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天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』

2017-03-14 06:30:00 | ノンジャンル
 天童荒太さんの’16年作品『ムーンナイト・ダイバー』を読みました。
 冒頭部分から引用させていただくと、
「眠気を誘う穏やかな海の上にのぼった立待月(たちまちづき)が、闇の底から町をすくい上げる。
 満月から二日が過ぎた立待月は、やや欠けているにせよ丸くふくらみ、雲なく晴れた夜のため、目立った産業のないこの海辺の町をほの明るく照らし出している。
 瀬奈舟作(せなしゅうさく)が小型トラックを走らせている海岸通りに、明かりの灯っている家は少ない。じき午前一時という時間のせいもあるが、家に人が住んでいない場合がある。
 通りの向かって右手、突堤との狭間の海沿いに長く伸びる空き地同然の土地には、新しい建材を用いた洒落たデザインの住宅が、ぽつん、ぽつんと、間を置いて建っている。(中略)
 だが、道路からは見えない海側の壁やバルコニーが、見るも無残に壊れていたり、家のなかの柱や階段や土台部分などに修復の難しい損壊が生じていたりして、人が住むことはできない家屋なのだという。
 これらの家々は、新築か、もしくは近年建てたもので、土台のコンクリートと上の家屋をしっかりとつなぐ工法だったのだろう。その周りにあった古い家々は、土台の上に家屋をただ載せるだけの旧来の工法だったゆえに、当時、ほとんどが一瞬のうちに波に押し流され、引き潮にさらわれて、消失した。向かって右手の海沿いの土地が、空き地同然に見えるのは、そのためだ。(中略)
 この町は避難指示区域には入っていない。だが四年半近く前、かなりの数の住民が一時避難し、その後、この土地で生まれ育った中高年の多くは戻ったものの、幼い子どもを持つ家族連れは、おおかたが避難先に身を落ち着けてしまった。さらに、地元の漁業や水産加工の仕事で暮らしを立てていた住民が少なくなかったこともあり、時間が経つごとに、町に残っていた人々さえ、少しずつ離れているのが現状だと聞く。(中略)
 この町には、子どもの頃の夏休みによく訪れていた。街灯はもっと間隔をつめて立っていたと覚えている。あの日に、街灯も電信柱も信号も、そのほとんどが根もとから折リ曲げられ断ち切られたのだろう。いまなおこれらも完全には復旧していない。」……
 主人公の舟作は4年半前の津波で両親と兄が悲惨な死を遂げたのを目撃し、現在は、やはり後継ぎだった健太郎を津波で失った元漁師の文平とともに、事故を起こした福島原発の近くの、帰還困難区域の海で密かに月1回、被ばくの危険を冒しながら、海底に潜って遺品の捜索をしています。依頼者は珠井という男で、妻と14歳の娘と震災以来、音信不通でした。違法行為に当たるため、極めて秘密にことを運んでいたのですが、計画を知った珠井の親友を通じて、信用できる人物を少しずつ紹介し合う形で、会員は十人程度になっていて、舟作との窓口は珠井一人となっていました。
 ある日、拾得物を珠井のところへ届ける帰りに、舟作は透子という女性から声をかけられ、彼女が会員の一人であることを知ります。透子は結婚するはずだった男性とたまたま喧嘩していた時に、大震災に会い、その男性と連絡が取れなくなっているのでした。彼女は服職デザイナーをしていて、彼が指にはめていた独特の形の指輪をもし発見しても持ち帰らないでほしいと舟作に頼みます。
 舟作はそう言われて、かえって指輪を探し始めます。何回か透子と話す間に、透子は今付き合っている人がいて、指輪が見つかれば、その人と結婚し、見つからなければ、一生独身でいるつもりだと舟作に言います。そしてある晩、ついに舟作は指輪を発見しましたが、それはそれをはめていた人骨とともに流れに乗り、急に深さを増す深淵へと動いていきます。舟作は無理をしてそれを取りに行こうとしますが、ふいに背中側から彼を押しとどめる無数の手が出現し、彼が振り返ると、それは舟作の知人で震災で亡くなった者たちの姿でした。
 舟作はいろんな人に支えられて自分が生きていることを改めて知り、透子には指輪が見つかったことを知らせます。そして思い出の種を、思い出を失った人たちに運んでいく鳥を見たという自分の娘と息子、そしてそれに同調する妻たちに舟作は近づいていき、小説は終わります。
 父を津波で失い、母が再婚するというので喧嘩をして家出してきた姪に対し、舟作が手を強く握って「大丈夫だ」と言うシーン、また、父が舟作の身代わりで仕事場に行って津波に会ったことで、舟作の姉弟が舟作を失わなくってよかったと姪が語るシーンは胸に響くものがありました。また、津波に破壊された街を海中で見てきた後、荒れた気持ちで妻を抱くシーンはすごくエロティックに描かれていたことも付け加えておきたいと思います。

