暑くなるというが 今日も梅雨空
それでも南風が強く 温められた太平洋上の空気が流れ込んでいるのを肌で感じる
何に関しても詳しく知っているということは一切無い私だが とりわけロシアに関しては他にも増して疎い(と自慢してどうなる!)
この本を読んでいると 宗教・言語・民族といった日本では深く考えることのない話題がロシアでは日常的問題として絶えず存在する ということにあらためて気付かされる
今更でこそ世界経済を巻き込んでのウクライナ侵攻に誰でも目を向けるが なにも今に始まったことではないのだ
作者がロシア語を始めたのは、ただの好奇心と言語学習が得意だった母親とは違う言語を選びたかったという理由からだったが、学習を始めて数年後 ふと新しい自分が生まれるような感覚になったという
ロシアでの留学を終えて日本に帰国する前には、その感覚に温かさと強さが加わり、また新しく生まれ変わった自分を感じる
大学での生活 友人との出会い 政治的な出来事などにも触れ もちろん文学についても描かれているが この本のひとつの軸として存在するのがある教師との出会い(この本を出すにあたって 先生の死を知ることになる)
本の題名となった「夕暮れに夜明けの歌を」は アレクサンドル・ブロークという詩人の一節から取ったもので 作者にとってこの詩人との出会いは重要な意味を持つものだったようだ
この本が出版されたのは昨年のことだから、ロシアの侵攻作戦に合わせて出されたわけではない
だが 火種はすでにあちこちにあった
どんなに学び 知ったとしても その知識は武力の前には無力である
けれども 友人や教師と文学を学ぶ時間だけは 無力ではなかったと作者は言い切る
巻末の「あとがきに代えて」で 作者はこう書いている
~人には言葉を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話をする可能性を持って生きている。しかし、私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら「人と人を分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を選んでいけるのか―その判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたのかを学ぶことなしには下すことができない。
文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史の中で繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだ―これまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。~(P.262~P.263 引用)
文字は単に記号であるだけでなく 文脈となることで人の思考を生み出すのであると作者は言うが 文学の持つ力はそうあるべきだし そのためにあるはずだ
文学というものに 少し光を見たような気がする
返却後 次に読む人にも光が見えたらうれしいな