キンリョウヘンの冬越しに備えて、
玄関横のトイレ側の軒下に棚を置いて、
そこにキンリョウヘンを移動しました。
間隔の広いところには、大きな鉢を置いて、
せまいところには小さな鉢、とうまく収まりました。
ここは陽当たりがよくて、風もあたらないので、
霜が降りるまでは、鉢は外に出しておくつもりです。
玄関の中には、花が咲きそうなオンシジウム
玄関の外には、風船カズラが風に揺れています。
前庭の様子。
季節はずれのカラタネオガタマが咲いています。
クリック してね
人気ブログランキングへ
ところで、
萩生田文部科学相の「身の丈に合わせて・・・」
という発言に批判が集まっています。
そもそも、トンデモ発言の元になった
大学入学共通テストの英語民間検定試験に問題あり。
見直すべき、と思うのはわたしだけではない。
ということで、
中日新聞と毎日新聞の社説を紹介します。
社説:「身の丈」発言 制度の欠陥認め見直せ 中日新聞2019年10月30日 撤回ですまされる話ではない。「身の丈に合わせて頑張って」という萩生田光一文部科学相の発言は、英語民間試験では公平性が担保できないことを自ら示している。制度を見直すべきではないか。 大臣はもちろんご存じだとは思うが、そもそもの話から書く。教育の機会均等は憲法一四条の法の下の平等と、憲法二六条によって保障されている。 これを具現化し一九四七年にできた教育基本法は「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とうたう。憲法一四条にはない「経済的地位」が追加された。貧富で子どもの未来が左右されてはならないという決意の表れだろう。二〇〇六年の改正後もこの部分は変わらない。 大学入学共通テストで導入される英語民間試験は機会均等の原則を損なう恐れがある。六団体七種類の試験は都市部での開催が中心で、受験料が二万円を超える試験もある。地方の受験生は交通費や、場合によっては宿泊費もかかる。共通テストで成績が使われるのは三年生で受ける二回だが、試験に慣れるためには同種の試験を繰り返し受けた方が有利だ。 萩生田文科相は自らの発言を撤回した二十九日の会見でも「制度としては平等性が担保される」と話す。しかし全国高等学校長協会が延期を求めるなどの異例の事態を見れば、教育現場がそう感じていないことは明らかだ。 すでに経済格差や地域格差が以前より高い壁となっている現実がある。〇八年のリーマン・ショック以降、首都圏の大学に通う地方出身者の割合は減少している。地方の受験生が挑戦しやすいよう制度を改革する大学もある。多様性が生み出す活発な議論が、イノベーションなどの新たな価値を生み出す効果を重視しているからだろう。 共通テストの民間試験も四年制大学の三割が使わず、出願資格とした大学でも別の手段で英語力を証明する余地を残したところもある。格差拡大への懸念が解消していないことの表れだ。 本来は格差を縮める努力をするのが政治家の役割だ。十一月には民間試験の利用に必要なID(個人の識別番号)の申し込みが始まる。混乱や懸念が拡大する中で新制度を強行してもよいのか。生まれた場所や家庭の経済状況だけではなく、この大臣のもとでの受験が不運だったと、受験生を嘆かせたくはない。 |
社説:萩生田氏・身の丈発言 「本音」が不信増幅させた 毎日新聞2019年10月30日 教育行政の理念に関わる問題と捉えねばならない。 来年度から始まる大学入学共通テストの英語民間検定試験について、萩生田光一文部科学相が「自分の身の丈に合わせて勝負してもらえれば」と発言し、撤回に追い込まれた。 検定試験は7種類ある。高校3年時にその中から2回まで受験した成績が志望大学に提供される。それまでに「練習」で受けられる回数に制限はない。試験によっては検定料が高額だったり、会場が都市部に偏ったりする。このため、経済、地域格差が生じると指摘されている。 発言は民放のテレビ番組で飛び出した。「裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるようなことはあるかもしれない」と認めたうえで、「そこは自分の身の丈に合わせて2回を選んで頑張ってもらえれば」と語った。 問題はまず、新制度が受験生の格差を拡大しかねないことを事実上容認している点だ。 萩生田氏は「どんな環境下にいる受験生も頑張ってもらいたいという思いだった」と釈明し、「説明不足だった」と謝罪した。だが、撤回では済まない。発言は萩生田氏の本音ではないかという疑念が消えないからだ。 高校側からは検定試験導入の延期を求める声が上がっている。文科省は検定料軽減などの配慮を検定団体側に求めているが、格差解消の見通しは立っていない。それでも、来月1日には試験で受験生が使うIDの発行申し込みが始まってしまう。 より深刻なのは、萩生田氏が教育基本法の定める「教育の機会均等」を理解していないことだ。テレビ番組で格差の指摘を受けて「『あいつ、予備校に通っていてずるい』と言うのと同じだ」とも述べた。 だが、予備校に通うかどうかは主に本人の判断であるのに対し、家庭や居住地を受験生は選べない。そうした事情で検定試験の「練習」ができなければあきらめるしかない。これらの不公平をなくすのが教育行政の役割のはずだ。「身の丈に合わせて」と言うのは開き直りに等しい。 今回の発言で、新制度への不信感がいっそう広がっている。制度の不備に目をつぶったまま見切り発車してしまうのでは責任の放棄だ。 |
最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキングへ
クリック してね
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね