22日夜の報道ステーションで、
"がん難民コーディネーター"藤野邦夫さんの活動を密着取材していた。
父は、わたしが21歳のとき、進行した胃がんが見つかって手術、
術後1年は生きないだろうという医師の予想に反して、奇跡的に再発を免れた。
父は75歳のとき、原発性の食道がんが見つかり二度目の手術をしたが、
その後、79歳でなくなるまで、最初の胃がんから18年を生きた。
当時、がんを宣告されることは、死を宣告されるとのと同じだった。
わたしは本を読みあさり、最善の治療を受けさせたいと奔走し、
父は「丸山ワクチン」を10年間打ち続け、「玄米菜食」などの食事療法もしていた。
父が助かったのは、幸運、偶然だけではなかった、と今でも思っている。
86歳の母は、昨年、インスリノーマ(膵臓の内分泌腫瘍)が見つかって
東京女子医大付属病院で手術し、40日の入院後に完治して退院したが、
もしインスリノーマを見落としていた(「絶対に違う」と否定した)、
岐阜市民病院にかかり続けていたら、きっと2009年を迎えられなかっただろう。
母の手術でまた東京にきています。(2008.4.14)
「がんとの戦いは情報戦」だという藤野さんの言葉に深く共感する。
この番組を、是非多くの人に紹介したいとメモを取っていたら、
報道ステーションのホームページに動画が公開されるとのことだったので
見逃した人のために、紹介したい。
報道ステーション「見放された患者と共に闘う
"がん難民コーディネーター"」2009年1月22日(木)放送
医師の治療説明に不満足か、納得できる治療方針を選べなかった、
いわゆる「がん難民」と呼ばれる人たちは、全国に数多くいる。
そうした人々の相談に耳を傾け、悩みや不安解消に努めている人物がいる。
本職は海外の医療関係書の翻訳。自らがんを患った際に最新治療を
受けようとしたが、専門の泌尿器科医たちはその名前すら知らなかった。
それ以来、日本のがん治療に疑問を抱き、患者に様々な治療法の提案を
始めたという。
“がん難民コーディネーター”の活動に密着した。
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「丸山ワクチン」については、中井久夫さんの
『臨床瑣談』の
「SSM、通称丸山ワクチンについての私見」に詳しい。
最初『月刊みすず』3月号に掲載されて評判となり、異例の重版となったそうだ。
この文章がきっかけで『臨床瑣談』が刊行されたとのこと。
新聞の書評にも昨年は何度も取り上げられ、本屋で探したけれど見つからず、
図書館に予約しても、十数人待ち。
年が明けて、やっと八重洲ブックセンターで本を入手して読むことができた。
今週の本棚:中村桂子・評 『臨床瑣談』=中井久夫・著
(みすず書房・1890円)
◇個別的であるがゆえのリアルさ
「『臨床瑣談(りんしょうさだん)』とは、臨床経験で味わったちょっとした物語というほどの意味である。今のところ、主に精神科以外のことを書こうとしている。」と始まる。精神科医としての経験を踏まえ、病名告知の時代となった今、告知された患者ができる有効なことは何かが書かれている。「告知しただけの医師の覚悟も必要であり、また、告知された患者も茫然(ぼうぜん)たる傍観者ではなく、積極的に何かを行ないたいだろう。」と考えての助言である。そこには「精神科医が精神科以外のことを書くのであるから、間違いや誤解も多かろう。定説と違っていることもあろう。そうであろうとは思うが、一方、私は旧制度のインターン(医学にかんする実地研修)時代の医学生である。」という条件がついている。前半は、医師だからといって絶対ではないという謙虚さ、後半は、きちんとした教育を受けているという自信の現れである。この謙虚さと自信こそ専門家に求められるものであり、この言葉の背後には、最近の医師教育、医師のありようへの疑問がうかがわれる。
扱われるのは院内感染、脳梗塞(こうそく)、ガン、丸山ワクチン、軽症ウイルス性脳炎である。いずれも、友人、知人への心のこもった助言であり、個別的であるがゆえのリアリティに特徴がある。実は、丸山ワクチンは、雑誌掲載時に当書評欄で取り上げられ、出版社が応対しきれないほどの反応があったため本書の出版になったとある。思いがけないところで、書評の力と責任とを知らされた。
