みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

紫陽花アジサイあじさいづくし/関市板取「アジサイロード」

2007-06-30 07:11:34 | 花/美しいもの
洞戸診療所に行ったついでに、関市板取の「アジサイロード」を一走り。
旧板取村の「アジサイロード」と「21世紀の森公園」には、
紫陽花約10万株が植えられているそうです。

道の途中に、鮮やかな青とピンクの紫陽花を見つけて車を停めました。
ずーっと向こうのほうまで、紫陽花・アジサイ・あじさい 


  

「酸性土壌で青,アルカリ性土壌で赤」の花が咲くそうですが、
お隣同士で、土壌が違うとは思えない・・・???
それにしても、ダイナミックな群生。同じような青やピンクでも、
近くで見ると一つ一つの花の色が微妙に違います。


  



  

  

沿道には青とピンクだけでなく、白から赤までなどいろいろあるのですが、
車を停めるところがなくて、板取の途中まで行って引き返し、
見つけておいたガクアジサイの群生を撮ることにしました。

連れ合いは足が痛いので、クルマの中から写しています。


  

  

わたしは、道の反対側のガクアジサイまで遠征。


  

  

白いガクの中に密集している小さな丸いものが花で、
つぼみが開くと、小さなオシベとメシベがちゃんとあります。
アップで撮ると、また違ったかわいさのガクアジサイです。

洞戸から板取にかけての「アジサイロード」も有名ですが、
帰る途中の、山県市(美山)富永の三光寺 は「あじさいの山寺」と呼ばれ、
約140種9000株のヤマアジサイがあるそうです。

まだ行ったことがないので、一度、行ってみたいと思っています。

6月は議会もあって忙しく、連れ合いの足も痛いので、
とりあえず、わが家の変わり咲き紫陽花で、今年はがまんして。

ガクアジサイ
  

  

変わり咲き紫陽花
  

  

花が終わったら、道の下の畑の、溝沿いに植えるつもりです。
来年は、道行く人の目を楽しませてくれることでしょう。


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ヤマアジサイ、好きです。/白から赤に染まる紅(クレナイ)。

2007-06-29 12:09:26 | 花/美しいもの
可憐な山アジサイが大好きです。

最初に植えた株はずいぶん大きくなり、6月上旬から、

時間とともに七変化する小さな花が咲き始めました。


  

  

  

数年前から、見つけるたびに買うのですが、
白から赤へ変化する品種が特に好きです。


  



  

品種名は分かりませんが、次第に色づいて、最後は赤くなります。


こちらは「紅(クレナイ)」。


  

  

  

クレナイは、株はいちばん小さいのですが、
真っ白なガクがまわりから徐々に赤くなり、
最後は真っ赤に染まります。

いちばん人気のヤマアジサイです。


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シャラ(夏つばき)とヤマボウシ/深山の白花たち

2007-06-28 20:38:03 | 花/美しいもの
今朝の鉄砲百合たち。
こうして写すとめちゃ豪華です。

ざっと数えても30輪以上あります。

コガネムシが夢中で花粉を食べています。
おかげで、ほとんどの花のめしべに花粉がつきました。
  

一般質問の傍聴に行った市役所の西出口の前に、
シャラ(夏つばき)が咲いていました。

 

シャラの花がすきで、10年ほど前に植えたのですが、
暑さと乾燥に弱いので花が咲く前に枯れてしまいました。
一重の清楚な白花が、風に揺れています。

  

高いところに咲いていて、
近づいてとることができないので、望遠でとりました。


  



今日は朝から、連れ合いの用事で洞戸に行きました。
てらまち・ねっと(6.29)

ついでに、
アジサイロードを板取川沿いに北上して、
今が盛りのアジサイを撮ってきました。



行きに、板取川のそばにヤマボウシが咲いているのを見つけ、
帰りに、車を停めてヤマボウシの花を撮りました。


雪をかぶったように、びっしり咲いています。
  

今年は我が家のヤマボウシが咲かなかったので、

  

ヤマボウシのお花にであえて、うれしい思いです。

  



ヤマボウシも、ぴょんぴょん、よろこんでいるようです。

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合歓の木・アリウムヘアーと丹頂&山形「ひたし豆」ほか

2007-06-27 21:25:49 | おいしいもの/食について

買い物に行ったときに、不思議なものを見つけました。
これはなんでしょう?? 
鵜の卵? それとも鶏の卵かな??



と思ったら、お豆腐でした。黒いのは、黒胡麻入り豆腐。


歯が痛くなってからは、蛋白源はもっぱらお豆腐。
好みの「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」が小さくなって割高になったので、
「実録男前豆腐店マサヒロ」をよく食べるようになりました。。


お豆腐ばかりでは飽きるので、
山形産の青大豆を見つけたので、「ひたし豆」を作りました。


青大豆をたっぷりの水に漬けて、
  

じゅうぶん膨らんだら水から煮ます。

あくが出てゆで汁がにごっているので、
水を取り替えて、やわらかくなるまで煮ます。

そのまま煮ると、青大豆の煮豆です。


やわらかくなるまで煮てから、調味液に漬けると「ひたし豆」。
ざるにあげて薄塩を振っても、とってもおいしいですよ。




ところで、連れ合いの一般質問が午前中に終わったので、
バロー長良店に、合歓の木(ネムノキ)を見に行きました。



濃いピンクの花がびっしりついていて合歓の木はここが一番。


近づいて見ると、花の盛りは終わっていて、
  
  
ピンクのおひげはもじゃもじゃのアフロヘアーのよう。

こちらは、数日前の夜の合歓の木の花です。


車を近くに止めて合歓の木を写していたら、

警備員のおじさんが、枝を折り取ってくださいました。

  

花瓶に活けたら、ぴんぴんのおひげに変身。
ありがとう!