ロバート・アルトマン監督『プレタポルテ』その2

2017-03-13 06:21:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 マイロ「メモは読んだ」レジーナ「エルと契約をしてくれれば、想像を絶するものをあげる。土下座だ。本気じゃないと?」と本当に土下座する。マイロはそれを写真に撮り、笑い、レジーナは激怒する。
 犬のフンを踏むマイロ。スリムはクリントと去る。ブーツをはいた女性たちの写真を撮るマイロは「ジョン・ウェイン」「ランドルフ・スコット」などと言う。(中略)
 レズのシシーはマイロに電話する。
 シーツの中でくんずほぐれつのジョーとアン。
 シシーをマイロが訪ねる。シシーは酒でもてなし、マイロのことを尊敬していて契約してほしいと誘惑するが、マイロはまた写真を撮り、シシーは恐慌状態になる。
 “ブルガリ”。青タイの男は入場カードを掏る。
 インタビューで磁器について語るブルガリ。
 「一番悪いのは私」とアン。「俺は既婚者」とジョー。2人は言い争うが、やがて踊り出す。
パーティ。青タイの男はイザベラに会い、自分はセルジョだと言い、42年前に2人は結婚していて、セルジョが共産党員だったため、結婚式の日にモスクワへ行ったこと、スターリンが死んで電話も電報も使えなかったこと、ソ連ではセルゲイという名前で紳士服を作っていたこと、君がオリヴィエと結婚したと聞いてショックを受けたことなどを語る。シシーは仲間にマイロの部屋の鍵を手に入れるように言う。セルジョは「彼は殺されたんではない。現場にいた」イザベラ「殺さなかったの? 馬鹿ね」「ゆっくり話がしたい。明日4時にロダン美術館の“考える人”の前で」。
 ジョーとアン、シーツの中。
 サイとコートはヤクの回し飲み。
 セルジョはマイロの部屋へ行き、服をあさるが、シシーが入ってきたので、クローゼットに身を隠す。シシーはマイロの机の上のネガを鞄に入れるが、マイロが帰ってきたので、やはりクローゼットに身を隠す。連れこんだ女の下着姿を撮り、また憤慨されるマイロ。セルジョとシシーはクローゼットから出て別れる。
 朝焼け。
 解剖室。ネクタイが同じだと刑事。(中略)
 ジョーに別の部屋が用意できたとホテル側が言うが、ジョーはもう必要ないと言う。
 “ソニア・リキエル”。ニットの女王と彼女を紹介するキティ。
 別の部屋のキーは必要ないとジョーはまた言い、セルジョがキーを横取りする。一方、ブーツの写真のネガがないと騒ぎだすマイロ。“サイ・ビアンコ”。廃ホームでのファッションショー。
 「誰がマイロと?」「クローゼットですべて聞いた」とシシー。
 シモーヌ、ジャックに「会社を売ったのね。テキサスの靴職人に。何様のつもり? あの人たちは?」「もう来てる。決まったことだ。母さんのためだ。金持ちになれる」「新しい上司に挨拶を」。
 サイのファッションショー。
 “考える人”の像の下で会うセルジョとイザベラ。「夫を殺してない」とセルジョ。
 サイのファッションショーのフィナーレ。
 サイ主宰のパーティ。コート、サイを呼び出し、2人は抱き合う。サイの妻も別の男とやって来て抱き合い、それに気づいた双方は「浮気者!」と言い合う。そこへキティが現れ、インタビューが始まる。
 マイロ「問題はブーツではなくネガだ」。シシーとレジーナら3人が現れ、「交渉に来た」と言う。
 ジョーとアンは外出着に着替えていて、ジョーのスーツケースが落とし物として発見されたとホテルマンは言う。(中略)
 イザベラはセルジョの部屋を訪れ、「きれいな部屋ね」。セルジョ「ナポリの部屋より小さい。ソ連では自宅とアトリエが一緒だった。君を探して寝ていない」。タバコを吸うセルジョ。
 ルイーズと浮気相手は女装パーティに。
 バスローブ姿のセルジョとイザベラ。バスローブをイザベラが脱ぐと黒い下着姿に。吠えるセルジョ。ストッキングを一つずつ脱ぎ、セルジョに投げると、セルジョは眠ってしまっている。(中略)
 「夫が2人なら死体も2人」と書いた紙を置いて去るイザベラ。
 刑事「死因はハムの脂身だ」。
 ジョーのズボンは丈が短く、アンは「まさにプレタポルテ(既製服)ね」と言う。「とても楽しかった」「僕もだ」。アン、去る。
 “シモーヌ・ロー”のファッションショー。モデルは全員全裸。とまどう観客。妊婦も出て来る。終わるとスタンディング・オベーション。キティ「これってファッション? もうたくさん。辞めさせてもらう」。キティ、去ると、そばの女性「ソフィー・シュワです」とキティに取って替わる。
 原っぱ。ブルーシートの上に多くの全裸の幼児。葬列。マイロ「赤ん坊におむつをさせろ」。背後に“トラサルディ 現実を見よう”の看板。セルジョも葬列に加わり、映画は終わる。

