福島県で新たにふたりの子どもに小児甲状腺がんが見つかったというニュースに
衝撃を受けた人も多かったと思います。
わたしもその一人です。
さらに7人の子どもに甲状腺がんの疑いがあり、とのことで、
チェルノブイリの現状を見てきた鎌田實さんは、
「原発事故が原因ではない」という「専門家」の安易で無責任な発言に警鐘をならす。
毎日新聞の記事、長いのですが、多くの人に読んでほしいので紹介します。
さあこれからだ:/49 甲状腺検診、加速させよ=鎌田實
毎日新聞 2013年02月23日
福島県の県民健康管理調査の検討委員会が、新たに2人の子どもに小児甲状腺がんが見つかった、と発表した。東京電力福島第1原発事故後、がんが見つかったのはこれで3人となった。さらに7人の子どもに甲状腺がんの疑いがあり、追加検査中だという。
検討委の鈴木眞一・福島県立医大教授は「もともとあったものを発見した可能性が高い。原発事故との因果関係は考えにくい」と語ったが、それを聞いて納得するお母さんは、多くないのではないか。
このニュースを緊急にぼくのブログに載せたところ、南相馬市の若いお母さんからメールが届いた。「怖くなった。とても不安です」と書いてあった。当然だ。
通常、小児甲状腺がんの発生率は100万人に1人といわれている。36万人の子どもがいる福島県で3人見つかったということは、福島県での発生リスクが、通常の10倍近くに上がっていることを意味している。
チェルノブイリ原発事故では、高汚染地域で6800人の子どもたちに甲状腺がんが発生した。発生数は、原発事故の4年後に急激に増加している。だからといって、事故から2年の福島で甲状腺がんが発生しないということにはならない。
ぼくがチェルノブイリの放射能汚染地域を初めて訪ねたのは、1991年1月。原発事故から4年半後だった。当時、国際原子力機関(IAEA)も世界保健機関(WHO)も「原発事故で健康被害はない。多くは放射能ノイローゼだ」と発言していた。
だが、実際にベラルーシ共和国の小さな村を訪ねると、複数の小児甲状腺がんの子どもがいることに気がついた。当時は、甲状腺に注目した検診はほとんど行われていなかった。事故後どの時点で小児甲状腺がんが発生したかは、検診が十分でなかったため、分からなかった。
すぐに手を打った。ぼくが代表をしている日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)は、日本から甲状腺の専門医を連れていき、放射能汚染地域で甲状腺検診を始めた。現地の病院に超音波検査機器を送った。原発事故と小児甲状腺がんの因果関係が公的にみとめられたのは、この数年後である。
福島の県民健康調査検討委は、2年半かけて子どもの甲状腺検診を行う計画だが、これはまずい。「4年たたないと小児甲状腺がんが出ない」という考えに寄り過ぎているのではないか。検診はできるだけスピーディーに進める必要がある。
だが、県は検討委の委員を事前に集めて秘密裏に「準備会」を開き、1例目の小児甲状腺がんが発生した時「原発事故と因果関係はない」と、見解をすり合わせていた。
毎日新聞の報道によると、秘密会では「甲状腺の専門家が少ない。県外で検査する医療機関の認定を遅らせ、県内体制を作っていきたい」との考えも示されたという。県外に避難した人たちの甲状腺検査は後回しでいい、と言っているに等しい。
福島から子ども連れで避難したたくさんのお母さんから、不安の声が寄せられている。
JCFでは、信州大学や諏訪中央病院で子どもたちが甲状腺検診が受けられるよう、サポートを始めた。費用もJCFが負担する。諏訪中央病院での甲状腺検診は3カ月先までいっぱいだが、それでも検診を希望される方は、ぜひJCF(電話0263・46・4218)へ相談してほしい。
また、ぼくが名誉理事長を務めている震災復興支援放射能対策研究所(福島県平田村)では、3月から甲状腺検診を始める。エコー検査と血液検査のセット。1万6000円かかるが、子どもは無料だ。
