どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

気になる女性

2013年09月29日 | 日記
昨日は自宅から通勤するのに利用する最寄駅での話だったが 今日は会社の近くでの朝の話だ


ある朝 小さなキャリーバッグと幾つかの小さな袋を持った初老の女性を見かけた

近くにホテルがあり 大型観光バスもよく停車していることもあって 私はそう気にも留めなかった

ところが数日後 小さなビルの入口のわずかな一角でダンボールを片付けているその女性を目にした時 あの女性が観光客ではなく ホームレスなのだとわかった

それからは毎朝 今日も元気だろうかと気に掛けるようになった


女性は 通勤者が現れる頃にそこを出るようだ

身支度をし ゴミは袋に一つにまとめ 使っていた段ボールをきちんとたたんでその場を立ち去る

おそらくその場所には夜も深まったころに戻るのだろうと思う

持ち物も衣服も彼女自身も その住まいとしているところも 薄汚れた感じは全くない

なんらかの収入はあるけれど 家を借りるまでには至らないということなのか

実は大富豪の未亡人が ちょっとしたサバイバルゲームを楽しんでいる あるいはプチ家出をしているというのであれば まるで映画のようで面白いのだが そうではないだろうと思う


ホームレスになってしまうのは 本人の責任なのか

確かに そういう人もいるかもしれない

怠け者で自堕落な生活を繰り返し 欲望のままに生きた結果という人もいるだろう

ただ 私はこの女性を見る限り それとは少し違うのではないかと感じる

本人の責任とは 私はとても言えない


起きて半畳 寝て一畳という言葉があるが そこは寝ても半畳ほどしかない場所だ

この女性に 私は何ができるだろうか

施しなどはしたくない

もし私がこの女性だったら おそらく納得しての今の人生だと覚悟するだろう

ただ 自分が納得することと だから社会はそれでいいというのとは違うと思う


全てが個人の責任という世界は 私にはなじめない

それは本人が意識することであって 社会 世間は もう少しゆるくて良いのではないかと思う

今ある自分はすべて 多くの偶然と恩恵のお蔭だと私は思っているし 自分の力などというものはそれに比べればほんのわずかだと 私は確信している

冬に向かってどう暖をとるのだろうかと思うと たまらない気持になる

捨てるしかない母の衣類を新しいタオルと一緒に渡そうか カイロが良いだろうかとか 

気持ちよく受け取ってもらえるのには どうした良いのだろうかとか 

そもそも それは正しいことだろうかとか 色々考えつつ たぶん 明日もあの女性に会うのだろう

コメント (6)
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