昨日の朝日新聞beの「悩みのるつぼ」の回答者は、上野千鶴子さん。
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昨日の「朝日新聞be on Saturday」の一面は、エルビス・プレスリーの記事、
と思いきや、浅野史郎さんのことにたくさん触れられていました。
浅野さんとは、都知事選挙のときに上野さんたちと一緒に
「アサノと勝とう!女性勝手連」を立ち上げて応援したので、けっこう縁が深いのです。
昨年、成人T細胞白血病(ATL)を発症して入院されていて心配していました。
今年の年賀状に、骨髄移植がすんだことが、書かれていたのですが、
記事の最後に「先日、浅野さんの退院の報が届きました」とありますので、
無事、治療を終えて退院されたようです。
さっそく浅野さんのホームページ『夢らいん』にアクセスしてみたら、
昨日付けで、浅野さん本人からの「退院メッセージ」がアップされていました。
浅野史郎さん、退院おめでとうございます
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と思いきや、浅野史郎さんのことにたくさん触れられていました。
浅野さんとは、都知事選挙のときに上野さんたちと一緒に
「アサノと勝とう!女性勝手連」を立ち上げて応援したので、けっこう縁が深いのです。
昨年、成人T細胞白血病(ATL)を発症して入院されていて心配していました。
今年の年賀状に、骨髄移植がすんだことが、書かれていたのですが、
記事の最後に「先日、浅野さんの退院の報が届きました」とありますので、
無事、治療を終えて退院されたようです。
どこかに光があるはず 「明日への願い」 米国・メンフィス 2010年2月26日 朝日新聞be メンフィスは米国南部、テネシー州西部の、ミシシッピ川に面した水の都です。人口の半数を黒人が占めています。かつて綿花の集積地として栄えましたが、それは、白人に収奪された黒人の労働力に支えられていました。労働のなかでブルースが生まれ、ソウルが育まれました。アメリカ音楽の原郷といえるこの都市は、ロックンロールの帝王、エルビス・プレスリー(1935~77)が育ち、愛した街でもあります。 この街を、多くのエルビス・ファンが訪ねています。元宮城県知事の浅野史郎さん(62)も在任中だった2000年、夏休みを取って、訪れました。 浅野さんは知事時代、仙台市のコミュニティーFM「ラジオ3」でレギュラー番組「シローと夢トーク」を持ち、DJをしていました。「エルビスのことしかしゃべらない。エルビスの曲しかかけない」番組です。 浅野さんとエルビスとの出会いは中学3年のとき、仙台市のレコード店で、でした。「当時、ドーナツ盤は洋楽で330円だったかな。350円を握りしめ、コニー・フランシスかニール・セダカのレコードを買うつもりだった」。でもその日、店内にかかっていた曲に耳を奪われました。「これ、誰の歌っしゃ?」。エルビス・プレスリーの「夢の渚(Follow That Dream)」でした。4曲入り400円のEP盤が買えず、日を改めて買いに行きました。「1分36秒のこの曲が私の人生を変えた」と、浅野さんは振り返ります。 高校生のころは、帰宅すると自室でエルビスのレコードをかけ、ジャケットの歌詞を見ながらエルビスと一緒にうたって英語を覚え、「DJごっこ」をしたそうです。「エルビスの曲は、レコードやCDで500曲くらい持っていました」と浅野さん。念願のDJを96年に始めた際、オープニング曲は「夢の渚」にこだわりました。 DJを持ちかけたラジオ3営業部の佐藤研さん(43)は話します。「仕事や肩書の話はしない。曲をかけたら声をかぶせない、フェードアウトせずにかけきる。台本なしですべてお任せでした」 逆に、浅野さんが公務にエルビスを持ち込んだ形跡はあります。2000年12月29日の朝日新聞によれば、28日の仕事納めの際、浅野知事は財政再建や職員不祥事などに触れ、エルビスの「明日への願い(If I Can Dream)」を引用してこう訓示しました。「きっとどこかにもっと明るくともる光があるはず。明るい未来があると信じ、何ごともできると確信したい」 実は、浅野さんは現在闘病中です。ラジオ3の特番用に昨年は4回、声を吹き込みましたが、いずれも病室ででした。第1回の7月の番組の終盤、自分のリクエストとして「明日への願い」を流したそうです。 「エルビスのなかでもこの曲は特別に力がこもっているんだ、これを聴くと力がわいてくる、とおっしゃってました」と佐藤さんは言います。 先日、浅野さんの退院の報が届きました。 (続きは2月27日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。) |
さっそく浅野さんのホームページ『夢らいん』にアクセスしてみたら、
昨日付けで、浅野さん本人からの「退院メッセージ」がアップされていました。
浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』 最終更新日:2010年2月27日 2月27日付け朝日新聞「be」on Saturdayの第一面の《どこかに光があるはず エルヴィス・プレスリー「明日への願い」 》で、エルヴィスの曲と浅野史郎の取材記事が掲載されました。new -------------------------------------------------------------- 浅野史郎から 2010.2.27 new 今回の私の病気(ATL=成人T細胞白血病リンパ腫)のことに関しては、大変ご心配をいただきました。おかげさまで、その後順調に治療を終えて、先日、2月3日に退院し、8ヶ月ぶりに横浜の自宅に戻ってまいりました。この間の、皆様からのお励ましに心から感謝を申し上げます。 この病気の性格上、退院ですべて憂いなしということにはなりません。高い確率で再発の可能性がありますし、GVHD(骨髄移植に伴う拒絶反応)の発生の可能性はまだまだ続きます。それを抑えるために、免疫抑制剤を今後1年ほどは服用し続けなければなりません。無理やり免疫力を低下させるのですから、感染症が発症するリスクが高くなります。主治医からは、自宅でも入院中のつもりで、気を緩めずにいてくださいと言われています。 こういったことはありますが、心配ばかりしていても仕方がありません。この戦いに必ず勝つという信念を持ちつつ、前向きに対処していきたいと考えております。 まずは、皆様の心遣いに心から感謝しつつ、退院の報告をさせていただきました。 |
浅野史郎さん、退院おめでとうございます
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