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加藤泰監督『宮本武蔵』その1

2017-02-14 07:05:00 | ノンジャンル
 一昨日、神奈川県の茅ヶ崎市と大磯町の境にある高麗山の野鳥の観察会に参加してきました。コゲラを間近で見られ、イカルも双眼鏡で存分に見ることができました。帰りには南林間のタイ料理屋、イーサン食堂で念願の豚ラープを食べることもでき、充実した一日を過ごせました。

 さて、加藤泰監督の’73年作品『宮本武蔵』をWOWOWシネマで見ました。
 “慶長5年(1600)9月15日、天下分け目の関ケ原の合戦は、朝からタッタの6時間の死闘の末、東軍(徳川)の圧勝に終わった”の字幕。雨。“勝利は敗者の一兵とも許さず、仮借なく追及した”の字幕。雷。仲間の又八(フランキー堺)の名前を呼ぶ武蔵(たけぞう)(高橋英樹)。「傷はどう?」「死ぬかもしれん」「お主が死んだら、年老いた親はどうするんじゃ? 身寄りのないお通さんはどうなるんじゃ?」「お通の笛の音が聞きたい。武やん、頼む。お通さんを幸せにしてくれ」。又八を担ぐ武蔵。
 雨止む。眠る2人。死んだ兵士の刀を集めていた朱美(倍賞美津子)は、生きている2人に驚く。「おかーさーん」。駆けつける母。又八「伏せろ! 死んだ真似をしろ」。騎馬が通過する音。
 タイトル。
 “作州・宮本村”の字幕。笛を吹くお通(松坂慶子)。「おーい、武蔵(たけぞう)が捕まったぞう」「この人でなし!」村の人々が集まって来る。又八の母のお杉(任田順好)「わしのせがれを見殺しにして逃げてきたな」「又八は生きてる。元気に暮らしてる。伊吹山のふもとである人と」「ある人とは?」「それは知らん」「出鱈目を言いくさって」「違う。又八が生きていることを知らせるために帰ってきたんだ」お杉「沢庵和尚、息子の敵討ちのお許しを」村人「ぶち殺してしまえ」沢庵(笠智衆)「こら、待て。縛ったままで敵討ちは卑怯だ。4,5日雨ざらしにして、弱ったところを殺ればいい」「よーし、上げろ」。千年杉に吊るされる武蔵。「沢庵、約束が違うぞ。同じ捕まるなら役人よりも仏の方が人間らしいと言ったじゃないか? これが人間のすることか? お坊さんのすることか?」。
 「お通さん、手紙が」。手紙を読むお通は、固い表情に。「又八は当家でもらう。又八は戦死したと思ってお忘れください。お甲」。
 夜。沢庵「武蔵、不憫じゃのう。返事する元気もないのか? 腹減ってるか?」「ふざけるな! 縄をほどけ」「お前はケダモノだ。そこなら見晴らしも良かろう。世の中を見て、考え直せ。人間なら今を惜しむはず。お休み」「行かないでくれ。助けてくれ。和尚! まだ死にたくない」。泣く武蔵。
 お通、武蔵の許へ。「うちを連れて逃げて。ここにはいたくない」と縄を切る。それを遠くから眺める沢庵。
 逃げる2人。手紙の話をするお通。「これで良かった。武蔵さんと逃げる決心ができた」「ここで別れよう。私には親父の剣道の道しか残されていない。女を連れて修行はできん」「だましたの? うちはあんたと。うちが嫌い?」「好きじゃ!」。お通を抱っこして走り出す武蔵。
 川。「怒ってるんか?」。武蔵、お通を押し倒す。「いけん。そないな人やったんか?」「わしが悪いんか? お通さん」。武蔵、駆け出す。「武蔵さん!」。後を追うお通。
 「これから3年武蔵の消息はぷっつり切れた。伝えるところによると、沢庵のため、姫路の城に閉じこめられ、そこを再生の母の胎内として、満願の書を読まされていたと言われている。お通はその城下の外れの花田橋のほとりで武蔵を待って待って待ち暮らした。が、武蔵は来なかった。そして月日がまた流れた。世情もまたもや関東・大阪の最後の決戦の噂で騒然となっていた。そして」のナレーション(米倉斉加年)。“京都”の字幕。吉岡清十郎(細川俊之)は昼間から朱美に三味線を弾かせ、酒を飲んでいる。朱美を押し倒そうとし、避けられる清十郎。朱美の叫び声を聞いて、駆けつけた両親は、清十郎が吉岡家の後継ぎだと言って、朱美にお酌をするように言う。「いつまでも子供なので」「いくつになる? 16か、17か」朱美「うれしいな。あたし、16の時、いいことがあったんだ。関ケ原のあった年」「くだらんこと言ってないで、三味線でも聞かせてさしあげて」。
 祇園藤次(穂積隆信)「あのご執心ぶりだと間違いないな」「あの人の腕が悪いんですよ」「吉岡家にはお金がうんとある」「親が良けりゃ、娘は文句はあるまい」。又八、現れる。親「何だよ。いつまでも亭主面しやがって。あっち行っとくれ」。又八、一旦座るが、「ちょっと出かけてくる」「酒代だ。なるべくゆっくりな」「ふん、売女め」。又八、家を出ると、侍たち「この家の者か? 吉岡の若先生がいるはずだ」。出てきた清十郎に「道場破りです。めっぽう強い奴で、宮本武蔵(むさし)と名乗っています」。又八「むさし?」。(明日へ続きます……)

