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吉田照美『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』その2

2017-03-09 05:25:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
・「林山さんの“仕事の鬼”っぷりを象徴する逸話があるんです。彼は毎日、自宅で自分の担当する番組のオンエアをチェックする際、自分の目の前にラジオを3台置いて、左から、TBS、文化放送、ニッポン放送とダイヤルを合わせて、同時間帯の番組を3ついっぺんに聴いていたんです」
・「81年の夏、マッチとトシちゃん(田原俊彦)と、それからヨッちゃん(野村義男)の“たのきんトリオ”が、後楽園球場でコンサートを開催することになりました。(中略) 僕の席は外野席の一番後ろの高いところだったんですが、(中略)前の席に座っていた女の子が、僕に気がついて『吉田照美だ!』と叫んだ。すると、そこから『吉田照美だ!』という言葉が伝言ゲームのように前のほうに伝わっていき、どんどんみんながこちらを振り向いていく。気がついたら、、僕の視界に入っている人全員がこちらを見ているんです。(中略)これまでに、いろんな番組でたくさんのイベントをやらせてもらいましたけど、あれほどの熱視線を浴びたのは、後にも先にもこのときだけです」
・「『セイ!ヤング』の頃までずっと、僕にとって理想のラジオパーソナリティは小島一慶さんでした。しかし『てるてるワイド』が始まって3ヵ月後、ラジオ界に大きな革命が起こったんです。そしてそれは僕にも決定的な変化をもたらすことになりました。81年1月1日、あの『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まったんです」
・「僕の中では、深夜放送の世界は、ほとんどやり尽くされた感があったんです。(中略)でも、そんな深夜放送の世界にたけしさんが現れて、『お前らなんかに放送はあげないよ。オイラの放送だよ』と言い切っちゃうかっこよさというのは本当に強烈でした」
・「しかもすごいのは、大人も夢中になって聴いていたということ」
・「ところが僕の人生を振り返ってみると、幼少期は下町で過ごしていたわけで、たけしさんのように『オイラ』とは言わなかったけど、『オレ』とか『オマエ』、とか、割と乱暴な言葉遣いで友達とやりとりしていたことを思い出して、僕にだって“自分の言葉”があるじゃないかということに初めて気づいたわけです」
・「余談ですけど、たけしさんの『オールナイトニッポン』がスタートして間もなく、82年の夏に、その裏でやっていたTBSラジオの『那智チャコパック(中略)』が終わってしまうんです。そのときのリスナーの反響は凄まじかったですね。彼らが番組終了反対の行進を行ったということがニュースにもなるほどでした」
・「芸の世界では『学ぶは“真似ぶ”』という言葉があります。それは『真似るとは、つまり王道を学び、王道に通ず』ということだと思います」
・「3年半は全然、楽勝でした。何の努力もせず天下を取り続けていた。それが3年半経ったところで、強敵が現れるんです。84年2月、ニッポン放送の『ヤング・パラダイス』という番組に、新パーソナリティとして三宅裕司さんが登場したんです」
・「『夕やけニャンニャン』から学んだことがあるとすれば、言葉は悪いんですが、やっぱりテレビは“見世物”なんだということ。同時に、テレビに出ている、しかもヒット番組に出ているということは、すごい波及力があるんだなということは勉強になった気がします」
・「5年半続いた『てるてるワイド』に後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、『吉田照美のやる気MANMAN!』が始まったのは、87年の4月。平日午後1時からのワイド番組です」
・「『やるMAN』は、一般のリスナーのみならず、著名人もたくさん聴いてくれた番組で、大橋巨泉さん、井上陽水さん、Mr.Childrenの桜井和寿さん、みなさん何度もゲストで来ていただきました」
・「こうして87年の番組開始から6年目で番組聴取率第1位の座に就いた『やるMAN』は、07年に終了するまで通算で55回も1位となりました。そして番組の知名度とともに、僕と小俣さんの名前も、よりクローズアップされることに。特にそれまで全国的には知られていなかった小俣さんは一気にブレイクしました」
・「『てるてるワイド』時代にフリーになって始めた『11PM』は、『やるMAN』に変わってからも続けることができていました。『11PM』は、僕のテレビレギュラーの中では一番長く続いた番組。丸5年やらせてもらいました」
・「宜保さんが初めてゲストに来たびっくりしました。(中略)。このときはレギュラーの三枝成彰さんと早見優ちゃんが宜保さんに霊視してもらうという企画だったんですが、宜保さんの言うことが全部図星だったみたいで、二人ともどんどん真剣な表情になって、熱心に話に聞き入ってるんです。僕はMCだから霊視してもらう予定はなかったんですけど、CMの間に『僕も何か見えますか?』と聞いたら、すかさず宜保さんが『吉田さんはお父様が小さい頃、ご兄弟を亡くされていますね』。もうその通りなんですよ」(また明日へ続きます……)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

