「検察庁法案 今国会断念」のニュースが今朝、大々的に報じられました。世論が安倍首相のやろうとしたことをストップさせた、喝采を叫んでいいニュースでしたが、安倍首相は今国会で諦めたということで、次回の国会ではまた法案を出してくるようです。廃案にするまで、私たちの闘いは続きます!!
さて、2014年に刊行された、金子勝さんと武本俊彦さんの共著『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』を読みました。
まず「はじめに」と題された文章を全文転載させていただくと、
「常識」を考え直す
食や農業に関する「常識」をくつがえしたい、と筆者は考えています。
中でも、根本的な問いは次のようなものです。日本でも、農業が生き残るには農業だけをやる農業者の経営規模をできるだけ大きくすればいい、それが農業の国際競争力を高める道であるという「常識」がまかり通っています。果たしてそれは正しいのでしょうか。
政府もジャーナリスムも一部の学者も、この「常識」を疑うことなしに、農業政策を進めています。しかし、それで日本の農業は本当に生き残れるのでしょうか。大規模・専業化以外に、農業・農家が成り立つ道はないのでしょうか。
これは担い手の高齢化が進む農業・農家にとっても、安全な農作物を安心して食べたいと思っている消費者にとっても、一番重要な問いかけです。もしも、今、正しいものとして推し進められている政策を続けると、かえって日本の農業が滅びてしまうとしたら、どうでしょうか。私たちは、とんでもない間違いをしていることになります。立ち止まって考えてみなければなりません。
「百姓」の意味
まず、日本の歴史的・地理的特徴から見てみましょう。日本の国土は森林が約七割を占め、残りの平地の人口密度が高いという特徴を持っています。そして稲作中心のモンスーンアジアの農業です。そこに欧米をモデルとした大規模・専業化が成り立つでしょうか。
ここで手がかりになるのが、昔からある「百姓」という言葉です。
百姓と聞いて、読者の皆さんはどういう人を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人は、「お百姓さん」とは、「農家」「農業者」「農民」と表現はいろいろとあるでしょうが、農業という仕事に従事する人をイメージするでしょう。しかし、「百姓」という言葉には、もともと農業に関係する人という意味は含まれていませんでした。
たとえば、広辞苑(第六版・岩波書店)を見ると、「百姓」は、「ひゃくしょう」あるいは「ヒャクセイ」と読まれ、第一の意味は「一般の人民。公民」とされ、二番目に「農民」がきます。そして三番目には「いなか者をののしって言う語」となっています。
「百姓」とは、本来たくさんの姓を持った一般の人民を指すものであり、古代の日本では「おおみたから」と呼ばれていました。また、現在の中国や韓国では、「百姓」という言葉は「普通の人々」の意味に使われていますが、それはかつて士大夫(国家に仕える官僚のような人々のこと)ではない「一般の人民」を百姓と呼び、それがそのまま用いられているのだとされています。
以上から推測すると、「百姓」という言葉自体には、本来農民という意味は全く含まれていなかったようです。
では、なぜ多くの日本人が「百姓」≒「農民」と考えるようになったのでしょうか。七世紀から八世紀にかけて「律令国家」が成立して以降、中世、近世に至るまで、百姓に与えた一定面積の水田から生産されたコメを基礎にした租税・公租を財政の基盤としていました。そのため、支配者はほぼ一貫して「農は国の本」「農は天下の本」という姿勢をとり続け、百姓が農民として健全であることを強く求めてきたのです。「百姓が農民であってほしい」というのは、国家の極めて強い意思だったと考えられます。
しかし、そもそも百姓≒農民という観念が成立したとしても、百姓≒農民という実態はあったのでしょうか。そして、農民は農業に専一(専業農家)だったのでしょうか。
十九世紀後半に起きた明治維新によって成立した明治新政府は、1872年に「壬申(じんしん)古關」を作成します。国民の実態を把握するために戸籍調査をするのは、近代国家を目指すためには必要な前提条件です。明治新政府は、壬申戸籍において、四民平等の観点から百姓・町民という身分用語を廃止して、百姓を「農」、町人を「工」「商」に区別して、実際には全くの虚像である「士農工商」の職業区分が創出されたといわれています。その結果、「農」に分類される人々の割合は地域によりばらつきはありますが、おおむね80~90%を占めていましたから、自動的に、その当時の日本は、農民が有業人口の約八割を占める農業国家であるといった位置づけがなされたことになります。しかも明治政府ができてすぐは、地租が大きな税源でした。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