 『ナッシュビル』の再映画化といった映画で、『ナッシュビル』で狂言回し役だったTVレポーターのジェラルディン・チャップリンがここではキム・ベイジンガーが演じている群像劇でした。それにしても主役級の俳優をよくもここまで集めたものだと感心しました。

ロバート・アルトマン監督『プレタポルテ』その1

2017-03-12 05:28:00 | ノンジャンル
 ロバート・アルトマン監督・製作・共同脚本、ミッシェル・ルグラン音楽の’94年作品『プレタポルテ』をWOWOWシネマで見ました。
 モスクワの“ディオール”で青いネクタイを2つ買う男(マルチェロ・マストロヤンニ)。
 タイトル。
 エッフェル塔。テTVレポーターのキティ(キム・ベイジンガー)がデザイナーにインタビューしている。ドッグショーに出場するイザベラ(ソフィア・ローレン)。彼女の夫オリヴィエ(ジャン=ピエール・カッセル)は犬のフンを踏み、モスクワから送られてきた青いネクタイを受け取る。
オリヴィエは空港に人を迎えに行く。荷物をヒューストンのバーに忘れてきたと言う女性アン(ジュリア・ロバーツ)。オリヴィエはキティにインタビューを受けてる最中に、同じ青いネクタイをした男に気づく。自分がヒューストン・クロニクル誌の編集補佐であると告げるアン。シシー(サリー・ケラーマン)とレジーナを含む主要ファッション誌3誌の編集主幹にインタビューするキティ。
オリヴィエは車の中でハンバーガーを喉に詰まらせ、窒息死してしまう。オリヴィエは車から降りて逃げ出し、橋から川へ飛び降りる。
「プレタポルテ協会のオリヴィエ会長が殺された」と報じるテレビニュース。
“ル・グランド・ホテル”。スポーツ記者のジョー・フリン(ティム・ロビンス)は上司からパリコレの取材をするように言われ、激怒し、ホテルにチェックアウトの取り消しを求めるが、その部屋はもうアンのものだとホテルマンとアンは言い張る。上司に電話で「もう帰りたい。女房に事情を伝えておいてくれ」というジョー。キティは「サンローランに助言できる唯一の生き残り」とスリム(ローレン・バコール)にインタビューすると、スリムはカウボーイブーツの生産者クリントを紹介する。もめるアンとジョーは、同じ部屋をシェアすることになる。
“ホテル・スプレンディッド・エトワール”。ルイーズ(テリー・ガー)が部屋を取る。
自分の鞄の中に女性のパンティを見つけた男は、ルイーズに電話し、自分たちの仲が知られないように、もっと注意してほしいと言う。(中略)
刑事はドックショーを切り上げ、署に戻る。殺人現場にいたカメラマンの撮った写真には、青タイの男の服しか映っていない。