北尾トロ『山の近くで愉快にくらす 猟師になりたい!2』

2017-02-13 05:01:00 | ノンジャンル
 北尾トロさんの ‘15年作品『山の近くで愉快にくらす 猟師になりたい!2』を読みました。著者が長野県の松本に移住して3年目、狩猟免許を取得して2年目に体験したことをまとめた本です。
 以下、いくつか引用させていただくと、
・「初年度は師匠の宮澤さんに言われるまま、銃を構えて撃っていた。であれば、2年目は自分で考えて撃つ場所を決められるようになりたい。そのためには、獲物までの距離感が的確であるべきだし、的中したときの回収方法を考慮すべきだ。気配を悟られずに良いポジションを取るには、水の上にいる鳥から陸を見たときの光景がイメージできていないとダメである。確実に回収するためには、そのための道具を使いこなせないとうまくいかない。その道具が売っていないものなら自作するのがいい。そんな調子で考えるべきこと、やるべきことが増えていくのだ」
・「[猟師北尾、2シーズン目の誓い ・出猟回数を2ケタに増やし、経験値を上げる。 ・必ず1羽獲る。目標は5羽とする。 ・鳥の解体から調理まで、命をいただく過程を自力で行えるようにする。 ・大物猟に参加する。 ・山の被害の取り組みを具体的に追う」
・「焼きたてをこそぎ取って食べる鹿肉はジューシーで、塩を振るだけでいくらでも食べられる」
・「『第2回狩猟サミット』なる催しに参加してきた。(中略)主催者によれば参加者約200名の平均年齢は35歳弱。男女比は2:1。(中略)全国から集結している」
・「いいなと思ったのは、この種の集まりでよくみられるような団体参加がほとんどないように見えたこと。チラシやネット、口コミで情報を得た個人や少数グループが主流だったこと。そのため自然に交流が盛んになるのだ」
・「こんな具合で終始笑顔の絶えないイベントだったのだが、気になったことがある。みんな妙にマジメなのだ。環境問題の改善のために力を注ぎたい人。鹿やイノシシの被害をなんとかしなければと意気込む害獣駆除志願者。世界を旅し、田舎暮らしを模索するナチュラリスト。問題意識が高いからそうなるのかもしれないが、単純に猟をしてみたい、おもしろそうだからやってみたいという人に、不思議と出会わなかった」
・「もうひとつ、狩猟で生計を立てることを真剣に考えている人がけっこういたのにも驚かされた」
・「狩猟者はシーズンごとに狩猟登録を申請し、申請手数料、狩猟税、(猟友会加入者は)県猟友会会費、郡猟友会会費、大日本猟友会を通じて加入する災害共済を支払わなければならないのである。万が一の事故に備えてハンター保険に加入することも常識。地域によって違うだろうが、ぼくの場合で約2万円の出費となる」
・「(ヤマドリの)鍋を食べ始めてすぐ、ツマから賞賛の声が上がる。鴨やキジより旨いと猟師が口を揃(そろ)えるヤマドリだけに、肉もクセがなくて食べやすい」
・「今日驚いたのは、野生の肉のエネルギー。せっかくの獲物を残すことは許されないとがんばって食べたら、満腹で動けないばかりか、体の芯から温まったような感覚になるのだ」
・「鴨などの水辺にいる鳥なら泳ぎのうまいレトリーバーが回収犬として活躍する。レトリーバーは知能が高く、撃ち落とされた獲物がどこに落ちたか、しっかり記憶できるという」
・「山にいる狩猟鳥を得意とするのはセッターやポインター、スパニエルなど。鳥撃ちでの犬の役割は獲物を捕らえることではなく、居場所を突き止め、猟師が撃ちやすい場所に追い出すことになる」
・「キジは穀物を好むため里山に多くいる。昔は本当に多く、畑を荒らす害鳥扱い。農家の人に『キジを撃ってくれ』と頼まれることもあったらしい。(中略)猟師がウロウロしていても怪しまない地域性は、キジ撃ちが歓迎され、猟師を見慣れていることに由来するという」
・「12月後半、池に氷が張るようになると、鴨たちは居場所を変え、鳥撃ちの主戦場は川になる」
・「(前略)今年は宮澤さんがなぜその鳥を狙おうとするのか、理解できるようになってきた。距離が適正、無警戒、回収可能。この3点セットを必須条件とし、ポジション取りがうまくいき、鳥が静止するタイミングが訪れたときだけ発射する」
・「銃猟を始める(中略)初期投資の目安は30万円程度といわれています」
・「長野県では、平成25年度に約3万5000頭の鹿を駆除している」
・「でも、本日最大の収穫は、20代から60代までの鳥撃ち組が集まったことだ。現在の猟は鹿やイノシシ狙いが主流。害獣駆除の観点からも、圧倒的に大物猟が注目される中、この集まりは貴重じゃないですか」
・「鷹匠には大きく分けると、吉田流、諏訪流の二流があり、鷹の訓練法、鷹狩の技が異なるという」
・「(鷹狩は)技術的な完成の域に達したのが江戸時代」

