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劇団民藝『正造の石』

2019-02-24 00:44:00 | ノンジャンル
 今日は映画監督ジャック・ドゥミの作品の音楽を多く手がけたミシェル・ルグランさんの誕生日です。生きていれば86歳となっていたはずで、昨年の末に訪日し、ブルーノート東京で見事な演奏を聴かせてくれたのに、つい先日亡くなったことが未だに信じられない気がします。改めてご冥福をお祈りし、ミシェル・ルグランさんが残してくれた美しく魅力的な音楽に感謝したいと思います。

 さて、昨日、東京都新宿区にある「紀伊國屋サザンシアター」で行われている、劇団民藝による演劇『正造の石』を母と一緒に観てきました。
 まず、パンフレットに掲載されていた「ものがたり」を一部改変させてもらい、転載させていただくと、
「明治39年、日露戦争の勝利に国中が湧きたっていた頃、北関東にある谷中村では足尾銅山から流出する鉱毒によって水や田畑が汚染され、農民たちは病と貧困に苦しんでいた。新田サチの家の被害も甚大だった。事態が深刻化するなか、サチは婦人解放運動家・福田英子のもとで住み込みのお手伝いさんになるため東京へ向かった。自由と平等の権利を求める活動家たちに囲まれ目まぐるしい日々を送る英子にサチを紹介したのは、足尾銅山閉鎖を国に訴え続ける田中正造だった。『何の値打ちもねえが、世界でただ一つの石だ』。渡良瀬川で拾った石を正造はサチに託して送り出す。しかし、サチは「谷中村で暮らす兄を助けるためだ」という口実で、福田家の内情を密偵するよう官憲に命じられたのだった。苦悩の日々のなか、サチは福田家に出入りする人物のことを、ひとつ残らず官憲に告げてしまう。兄のために英子を裏切ったことに気づき、自分を責めるサチ。そんなとき、サチはひとつの詩に出会う。サチの心に輝きがともった……。」

 このあとの「ものがたり」を私なりに書いてみると、「サチは偶然、その詩を書いた石川啄木に出会う。啄木は自分が小説家になるために、妻子を田舎に置いて、都に出てきたのだが、自分の書く小説など一つの価値もないのでは、と最近思うようになったとサチに告げる。サチは「こんなに人の心を動かせる詩を書ける人が、小説を書けない理由など見当たらない」と言うと、啄木はそれに励まされて小説の執筆を再開することをサチに誓い、サチに屋台の酒をおごり、別れぎわにキスする。呆然とするサチ。翌日、サチは啄木と会いたいがために屋台に来るが、屋台の主人は啄木が本郷に下宿していることしか知らないと言う。必死になって啄木を探すサチ。やがてサチは吉原に辿り着くが、そこで探し当てた啄木は「僕はやっぱり小説などまったく書けなかった。小説の地獄などより、ここで天国を味わうしか能がないのだ」と言って、遊女とセックスを始める。またも呆然とするサチ。(中略)サチは英子と同居する男から襲われそうになり、それを発見した英子は男を平手打ちする。(中略)日露戦争で負傷した者や、そのPTSDで苦しむ者たちが収容されている病院を訪れたサチたちの前に、足尾銅山の鉱毒のため池を作った、首相も務めたことがある原敬が現われる。それは精神病院のような場所も訪問したという政治的な宣伝のためになされたことであった。サチは田中正造から託された石を取り出し、原敬に詰め寄るが、官憲に阻止される。たまたまそこを訪れていた英子は、サチを官憲から守るため、両手を横にいっぱいに伸ばす。そしてある日の朝、その病院で看護婦を目指すことになったサチは、漢字を習い、今後いろいろな小説や手紙に触れていけるようにと、希望に溢れて語るのだった。」