青タイの男、バスローブに着替える。
テレビニュースの前に座り込むジョー。アンに「まだいたのか?」。
「アニエス・ベーも来る」と言うオカマのデザイナー、コート。
ジャック「母さんは?」シモーヌ(アヌーク・エメ)「何も言わず出てって」「今夜は母さんに付き合う」。
「私はアイルランドの田舎者です」とカメラマンのマイロ。
 遺体の検分をするイザベラ。オリヴィエの愛人だったシモーヌも現れる。
 ジョーは電話で記事を伝える。
 青タイの男、テレビでイザベラの姿を見て、「イザベラ!」と叫び、鼻歌を歌う。
 「シモーヌはオリヴィエが死んで喜んでいる」。
 ジョーとアンは酒を飲み、親密な関係になっていく。
 マイロ「もう撮影を始める」。集合写真。シモーヌが遅れてくる。彼女を中央にしてシャッター音。
 青タイの男、犬のフンを踏む。パリコレが始まったと語るキティ。青タイの男はイザベラを探す。
 シモーヌにソニアがお悔みを言いに来る。ジョーとアンはバスローブ姿。「いつもこうなる訳じゃない。アルコールに問題がある。忘れてほしい」とアン。「問題はない。構わない」とジョーが言うと、「すごいわ」と言ってアンはジョーが見ていたチャンネルを変える。怒るジョー。
ファッションショー。
シモーヌのもとにお悔みを言いにコートが来る。
イタリア人デザイナーにインタビューするキティ。VIPたちに挨拶するイタリア人デザイナー。
シモーヌにお悔みを言いにサイ(フォレスト・ウィテカー)が来る。「オリヴィエは嫌いだった。話せない話もある」とサイ。
“イッセイ・ミヤケ”。ルイーズは買い物を楽しむ。
 イッセイ・ミヤケのファッションショー。日本語の歌。ジョーは電話で記事を送る。
 刑事、シモーヌの許へ。スリムはブーツをシモーヌに渡すが、「これは私のロゴ。誰の許可で?」と言う。
 ファッションショー。イザベラを探す青タイの男。
 “ソニア・リキエル”“クロード・モンタナ”“サイ・ビアンコ”へのキティによるインタビュー。
 ファッションショー。青タイの男はまたイザベルを探す。主要ファッション誌の編集主幹の一人レジーナはマイロに電話してくれるようにメモを渡す。ハリー・ベラフォンテにインタビューするキティ。イザベルは青タイの男を認めると、失神する。
 イザベラは目覚める。シモーヌと公然と不倫をしていたことについてキティはインタビューする。(中略)
 サイはコートに電話する。
 “ゴルチエ”のファッションショー。
 アンは酒を飲んで横たわっている。
 ゴルチエにインタビューするキティ。(明日へ続きます……)