さて、2014年に刊行された、金子勝さんと武本俊彦さんの共著『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』を読みました。
まず「はじめに」と題された文章を全文転載させていただくと、
「常識」を考え直す
食や農業に関する「常識」をくつがえしたい、と筆者は考えています。
中でも、根本的な問いは次のようなものです。日本でも、農業が生き残るには農業だけをやる農業者の経営規模をできるだけ大きくすればいい、それが農業の国際競争力を高める道であるという「常識」がまかり通っています。果たしてそれは正しいのでしょうか。
政府もジャーナリスムも一部の学者も、この「常識」を疑うことなしに、農業政策を進めています。しかし、それで日本の農業は本当に生き残れるのでしょうか。大規模・専業化以外に、農業・農家が成り立つ道はないのでしょうか。
これは担い手の高齢化が進む農業・農家にとっても、安全な農作物を安心して食べたいと思っている消費者にとっても、一番重要な問いかけです。もしも、今、正しいものとして推し進められている政策を続けると、かえって日本の農業が滅びてしまうとしたら、どうでしょうか。私たちは、とんでもない間違いをしていることになります。立ち止まって考えてみなければなりません。
「百姓」の意味
まず、日本の歴史的・地理的特徴から見てみましょう。日本の国土は森林が約七割を占め、残りの平地の人口密度が高いという特徴を持っています。そして稲作中心のモンスーンアジアの農業です。そこに欧米をモデルとした大規模・専業化が成り立つでしょうか。
ここで手がかりになるのが、昔からある「百姓」という言葉です。
百姓と聞いて、読者の皆さんはどういう人を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人は、「お百姓さん」とは、「農家」「農業者」「農民」と表現はいろいろとあるでしょうが、農業という仕事に従事する人をイメージするでしょう。しかし、「百姓」という言葉には、もともと農業に関係する人という意味は含まれていませんでした。
たとえば、広辞苑(第六版・岩波書店)を見ると、「百姓」は、「ひゃくしょう」あるいは「ヒャクセイ」と読まれ、第一の意味は「一般の人民。公民」とされ、二番目に「農民」がきます。そして三番目には「いなか者をののしって言う語」となっています。
「百姓」とは、本来たくさんの姓を持った一般の人民を指すものであり、古代の日本では「おおみたから」と呼ばれていました。また、現在の中国や韓国では、「百姓」という言葉は「普通の人々」の意味に使われていますが、それはかつて士大夫(国家に仕える官僚のような人々のこと)ではない「一般の人民」を百姓と呼び、それがそのまま用いられているのだとされています。
以上から推測すると、「百姓」という言葉自体には、本来農民という意味は全く含まれていなかったようです。
では、なぜ多くの日本人が「百姓」≒「農民」と考えるようになったのでしょうか。七世紀から八世紀にかけて「律令国家」が成立して以降、中世、近世に至るまで、百姓に与えた一定面積の水田から生産されたコメを基礎にした租税・公租を財政の基盤としていました。そのため、支配者はほぼ一貫して「農は国の本」「農は天下の本」という姿勢をとり続け、百姓が農民として健全であることを強く求めてきたのです。「百姓が農民であってほしい」というのは、国家の極めて強い意思だったと考えられます。
しかし、そもそも百姓≒農民という観念が成立したとしても、百姓≒農民という実態はあったのでしょうか。そして、農民は農業に専一(専業農家)だったのでしょうか。
十九世紀後半に起きた明治維新によって成立した明治新政府は、1872年に「壬申(じんしん)古關」を作成します。国民の実態を把握するために戸籍調査をするのは、近代国家を目指すためには必要な前提条件です。明治新政府は、壬申戸籍において、四民平等の観点から百姓・町民という身分用語を廃止して、百姓を「農」、町人を「工」「商」に区別して、実際には全くの虚像である「士農工商」の職業区分が創出されたといわれています。その結果、「農」に分類される人々の割合は地域によりばらつきはありますが、おおむね80~90%を占めていましたから、自動的に、その当時の日本は、農民が有業人口の約八割を占める農業国家であるといった位置づけがなされたことになります。しかも明治政府ができてすぐは、地租が大きな税源でした。
(明日へ続きます……)
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