もじゃもじゃ頭といえば、「アリウム・ヘアー」。


冬に球根を植えて、どんな花が咲くかと思っていたのですが、
ふしぎな花の形をしています。
  

こちらは、前から庭にある「アリウム丹頂」。


植えっぱなしで毎年咲いてくれます。
  

鉄砲百合の乱舞。






家に帰ると、鉄砲百合の花たちが出迎えてくれます。
ほっとする一瞬です。


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ノウゼンカズラ・白テッポウユリも咲いた。/【公費混同 選挙ポスター代疑惑】(朝日新聞)

2007-06-26 20:12:17 | 花/美しいもの
マキノキに巻きついて上っていた、
ノウゼンカズラが咲きました。






ノウゼンカズラの下には、白の鉄砲百合も咲きました。



球根を植えてから5年目の鉄砲百合は、
花後にお礼肥をやるだけで、植えっぱなしだけど、
毎年6月になると忘れずに花を咲かせてくれます。


白は一昨日から咲き始めて、黄色とあわせて22輪も開花。
数えたら、全部で60輪ほどもあるのでまだ半分くらいです。






せのたかい鉄砲百合の手前には、
ヒペリカム・ミスティックフレアーが咲いています。


  

ところで、
岐阜に買い物に行った夜、
ひょっとしたらと思って、
長良バローのヤマダ電機まで足を伸ばしたら・・・
やっぱりネムノキの花が咲いていました。

ねむの木の名のとおり、夜は葉を閉じて眠っています。


でも、お花はこんなにきれいに咲いています。




時間があったら、明るいときにまた見に来るつもりですが、
けっこうキレイに撮れたので、とりあえず画像をアップしときます。


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先日、選挙公営のことで、
朝日新聞の岡本記者が連れ合いに取材にいらっしゃったのですが、
昨日の朝刊に、写真入のインタビュー記事が載りました。

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 企画特集【公費混同 選挙ポスター代疑惑】
 疑惑追及の寺町知正・山県市議に聞く
    
選挙公営チェック問題 適正額へ制度改正必要
返還なければ 監査・訴訟も視野
   2007年6月25日 朝日新聞

 04年の山県市議選でのポスター代水増し請求疑惑は、議員の政治活動への公費負担のあり方に疑問を投げかけた。貧富に関係なく立候補の機会を保障する選挙公営制度を正しく生かすには、どうすればよいか。同市議会で疑惑を追及してきた寺町知正市議(53)=無所属=に聞いた。(聞き手・岡本洋太郎)

 ――メディアの関心が政務調査費に向かう中、なぜポスター代の追及を始めたのか。
 「政務調査費は領収書が出る自治体すら少ない。使途の中身が見えないので、ひっくり返すには証拠がいる。その点、ポスターはわかりやすい。どんなに高くても相場は上限単価の3分の1から半分。候補のうち半分程度は相場以下で印刷業者と契約しているが、実際の公費請求は、そうなっていない人も多い」
 「そこに着眼した愛知県日進市の後藤尚子市議らが昨年9月、市議会の一般質問で、基準額引き下げを提案した(結果は否決)。私も3年前の合併後初の山県市議選で、合併でお金がないのに公費を使う選挙公営制度に反対し、公費を使わないと公約して実行した。調査は後藤市議らに勧められて、昨年11月に始めた」

 ――市や市議会の反応は。
 「12月に一般質問で取り上げたら、市長の答弁は『現行で問題ない』。そこで、今年1月に選挙公営制度の条例廃止の直接請求に向け、署名運動を始めた」
 「有権者にもわかりやすく、訴えれば大半の人が賛成する問題。1年後に市議選があるため、議員も反対できないだろうという読みがあった。2月に署名を提出したところ、与党会派自らが3月議会の冒頭で廃止を提案し、可決した」

 ――選挙公営制度が抱える問題点とは。
 「制度の趣旨は悪くないが、財政の厳しい自治体はなくてもいい。合併時に制度を設けなかった本巣市のような自治体もある。基準額も高く、水増し請求されても行政のチェックが機能していないことも問題だ」
 「ポスター代だけではない。運転手の手当の公費負担は1日1人分の制限があるが、実際の選挙は交代で運転してもらうケースが多く、全員が手当をもらっているかどうか。燃料代も、選挙運動前後の走行記録とメーターの写真の提出を義務づければいい」

 ――27日の一般質問でも、問題を取り上げるのか。
 「『市長も疑わしき議員に辞職勧告せよ』と迫る。公金の交付権限は市長にあるのだから。市側が『水増し分を返せ』と答弁しなければ、監査、住民訴訟まで持って行く覚悟だ」

 ――03年と今春の県議選についても住民監査請求に踏み切った。
 「知事や県議、国会議員は選挙期間も長く、ポスター代は掲示場の2倍の枚数が認められているが、掲示場あたり1枚とし、単価も実勢価格にあわせて引き下げるべきだ。今年3月に知事に要望書を出している」