だが、今のペースでは、36万人の検査を2年半で終わらせることはできない。日本全体で協力体制をとることが不可欠なのだ。
昨年11月、国連の人権理事会に選ばれた専門家が日本で調査を行い、福島県民の外部被ばく量を推定する調査の回答率がわずか23%だと批判している。
これまで福島県も国も「大丈夫」と言うばかりで、放射能の「見える化」をスピーディーにしてこなかった。
放射性ヨウ素の半減期は8日。測定をもっと早い時期にすべきだった。弘前大学の被ばく医療総合研究所が、原発事故から1カ月後の11年4月11日から6日間、原発から30キロ圏にある浪江町津島地区にとどまった17人と、福島市に避難した48人の合計65人の甲状腺を検査したところ、大人で最大87ミリシーベルト、子どもで最大47ミリシーベルトの被ばくをしていたことが分かった。事故から8日以内の3月15日ごろに、もっと多くの人の外部被ばく量を測定していたら、100ミリシーベルトを超える人がいた可能性もある。
県民の1%にあたる約2万人にガラスバッジ(線量計)を持たせていれば、外部被ばく量を測ることができたはずだ。外部被ばくの実態を早期に把握できれば、もっと早く対応できたかもしれない。
例の国連の専門家は、「専門家だけでなく、地域社会もかかわらなければいけない」と指摘している。検討委に最初から、被害の当事者である福島県民の代表が入っていれば、秘密会議など行われなかったに違いない。
不透明な検討委のあり方を改め、今からでも子どもたちを守るため、国を挙げて甲状腺検診をスピードアップさせるためのサポート体制を組むべきだ。(医師・作家、題字も)=次回は3月9日掲載 |
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中日新聞、河北新など、脱原発をテーマに取り組んでいる新聞社の記事もよい。
福島原発事故から3年。
決して忘れてはいけない、原発事故のこと、いまも苦しんでいる被災者のこと。
【社説】科学者よ、屈するな 週のはじめに考える
2013年2月24日 中日新聞
科学は進歩をもたらすが、時に害悪ももたらします。公害や原発事故などです。それらを避けるには、科学者たちの屈しない姿勢がまず欠かせません。
原発については目下、活断層の評価などで、原子力規制委員会と電力会社との間で意見が分かれたりしています。日本は地震国なのだから、国民の納得のゆく結論がぜひほしいところです。
国策でもあった原子力をめぐっては、当初から学者たちの激しい議論が起きていました。
湯川、坂田の委員辞任
日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹は、請われて就任した原子力委員会の委員(非常勤)を短期で辞任し、やはり物理学者の坂田昌一が原子力委員会の専門部会委員を中途で辞めています。
湯川の場合、病気静養を理由とし、また引き受けても一年程度という約束もしていたのですが、早期の原子炉導入にはもともと慎重な立場でした。
坂田の場合、辞任の理由は明白でした。
自ら委員を務める、原子炉導入を審議する委員会にあてて手紙を出していた。英国コールダーホール型原子炉の東海村導入をめぐり近隣住民の退避を決める際の放射線量の明示と、それをどういうふうに決めたかの審議の内容が公開されないままでは国民に責任がもてない、という内容でした。
学者として、安全を保証できない、というのです。
当時科学者らに原子力発電への反対は見られなかったのですが、世界に遅れまいとする積極派と、それよりも安全を重視する慎重派とがありました。積極派は原発推進の政治に同調的でした。
慎重派は坂田らに代表される動きですが、原子炉ならその設計から材料、万一の放射能漏れへの対処まで自分たちでしっかりとつくるべきだという立場です。
政治に負かされたよう
しかし残念ながら、湯川も坂田も辞めるという行動でしか抗議の意思を表明できなかった。その後を見れば、まるで政治に打ち負かされたようにも思われます。
いくつもの公害の中でも熊本・水俣病はひどいものでした。
