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川上未映子『夏物語』その17

2020-05-15 05:48:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 八月の最後の日の東京の天気は曇りで、むらのある厚い雲が一面に広がっていたけれど、いくつかの割れめからは真っ青な青空が覗き、そこから光が降り注いでいた。(中略)時計を見ると十一時二十分だった。(中略)三人で会うまえに巻子に会って、このあいだのことをちゃんと謝って仲直りをしておこうと考えていたのだった。(中略)
 でも、新大阪駅から大阪駅に移動して、そこからまた乗り換えて笑橋の駅に着くころには、そんな明るいような気持ちはすっかり鳴りを潜めてしまっていた。(中略)わたしが生きていられるたったひとつの理由だったコミばあのいる家は、三十分足らずで届く場所にあったのだ。

 港町の駅についてホームに出ると潮のにおいがして、わたしは大きく息を吸った。(中略)母と巻子と三人で真夜中のタクシーに乗って逃げだした夜から、三十年以上がたっていた。(中略)
 わたしは顔をあげたまま、しばらくビルを見つめた。(中略)
 そのとき、とつぜん音楽が鳴り響いた。(中略)電話だった。(中略)電話は━━逢沢さんからだった。(中略)
「でも、どうしても会って、話をしたいと」逢沢さんは言った。「そう思って━━電話をしました」(中略)
「わたしね、いま、昔の家にいるんです」(中略)
「もし大阪まで会いにいければ、そして電話に出てくれれば、十分でも二十分でも、もしかしたら会ってくれるかもしれないと思って」(中略)「逢沢さん、大阪にいるんですか」
「三十分だけ━━」逢沢さんが言った。「時間をもらうことはできませんか」

(中略)

17 忘れるよりも
(中略)
 逢沢さんは五十分後に駅にやってきた。(中略)「なんか、すごいシュールやなと思って。現実味がないというか、ここで逢沢さんと歩いてるのを思うと、なんかすごい不思議で」
「そうですよね」逢沢さんはすまなそうに肯いた。「本当にすみません。夏目さんのご都合もあるのに」(中略)
「見てみたい」逢沢さんは言った。「夏目さんが通っていた学校」(中略)角を曲がると水族館が現れた。(中略)
「善さんの、ことなんですが、あるいはこれは、夏目さんからすれば意味のないことなのかもしれないんですが」(中略)「善さんと、別れたんです」(中略)
「父が生きているあいだに本当のことを知って、そのうえで、それでも僕は父に、僕の父はあなたなんだと━━僕は父に、そう言いたかったんです」(中略)もし、いまも夏目さんが子どものことを考えているなら、僕の子どもを産んでもらえないだろうか。(中略)

(中略)
「二十一歳かあ、信じられへんわ」そう言いながら巻子は目を細め、緑子の顔を覗きこんだ。「あんた、こんなに大きなって」
「若いよな」わたしも笑って言った。「いっぱい、楽しんでな」
「まかしといて」と緑子もにっこり笑った。(中略)
 わたしたちは店を出ると、バスに乗って巻子と緑子が暮らすアパートに帰った。(中略)
「巻ちゃん」
「うん?」(中略)
「巻ちゃん、ごめんやったで」(中略)
「わたしこそ、ごめんやで」と巻子も謝った。(中略)

 九月の半ばに、善百合子にメールを出した。(中略)善百合子からは四日後に返信が来た。わたしたちは翌週の土曜日の午後二時に、三軒茶屋の商店街の奥のほうにある小さな喫茶店で待ちあわせることになった。(中略)
「本当に身勝手な、ひどいことをしようとしているのかもしれないと」
(中略)
「でも、わたしがそう思ったのは」わたしは言った。「それを話してくれたのが、善さんだったからだと思います」(中略)
「わたしがしようとしていることは、とりかえしのつかないことなのかもしれません。(中略)でも、わたしは」(中略)
「忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います」(中略)
 逢沢と、子どもをつくるのね、としばらくして善百合子が小さな声で言った。わたしは肯いた。(中略)
「あなたの書いた小説を読んだ」
 しばらくして善百合子が言った。
「人がたくさん死ぬのね」
「はい」
「それでもずっと生きていて」
「はい」
「生きているのか死んでいるのかわからないくらい、でも生きていて」
「はい」
「どうしてあなたが泣くの」(中略)
「おかしなことだね」
「うん」
「おかしなことだね」

(また明日へ続きます…

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