 ――問題提起の成果は。
 「山県市での疑惑を見て、もう水増し請求はやれないと考え、自主的に制度を改めようと動く議員や候補は多いだろう。適正な基準額に改正すればいい。その方向性は固まったと思う」

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 【公費混同 選挙ポスター代疑惑】 
山県市議会 全員協「捜査見守る」
 
朝日新聞 2007月6月22日

 04年の市議選のポスター代水増し疑惑が発覚した山県市で21日、市議会定例会が再開した。本会議後には、疑惑を受けて急きょ開催が決まった「全員協議会」が開かれたが、「捜査の推移を見守る」という意見が多数を占め、議会内の調査機関設置や、議員の進退問題には発展しなかった。(上田真由美)
 本会議は、定例会が開会した12日以来。当時は疑惑に答える市議はいなかったが、15日に現職市議4人と県議に転身した1人が、水増しを認め謝罪の記者会見を開いた。さらに20日、寺町知正市議(無所属)と中田静枝市議(共産)が、謝罪した5人に辞職勧告をする決議案を、村橋安治議長に対して提出していた。
 開会する午前10時を前に、全員が議場にそろったところで、村橋議長は辞職勧告決議案について「議会運営委員を選任してから、議運で決議案について審議する」と説明して、この日の提案を見送った。5人いる議会運営委員のうち3人が水増しを認めて委員を辞したことから、残る委員は2人となり、事実上、議運開催は困難な状況だ。
 本会議は、市側から提出されていた6議案への質疑だけで、40分間ほどで終了した。その後、非公開の「全員協議会」が開かれ、市議22人全員が出席した。
 村橋議長らによると、全員協議会開催を求めていた市議らは、市が調査検討委員会の設置を準備していることを受け、議会としての調査機関の設置や、水増しを認めた市議からの説明を求めたが、「現段階では警察当局の聴取中なので、説明を求めるのは難しい」とする意見が多数だった。また、水増しを認めた市議の1人が「議会に対しても市民に対しても申し訳ない」と謝罪したが、村橋議長は「議会としての対応は、捜査の推移を見ながら考えるべきだ」と結論づけたという。
---------------------------------------------------------------------
 

山県市議会は、いつものことですが、市民感覚なぞどこ吹く風。
身内の議員同士の内向きの議論ばかりで、状況を見誤っていますね。

明日は、連れ合いの一般質問。
痛み止めを飲んで、傍聴にいく予定です。


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きうれいこん糾励根+消炎鎮痛剤あれこれ/我慢できない痛みに・・・

2007-06-26 00:44:17 | 健康/くらし/薪ストーブetc
この2週間、歯が痛い。
右下の臼歯は、神経ぎりぎりのところまで削ってあって、
それで処置した傷がいえるまで痛むらしい。
神経をとってしまえば傷みはなくなるのだけど、
歯が死んでしまうということで、痛み止めを工夫しながら、
もう数日、様子をみることにした。

痛むのは3月にかぶせ物が取れて、歯医者に行こうと思ってた歯で、
冷たいものが沁みたことがあったけど、痛みは出ていなかった。

最初に痛くなったのは、2週間前の月曜日、
倒れた母を迎えに行った夜、ホテルで冷たいものも熱いものもしみて、
翌日は、車を運転中もジンジンと痛くなり、かえってすぐに、
「常備薬のバッファリン330mg錠」 を1錠飲んだ。



ストレスと過労が原因と思ったけど、痛みがとれないので、
なんとか通信の発行だけすませたいと知り合いのG歯科を予約した。
予約日の金曜日までの間は、朝晩1錠ずつバッファリンを飲んで、
なんとか痛みをコントロールしていた。
G歯科ではレントゲンを撮ったが、虫歯ではないということで、
ブラッシング指導と3日分の抗生物質をもらっておしまい、
炎症が治まったら「歯冠補修」(らしい?)。
歯医者は、今も痛いといっても「そんなはずはない」と一蹴。
腕はよいけど、治療方針の説明もなく独善的、
わたしにはそんな歯医者との相性のほうがストレス、
余計痛くなりそうで、評判のよい歯医者にかえることにした。

   
 
昨年11月に開院したばかりの折居クリニックはきれいで設備も最先端、
医師の応対もおだやかで説明も丁寧、スタッフもやさしくて感じがよい。
患者本位の痛くない治療をしているとのことで、今までの歯医者で一番よい。
担当の歯科衛生士は、ほくちゃんの連れ合いなのもこころ強い。

とりあえず、かぶせ物を取ってみたら中の虫歯が進んでいるので、
注射で麻酔をして、生きた歯を残そうとぎりぎりまで削る処置をした。

ということで、神経(歯髄)に響いて痛むことが予想され、
「ロキフェン錠60mg」(ロキソプロフェンナトリウム錠)を6錠処方された。
この薬は、鎮痛効果の持続時間も長く、とてもよく効く。
最初に2錠飲んで、あとは1錠ずつ。
ふだん薬を飲まないわたしは、大人の半分の量で効いてくる。
ちょっと眠くなるけれど、副作用は特になし。
 



3年前の肩の石灰沈着性腱板炎の時にもらった
ボルタレンサポ25mg(ジクロフェナクナトリウム)