吉田照美『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』その1

2017-03-08 06:55:00 | ノンジャンル
 遅ればせながら、吉田照美さんの’13年作品『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』を読みました。照美さんにインタビューした内容をまとめて文章化したものと、照美さんとの付き合いが長い小山薫堂さんと照美さんの対談、永六輔さんと照美さんの対談を掲載した本です。
 本文からいくつか引用させていただくと、
・「若い頃は、『くだらないこと』『バカバカしいこと』をテーマに掲げて、ラジオならではの笑いを夢中になって追求してきた。もちろん今でも、くだらないことやバカバカしいことは大好きだ。たくさんの笑いをリスナーに届けたい、と思っている」
・「(前略)予備校の授業が終わると、みんなラジオの話題で盛り上がってるんですよ。那智チャコ(野沢那智と白石冬美)の『パックインミュージック』の話をしている人が多かったかな」
・「東京アナウンスアカデミーの授業では、やたら自己紹介させられるんです。そのときに僕が感じたのは、やっぱり、聞いてるみんなが笑えるような自己紹介が一番いいんじゃないかということ」
・「そんな中で出会ったのが、TBSラジオの深夜放送『パックインミュージック』の小島一慶さん。『パックインミュージック』は、愛川欽也さんや那智チャコのお二人も面白かったんですけど、僕にとっては小島一慶さんの月曜日が一番でした。一慶さんがすごいのは、しゃべりがアナウンサーっぽくないんです。自分の日々の生活の中で感激したことや興味を持ったことを話すんですが、それをごくごく普通の言葉で表現しているところが画期的でした」
・「もちろん深夜放送も元気な時代でした。そもそも僕は、深夜放送のディスクジョッキーがやりたくてアナウンサーになったわけですが、(後略)」
・「『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』が始まったのも、ちょうどこの年なんです。鶴光さんは、ラジオならではの、“笑えるエロ”というものを編み出した人でした。実際に見せるよりも、音で想像力や妄想力をかきたてるからこそ、いやらしいんだ、という切り口は新鮮で、まさにラジオならではの面白さなんです」
・「ただ当時は、鶴光さんに限らず、深夜のラジオでは、性的な好奇心を刺激してくれるような番組がけっこうあったんです。僕が特に好きだったのが、TBSラジオの『私のロストラブ』という番組。素人の女の子をスタジオに呼んで、その子の初体験にまつわる想い出話を事細かにインタビューするんです。(中略)普段、女の子からそんな話を聞くことなんて、まずないじゃないですか。だから僕も、食い入るように聴いてました。パーソナリティは、なんと中村メイコさん。庶民派のお母さんというイメージを持っている方も多いと思うんですけど、この番組のメイコさんは素晴らしかった。決して下品ではないんだけど、ドキドキさせてくれるんです」
・「ただ、今にしてみると、その頃の自分が、同じ文化放送の先輩アナウンサーよりも、どちらかと言うと他局のアナウンサーのしゃべりを目指していたということが、ラッキーだったなと思う。僕はそもそも小島一慶さんや久米宏さんに憧れてこの世界に入ったわけですから、(中略)文化放送の他のアナウンサーとは違うカラーを出すことができたし、文化放送の中で、多少なりとも目立つことができたんです」
・「60年代の終わり頃から70年代あたりまでの時期というのは、ラジオがヒット曲の発信源でした(後略)」
・「由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』もラジオから火がついた曲だったし、一時、イギリスのベイ・シティ・ローラーズというバンドが大ブレイクしたことがあるんですけど、あれは文化放送が仕掛けたブームなんです」
・「(前略)ラジオというのは、常にリスナーがしゃべり手に対して応援の気持ちをもって聴いてくれるようなところがあるんです」
・「(『パンチDEデート』は)いわゆるお見合い番組で、一般の男女がスタジオに出てきて、カーテンで仕切られてお互いに姿が見えない状態で話をしていくんです。三枝さんが女性側、きよしさんが男性側につくんですけど、途中、三枝さんがカーテン越しに覗いて男性の顔をチェックするんですよ。そのときのリアクションが最高で、『オヨヨ! 西城秀樹というよりも……最後のおでき、という感じ』。あの言葉の表現力はすごいなって」
・「そこで、笑いに関して特に才能がない自分が、ラジオで何をしゃべろうかと考えたときに、“失敗談”が武器なんだということに気づいたんです」
・「80年10月、『吉田照美のてるてるワイド』がスタートしました。平日の夜9時から深夜0時までの生放送で、僕にとって初めての帯ワイド番組になります」(明日へ続きます……)

