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ジャン=クロード・ブリアリの死

2007-06-01 15:21:16 | ノンジャンル
 今日のスポーツニッポンにジャン=クロード・ブリアリの死亡記事が載っていました。転載すると、
 「31日付のフランス各紙によると、30日、パリの自宅で死去。死因は不明。長く闘病生活を送っていた。
 1933年、アルジェリア北部オマール生まれ。フランス東部ストラスブールで演劇を勉強。50年代半ばにパリに移り、ルイ・マルやフランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダールらヌーヴェルヴァーグの監督の作品に相次ぎ出演。70年代以降、「小さな約束」(72年)など監督としても活躍。出演作は「死刑台へのエレベーター」('57)、「大人は判ってくれない」('59)、「女は女である」('61)、「クレールの膝」('70)など。」とのことです。
 ヌーヴェルヴァーグとは、それまでのスタジオシステムで撮られていた映画に飽き足らず、戦後に流入してきたアメリカの主にB級映画の洗礼を受けたフランスの若者たちが、1950年代から街頭にカメラを持ち出し、映画を撮り始めたことをさし、その運動の中から、ゴダールやトリュフォーやシャブロルやロメールやリベットら、後のフランス映画を支える監督が輩出しました。
 ブリアリはゴダールやトリュフォーがまだ映画批評で生活の糧を得ていた時から彼らの自主映画に出演していた、ヌーヴェルヴァーグの「同志」であり、ヌーヴェルヴァーグが世間に送った最初の「スター」でした。
 私が特に印象に残っている彼の出演作品は、ゴダールの「女は女である」でのアンナ・カリーナとジャン=ポール・ベルモンドとの掛け合い、シャブロルの「いとこ同志」で朴訥なジェラール・ブランを誘惑する堕落したブルジョワ青年、ロメールの「クレールの膝」で美しい娘クレールの膝をいやらしげに触るヒゲの中年男、などでしょうか。時間があれば、もっともっと思い出せると思います。
 当時のブリアリを含むヌーヴェルヴァーグの友情集団ぶりは、山田宏一氏の著作「友よ映画よ〈わがヌーヴェル・ヴァーグ誌〉」に詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひお読みください。
 そして最後に、ジャン=クロード・ブリアリさん、いい思い出をたくさん、どうもありがとう。