 サチを演じる主演の森田咲子さんが素晴らしく、石川啄木を演じた大中耀洋さん、遊女役の金井由妃さんをはじめ、印象に残る迫真の演技を多く見ることができました。私は最後の場面でつい涙すると、それが嗚咽に走りそうになり、それに耐えるのが大変でした。

 また、今日は舞台が終わったあと、バックステージツアーというのも付録としてついていて、舞台監督の風間拓洋さんが舞台装置の転換を生で見せてくれるなど、2倍も3倍もおいしい観劇でした。
 ちなみに本公演は今日の1時30分、明日の1時30分と、あと2回の公演が残っています。まだ当日券があるかもしれないので、興味のある方は是非ご覧いただきたいと思います。(問い合わせ先は劇団民藝 044(987)7711。ただし月~土10時~18時まで。)チケットぴあ、ローソンチケット、イープラス、またシアターの入口でもチケットは扱っているとのことです。

ジャ・ジャンクー監督『山河ノスタルジア』

2019-02-23 06:12:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、ジャ・ジャンクー監督・脚本の2015年作品『山河ノスタルジア』を見ました。作品の日本版公式サイトから、「物語」を転載させていただくと、

「1999年」
 山西省・汾陽(フェンヤン)。小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンと幼なじみ。二人から想いを寄せられていたタオは、三人での友情を大切にしていた。内向的なリャンズーとは対照的に、自信家のジンシェンはタオの気を引こうとする。やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け入れ、傷心のリャンズーは街を出ていく決心をする。生まれた赤ん坊を抱きかかえるタオ。息子はドルにちなんで、“ダオラー”とジンシェンが名付けた。「チャン・ダオラー。パパが米ドルを稼いでやるよ」。タオはじっと、我が子を見つめていた━。
「2014年」
 タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ダオラーは父親のジンシェンに引き取られ、上海の国際小学校に通っている。離れて暮らす我が子への想いを胸に過ごすタオ。
 ある日突然、タオを襲う父親の死。悲しみに暮れるなか、タオは葬儀に出席するためダオラーを汾陽へ呼び戻す。会えなかった息子との時間を埋めようとするタオだったが、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知らされる。
「2025年」
 オーストラリア。父親と共に移住したダオラーは19歳になっていた。彼は長い海外生活で中国語が話せなくなり、孤独な日々を過ごしていた。父親との間にも確執が生まれ自らのアイデンティティを見失うなか、ダオラーはトロントから移住してきた中国語教師ミアと出会う。
 自分と同じように異国の地で暮らすミアと心を通わせるうちに、いつしかダオラーはかすかに記憶する母親の面影を探しはじめる。(以上が「公式サイト」の「物語」。)

 ベッドをともにしたダオラーとミア。ダオラーが母からもらった母の家の鍵を首から下げているのを知ったミアは、実際に母親に会いに行くべきだとダオラーに言い、自分も息子に会いにトロントへ行く決心をする。旅行代理店に行き、汾陽とトロントを巡る旅をしようとする二人だったが、店員が二人を親子扱いしたことから、ダオラーは激怒し、店を後にする。
 激しい波しぶきをバックに、自らの行動を恥じるダオラーと、それを聞くミア。
 一方、タオは今でも昔と同じように一人で餃子を作り、雪のちらつく中、犬の散歩に出かける。そして草原の中、犬のリードを手放すと、若い頃リャンズーやジンシェンとともに踊ったダンスを笑顔で踊り始めるのだった。

 曲が流れだし、画面が抒情に陥ろうとするたびに、それを断ち切るがごとく画面が変わることが何度もありました。飛行機の墜落、ダンプからこぼれる大量の石炭、猛スピードで走る新幹線、タクシー、リャンズーを荷台に乗せたトラック、そしてもちろん列車など、乗り物が多く画面に映り、ラストシーンはまったく予想もつかない感動的なものでした。画面がスタンダードであったことも付け加えておきたいと思います。