石井隆監督『黒の天使vol.2』その2

2017-03-07 05:32:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 「それを苦にして首を吊ったらしい。全部私のせい。私の中にはずっと雨が降り続けている」。近づく雨の男の顔。
 電話で起きるマヨ。「ママよ。今日の夕方、動きだすわ」。
 「今行く。キャッシュも何とかする」と電話を切ると、部下に「横浜に行くぞ。矢崎がベイホールをこっちの言い値で売却したがってる。田舎者には宝の持ち腐れだ。看護婦もいない病院にいつまでいろって言うんだ」。
 氷水で顔を洗うマヨ。冷凍庫から拳銃を取り出し、チンする。
 床に座ったまま食事するマヨ。
 ブラジャーから拳銃を取り出す練習をするマヨ。
 黒いロングスカートに黒いロングコートを羽織るマヨ。
 物件の説明をしている男。「兄弟、例のレストラン、まだあんの?」。
 海を見て「いやー、いい趣味だ。俺ら田舎者にはよく分からないけど」「こっち見てよ。高いですよ」「スタンウェイだ」「1千万は下らない。キャッシュで」「ちょっと待ってくれ」「金がいるんだろ? 今決めろよ」。
 花屋の娘、バースに現われ、東洋めがけて撃つが、撃ち損じ、取り押さえられる。「今の女は何だ?」「捕まえて吐かせます」。そこへマヨ、現れる。足技で一人目、二人目は射殺、三人目は蹴とばす。そこで三人目の男が雨の男だと気づく。マヨは男が振り回す手をかいくぐって逃げる。
 「今日から不詳矢崎が東洋のすべてを本部の答申により管理するように委任された」。(中略)「帰って食事の支度でもしとけ」と東洋の部下に言う矢崎。雨の男「俺はあんたと兄弟の契りを交わしたわけじゃない。好きにさせてもらう」「馬鹿。破門だ」部下「また女が残金をくれって」。部下に当たる矢崎。(中略)
 手術室でリンチを受けている花屋の娘を助け出そうとする雨の男。乱闘となり、刀で斬られんとするが、現れたマヨに救われる。(中略)
 矢崎の事務所「また派手にやってくれたな」部下「また残金を取りに来ました」。マヨ、拳銃を構えて現れ「黙って帰ろうと思ったけど、お会いできてよかったわ。これからもよろしく」と言うが、部下に頭に拳銃を押し当てられ「ありがち」と言われる。ボディチェックを受けて拳銃を見つけられるたびに「ありがち」と言われるマヨ。胸のジッパーを降ろす部下に唾を吐きかけると、部下はマヨを殴り倒し、その隙にマヨはブラジャーから拳銃を取り出し、部下を次々と射殺する。逃げながら反撃するマヨ。
 雨の男、雨の中を逃げるマヨを乗せる。
 「どうすんだ? 女に逃げられ」「すいません」。部下に暴行を働く矢崎。
 マヨ「助かりました」雨の男「組長を殺した人に礼を言われても」「報酬を取りに行って銃撃戦になったんです」雨の男、花屋の娘に「大丈夫だから。もう心配ないから。その人が組長を殺してくれた」「仇を討ってくれたのね」。(中略) 雨の男、花屋の娘に「病院に行った方が」「いいんです。シンちゃん、仇を討ってきたから安心して成仏して」。失神する花屋の娘。彼女をソファに寝させる2人。マヨ「ひどい熱。薬ある?」。
 マヨ「安心してお休みなさい」雨の男「ありがとう」「これを4時間おきに」「あんたを狙って外した俺の弾で、この娘の弟は死んだんだ」。
 線香。お参りするマヨ。「これからどうする? 私にできることがあれば」酒を飲み「これがないと何もできない。どう? 眠れるよ」「ください」「いい飲みっぷりだ。俺が自分可愛さに嘘をついている間に矢崎にやられた。そうして今3人が一緒にいる。仏さんがそうさせている」。雨が降り出す。「親不孝を絵に描いたようだ。10年前、一人の女の子を助けてから人生が変わった。そう思って女の子を恨んだこともあったけど、その女の子のきれいな目を見てドキドキし、どうしようもなかった」「その女の人、今どうしてる?」「マヨって言う子だった。どっかあんたに似てた」。マヨ、雨の男に並んで座り込む。マヨ、男の肩に頭を預けて眠り込み、額の傷から雨の男はマヨがこの女性であることを知る。目覚めるマヨ。「来たのか?」「分からないけど。これを持って彼女と逃げて」。トラックが突っ込んでくる。助手席には死体。
 逃げる3人。道の両端を車でふさがれ、突っ込んで来た車の運転手をマヨが射殺するが、その車にはねられる。矢崎らが車から降りて3人を囲み、雨の男に2発撃つ。「とどめを」とマヨに拳銃を渡す雨の男。雨が上がる。雨の男「仇を討つならそいつだ」。花屋の娘、矢崎を撃つ。倒れた矢崎「俺は裏社会を合法化する企業努力をしてきただけ」雨の男「君は撃つな」と、矢崎にとどめの一発。花屋の娘は雨の男を撃とうとするが撃てず「シンちゃん、撃てないよ。死なないで。いやー」と叫び、映画は終わる。