腱板炎は所かまわず突発的に痛みだすと息もできないほどの激痛で、
ウッとうなって、もう寝ころがっているしかなかった。
特に夜中が痛いので、毎晩座薬を使うように処方されたもの。
鎮痛作用は強いけれど、腱板炎には効果が薄く、続けると胃が痛くなるので、
結局、ボルタレンサポを冷蔵庫にため込んでしまった。
腱板炎は治るまでに2年かかったが、鎮痛剤や局所の麻酔は使わずに、
体を温める漢方薬と、温泉やホカロンで肩を温めたりで、少しずつよくなった。

歯の痛みがぶり返し、ロキフェン錠60mgがなくなったので、
一晩だけ使ったがさすがよく効いた。痛いときのボルタレン頼み。

週末は歯医者は休診。処置をした歯は我慢できないくらい痛くて、
買い物に行っても響いて、痛み止めを持っていなかったので、
たまりかねて、薬局を探して駆け込んだ。
鎮痛剤の種類はいろいろあったが、「空腹でも飲める」薬で、
副作用が少なそうなものを探した。
比較的穏やかそうな「タイレノール」とミネラルウオーターを買った。

 「タイレノールA」(アセトアミノフェン)



空腹時でもOKで胃を荒らさない、飲んでも眠くならないという鎮痛剤。
子どもにも処方されるということで、副作用も少なそう。
効き目は穏やかだが、鎮痛効果の持続時間は若干短めの感じ。 
空腹時に飲むと、すぐに効いてくる感じ。
地獄で仏とはこのこと、と実感。

痛みは我慢しないで、ひどくなる前に薬を飲むことが大事で、
強い痛みが続くと、薬が効かない難治性の疼痛になってしまう。
痛みはないこしたことはないが、ここ数年で痛みとの付き合い方も覚えた。

ということで、朝晩、タイレノールを飲んでいたのだけど、
夕食前に飲んでから、寝る前には痛みがぶり返してきたので、
鎮痛剤を飲まずに、一晩すごしてみようと思って、
「糾励根(きうれいこん)」をためしに貼ることにした。

糾励根は、韓国で仕事をしている翻訳者のSさんが、
わたしに会いたいということで、帰国する際に訪問してくださって、
ブログを見て、痛みによく効くからと、わざわざ持参してくださったのです。

肌が弱くてかぶれ易いので、まずは二の腕で試してみて、
大丈夫だったので、右のほっぺたに貼ることにしました。

糾励根(きうれいこん) 



今まで、新薬よりは、漢方薬や民間療法で治すことがほとんどなので、、
新しい療法を試すときは、期待もあってうきうき。
まだはってないのに、こころもち痛みも軽くなったよう(笑)。
まずは説明書きをよく読み、ついでに、webでも調べて、
使い方と、注意することを理解した。
わたしの場合は、喘息があるので、薬の禁忌には気を使う。



銀紙をあけると微細粉の生薬のにおいがする。
「強い刺激臭」と書いてあったが、イヤなにおいではない。
見た目は緑色の粉末で、「ヘナ(白髪染めの生薬)」みたいだ。
肌の弱い人は小麦粉を混ぜるとよい、書いてあったので、
冷蔵庫にあった天ぷら粉を混ぜた。まっこれでもよかろう。

  

糾励根(きうれいこん)を貼る専用シート。


ぬるま湯で溶いた糾励根を3ミリくらいの厚さに伸ばし、
  
薄い和紙をかぶせて、そのまま、そっと頬にはった。


大きすぎて、頬からあごをすっぽり覆ってしまったので、
ずれないように首にタオルを巻いて寝た。

30分ほどで、ぴりぴりと熱感がでてきたけれど、
痛みもかゆみもないので、そのままじっと我慢。

なんと、朝起きたら痛みはひいていて、たしかに歯痛には効くようだ。

午前中に、歯医者を受診して、レントゲンを撮って、
中で炎症が起きていないか調べたが、歯髄に炎症は起きていないとのこと。

糾励根(きうれいこん)のおかげかもしれない。

かくして、
きょうも「糾励根」をはって、「糾励根」の記事を書いている。
(シートは半分に切りました)
寝るよりは、ブログでも書いているほうが、気がまぎれるし・・・。

では、歯が痛まないことを祈りつつ・・・・寝ることにしましょ。


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純白に輝く銀梅花(マートル)が咲いた!

2007-06-25 16:03:12 | 花/美しいもの

雨が上がったので、外に出て見ると

ギンバイカ(銀梅花)がいちりん咲いていました。


初めて会ったその日から、白銀のあなたに恋するわたしです。



ことばもなく、見とれていました。



ギンバイカは開花しても3センチほどの小さな花なので、
クローズアップレンズも持参してマクロ画像で撮りました。
  

開花する前の花が、ウメの花そっくりです。

   

  

丸いつぼみを見つけてから、毎日見ていたのですが、
  
やっと咲いてくれました。



 [英名]マートル [和名]銀梅花、銀香梅 (フトモモ科)

ふるさとは、地中海沿岸原産のハーブ。
花の色は純白。別名「祝いの木」。
一昨年、苗を買ったときに調べたら、




「葉と花はハーブとして利用され、香水原料にもなる。
実は食べられるし、スパイスにもなる。
ギリシャ神話では、美の女神ビーナスと
愛の女神アフロディーテの神木とされている。
月桂樹と一緒に頭にかざられたり、ブーケにも使われる。
この花が咲くとよいことがあると言われ、
西洋では、古代から大切にされてきた。」


