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中島京子『小さいおうち』その2

2012-02-06 18:46:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 山形に帰ったわたしは、徴用で飛行機工場に送られますが、やがて東京から集団疎開してきた子供たちの世話係をするようになります。布団蒸しのイジメに会う弱い子どもを寝ずの晩で助けたりしているうちに、結核になった先生の代わりに、中学生となる生徒を東京へ引率していくこととなり、上京して空いた半日にわたしは平井家を訪ねます。奥様は板倉さんのことでわたしに気を使わせたことを詫び、わたしは奥様と以前のような気の置けない楽しい時間を過ごした後、山形へ帰っていきますが、その2日後に東京大空襲が起き、東京の下町は全焼します。奥様からは夫の会社の工場は焼けたが、自分たちは無事だという葉書が来ました。その後、戦況は悪化の一途を辿り、終戦を迎え、わたしは生活に追われますが、わたしはもう何を書き残していいのか分からなくなります。その時思い出されたのが、小さなブリキの進駐軍のジープの話でした。
 さて、僕・健司は大叔母が書いて自分に残してくれたノートを読み直し、当時の彼女のことを知る親戚に聞いて知ったのは次のようなことでした。大叔母が戦後上京して平井邸を訪ね、焼け野原に呆然として、石造りのポーチに座っていたのに声をかけたのは、恭一くんの遊び友達のセイちゃんの父親でした。彼は昭和16年に無実のスパイ容疑の罪で投獄され、20年まで獄中にいて、出所後、息子のためにブリキの進駐軍のジープを手に入れますが、やがて妻と息子が5月に被災して亡くなったことを知ります。彼は大叔母に「恭一くんに会うことがあったら、息子と仲良くしてくれていた彼にこれを渡してあげてください」と言って、ジープを渡します。やがて大叔母は平井夫妻が自宅の防空壕で亡くなったことを知り、それ以後の大叔母の行動はノートの最後が「小さなブキリの進駐軍のジープの話をしよう」という文でプッツリ途切れていることもあって、僕には知ることができなくなります。
 そしてある日、僕は書店で昔付き合っていて今は絵本作家となった女性の名前を雑誌に見つけます。その雑誌には「イタクラ・ショージの『小さいおうち』に魅せられて」という記事も掲載されていましたが、僕はイタクラ記念館の写真が、大叔母が平井夫妻とともに写っていた写真のバックの家とそっくりであること、イタクラ・ショージが大叔母のノートに書かれていた板倉正治その人であることを発見します。『小さなおうち』という紙芝居は、戦後活躍した漫画家イタクラ・ショージの初期の作品で死後に発見されたもので、台詞は一切ない16枚の絵からなっていて、長方形の絵の中央に丸囲みで家の様子が描かれて、丸の中には赤い屋根の館に住む若く仲のよさそうな二人の女性と一人で遊んでいる男の子が、外には外界の様子が描かれています。外は穏やかな風景から始まり、途中から突然ジャングルとなり、散らばる人骨、顔のない兵士、群れをなす猛禽類、ブラックアウトとなっていくのですが、丸の中はそれらから隔絶し守られているように見えます。僕はイタクラ記念館を訪れ、大叔母らの暮らしが絵のモデルであることを確信しますが、板倉さんと時子さんの秘められた恋を公にすることが急にためらわれ、そのまま帰ろうとしたところ、来館者の中に平井恭一という名前を発見します。僕は福井に住んでいた彼を訪ね、目が不自由になっていた彼に大叔母から預かっていたブリキのジープを手渡します。そして大叔母が残していた時子さん署名の未開封の手紙を恭一さんに促されて読むと、それは時子さんが板倉さんに明日訪ねてきてほしいと書いた手紙でした。晩年大叔母が泣いて後悔していたことがこの手紙のことだったことを僕は知るのですが、当時の板倉さんの目に彼女たちがどう映っていたのか、僕は遥かな思いに捕われるのでした。

 最後は胸がきゅうんとなる、中島さんの最高傑作だと思いました。戦前の中流階級の生活の、妙に明るい感じというのも、よく描写されていたと思います。是非手に取って読まれることをお勧めします。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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