 シリーズ1作目の方が主人公を葉月さんが演じていた分、肌をひりひり焼かれるような感触があった気がします。天海さんの「黒い女」は、テレビでも見られるタイプの女性だと思いました。

石井隆監督『黒の天使vol.2』その1

2017-03-06 06:16:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、石井隆監督・共同製作・原作・脚色の’98年作品『黒の天使vol.2』を見ました。
 繁華街を談笑して歩く3人組。黒いロングコートでサングラスの女が中央の1人を射殺して逃げる。
 眠る女(天海祐希)。留守録。「ママよ。明日の夜、20時から21時、青山の地下駐で予定通りに」。ベッド上の拳銃。 男の笑い声。3人の男に襲われる若い女性。
 雨。しゃがみこむ若い女性に「大丈夫か?」と赤い雨傘を差しかける男(大和武士)。自分の頭が銃撃され、目覚め、それまでが夢だったと気づく女。メッセージありの携帯。女、起きる。
 地下駐車場。ローラースケートの少年が現れ、向こうから歩いてくる3人の男におもちゃの拳銃で「バン」と撃つ。黒ずくめの女は柱に身を隠しながら男たちに接近。少年は折り返して来ると、振り向きざま3人の男たちを本物の拳銃で撃つ。撃ち返す男たち。そこで別の女と黒ずくめの女も銃撃戦に加わる。男たちが去り、射殺された少年に「シンちゃん! 誰か助けて」と泣き叫ぶ女。足に傷を負った黒ずくめの女は去る。
 「俺を殺して得をするのは太田しかいない」。ボディガード役だった部下たちは土下座している。「薬局は?」「組長、病院に行った方が」(中略)
 傷の手当をする黒ずくめの女。電話。「ママよ。お疲れ様と言いたいところだけど、しくじったわね。マヨ」「私の代わりはいくらでもいる。私を騙す奴は黒のママだろうと殺す」。暗転。
 「暴走族少年、刺殺さる」の記事をカッターで切り取ろうとすると、血が流れだす。夢から目をさますマヨ。横にはオカマが横たわっている。「分からない? この声。ママよ。お疲れ様と言いたいところだけど、しくじったわね。はじめまして。化け物を見るような顔をして、どうしたの? ここは組織のゲストハウス。あの2人は所帯を持つつもりだったらしいわ。仕事を横取りされたのね。2人とも箱根の山奥に埋められたらしいわ。付けられたのよ、マヨ。残務整理をよろしく。また連絡するわ」。ママ、去る。再び眠るマヨ。