つぼみは100個以上あるので、満開になったら見事でしょう。

木曜日に治療をした歯が、この週末もずっと痛んでいて、
気持ちがふさがっていたのですが、
マートル(銀梅花)のうつくしさに痛みも忘れてしまうほど。
心地よい経験がなによりの薬です。



なにかいいことある、って・・・・、
「マートルが咲いたこと」が、わたしにとっての「いいこと」。

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丸デブ本店のわんたんとさゝやのお好み焼き

2007-06-24 15:00:56 | おいしいもの/食について

岐阜に用事があって出かけて、
ちょうと昼時だったので、「丸デブ本店」に行ってわんたんを食べました。

丸デブのメニューは”中華そば”と”わんたん”のみ。いずれも350円。
丸デブは、実家が近いので、昔はよくきていたのだけれど、
駐車場がないのと、わんたんが売り切れるのが早いので、
食べたいなと思っても、車で通り過ぎるだけ。
30年以上も前になりますが、岐阜で一人暮らししていた祖母も
わんたんが大好きで、ガンで寝こんでからも、
頼まれて、おなべ持参でよくわんたんを買いに来ました。



中華そば、こわめ(硬め)、

を、つれあいは2杯食べました。


つれあいは、おそばが好きで、わたしはわんたん専門。
若いころは、わんたんを2杯食べていました。
普通のわんたんより、薄くて大きくてひらひらつるつるのわんたんは、
肉の具がめったに入っていないのですが、わたしはこのほうが好きだし、
これが本物のわんたんだとずーっと思っていました。

ひさしぶりでしたが、懐かしい味でおいしかったです。

おかみさんがちゃんと覚えててくれて、
連れ合いに、「ニュースを今朝ラジオできいた」(びっくり・笑)。
「いつまでも元気で活躍してくださいね」とのこと。
ワンタン好きのいちばん上の子が最近食べに来たそうです。

デブのおそばはストレート麺で、おつゆも和風なので、
中華そばというよりは、もちもちのひやむぎのようです。
麺の固さや味の濃さ、ネギや麺の量も希望に応じてくれます。

ついで、柳ケ瀬にある「さゝや」に立ち寄って、
持ち帰りのお好み焼きを注文しました。

柳ケ瀬には、昔からの小さなお好みやさんが何店かあるのですが、
さゝやのお好み焼きの具の野菜は、岐阜産ねぎ100パーセント。
焼けるまで10分くらいかかるというので、
待ってる間に、目の前の「メルサ」に行きました。

   

ツーハンズでともちゃんの作業用の綿シャツをゲット、
100均のダイソーで、ジャム用のビンを買って降りてくると、
2かいの喫茶店に、岐阜グランドホテルの名物「あんぱん」がありました。
グランドホテル直営の喫茶店だそうです。
そういえば、メルサもグランドホテルも名鉄系です。
小豆餡がぎっしりのあんぱん200円を2個買いました。


ねぎお好み焼きは、さすがねぎの香りが強かったですが、
ねぎの苦手なわたしでも、おいしくいただきました。

そろそろ、3時のお茶の時間です。

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沖縄「慰霊の日」~沖縄に思いを寄せて(6/23)

2007-06-24 05:14:06 | ほん/新聞/ニュース
 沖縄をはじめて訪れた日、さいしょに、沖縄戦の激戦地となった
本島南端の「摩文仁(まぶに)の丘」にタクシーで行った。

糸満市の「摩文仁平和祈念公園」には、
24万383人の犠牲者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」がある。
沖縄を案内してくれたタクシーの運転手さんは初老の男性で、
「摩文仁(まぶに)の丘」を一緒に歩きながら沖縄戦の話をしてくれた。
戦争のとき、彼は小学生だったとのこと。

「摩文仁の丘」には、全国各県の慰霊碑があり、
丘の端は絶壁になっていて、目の前に青い海が続き、
足元は緑の生い茂るジャングルのようだった。

彼の言ったことばが忘れられない。

「この下でたくさんの人が死んだのです」。

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慰霊の日 沖縄戦の記憶は”平和の砦”(2007.6.23 琉球新報社説)

きょうは「慰霊の日」。鎮魂の思いを込め「沖縄忌」とも呼ばれる。六十二年前、二十万人余が犠牲になった沖縄戦が、事実上終結した日とされる。戦後沖縄の原点となるこの日に、戦争と平和について考えたみたい。
 きのう午後、県議会は、文部科学省の高校教科書検定で沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制などの記述が修正・削除された問題で、検定意見の撤回を求める「意見書」案を、全会一致で可決した。
 「慰霊の日の前に、可決されて本当によかった」と、安堵(あんど)の声が上がったのは、直前まで揺れた県議会の対応があった。
 「軍命の有無が検証されていない」との声が、県議の中から出て、全会一致どころか、決議自体が危ぶまれていた。
 県議会の内輪もめをよそに、県内四十一市町村中、三十六市町村議会が検定意見撤回を求める意見書を可決している。二十八日までには全議会が可決の見込みだ。

