のものを、大体日本のいろんなところに、薄くそれをばら撒いていく、
濃度が低いということで、発電所のところの集中させるのではなく、いろんなところに貯蔵するというか、そこで処理しようとされています。
この戦略が取られる理由というのは、このように、
何かと混ぜて低くして貯蔵する、というのは、金額がまず安く済む、ということがある でしょう。
しかしながら、
その時忘れてならないのは、そのようなピットというのは、いずれ漏れ出す、ということであります。
放射能というのは、300年くらいは続く、ということを忘れてはいけません。
ですから、そういったものを埋めた穴からは、今年は何も漏れ出さないでしょうけれども、
未来、どこかの時点では、漏れ出すという可能性は、必ずあるわけでありまして、
その時には、安く済んだということよりは、遥かに大きなコストが、必要になってくるでしょう。
この問題を解決するためには、日本国政府がまず、事故、或いはこの状態が、如何に重大なものであるかということを理解し、それを認める、ということであります。
私の意見では、今の日本の政府というのは、東電を守る、ということが第一でありまして、国民を守る、ということが第二になっているように思われます。
もちろん、原発が無ければ、電気が作れないということではない、代替的な方法があるわけです。
私は、日本は、まさにそういう分岐点というか、今どちらに行くかということが、決められなければならない状況に差し掛かっていると思います。
そして、日本だけではなくて、世界全体にとって、新しい電力というのは、どうやって作るかということを探し出す、一つのチャンスでもあると思います。
分散型ではなくて、集中型で発電をするということは、これは、絶対的に、20世紀には必要な発電の方法でありました。
このように、集中型の発電所を立てるというのは、ちょうど、第一次世界大戦の時に、フランスが、マジノラインにこだわったということに、似ている気がします。
あの、マジノ線という線さえ守れば大丈夫だ、と思っていて、フランスは、技術が目覚ましく変わったということに気が付かなかった、ということを思い起こさせます。
そういう技術持ってるのは、まさに日本企業だと思います。
日本企業は、こういった再生可能エネルギーの最前線で、活動されていると思います。
再生可能エネルギーの分野では、三菱なんかも、すばらしい技術を持っていると思います。
発電の技術というのではなくて、発電された電気を、どういうふうに動かすか、ということにつきましても、
トヨタとか三菱とか、それぞれに、素晴らしい技術をお持ちであります。
ですから、日本が、それを選択しさえすれば、そして、違う道を歩もう、ということを決断さえすれば、
そこには、非常に大きなチャンスが生まれてくる 、と思います。
その時の発電というのは、一つ大きな発電を作って、そこから送電・配電をするというのではなくて、
例えば、コンピュータを使ったり、スマートグリッドを使ったりして、分散型の発電方式にもっていく、ということが考えられます。
私はなにも、このような新しい道を辿ることが、簡単だとか、優しい道だと言っているわけではありません。
そして、日本だけが、それをやらなければならないことだ、とも思っていませんけれども、
しかしながらこれから、原発を含めて、新しい発電所を立てる、ということをお選びになる、
しかも、こんなに、地震活動が活発な国で、それを選択するということよりは、
私は、
チャンスとして、新しい技術で世界を引っ張っていくということが、日本にはできると思っております。
世界を追いかける、古い技術で追いかけるのではなくて、新しい技術で、日本は引っ張ることができる、そういうチャンスが、日本には巡っています。
ここに映っておりますのは、私の資格、私はこういう人間である、ということを書いたスクリーンでありますけれども、
私の冒頭発言は、これをもって終了いたします。
皆さん方の質問をお受けします。
<01:07:00頃>
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