高見ノッポ『チャップリンと私の父』

2019-02-22 12:26:00 | ノンジャンル
 国立映画アーカイブが2007年に主催した「没後30年記念 チャップリンの日本 チャップリン秘書・高野虎市遺品展」のパンフレットに掲載された、高見ノッポさんの「チャップリンと私の父」という文章を全文転載させていただこうと思います。

 「10月の初旬、東京国立近代美術館フィルムセンターの学芸員の方から電話があった。
『ちょっとお訊ねしますが、ノッポさんのお父様は昔、柳妻麗三郎という芸名で京都の方で映画に出ていらっしゃいますよね』
『ええ、そうらしいですね。なにしろ色んな名前を持ってましたから、そんな時も……』
『実はですね、当方で“チャップリンの日本”という展示会を企画しているのですが、当時の日本映画「活動狂時代」というものの中でチャップリンに扮して出演しているのがそのお父様なんですよ。東京の方にももう一人小倉繁さんという方がいらっしゃるんですがね』
『あらあ?!』
『残念ながら本篇のフィルムは見つかりませんでしたが、スティール写真だけが残ってました』
『何年ぐらいの製作ですか?』
『大正15年です』
(中略)
『ふーん……あっ、そうかあ!!』
『あ、モシモシ、なんですか?』
『あ、いえ、こっちのことですよ。うーん……そうかあ、そうなんだ。そこから“チャーリー高見”が始まってたんだ』
『モシモシ、モシモシ。なにが始まったんですかぁ?』

 オヤジは最初、松旭斎天秀と名乗るマジシャンだった。で、それからいつの間にか京都のマキノ映画で柳妻麗三郎なる映画俳優になっていて、そして最後が“チャーリー高見”なる芸名で、チャップリンの扮装そのままに他愛ないマジックとかをネタにして客の前に出ていたのである。(中略)
 実は昭和13年頃、オヤジは浮草稼業から足を洗って、東京の親類の経営する町工場の工場長になっていたのだ。妻子合わせて5人を食べさせる為にはそうするしかなかったのだろう。芸人さんとしちゃ鬱屈したものがあったろうがそんな気振りは見せたことがなかった。只、時折一番小さかった私(私の上の三人は私より一廻り上だったから、オヤジも遠慮していたのだろう)の手を引いて浅草の劇場街へ連れて行くと、楽屋口に顔を突っ込んで嬉しそうに笑っていた。
 やがて戦争が始まり、工場ごと岐阜の笠松という町に疎開し、終戦と同時にオヤジは失職した。
 ちょいとブラブラしていた。そしてそんな或る日、オヤジは押し入れの中からそれ迄見たことがなかった大型の皮鞄を出して来て、こう言ったのである。
『さあ、皆んなに見せてあげましょう』
『なにおさ?』
『私は面白いですからね。私が演ると皆んなが喜びますよ』
『喜ぶの……』
『はい、これです』
 鞄の中味はあの馴染みの衣裳が一式。
 私はそれ迄、昔の新聞の切り抜きや、小さな写真でオヤジのチャップリン姿は知っていたが、その衣裳一式が押し入れの中にあったなんて知らなかったのだ。
『参ったなあ、恥ずかしいよ、お父さん』
『いやいや』
 オヤジはにこにこしながら出て行き、にこにこしながら帰って来た。

 戦後、映画館が真っ先に開場した。そしてやがてチャップリン映画が見られる様になった。みな楽しく面白かった。だが本当を言うと、見る前に全て知っていたのだ。
 戦争中もオヤジはチャップリンに対する敬意━━うーん、勿論のことそれもあるけど、とにかく大好きな人ってことかな。とにかく小学生の私にチャップリンとその映画の話をしてくれる時はそれはそれは嬉しそうだった。
 『キッド』『担え銃』『モダン・タイムス』『黄金狂時代』『街の灯』━━この全ての筋立て、ちりばめられたギャグと名演技、それを余すことなく御講義なさっていたのだ。
 見る前に知ってたって、そりゃ真物のチャップリンの方がずうっと面白かったし、ギャグの意味や名演技のなんたるかなんて、稚ない私にはオヤジの講義はとてもありがたかった。