住民に、メチル水銀の被害が現れ、一九五六年に熊本大医学部は原因としてチッソの工場排水に着目した。その三年後、厚生省(当時)の部会が原因は有機水銀化合物との答申を出す。ところが毒の廃水は海に流され続け、政府の公害認定はさらに九年後でした。
一体、医師は、科学者は何をしていたのか。科学は人の苦しむのを見て見ぬふりをしていたのか。
一体、政治、行政、またメディアは何をしていたのか。科学者の責任だけにしておいたのか。
化学肥料を量産するチッソ水俣工場とは、食料増産を支える国策に違いなかった。しかし、それは苦しむ人々を放置したことにおいて、技術の進歩でも国家の発展でもなかったといえるでしょう。
原子力は、より大きな国家的目的を与えられてきました。草創期は被爆国ゆえの核の平和利用、オイルショック後には石油の代替、最近の温暖化対策ではクリーンエネルギーであるというように。
夢のような言葉によって危険は覆い隠されてきたのです。
原子力規制委は、原発の新基準をつくりつつあります。
冷ややかに見るのなら、欧州などの国際基準並みにするということなのですが、基準が厳しいほどその達成には当然ながら多額の費用と時間を要します。過去の“欠陥”を直さねばならないのです。
田中俊一委員長は、「コストがいくらかかるかについて私は全く頭にない」と会見で言い切った。脳裏には科学者の責任があるでしょう。
思い出されるのは、昨年の米国原子力規制委、ヤツコ委員長の辞任です。福島の事故の後、原発の電源喪失対策を厳しく求め、米国の原子力業界と対立していました。規制委の中で孤立していたともいわれます。
彼自身に業界や政治を説き伏せるだけの力量がなかったのかもしれません。それは、あまりにも巨大な敵でもありました。
科学技術は人のため
しかし、どうでしょう。
もし、科学者が日和見になったり、骨抜きにされたら、科学は害悪をもたらすのではないか。
それこそが公害の歴史でした。見るべきものを見逃し、唱えるべきことに沈黙してきたのです。
現代科学の巨大化複雑化は、もはや科学自身が解決できないことすら生んでいるのではないか。そんな議論も聞きます。中でも核エネルギーとは恐るべき破壊力と消えない毒性をもたらすのです。
科学技術とは、人のためにあるべきものです。だから今度こそ科学者が屈することなどあってはならないと強く思うのです。 |
防災施策「進まず」59% 世論調査「脱原発」70%近く
2013年02月24日 河北新報
東日本大震災後の国や自治体の防災対策が進んでいないと感じている人は59%に上ることが、河北新報社などが加盟する日本世論調査会が16、17日に実施した世論調査で分かった。首都直下地震や南海トラフの巨大地震の発生が懸念される中、行政に一層の対策が求められそうだ。
東京電力福島第1原発事故に絡み「原発をできるだけ早急にやめる」か「依存度を徐々に減らし将来的にゼロにする」とした回答が計70%近くに達した。
国や自治体の防災対策は「まったく進んでいない」との回答が7%、「あまり進んでいない」は52%。今後強化すべき防災対策(複数回答)は「災害直後の救助・救援・医療活動」が最多の67%。次いで「被災後の生活支援」58%、「食料や水などの備蓄」30%。
国による大震災の被災者への支援策は「あまり評価しない」「まったく評価しない」が計51%、「大いに評価」「ある程度評価」が計48%とほぼ均衡した。
安倍政権が防災対策として公共事業を増やす方針であることについて、70%が「評価する」と回答した。
今住んでいる地域で大地震が起きるのではという不安を感じている人は「大いに感じる」「ある程度感じる」を合わせて72%。地震予知に期待する人は63%だった。
災害への備えを複数回答で聞いたところ「非常持ち出し品の準備」が48%とトップで、「食料や水の備蓄」44%、「家族の避難場所や連絡先を決めた」28%と続いた。一方、「何もしていない」も23%に上った。備えるようになったきっかけは東日本大震災が最も多く35%。