 今回もアッという間に楽しく読ませてもらいました。

侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督『珈琲時光』その3

2017-02-12 04:46:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 台所で料理をするハジメ。カップラーメンを食べるヨウコ。ヨウコ「何描いてんの?」パソコンを開いているハジメ。「きれい! 電車がたくさんある。わっ、すごい。これもっと近くなる? 電車の胎内なんだ。何か胎児の目がさみしい。何かないとハジメちゃん、可哀そうね。周りは陰? 電車の窓はいろんな色。この列車の長さの違うのは?」「なんとなく」「音を聞いて集めてるのは、電車に戻ってるからかな?」「毎回違う。事件が起きたら、役に立つ」「でもすごくきれい。駅の名前もちゃんと書いているんだ。中心に行くほど暗い」「俺の血が濃いのかな?」。
 喫茶店でヨウコ「こんにちは。ホットミルクください」。携帯電話を取り出し、留守電に入れる。「どこに今いるのかな。折り返し電話ください」。
 神保町の天ぷらの“いもや”でハジメの行方を聞くヨウコ。知人のカン(萩原聖人)は「JRに乗りに行ったみたい」と教えてくれる。
 お茶の水の丸ノ内線と中央線の立体交差を俯瞰で。
 ホーム。電車から降りて来るヨウコ。秋葉原口へ。
 写真を見るヨウコ。隣に上品な老婦人。「これが例の菅平のスキー場の開場の時のよ。これが紅文也。自分はパンジーで、私はスイートピーだと言ってた」。写真を次々に見るヨウコ。
 外に出て、歩くヨウコ。“洗足池駅”。
 運転席。発車。立っているヨウコ。「次は秋葉原」の車内放送。向かいの車両にハジメがいるが、ヨウコは気が付かない。
 踏切。ヨウコの父。路面電車。ヨウコに「お帰り」「ただいま。お母さんは?」「鬼子母神に行ってる。ちょっと待とう」と2人でホームのベンチに座る。
 ツクツクボウシの鳴き声。3人、帰宅。
 鍵を机に放り投げ、荷物を置いて、カーテンを開けるヨウコ。「暑いでしょ?」母、冷蔵庫の中を見て「何も入ってないじゃない」。「よいしょっと」と言って座る父。「お父さん、お水飲む?」「うん」母「あたしはお茶にしよう」。テレビの音。水をコップに注ぐヨウコ。「ねえ、お母さん、お茶ないからお水でいい?」。
 「ねえ、お父さん、お葬式って誰が亡くなったの?」「会社の上司だ。とてもよくしてくれた」「明日?」「そう」母「脳溢血だって」ヨウコ「箸はこの瓶の中に」。洗濯物をたたみ、網戸を閉めるヨウコ。「いただきます、おいしい」母「今日はうまくできたんだ」「おいしいなあ、はは、お父さん、おいしいよ。食べてみない?」「うん」「自分で作るとこういう味にならないんだよね」「うまいか?」。母、箸を見つける。父も食べる。母「お夕飯前だから少しね」父「ヨウコ、好きだったろ? おじゃが。これ」とジャガイモをひとつ自分の皿からヨウコの皿に移す。黙々と食べる2人。
 隣のチャイムを押すヨウコ。母も一緒。「向かいの井上です」母「ヨウコの母です。つまらないものですけど」と菓子折りを隣に渡す。ヨウコ「あのー、父がわがままを言うので、お酒を貸していただけませんか。グラスも」母「グラスまでなんて、お母さん、恥ずかしい」「どうもすいません」「ごめんください」ドア、閉まる。「やーだ。恥ずかしい。お母さん」。
 母「何カ月?」ヨウコ「3ヶ月」「病院行ったの?」「うん。心配しないでいい。でも結婚はしない。だってすごいマザコンなんだもん。傘作りの会社の息子で、結婚したら手伝わせられそうで。今アモイでお姉さんと工場の管理をしてる。時々電話してきて『タイに来い』って」。黙々と飲んで食べる父。父「タイか……」。チャイム。「~ですが」「お母さんが出る」「上にぎり3人前です」。
 ヨウコ、街頭。開店前のすし屋に樽を返し、その足で路面電車の駅へ。
 やって来た路面電車に乗るヨウコ。
 車内のヨウコ。
 降りるヨウコ。
 電車の座席で眠るヨウコ。目黒。ハジメ、機材を持って録音しているが、やがてヨウコに気づき、正面に立って、ヨウコを見つめる。
 ヨウコとハジメ、電車を降りる。録音を続けるハジメ。
 お茶の水の丸ノ内線と中央線の立体交差を俯瞰で。
 ゆっくりとフェイドアウトして、映画は終わる。