改ざんに手を貸す政府
 県議会は意見書で「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘し、「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と強く批判している。
 県議会の意見書可決で、名実ともに県民世論は「検定意見の撤回」の要求を政府に突きつけた。
 だが、政府の壁は依然として厚い。意見書への見解を求められた久間章生防衛相は二十二日、「防衛省は日本軍のことを引き継いだ訳でなく、防衛省が答える話ではない」と、どこ吹く風だ。軍命の有無にも「そんな昔のことは私は知りません」と、はねつけている。
 久間防衛相は、自衛隊と「日本軍」は異なる。そう言いたいのであろうか。だが、自衛隊はまぎれもなく「日本の軍隊」である。日本軍と違うと強調することで、過去の日本軍の犯した過ちを、忘れようとしている。歴史に学ばない軍の責任者は、また過ちを繰り返しかねない。見識を問いたい。
 十五年ほど前、東京で沖縄戦を指揮した第三二軍の高官・神直道航空参謀に会った。なぜ、住民を巻き添えにしたのか。なぜ軍は住民を守らなかったのか。その問いに「軍隊は敵のせん滅と戦争遂行が役目。住民を守るという命令は無かった」と、淡々と語った。
 「軍は民を守らない」。沖縄戦で生き残った多くの県民が経験で学んだ教訓である。
 戦後六十二年を経て、ことし五月、沖縄では大砲を備えた海上自衛隊の掃海母艦が、米軍基地建設の支援のため、沖縄に派遣された。国民を守るべき自衛隊は、基地建設に反対する市民と対峙(たいじ)し、「民を威圧する行為」との批判を受けた。

体験者の声を聞こう
 自衛隊情報保全隊による「国民監視」の実態も明らかになった。 「軍は民を守らない」との沖縄戦が残した教訓を超える「軍の論理」がそこにある。
 沖縄戦は遠い昔の話ではない。山積する戦後処理問題は、戦争の傷がいまだ癒えない沖縄の現実を冗舌なまでに物語っている。
 沖縄戦での直接の犠牲者のうち、ことし三月末までに十八万三千九百三十五柱が収集された。しかし、四千柱を超える遺骨が、地中深く、あるいは野ざらしになり、収集を待っている。
 県内では二〇〇六年度だけでも八百七十六件もの不発弾処理が行われている。だが、毎年三十㌧を超える処理を続けても、今なお地中には二千㌧を超える不発弾が残る。
 一方で、遺族年金の受給者はこの十年で九千五人(一九九六年)から約四千人(〇六年)と半減している。沖繩戦の実相を知り、戦争体験を語り継いできた「語り部」たちがこの世を去っていく。
 「歴史の目撃者」たちが少なくなり、新たな歴史観による教科書の書き換えが進む。教科書検定問題で「集団自決」での軍命の有無を争点にしているが、本質はまぎれもなく存在する政府の開戦責任も含めた「戦争責任」である。
 歴史の見直しを理由に、政府に都合のいい教科書を書き上げることを考える前に、歴史に何を学ぶかを考えるべきであろう。
 沖縄には、文科省の検定を受けない゛生きた教科書゛たちが、まだまだ健在だ。沖縄戦の体験を直接聞ける。慰霊の日を、戦争と平和を考え、歴史と向き合う節目の日としたい。

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検定撤回は県民の総意(2007.6.23 沖縄タイムス・社説)

軍官民共生共死の論理
 文部科学省の教科書検定で、高校用歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」をめぐる記述から日本軍の関与を示す記述が削除された。県民の間に沖縄戦の歴史歪曲への強い懸念が広がる中で、「慰霊の日」を迎えることになったのは残念である。
 沖縄戦では「軍官民共生共死」の論理の下で多くの非戦闘員が死に追い込まれた。各地で住民証言が収集され、「集団自決」は軍による強制・強要・命令・誘導等によって引き起こされたというのが戦後蓄積されてきた沖縄戦研究の成果である。
 なぜ今になって日本軍の関与が削除されるのか、私たちは沖縄戦の実相を踏まえ、考えなくてはならない。
 「集団自決」は県内の激戦地で起きた。渡嘉敷島、座間味島、慶留間島では住民が肉親に手をかけた。手りゅう弾やカミソリ、かま、棍棒などが使われ、阿鼻叫喚の地獄絵が広がった。多くの子供たちも犠牲になった。
 渡嘉敷島での「集団自決」で両親と弟妹を失い、生き残った金城重明さんは、「母親たちは嗚咽しながら、迫りくる非業の死について、子供たちに諭すかのように語り聞かせていました。恐ろしい死を目前にしながら、髪を整え、死の身支度をしていた婦人たちの様子が忘れられません」(「『集団自決』を心に刻んで」、高文研)と、犠牲者らの最後の姿を伝えている。
 沖縄戦から六十二年。世代交代が着実に進み、沖縄戦の体験者も年々減少していく。後世に生きる人々が沖縄戦の記憶をどう継承していくかが重い課題として浮上している。こうした問いに正面から向き合うことなしに沖縄の将来を切り開くことはできない。
 県議会は「慰霊の日」の前日、検定意見を撤回し記述を元に戻すよう国に求める「教科書検定に関する意見書」を全会一致で採択し、文部科学省などへの要請行動を展開した。
 「『集団自決』が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による多くの証言を否定しようとするもの」という批判は、与野党を超えた県民の総意である。政府は県民の声を重く受け止めるべきだ。

