岡山の小中学校で、スクールカウンセラーの授業で取り上げたトロッコ問題について、違和感を唱える意見が出て、学校が謝罪しました。
授業の目的と児童、生徒をどういう方向へ導くかということがはっきりしていれば問題はなかったはずですが、不適切と判断されたのでしょう。
このトロッコ問題は、究極の選択で、トロッコが線路の上を暴走して、このままだと5名が轢かれる状況なのですが、線路を切り替えて別の線路に走らせて避けることができるのですが、そこにも1名いるわけです。5名を救うために1名を犠牲にすべきか考えさせる問題です。
こうした思考実験では、おそらく生徒は戸惑い、答えに悩むはずです。それも考慮しての問いなのです。
答えは出ないということで結論づけ、授業の目的をきちんと説明できるのであれば、謝罪する必要はなかったと思います。しかし、設定が、死ぬことが絡むので問題視されたのだと思います。
こうした刺激的な究極な選択は、私たちは、親しい間柄では普通に面白おかしく、相手に質問を投げかけたりしていました。
私は主人とよくこうした会話をして、相手の反応を見ていましたが、主人は
「こんな、究極な選択をしなくて済むように日頃から努力する」
と答えておりました。
トロッコ問題は、家で、意見を出し合うことが差し障りがないかもしれませんね。
人はいつも選択をしなければならない場面に遭遇します。その時にどういう判断を取るべきなのか?
長く生きているものは、あの時こうしていたらもっと良い方向に行ったかもということがあります。それが取り返しのつかないことだったりすると、ずっと悩み続けるしかありません。
ベストの選択などはないかもしれないけれど、できるだけ危険が避けられる方法はないものかと、家で話すのが良いように思います。必要によっては、その時その時に誰に助けを乞うべきなのかという判断も必要です。
思考実験がそれに役立つかどうかはわかりませんが、色々な可能性を話し合うのには良いと思います。
トロッコ問題は子供には無理だとか、かわいそうだとかそこまで心配する必要はないと思います。あくまでも思考実験なのですから。
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