院内感染は、常在菌が悪さをするとは聞いていたが、人間には鼻をこする癖があり、鼻前庭にいる黄色ブドウ状球菌が手につく。つまりマスクは、口からの菌の出入りを防ぐだけでなく鼻こすりも防いでいるという指摘は思いがけない。手洗い、食事、睡眠の確保など具体的な対策を述べた後、闘病という姿勢は免疫力を下げるかもしれないのでこの言葉は使わない方がよいという助言もある。
脳梗塞で昏睡(こんすい)状態になった舅(しゅうと)が、ペンライトでの瞳孔刺激、耳元での囁(ささや)き、足裏のくすぐりという三つの刺激で回復する過程はドラマである。昏睡初期には聴覚が残るのでそれに働きかけまばたきで答える通信が可能なのだ。本人にも家族にも医療者にもよいことだろうとある。
ガンを持つ知人には、まず睡眠、おいしい食事、笑いを勧める。ストレスを少なくすることも。ガンはさまざまであり、人間もいろいろなので、一つの答はないが、免疫で対応し、時に抱え込んで上手に生きている例があげられる。その後の丸山ワクチンの章では、一使用者、一治験協力者としての体験が淡々と述べられ、QOL(生活の質)を高めるという眼で見た時、丸山ワクチンのもつ、ガンとの共存という考え方は、思想的にも実際的にも価値のあるものと捉(とら)えていることが示される。
著者が実際に利用している健康食品や漢方薬の名もあげてあるが、よくあるハウツー本とはまったく違う。診断学は、「世界中がきっかりと境界線で区切られ、それぞれの区画が病名で塗り分けられた現代の世界地図」のうえでなされるものではなく、臨床と議論と勉強との歳月をかけて醸成されるものであり、矛盾や疑問や空白を持ち込むほかなかったとのことだ。そして、かつて医師としての立場を問われた時「リアリズム」と答えたが、「不完全なリアリズム」という方がよかったろうと言われるとなるほどと思う。いいなあ、活字を追う眼が憧(あこが)れの眼になってきた。
(毎日新聞 2008年9月28日)
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今週の本棚:『臨床瑣談』 編集者・守田省吾さん
◇本紙の書評に反響
みすず書房のPR誌『みすず』で「臨床瑣談(りんしょうさだん)」が不定期連載として始まったのは昨年7月号。続行中にもかかわらず、今年5月号までのわずか6回分を緊急に出版する形になったのは、フロントページの書評でも触れられているように、「今週の本棚」で2度にわたり取り上げたのがきっかけだ。
担当編集者の守田さんによると、そもそも連載は著者の中井さんが精神科医としての長年の臨床経験に基づき、「精神科以外の医学的な問題について、自分の中で引っかかってきたことを書こうとした」ものだという。「著者との日々のやり取りの中で、何となくきざしていたテーマでした。はっきりした構想があって始まったわけではありません」。中井さんとの付き合いは約20年、出版した本も20冊近いというだけに、まさに「あうんの呼吸」でスタートした連載だった。
思わぬ反響は3月、連載第5回「SSM、通称丸山ワクチンについての私見」に注目した三浦雅士さん執筆の「MAGAZINE」評の掲載直後から始まった。「『雑誌を100部入手したい』といった問い合わせが頻繁に寄せられました。がんという病にかかわって、細い糸を手繰り寄せるように情報を欲している人々の存在を感じました」。この号を急きょ500部増刷する異例の措置を取ったが、それも1カ月足らずで切れた。
次いで6月、「この人・この3冊」でワクチンの創案者、故丸山千里さんを取り上げた際、筆者の宮田親平さんが3冊の一つに中井さんのこの文章を挙げた。「最初の時ほどではありませんが、問い合わせが相次ぎました。雑誌をコピーして郵送するのでは対応し切れないと、その時点での出版を決めたのです」。喜びをにじませつつ意外な展開を振り返る。中井さんも「ありがたいこと」と承諾した。
実は、本になった6回の連載のうち、「丸山ワクチン」の回だけが他の2倍ほどと長い。「著者にも期するところがあったと思います。雑誌の初校で大幅な書き直しがあり、この段階で10ページほど増えたのです」