日本軍の残虐性薄める
 沖縄戦に関する教科書検定の経緯を振り返ると、政府にとって都合の悪い沖縄戦関連の記述を歴史教科書から消し去りたいかのようだ。研究者らが同様に指摘するのは、日本軍の残虐性を薄める方向での修正の動きである。
 一九八二年度の教科書検定で、沖縄戦での日本軍による住民殺害の記述が削除された。しかし、県民の抗議の高まりなどを受けて記述が復活した。
 そして今回は「集団自決」に関する記述について「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある表現」として、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正するよう指示した。
 文部科学省が、教科書を審査する教科用図書検定調査審議会に対し、日本軍の関与を示す記述の削除を求める意見書を提出していたことも判明した。
 伊吹文明文部科学相は「軍の関与があったことは認めている。ただ、すべての集団自決について軍が関与したという記述は必ずしもそうじゃないんじゃないか」と述べ、大臣として検定には介入しない考えを示している。
 文科省の審議官は検定調査審議会の中立性を強調し、今回の削除・修正は審議会の判断だとしている。
 軍の関与は認めつつ、軍関与を示す記述の削除についても理解を示す。これは一体どういうことなのか。

首相の歴史認識を問う
 安倍晋三首相は「戦後体制からの脱却」を掲げ、憲法改正、教育問題を重視してきた。「愛国心」重視の教育基本法を改正し、従軍慰安婦問題で「狭義の強制性」を否定した。靖国問題など首相の歴史認識が問われている。
 今回の検定で「軍の関与」が削除されれば、住民は自発的に死を選んだという意味合いになる。そこには審議会による判断だという説明だけでは済まない大きな論理の転換がある。
 沖縄戦研究者は政府は「集団自決」という言葉に靖国思想を意味する「殉国死」のニュアンスを込めていると指摘する。「今回の検定には文部科学省だけでなく政府筋の介入を感じる」という声さえ出始めている。
 沖縄戦の記憶は今試練にさらされている。「慰霊の日」に犠牲者を追悼していくために、今回の検定問題を契機に沖縄戦の実相を究明し、沖縄戦についての認識をさらに深めていきたい。
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【社説】
慰霊の日 沖縄県民の怒りに耳を

2007年6月23日 中日新聞

 基地の島、沖縄には国際的な軍事情勢を映し出す現実がある。軍と住民との間の不幸な過去がある。県民の怒りに耳を傾け、軍事組織を国民の目で厳しく監視し、統御する重要性を確認したい。
 沖縄は二十三日、戦没者を悼む慰霊の日を迎えた。太平洋戦争末期の一九四五年三月二十六日、米軍の慶良間(けらま)諸島上陸で始まった沖縄戦は、六十二年前のこの日、日本軍が組織的抵抗をやめたことで終結した。
 この戦いは女子学生も含むほとんどの住民が動員され、激しい地上戦に巻き込まれた。二十万人の日本側死者の七割近くが住民である。
 その傷がまだ癒えきっていないのに、沖縄県民にとっては傷口に塩をすり込まれるような出来事が相次いだ。高校の歴史教科書検定で、集団自決の記述が修正させられ「軍の強制」が消されたのは代表例だ。
 軍の関与、強制についてはたくさんの証言がある。事実を無視する文部科学省に対し県民の怒りと不信の声があがったのは当然だろう。
 それだけではない。政府は、米軍普天間飛行場を移設する予定海域の調査に、住民の反対行動に備えて海上自衛隊を出動させた。自衛隊が市民運動や報道陣の取材活動を「反自衛隊活動」と敵視し情報収集していたことも明るみに出た。
 これらの事実で、避難した壕(ごう)から軍人に追い出されたり、方言を使ってスパイ扱いされた経験を想起した県民もいる。自衛隊の行動が、味方のはずの軍から銃を向けられ、軍事優先の意味を身をもって知らされた体験と重なって見えたのだ。
 日本の復興、発展の陰に、沖縄におけるそうした厳粛な事実があったことを、いまなお過重な負担を沖縄に強いていることを、多くの日本人が忘れかけていないだろうか。
 国土面積の0・6%しかない県内に在日米軍施設・区域の75%が集中し、県面積の10%は米軍施設だ。自衛隊の基地、施設も多い。憲法改定が声高に語られ、自衛隊の海外派遣が常態化し、日米の軍事一体化が進む中で、沖縄は太平洋の“要石”として前面に立たされている。
 他方、日本社会の世代交代に伴って、戦争体験の風化が指摘され、戦争の悲惨さに対する想像力の欠如が目立つ。半世紀以上も続いた平和を持続できるか、不安も語られる昨今である。
 いまこそ、最後の激戦地、摩文仁(まぶに)の丘に並ぶ平和の礎(いしじ)に名前を刻まれた犠牲者の無念を胸に刻み、沖縄県民と怒りをともにしたい。沖縄戦の歴史と、沖縄のおかれた現実に正面から向き合いたい。
(2007.6.23 中日新聞)
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沖縄慰霊の日―集団自決に見る軍の非情(朝日新聞社説)