吉田照美『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』その4

2017-03-11 05:48:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
・「あの官邸前デモに参加している人たちに、反原発団体というレッテルを貼りたいというのが、国の方便なわけですけど、実際に間近で見てみると、全然そんな感じじゃないんです。カップルもいれば、家族連れもいれば、乳母車を押している若いお母さんもいる。僕には、みんな普通の人に見えました。だから、“デモ”という言い方は似合わないような気がします。僕は、あれは“行進”だと思いましたね。つまり、普通の人が行進するという事実が、テレビのニュースではまったく伝えられていないわけです。ひどいと思いました」
・「やはり客観報道というものは非常に難しくて、そうすると、自分で取材して、自分の物差しで見たものが一番正しい情報だと思うんですよ。そうでない限りは、複数の情報があったら、それらを全部伝えて、その上で真実はどこにあるのかを伝えなければならない。そして、それが今、ちゃんとなされているかと言うと、まったくそうは思えないわけですね」
・「最終回の放送は13年3月29日。やはり最後は、なかなか感慨深いものがありましたね」
・「僕は、今までラジオの放送中に泣いたことはなかったんですが、この番組の最終回で、とうとう泣いてしまいました。1通の手紙がきっかけで涙してしまったんです。『やる気MANMAN』のヘビーリスナーだった方が、久々に手紙をくれたんですね。『ソコトコ』もいつも聴いてくれていたらしいんですが、手紙は長い間、書いていなかったと。理由は、奥さんががんに侵されてしまったから。でも、その後、奥さんも元気になられて、『こうして久しぶりにお便りを出しました』それでもう、ウルッと来てしまいました」
・「そして、僕の現在のもうひとつのレギュラーラジオ番組『吉田照美 飛べ!サルバドール』は、13年4月にスタートしました。僕のアナウンサー人生にとってターニングポイントとなった『ソコダイジナトコ』を経て始まった、平日夕方の帯ワイド番組です」
・「スタートにあたって、文化放送から番組に託された命は『常識を越えろ』。それが番組のスローガンになっています」
・「ラジオの番組の特性を活かすためには、インフラや規制も取っ払うべきだろう。在京キー局の番組も地方局の番組も、すべてのラジオ番組が、日本全国どこでも聴けるようになれば、ラジオというメディアももっと強くなるのではないだろうか」(これは現在radikoで実現しました)
・「(前略)くだらない話をしているときに腹を抱えながら大笑いする瞬間が、一番好きだ。(中略)そんな瞬間が、ラジオに携わる僕にとっての至福の時間だ」
・「今後の目標は、自分の代表作と呼べるようなラジオ番組を作ること、これに尽きる。かつて、喜劇王のチャップリンは、『あなたの代表作は?』と問われた時、『NEXT ONE』と答えたという。過去の代表作ではなく、未来の次回作こそが自分の最高傑作--------僕もまさにそんな姿勢で仕事をしたいと思っている」
・「しかし、“ラジオで自分が本当にやりたいこと”とは何なのか。僕はいまだにわからずにいる。だから-------わからないまま、今日もラジオマイクに向かっている。わからないからこそ、ラジオの仕事を続けていくことができる。わかるまで、今日も明日も明後日も、ラジオマイクの前で、リスナーに向けて、僕はしゃべり続けていくことだろう。僕は、ラジオを愛している。僕は、ラジオマンだ」
・永六輔さん「あのですね、終戦時、僕は大学で民俗学者の宮本常一先生に師事していました。(中略)僕はこれからはラジオが面白そうだと考え、宮本先生に相談したんです。『民俗学から離れて、ラジオの世界に行きたいと思います』って。(中略)そしたら、先生が『キミ、ラジオってのは電波だ。電波はどこまでも飛ぶ。キミはどこまでも飛ぶ電波の先に行け。行き着いた先で人と語らい、人の話を聴け。キミはそれをスタジオに持ち帰って伝えなさい。だからスタジオでモノを考えるな、モノを考えるなら電波の先で考えろ。それができるなら、行ってもいいよ』って言われたんです。(中略)その教えを今日まで、ずーっと守ってます」

 照美さんのラジオ番組に対しては、私が中学生の時に『てるてるワイド』を聴き始めて以来、ずっと熱心なリスナーであり、照美さんは私の精神的な“お兄さん”的な存在だったと思います。『てるてるワイド』の時、モノマネが上手だった妹の名前をかたって手紙を出し、妹を電話を通じて番組に出演させ、マッチのコーナーでその日の金賞をもらった思い出もあります。私の青春時代から今まで続いて来た、文化放送における照美さんの帯ワイド番組は、なんと今月いっぱいで終了とのことで、“Change org”などでは反対運動が起こっているようですが、一度上層部が決めたことを覆すのは難しいと思います。とにかく気概にあふれた照美さんの声をradikoでもいいですから、これからも聴いていきたいと切に思っている次第です。