 3人の組長、もめる子分たちに「うるせえんだ、お前ら」。矢崎(鶴見辰吾)「一旦車を戻して逃げたのは正解。あの駐車場は車のナンバーを記録しておくので、車で逃げたらどこの組がやったかばれていたはず。襲ってきた3人のプロは不明のままだし、巻き添えの女も何も見ていない。したがって警察も動いてない。身内同士で争わせようという誰かの魂胆かも。今回のことは私に預けて」。同意する3人の親分。「そういえば横浜のディスコの物件はどうした?」「俺にはうまくできない。兄弟がプロデュースしたらばけるでしょう」。
 マヨ、起きる。足の傷の手当。足で蹴りを入れるが、痛みで倒れる。
 冷蔵庫を漁るマヨ。
 「ママよ。例の親子の残務整理、よかったら手伝ってね」。((中略)
 花屋の娘の母「暴走族だったけれども立派に更生してたわ」花屋の女「シンちゃんが私を守ってくれる」。
 シンの仏壇。眠る花屋の娘。雨の男が暗殺をしに現れるが、花屋の娘を撃つことができない。さらに現れたマヨもやはり撃てない。雨の男は「私は元暴走族で弟さんの友達だった」と香典代わりに高い花束を買う。「こんなにたくさん」と言って、雨の男を花屋の娘は追うが、男は車で去る。戻るとマヨも消えている。線香を立て、「誰なの? 知ってる人?」と仏壇に向かう花屋の娘。
 花屋の娘は暴走族の加藤に「背が高い人? 東洋組って噂だぞ」と教えられる。
 加藤は花屋の娘をバイクに乗せ、ラブホテルに入っていく。
 ドアをノックする加藤。全身刺青の男(寺島進)がベッドにうつ伏せになっている。部屋にいた女は浴室へ。「あんたがそうなの? 大変だったね。加藤、彼女元気か? これで飯でも食って来い」。加藤が去ると「東洋って外道が犯人だよ。仇を討つんなら、横浜のバースっていうディスコに行けばいい。拳銃は貸してやるよ」。逃げようとする花屋の娘。「ただじゃ申し訳ねえってか?」と花屋の娘を押し倒し、「ガタガタうるせえ」とレイプする。「私、先に帰るから」と部屋の女。「早く帰れよ」と刺青の男。「拳銃は簡単には当たらねえ。まず腹を狙え。防弾チョッキを着ていても相手は固まる。そして顔を撃て。チャカは加藤からもらったことにすればいい。後は俺がお前の面倒を見る」。
 花屋の娘、起きる。裸のまま拳銃を手に持ち、撃つマネをしていると、本当に実弾が出て、刺青の男を射殺してしまう。「私も行くから」と自殺しようとするが「できない」と泣く。血まみれの男の俯瞰。
 部屋。一人で飲むマヨ。「雨が降る10年前」。
 暴走族に襲われるマヨ。「止めろ」と雨の男は3人を制止しようとするが、相手の1人がナイフを取り出すと、雨の男はそれで逆に相手を刺してしまう。「大丈夫か?」と赤い傘を娘に差しかける雨の男。「送ろうか?」と言うと、首を振るマヨ。(明日へ続きます……)