 淡々とした日常が描かれていて、確かに小津を思わせる映画でした。蓮實重彦先生がワンカットだけゲスト出演しているようなので、それを見つけるのも楽しいかもしれません。

侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督『珈琲時光』その2

2017-02-11 04:26:00 | ノンジャンル
 今日の朝日新聞の朝刊に、1,2審と死刑判決を受け、現在最高裁の判決を待ってる木嶋さんんについての記事が載っていました。この方も免罪じゃないんでしょうか? 死刑制度は免罪だと取り返しがつかないものです。そっこくなくしてほしいのですが……。

 さて、昨日の続きです。
 通勤電車の中で本を読むヨウコ。外を見るヨウコ。
 「アイーダはホルンを吹いて、赤ん坊を寝つかせようとしていました。そこへゴブリンたちが忍び込んできて、赤ん坊を連れ出しました。代わりに氷の赤ん坊を置いて。何も知らないアイーダは氷の赤ん坊を抱いて、つぶやきました。『大好きよ』。赤ん坊は床に落ち、溶けて水に。アイーダはゴブリンの仕業と気づきました。『妹をさらった!』彼女は叫びました。『ゴブリンの花嫁にする気だわ』。アイーダは大急ぎでママの黄色いレインコートをつかみ、ホルンをポケットにねじ込みましたが、ひどい失敗をしました。後ろの窓をよじ登って、外に飛び出してしまったのです」。ミルクを一口飲み、スイーツを食べ、窓を開け、網戸も開けるヨウコ。
 夜。雷鳴。暗い部屋。携帯電話。「もしもし、私、ヨウコ。思い出した。何かね、すっごく大きなホールがあって、そこであたしあの本を読んだんだ。ハジメちゃんがくれた絵本、うん、全部ねえ、ホールの中で、畳敷きで、それで沢山の信者みたいな人がお経を読んでた。で、お母さんがそこにいたんだけど……、もしもし、それでね、私のお母さん、すごい熱心な信徒さんで献金もすごくたくさんしてたみたいなの。わたしが4歳の頃に出てっちゃって。だけど、あ、あのね、産んでくれたお母さん、今のお母さんじゃなくて、うん、そう、すごい思い出したよ、うん、ね、何か不思議。そう、それが、うん、伝えたくて電話したの。ハハハハ。うん、じゃあまた、うん、はい、バイバイ」。電話を切る。
 天井の蛍光灯。“都丸書店 本店”の看板。ヨウコ「すみません。わたくし、ライターをやっている井上と申しますが、ちょっとお伺いしたいことがありまして、あの、コウブンヤさんについて調べてるんですけど」「どんな関係?」「あの~音楽家なんですけれども、台湾人なんでここによく来たことがあるらしくて」「う~ん、ちょっと私には分かりませんね」「60年前か70年前か」「そうですか。大分昔ですね」「はい、先代の方から聞いたことがあるとかも?」「う~ん、聞いたことないですね。私はね」「分かりました」「すいません」「ありがとうございました」。去るヨウコ。