原発を将来どうするかとの質問には、50%が「依存度を徐々に減らし、将来的にはゼロにする」と答え、「できるだけ速やかに原発をやめる」は18%。「依存度は減らすが将来も残す」は24%、「今程度の原発の数や依存度を維持」は5%だった。
福島原発事故後の原発の安全対策は「あまり進んでいない」「まったく進んでいない」と答えた人が計83%。「大いに進んだ」「ある程度進んだ」は計15%にとどまった。
【注】小数点以下1位を四捨五入した
<調査の方法>
層化2段無作為抽出法により、1億人余の有権者の縮図となるように全国250地点から20歳以上の男女3千人を調査対象者に選び、16、17の両日、調査員がそれぞれ直接面接して答えてもらった。転居、旅行などで会えなかった人を除き1827人から回答を得た。回収率は60.9%で、回答者の内訳は男性50.3%、女性49.7%。
東日本大震災の被災地のうち、3県について被害の大きかった一部地域を調査対象から除いた。
▽日本世論調査会=共同通信社と、その加盟社のうちの計38社とで構成している世論調査の全国組織。
2013年02月24日 |
【国策への異議17】難しい専門家選び 司法、どう向き合うか
(2013/02/24 福島民報)
滋賀県の住民ら約160人は、福井県に立地する関西電力の原発7基の再稼働差し止めを求め、大津地裁に仮処分を申請している。「東京電力福島第一原発事故後、国の安全審査基準の欠陥が明らかになった」ことなどを理由に挙げている。
審理がほぼ終了し、今春には判断が出される見通しだ。
弁護団には滋賀県彦根市の弁護士、井戸謙一(58)が加わっている。井戸は福島第一原発事故が起きる5年前の平成18年3月、金沢地裁に勤務していた。石川県の北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めをめぐる訴訟の裁判長を務め、原発の運転差し止めの判決を国内で初めて下した。
■被災者を支援
退官して弁護士に登録した井戸は当初、原発訴訟に関わることにためらいがあった。
「福島第一原発事故で国の政策が根本的に変わると思っていた。しかし、どうもそのような状況になりそうもないと感じた」。ここで変わらなければ"第二の福島"が起こりうるのではないか-。そうした思いが新たな活動を始めるきっかけとなった。
再稼働差し止めを求めている仮処分申請の原告には、本県から大津市に避難している人も加わっている。
井戸は、関西地方への避難者の賠償問題などにも積極的に対応している。関西地方への避難者が東電への賠償を求めて京都地裁に提訴する相談を受けている。「自主避難者と、福島県内にとどまっている人が同じ被災者なのに分断されている。皆で固まって主張していくべきだ」
■裁判官サポート
「裁判所に持ち込まれる原発訴訟の件数は、もっと増えるはずだ」。福島第一原発事故後の原発と司法の関わりについて、井戸はそう予測する。
「かつての原発訴訟では、裁判官をサポートする態勢が不十分だった。特許事件や脱税事件には調査官が加わったり、医療問題では専門委員がいたりするが、原発訴訟には、そのような支援はなかった」と振り返る。
審理の中で、専門的な知識が必要な場合は、鑑定人を申請できる。ただ、課題もある。井戸は「鑑定人に誰を選ぶかについて、原告と被告の双方が納得する必要がある。しかし、原発問題に詳しい専門家の中で、双方が納得するような鑑定人は、ほとんどいないのではないか。仮に原発訴訟の調査官を配置するのであれば、最高裁が財務省に人員の手当てを要望しなければならないだろう」と説明する。
■躊躇したが...
井戸は「志賀原発2号機の運転差し止めの判決を下す時は、正直言って、躊躇(ちゅうちょ)したが、気持ちが逃げてしまうと、権威者の発言に寄りかかりがちになる懸念がある。裁判官が自ら判断することから逃げないで、真摯(しんし)に国民の主張に向き合わないと、司法は国民からの信頼をなくす」と語る。(文中敬称略)
(2013/02/24 福島民報)
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