 さて、私が高校1年の時に東京に戻った。上の兄姉達は立派に独立していたが、一人残ったこの不肖の息子のために“チャーリー高見”は本格的に働き始めた。
 駐留軍のキャンプ廻り。ナイト・クラブ。大きなキャバレー。そして時にはミュージック・ホール。
 高校生の私も鞄持でついて行ったことがある。
 オヤジはどこに行っても見事だった。私だったらすぐにも泣き出したくなる様な悪条件のもとでも━━楽屋もなくてね、ホールの裏通路の裸電球の下で、鞄の上に手鏡ひとつ置いてね、太く眉を引き、ヒゲをつけて……
 オヤジは平然と客の前に出て行きましたよ。私は思うんですが、きっとオヤジは『私が演ると皆んな喜びます。それに私は私の大好きなチャップリンになってるんですよ』そういう自信があったんでしょう。

 大正15年の映画の中でチャップリンになって、それが始まりで、その後60才を過ぎるところまで演っていたんですね。」

転載させていただいたのは以上です。チャーリー高見、動画が存在していれば是非見てみたい方でしたね。

小沼勝監督『濡れた壺』

2019-02-21 06:13:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、小沼勝監督の1976年作品『濡れた壺』を見ました。
 場外馬券売り場の男と目が合い、その男から逃れる女(谷ナオミ)。(中略)
 “バー郁”に入ろうとした女。「お母さん」「アキ。久しぶり」。店内に入った母「ユリとレナもまだいたのね」。(中略)
 母「下着がないので、借りたいの」帰ってきた父「梅子、何しに? 娘の彼氏と駆け落ちしやがって」(中略)
 バー郁。女「ドラマよりコマーシャルの方が早く売れていいわ」と男に言い、トイレに行く。男、アキに「俺はテレビ局の人間ってことになってる」。アキに結婚の申し込みをする男。「俺は将来店長だ。そうすればアキちゃんは店長夫人だ」。トイレから戻ってきた女「あくまでもビジネスよ」。テレビ局の人間と偽っていた男、女の局部を隠れてまさぐり、女は悶え始める。
 ユリとレナ「ママ、疲れてるんだろうから、お風呂一緒に入らない?」「今日はやめとくわ」。
 風呂場でレズるユリとレナ。
 アキに「風呂場の隅に“僕ちゃん”を置いておいといから」と書いて風呂場を出るユリとレナ。(中略)
 風呂場でこけしを見つけ、愛撫するアキ。(中略)
 アキ、母に「今日はどこへ?」「お父さんはお馬とデートでしょ?」。
 母「あの人のいるところ知りたい?」アキ「安田なら場外馬券で見かけたわ」「お前は男を喜ばすことを知らない。今月の給料の前借をしたいわ」「これからどうするの?」「お父さんは戦争から帰って、10年も前からあそこは使い物にならなくなってる。これからも仲良くしていこうよ」「母さんは自由に。私は私」。
 「濡れた欲情」のポスター。母に男「お暇ですか」「ええ」「散歩でもしませんか?」。
 ホテルの窓から母と男がセックスしているのが見える。