斎藤美奈子さんのコラム・その11

2017-03-05 06:34:00 | ノンジャンル
 恒例となった、水曜日の東京新聞に掲載されている、斎藤美奈子さんのコラム「本音のコラム」の第11弾。
 まず、2月15日に掲載された「サラ川の男たち」と題されたコラム。
「サラリーマン川柳っておもしろいですか? みんながいうほど私にはおもしろくない。だってオヤジ目線なんだもん。
サラ川は毎年五月に投票結果を反映した上位十選が発表になる。2016年の1位は「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」、2位は「じいちゃんが 建てても孫は ばあちゃんち」だった。
サラ川サラリーマンの性格を一言でいえば『自虐的な恐妻家』だ。十選中約半分は毎年このタイプが占める。直近十年の一位だけ拾っても『うちの嫁 後ろ姿は フナッシー』(14年)、『仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い』(10年)、『しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ』(09年)など、流行語を取り入れながら妻を恐怖や揶揄(やゆ)の対象にした句が人気を集める。
13日、今年も上位十選のもとになる入選作百選が発表になった。
『ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?』『落ちたのは 女子力、体力、保育園』など世代差を笑う句や女子目線の句も増えたが、『使途不明 共働きの 妻の金』『妻は言う 手抜きじゃないの ヘルシーよ』『こづかいも マイナス金利と 妻が言う』など恐妻モノもまだ健在だ。それが笑いのネタになる以上『俺たちが望んだ夫婦はこれじゃねえ』ってことかしら。
ふと思いつきました。サラ川の男の意識はまだ昭和。」
 さらに、2月22日に掲載された「モデル校の開設」と題されたコラム。
「政権をゆるがすほどの大スキャンダルなのに、なぜ多くのメディアは徹底追及しないのだろう。大阪府の学校法人『森友学園』の件である。
8日の朝日新聞がスクープし、国会でも追及され、18日の本紙特報面が詳細を報じ、一部の週刊誌が取り上げてはいるものの、テレビのニュース番組はほぼ見て見ぬふり。金正男氏殺害事件の続報とトランプ政権問題に明け暮れている。これって自分ちの火事を放置して、人んちの火事見物に駆けつける無責任なやじ馬に似てません?
もちろん北朝鮮や米国の心配も重要である。しかし民主主義の危機という点でいえば、森友学園の件はかなり重大だ。
1、 同学園が4月開校予定の小学校用地として国有地を近隣国有地の価格の約1割で買い取っていること。
2、小学校用地すら決まっていない段階で文科省の承認が下りていること。
3、同小学校の名誉校長が首相夫人の安倍昭恵氏であること。
4、同学校の教育方針が『教育勅語』の唱和を含む極右的なものであること。
重要なのは1、2で、3,4は『さもありなむ』と思われるかもしれない。が、同学校の教育は『一私立校の勝手でしょ』ですむ話なのか。私には自民党が今国会に提出予定の『家庭教育支援法案』を先取りした学園に見える。いわば同党のモデル校。頑張れメディア。手をこまねいている場合ではない。」
 さらに、3月1日に掲載された「大学生の貧困」と題されたコラム。
「今日から3月。卒業と旅立ちの季節である。でも、ご存じだろうか。アルバイトをしながらやっと大学を出たのに、出たと同時に数百万円の借金を背負わされる。そんなマイナスからのスタートを強いられる若者たちが急増していることを。
Aさんは片道3時間以上かけて通学している。部屋を借りる経済的なゆとりがないためだ。サークルは断念したが、毎日バイトもしているので帰りは終電近くになる。
 自宅外から国立大学に通うBさんは日本学生支援機構の奨学金を月に12万円借りている。利子を加えると返済額は600万円超。国立の学費が安かったのは過去の話で、それがなければ授業料も生活費も払えない。
 Cさんは大学院への進学を希望していたが、月に5万円の奨学金を借りており、返済額は利子を含めて250万円超。これ以上の奨学金の返済は不可能だと判断し、進学はあきらめた。
 以上、大内裕和『奨学金が日本を滅ぼす』(朝日新書)に出ていた例の一部である。いまや大学生の奨学金利用者は全体の50%を超え、使い道も授業料、教科書代、交通費といった基礎的な出費である。ブラックバイトがはびこる理由もそれ。高卒で働けばいい? いやいや、高卒の求人自体が激減しているのよ。
 急激に進む大学生の貧困。だいたい奨学金に利子がつくっておかしいでしょ。」

 御説ごもっともなものばかりで、大変勉強になりました。これからも美奈子さんのコラム、楽しく読んでいきたいと思っています。