その後の連載をまとめた続編も、来春ごろ刊行の予定だ。【大井浩一】
(毎日新聞 2008年9月28日) |
臨床瑣談(さだん) [著]中井久夫
朝日新聞 [掲載]2008年10月19日
[評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)■困難な医療現場だからこその輝き
精神科医としての立場を尋ねられたとき、著者は絶句ののち「リアリズムです」と答えたという。予想が難しく、時間も限られた状況のもとで、個別の症状に対処する医療の現場は、まさしくリアリズムを必要とする一種の戦場なのである。
専門の精神科とは異なる分野の治療にかかわった経験を素材にした、小さな随筆集である。だが扱う主題は、病の分類方法から、院内感染、昏睡(こんすい)からの意識回復、軽症ウイルス性脳炎、がん治療の心得と丸山ワクチンまで、それぞれに重い。
著者は、その経験の豊かさを、手放しで誇ることはしない。むしろ失敗例も多く紹介し、治療の手順のどこに穴があったのかを、静かにふりかえる。
その苦みを伴った視線のもとで、患者たちの姿が、実に生き生きと描写されるのが印象ぶかい。たとえば、精神科の待合室で、アガサ・クリスティの小説を読んでいた少女の、清らかな聡明(そうめい)さ。
治療という行為は、つねに不完全さを免れず、多くの困難にみまわれる。だが、それだからこそ、かかわる一人一人の内奥にあるものが、ほのかに輝きだすのだろう。医療の世界に限らず、人間というものの見せる不思議な魅力がここにある。まだ継続中の雑誌連載も楽しみにしたい。
(朝日新聞 2008.10.19)
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書 評 臨床瑣談 [著者]中井 久夫
みすず書房/ 1890円
2008.9.14 中日新聞
[評者]佐藤 幹夫(フリージャーナリスト)
■健康、病のはざまに踏み込む
本書の著者、中井久夫氏については多言を要すまい。日本を代表する精神科医であり、統合失調症の治療に残した業績の大きさが、まずは知られる。大学退官後は自由な立場からの発言が多くなり、その分、現代の精神医療に対する危惧(きぐ)や疑義が滲(にじ)み出ている。
「臨床瑣談(さだん)」とは臨床経験でのちょっとした物語の意味だという。例えば院内感染に対する自己防衛と免疫力について語り、脳梗塞(こうそく)の昏睡(こんすい)患者に瞳孔刺激、耳元での囁(ささや)き、足裏のくすぐりなどを施した体験を述べる。当然、思い付きを語っているのではない。常在菌と免疫機能について、意識と視覚、聴覚、皮膚刺激についてなど、医学的根拠の上での指摘である。
さらにはがん患者への助言も。心得の一番は睡眠、ちょっとした異変を察知する身体能力、体重、ストレスフルな体験の密度なども重要だと言う。そして丸山ワクチンについて(この一文は、雑誌発表時に大きな反響を呼んだ)。
著者自身が、専門外の意見であり、間違いもあるだろうと保留をつけている。しかし医師としての永年の蓄積と深い洞察に裏打ちされていて、かえって新鮮な驚きを受ける。健康をめぐるアドバイスとしても、医療をめぐるエッセーとしても、すこぶる面白く読み進めることができるのだ。
末尾に至って「臨床的思考」という言葉に出会い、そこではたと、虹のスペクトルと精神疾患の分類を述べた第一章の真意を受け取ることになる。それは、実は本書全体の通奏低音だったのだ。虹のスペクトル同様、「統合失調症と気分障害の間に無人地帯があるわけではない」。つまり病にある生体と、健康といわれる生体とは連続であり、そこに「無人地帯」はない。評者には、医療行為つまり臨床的思考とは、科学と非科学をも、ときには連続のスペクトルにするものなのか、というシロウトならではの感想が浮かんだ次第である。
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なかい・ひさお 1934年生まれ。精神科医・神戸大名誉教授。著書に『西欧精神医学背景史』『時のしずく』『関与と観察』など。
(中日新聞 2008.9.14)
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