 場外馬券。父は安田に声をかける。
 母から金を取ろうとする男。「さんざん楽しみやがったくせに。せめてホテル代はオバサン持ちだぞ」と男去る。鏡を見て泣く母。
 アキにプロポーズしている男「何がおかしいんだい?」アキ「学生時代、お汁粉の食べ比べをして私勝ったの。結婚となると…」「お父さんなら僕が引取る。いつまでも待つ」。キスする2人。
 梅の花。
 「いい奥さんになれるかしら」「もちろん。いい母親にもなれるよ。今度父が歌舞伎に行くので、その時に会ってくれ。きっと君のことが気に入るはずだ」。
 バー郁の前で安田「やっぱり敷居が高い」父「じゃあ、またそのうちに」。
 金庫を何とか開けようとする父。そこへアキが現れる。「また借金したの?」「すまん」「誰なの?」
 アキ「花松さん」テレビ局の男と偽っていた男は実はマネキン業者。「これは珍客だ」「これはお借りしていた5万円」「俺に会いたくて来たな」「大した自信ね」「女は全裸になってしまえば、ささやくことは一つだけ。やりたい」「まさか」「本当さ」。一つのマネキンを触り、「この女は乳房が感じる。この女は背中のある部分。この女はツボがつかめない。どうやら燃えて来た。エンジンのかかりは遅いが、一旦火がついたら上りつめるタイプだ」。マネキンの局部をなで、なめる。「いや、まるで夕立に会ったようだ」。マネキンの手を使ってアキの局部をまさぐる花松。「今日はこの辺にしとこう。あんたは思っていた通りの女だ」。
 開店前のバー。(中略)父、威勢よく出かける。アキ「昔の軍隊仲間の会合なの。4年に一度」。(中略)
 靖国を参拝する父たち。
 軍歌を次々に大声で歌う父たち。若者たち「うるさい。貸し切りじゃないんだから」「うるさい、若造」。
 威勢よく立小便をする父。
 自転車に乗っていた少女を集団で襲う父たち。駆け寄る警官。(中略)
 アキの弟。(中略)「おやじ、見直したよ。10年ぶりの回復だ」。花松が現われ、「みんな行っちまった。水の一杯ぐらい飲ませてくれ」アキ「お帰りになって」。マネキンの手を持ち「こいつが会いたがってね」「いや」「夕立が来てるぞ」「ここじゃいや」「ここでやりたい」「お願い。~さんが歌舞伎の切符を届けてくれるの」「見せてやりたい」「つめたいわ」。セックスを始め「だめだ。腰を動かしちゃ」「そこ」。セックスが終わり煙草を吸う花松。~、現れ「アキさん、どうした?」花松「無理矢理の一方通行でやったんだ」。~、花松を殴る。「気が済んだろ」「2度と来ないで。あなたも帰って」。泣くアキ。~「これ」と切符をカウンターに置き、「電話、待ってるから」と言って去る。
 拘置所で父に差し入れするアキ。アキ「じゃあこれで」。父、直立不動になり「それでは自分は帰ります」と敬礼。
 拘置所を出ると、黒い車と黒いスーツとサングラスの男たちの集団がアキを見つめる。やがてアキは濡れて来る。
 公衆電話で~に「今からお伺いしたい。夕立に会ったみたい。会いたいの」という台詞とともに映画は終わる。