 店の外観を写真に撮るヨウコ。
 繁華街を歩くヨウコ。「もしもし、うん、うん、どうしたの、うん、うん、うんうん、わっ、すごい、行こうよ、うん、うん、え~と私、今、高円寺だから、う~んと、お茶の水のホームで待ち合わせでもいい? う~ん、何かあったら15分ぐらい。一番線の車両で。うん、うん、よーし、うん、は~い、じゃ後でね、うん、バイバーイ」。
 列車内。「まもなく新宿」の車内アナウンス。新宿で降りるヨウコ。
 ホームでしゃがんで待つヨウコ。携帯電話。「もしもし、あのさ、ちょっとだけ気持ち悪くなっちゃって、うん、今新宿なんだけど。あのー、待っててもらっていい? うん、うん、じゃ後で行く、はーい、うん、じゃあね」。
 俯瞰でお茶の水の地下鉄丸ノ内線とJR中央線の立体交差を俯瞰で。ロングショットでホームに待っているハジメ。
 お茶の水に向かう中央線に乗っているヨウコ。
 “有楽町駅”。出て来る2人。気分悪そうなヨウコ。「どうした? どうした? どうした? おい、大丈夫? 」しゃがみこむヨウコ。「どうした? どうした? どうした? 具合悪い?」。ヨウコ、立ち上がり歩きだす。「大丈夫か?」「妊娠してるから、多分。急に気持ち悪くなっちゃって」「妊娠してんの?」「うん」。
 喫茶店に二人。ヨウコ「何飲む?」ハジメ「コーヒーでいいや」「コーヒーとミルクください」。「はい、すいません」と水の入ったコップをカウンターでヨウコに渡す店主。ヨウコ「地図、見せて。これ、なんか、この人、うん、本もいろいろ探したら、ここに書いている人だけど」「ほー、5丁目と3丁目の間って、これ当時の地図だから」。珈琲もカウンターでヨウコが店主から手渡される。「ここに喫茶店のダットがあったはず」「名前を聞いたことがあるような」。店主に道を教えてもらう二人。
 二人で地図を頼りに歩くが、目的地には真新しいビルが建ってる。その写真を撮るヨウコ。
 部屋。カーテンを開ける。冷蔵庫をあさるヨウコ。
 母からの電話。「明日来るの? おいしいもの作って。肉じゃが。北海道のおじさんが目の手術をするので迎えにも行かなきゃならない」。
 昼寝するヨウコ。ドアチャイム鳴る。ノック。何度もドアチャイム。ノックも。やっと目覚めるヨウコ。ハジメ「どうしたの?」ヨウコ「気持ち悪くて寝てた」「大丈夫? 風邪ひいた?」「暑い。寝ててごめんね」。(また明日へ続きます……)

侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督『珈琲時光』その1

2017-02-10 05:16:00 | ノンジャンル
 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督・共同脚本の’04年作品『珈琲時光』をHuluで見ました。
 “小津安二郎百年誕辰紀念”の字幕。朝の住宅街。路面電車。
 洗濯物を干す若い女性(一青窈)。携帯電話が鳴る。「カズミちゃん、ただいま。昨日の夜、ちょっと疲れたかも。今日さあ、高崎にお墓参り。(電話の相手でない人に挨拶し)台湾からの土産です。パイナップルケーキ。あっ、今の大家さん。変な夢を昨晩見たの。かわいそうなお母さん。赤ちゃんをとっかえられて、赤ちゃんは氷でできていて老人ぽい顔なの。そういう話、なかった? とりあえず寄る」。電話切る。
 タイトル。
 通勤電車内。若い女性、ノートを見る。やがて路面電車から降り、歩いて電車を乗り継ぐ。懐中時計を見る女性。電車の運転席。
 繁華街を歩く女性。バックにセミの声。
 古本屋(浅野忠信)。「来たね。これ領収書」「すごい」「はい」「ありがとう。これ、お土産と誕生日プレゼント。鉄道局開局して何年経ってるの?」犬が出て来る。贈られた懐中時計を見て、「すごいな。ちゃんとしまっとこ。これ持ってる? 台湾部局がベルリン・オリンピックで賞もらったやつ」「これ聞きたい」「あの、ねえ、江文也(コウブンヤ)って14歳で日本に来て電気を学んで、今の芸大で音楽を学んだんだ。ジャズ喫茶でレコードを聞いたり、楽譜を読んだり。さっきの夢の話、ゴブリンという妖精がチェンジリングする話と同じだ」「読んでみたい」。おとなしい犬。
 コインロッカーから鞄を取り出す女性。
 電車の車内の隅の席でノートを見る女性。
 ホームで鞄を引きずり、乗り換える女性。
 田舎を走る列車。鉄橋を渡る。
 車で迎えに来た父(小林稔侍)に「ただいま」「久しぶりだな。どのくらいいれる?」「2、3日ぐらい」。車に乗る二人。発車。“吉井駅”の看板。
 和風の家。台所に女性(余貴美子)。「ただいま」「お帰り」。ヨウコと父、帰って来る。「お父さん、着替えたら?」。麦茶をいれるヨウコ。猫。足伸ばしリラックスし、寝転ぶヨウコ。「ねえ、今日のご飯何?」「お魚よ。カレイ」「肉じゃがは?」「ない」。猫。
 ちゃぶ台で新聞を読む父。母「ご飯よ」。高校野球を中継するテレビの音。父は立ち上がり、ヨウコを呼びに行く。「やっぱりウチがいいんだな。よく眠ってる」「眠ってないのかしら」「おつまみないか?」。ビールを飲む父。配膳する母。
 電灯をつけるヨウコ。台所。母「何、起きたの?」「何か残ってる? 温めて食べる」。和室にも電灯をつける。「キンピラ食べる?」「ご飯、残ってる?」「うん、これ」「はーい」。
 「これ食べてもいい?」「うん」。見つめる母。食べるヨウコ。「あのさあ」「何?」「うん」「何よ」「妊娠してるんだ」「誰?」「~の彼」「うん」「私、結婚しない」「親御さんは知ってるの?」「うん。自分でちゃんと育てる」。
 田舎の家。6人の人がお墓参りに。
 車と列車がすれ違う。
 店でそばをすする3人の後ろ姿。
 居眠りをする父。麦茶を飲むヨウコ。「母さん、自転車借りる」「車に気をつけてよ」「はーい」。父、目覚める。「どうする? お父さん。お父さんからヨウコに言ってよ。ずるいわ、お父さん。大事な時はいつも言わないんだから」「相手の人は働いてるのか?」「ヨウコは預金ないわよ」。父、立ち上がり、扇風機の正面へ。「私たちは年金暮らしだし、そろそろ、お父さん、言ってよ」。立った父の後ろ姿。
 雨の中、自転車を降り、駅で雨宿りするヨウコ。「すいません。トラちゃんは?」「寝てる。トラちゃん、知ってるの?」「高校のとき。少し太った?」「皆からエサをもらって。もうおばあちゃんだから」。
 喫茶店。携帯電話。「会わせていただくだけで光栄です」。店にも電話。店長「ちょっと待ってください。電話です」とヨウコに受話器を渡す。「もしもし、はいはい、あー、はいはい、うんうん、あーはいはい、ありがとう、じゃあ後で取りに行く。じゃあ後で。バイバイ」。「母さん聞いた? ハジメのこと聞いた? 若い女がいきなり訪ねてきて、ハジメに交際を申し込んだんだって。スゴくない?」「で、何だって? ハジメちゃん」「周りは財産目当てじゃないかとか、何か裏があるんじゃないかとか噂してるけど、う~ん、何だろう? 聞いてない?」「聞いてない」。
 交通量の多い道を歩くヨウコ。
 「う~ん、あっ、これがね、話してた内容にすごく近い」「う~ん、Outside of the there」。柱時計。その下にカレンダー。キーッと自転車のブレーキの音。「コーヒーで~す」珈琲の出前が来る。「あっ、このひまわり覚えてる」「この珈琲は?」「いろいろいるんだ。びっくりした。でも不思議。何でだろう? 何か読んだことあるかも」「それ、夢に出てきた奴に近い?」「うん、いただきます」。(明日へ続きます……)