吉田照美『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』その3

2017-03-10 05:20:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
・「結局、数年前に報道番組を持ちかけてきた編成の人の『吉田もいい年なんだから』という言葉が、50を過ぎて、真実味を帯びて重くのしかかってきたわけです」
・「結果的には、このあと『ソコダイジナトコ』という番組と巡り合うことで、幸いにして自分がこれから進むべき道が見えてきわけです(後略)」
・「この時期に僕は絵を描きはじめたんですけど、それは、この不安な思いがどこか反映されていたのかもしれません」
・「そんなとき八代亜紀さんが油絵の教室を始められると聞いて、通い始めたんです」
・「『やる気MANMAN』が20年の歴史に幕を閉じて、『吉田照美 ソコダイジナトコ』が始まったのは、07年の春。朝6時からの生放送ということで、憂鬱な気持ちを抱えながら始まったこの番組が、これほど自分にとって意義深い番組になるとは、このときは夢にも思っていませんでした」
・「また、始まった頃は、自分のキャラクターが活かせないもどかしさもありました。この番組では、僕がニュースに明るくないということもあって、ジャーナリストの江川紹子さんや内田誠さん、詩人のアーサー・ビナードさんといった方たちを、コメンテーターとして配していて(後略)」
・「でもそのうち、番組の内容が全部ニュースじゃ面白くないということに、制作サイドも気づき始めるわけです。(中略)そんなムードの中で、ひとつの起爆剤になったのが、『クイズ!東京の街 ここはどこでしょう?』。僕がマイクを持って、東京都内のどこかの街に出かけて録音してきた素材を流し、リスナーにその場所はどこかを当ててもらう、というクイズ企画です。これは実を言うと、皆、永六輔さんの『土曜ワイド(ラジオTOKYO)』の中で、久米宏さんが表周りでやっていたことを、そっくりそのままパクっているんですよ」
・「それ以降、このクイズは、スペシャルウィークの恒例企画として番組の呼び物のひとつになっていったんですが、最初にやったのが、08年の秋。番組がスタートしてから1年半経って、ようやく光が見えてきたわけです」
・「また、ちょうどこの頃に、番組のアシスタントが唐橋ユミさんに代わりました。彼女の存在も、番組の活性化に大きく貢献したと思います」
・「こうして震災翌日の3月12日は、報道特集を手伝わせてもらいました。その日は一日中、報道体制が敷かれていたんですが、僕は、15時くらいから2時間ほど担当させてもらって、(中略)リスナーからのメールを紹介したり、新しく入ってきたニュースを読んだり、といった内容でした」
・「このとき一番問題だったのは、原発事故に関する正しい情報が、日本のメディアのどこからも出てこなかったということです。(中略)新聞・テレビは、みんな横並びの報道で、もういっそ、新聞は1紙、テレビは1局あれば、それで事足りるんじゃないかというぐらい、同じ情報が流れ続けていました。しかも、その情報はほとんどウソだった」
・「そんな中で、アーサー・ビナードさんや江川紹子さん、そして上杉隆さんといった、当時のレギュラーコメンテーターの方たちが、テレビでも新聞でも、他のラジオでも扱わないような原発事故の情報を、どんどん発信するようになっていきました」
・「ともあれ、『ソコダイジナトコ』が“真実を伝える”という独自の路線を打ち出して、他局と完全に差別化された形になると、応援してくれるリスナーがどんどん増えていきました。そうすると、聴取率も上向きになり、ついに整数、つまり1%を超えるようになったんです。実は文化放送の朝の番組は、この20年ぐらいずっと、聴取率が整数を越えたことがなかったんですね」
・「当時はラジオもテレビも、ほとんどの局が、『被災地への配慮』という理由で、歌番組やお笑い番組の放送を自粛していました。でも僕は疑問に感じていました。(中略)あの時期は、被災地のみならず、日本中の人たちが疲れ切っていたのも事実です。だからこそ、人々の疲れた心を音楽で癒すということも、今ラジオがなすべきことのひとつなんじゃないか。そんな思いから、『ソコトコ』では積極的に音楽をかけていたんです」
・「その意味では、『音楽喫茶 とまり木』というコーナーも、すごく意義のある企画だったと思います。『とまり木』は、僕と唐橋さんが、いろんなキャラクターを面白おかしく演じるラジオドラマのコーナー。(中略)この中で、唐橋さん扮する福島弁のおばあちゃんのキャラクターが出てくるんですけど、この福島弁は素晴らしかったですね。独特の味わいがあって、たとえ意味がわからなくても、聴いているだけで和まされるという、ものすごい癒し効果を持っていて」(また明日へ続きます……)