 どうしようもなく性に目覚めていく女性を描いた映画でした。

山根貞男『映画の貌』その6

2019-02-20 07:28:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 さらに瞠目したのは、れっきとした男優諸氏が、なんとも艶やかな女っぷりを見せることである。小野寺昭の筋骨隆々たるママさんぶりもスゴイが、赤塚眞人と森川正太が素晴らしい。わたしはこれまでずっとこの二人を映画で見てきて、失礼ながら、うまい俳優だと思ったことが一度もない。それがこの映画では、信じられないような名演技で胸をうってくる。伊東四朗も光っているが、それは芸の力というもので、赤塚眞人が公園のベンチで見せる感動的な演技は、とても芸ということばでは説明できない。明らかにそれを超えたなにかが、そこには感じられる。そのなにかとは何か。瀬川昌治の正攻法をつらぬいた演出の成果なのか。めったにない異様な設定の役柄ゆえ、ふだんの演技術はとうてい通用せず、それが解体されてしまったあとに、まったく新たな形の演じる力が湧いて出てきたということか。たぶん実情としては、その両方が巧みにミックスしているのだろう。
 このことは『夜明けのシンデレラ』全体にいえるにちがいない。
 八木沢まりたちホンモノの芸人ならぬゲイ人が、妖しい美しさを撒き散らす。小野寺昭や赤塚眞人や森川正太が、それに負けじとばかりに、ふだんでは想像できない演技をくりひろげる。金田賢一だけがただ一人、ごく常識的な人物かと思っていると、何を考えているのかよくわからない。いっぽう、永島暎子のくだりでは、見慣れた家庭ドラマがしっとり描かれる。そうしたなか、片岡鶴太郎が右往左往して走り回る。
 作品全体のこの構図は、まさしく正攻法とそれの解体とが、みごとに混融していることを示している。たんにオーソドックスな映画づくりを貫徹するだけでは、こんなふうにはならない。また、頭からムチャクチャにつくろうと思ったのであれば、奇を衒っただけの作品になる。この映画では、その両方のあわいのところで、唖然とするほどの不思議なおもしろさが結実しているのである。
 瀬川昌治には『瀬戸はよいとこ・花嫁観光船』(1978年)という作品がある。これがもう飛びきりの珍品で、さきの金井美恵子や映画評論家の山田宏一などわたしの親しい映画ファンのあいだでは、「まぼろしの映画」として名高い。そのおもしろさを語り合って何度ビールを飲んだことか。名画座で上映されることがなく、ビデオでも出ていないので、語り合うほど「幻」性が深まってゆく。
 いま、瀬川昌治は、それに匹敵する珍品を見せてくれた。こんな珍品はだれにでも撮れるものではない。映画史の底には、〈珍品の映画史〉とでもいうべきものがひそかに流れているのではなかろうか。

 以上が瀬川昌治監督の『Mr. レディ・夜明けのシンデレラ』評でした。そしてもう一つ、キラ・ムラートワ監督の『長い見送り』の評をご紹介して、この本のご案内を終わろうと思います。

 どのシーンも溜め息が出るほど美しく、せつせつと胸を打つ。こんな傑作がどうして長いあいだ未公開のまま埋もれていたのか、とあらためて奇異に感じる。まさしく“幻の名作”の日本初公開である。(中略)
 黒海沿岸の地方都市を舞台に、二人暮らしの母子の日常生活がつづられてゆく。十数年前に夫と別れ、翻訳の仕事で息子を育ててきた中年女性。なにかと過保護な母親を煩わしく感じはじめている思春期の息子。どこにでもありそうな親子の姿で、筋書きも目新しくはない。しかし全篇、異様なほど迫力に満ちている。明らかにそれは、すべてがヤバイところスレスレで描かれるからにちがいない。
 たとえば母親が息子を連れて黒海の海辺の友人の別荘を訪ねる。庭で食事やアーチェリーを楽しんだり、散歩をしたり、その光景自体はなんの変哲もないけれど、まだ若く色っぽい母親が友人から紹介された男と親しくなるとき、まるで火遊びを楽しんでいるかに見える。後日、芝居に誘われる場面では、それがさらに進展する。息子のほうも、別荘で幼馴染みの少女と久しぶりに会い、匂い立つような美しさに魅せられるさまが、少女の挑発的な様子とともに、危険は遊びに突入する一歩手前を思わせる。そして、もはやいうまでもなかろうが、溺愛と反撥の関係のなかでもがく主人公二人の姿も、きわめて性的で、母子の関係を越えてしまいそうな危うさを放つ。
 画面づくりにも特徴があって、個々の映像も、それを連ねるドラマの語り口も、つねに繊細かつ力強く揺れ動いている。見る者がときおり目まいを感じるほどに。その揺れこそが、主人公たちの人間関係をヤバイところスレスレに表現するのである。
 真に映画的なセクシュアリティを実現しているキラ・ムラートワの手腕を賞賛しよう。彼女は昨年(1993年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査委員長をつとめたが、本格的にはこれが監督作品の初紹介となる。

 以上、『映画の貌』の紹介でした。