 沖縄は23日、「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的な抵抗が終わった日である。
 今年の慰霊の日は、昨年までとは趣が異なる。沖縄戦で犠牲になった人たちを悼むことにとどまらない。沖縄戦とは何だったのかを改めて考えようという動きが広がっているのだ。
 きっかけは、「集団自決」についての教科書検定である。文部科学省が「日本軍に強いられた」という趣旨の記述を削らせた。軍の強制を否定する資料が出てきたというのだ。
 沖縄では一斉に反発が起きた。各地の市町村議会に続き、県議会でも検定の撤回を求める意見書が全会一致で可決された。意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」と主張する。
 保守、革新を問わず、憤ったのはなぜか。集団自決が日本軍に強いられたものであることは、沖縄では疑いようのない事実とされてきたからだろう。
 集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)諸島だ。慶良間諸島だけで犠牲者は700人にのぼる。
 多くの悲惨な証言がある。例えば、元沖縄キリスト教短大学長の金城重明さん(78)は集団自決の現場で、手投げ弾が配られるのを見た。手投げ弾は自分にまで回ってこず、母と弟妹を自ら手にかけて殺した。「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語る。
 集団自決に直接かかわった人たちだけではない。沖縄の人たちが「集団自決は日本軍に強いられたものだ」と口をそろえるには理由がある。
 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。足腰さえ立てば住民を一人残らず動員し、生死を共にさせようというのだ。
 子どもから老人まで駆り出された住民は、食糧や弾薬の運搬などだけでなく、戦闘員として敵に突入を命じられた。
 陣地の構築にも動員されたため、住民は軍事機密である日本軍の配置まで知ることになった。そこで日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し、実行していった。
 一方で、「鬼畜米英」軍に捕らえられたら、女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた。
 迫りくる「鬼畜」の敵軍。背後には投降を許さない日本軍。そうした異常な状態が集団自決をもたらしたのだ。
 沖縄戦の3カ月の犠牲者は20万人を超える。本土から来た兵士より住民の犠牲の方が多かった。日本軍の任務は本土決戦の時間をかせぐため、米軍をできるだけ長く沖縄に足止めすることだった。
 沖縄の人たちは「捨て石」にされ、根こそぎ動員されて日本軍と一緒に戦い、そこで集団自決が起きた。いまさら「日本軍は無関係」と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる。
(2007.6.23 朝日新聞)
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文科省「関与」鮮明に 修正前提の審査求める
「集団自決」検定(2007.6.23 沖縄タイムス)

 
【東京】二〇〇八年度から使用される高校歴史教科書の検定で文部科学省が、教科書を審査する教科用図書検定調査審議会に提示した調査意見書の決裁資料に、教科書会社から提出された記述通りに検定の合否判定をせず、修正後に審査するよう求める具体的記述があることが二十二日、分かった。民主党の川内博史衆院議員(比例・九州ブロック)が入手した文科省の原義書(決裁書)で明らかになった。局長、審議官、課長、教科書調査官ら検定に関係する主要な事務方の決裁印があり、審議会への文科省側の「関与」があらためて浮き彫りになった。(吉田央)
 原義書は教科書調査官がまとめた調査意見書を、所管の初等中等教育局が決裁した内部資料。調査対象の教科書を提出した会社別に受理番号、教科、種目などが記されている。
 それぞれの教科書の「調査結果」の項は、「上記の申請図書(教科書)は、別紙調査意見書のとおり検定意見相当箇所がある」と指摘。
 その上で「合格又は不合格の判定を留保し、申請者(教科書会社)によって修正が行われた後に再度、審査する必要がある」と記述し、調査意見書に沿った検定意見を付すよう求めている。
 調査意見書は日本史教科書に対する指摘事項で、沖縄戦「集団自決」への軍関与を「沖縄戦の実態について誤解する恐れのある表現である」と記述。
 これとまったく同じ表現が、審議会での審議を経て教科書会社に示された検定意見書に記載された例があることが明らかになっている。
 伊吹文明文科相は国会で「文科省の役人も、私も、安倍総理も一言も(=口出し)できない仕組みで教科書の検定は行われている」と答弁しているが、調査意見書の作成段階で文科省が容喙「口出し」し、検定の方向性を決めていた構図が鮮明になっている。
 川内氏は「はんこ(決裁印)は文科省の意思として押されており、記述を変えさせた判断が文科省側にあったことは明らかだ」と指摘している。
 文科省初等中等教育局の山下和茂教科書課長は二十二日、沖縄タイムス社の取材に「これまで述べてきた通り調査意見書はあくまで審議会の参考資料で、審議会の決定を強制するものではない」と説明した。
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青空に黄鉄砲百合/すかし百合も色々咲いています。

2007-06-23 13:53:46 | 花/美しいもの
梅雨空から一転、抜けるような青空。
黄鉄砲百合が咲きました。







今年の鉄砲百合は背丈を越えるくらいになり、
つぼみが50~60個もついています。
 
全部咲いたらきれいだろうな、とワクワクします。
ヒペリカム・ミスティックフレアーも満開です。

鉄砲百合の手前には、赤とピンクの八重すかし百合。


  

  



清楚な、一重のすかし百合も色々咲いています。
雨の日は、そこだけポッと明かりがともったみたいです。


オレンジと白
  

  



ピンクとグリーンのすかし百合
  

  



今年、球根を植えた長太郎百合も、一足先に咲きました。


 
背丈が約50センチと低い矮性の百合ですが、
葉に白い覆輪を持つのが特徴で、
花の形を見ると鉄砲百合の交配種のようです。

今年の冬は、変わり咲きの百合の球根をたくさん植えました。
オリエンタルリリーやカサブランカなどもこれから咲きます。

いよいよ待ちに待った百合の季節です。


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