みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

特定図書排除に関する住民監査請求 補充書(特定図書リストについての分析)-3

2008-12-31 11:00:52 | 「ジェンダー図書排除」事件
この記事は、「特定図書排除に関する住民監査請求」で
12月9日に陳述で提出した「補充書(意見書)」。
 特定図書リストについての分析-2からの続きです。

(特定図書リストについての分析-3)
特定図書排除に関する住民監査請求  補充書
特定図書リストについての分析-2からの続き

<「BL」という無定義なジャンル概念を、無理に、恣意的な基準でくくろうとしたことによる問題‐明らかに問題のある排除がおこなわれ暗黙の差別があらわになっている> 

(6)「BL」ではなく、男性同性愛の恋愛・性描写がないのに指定されている「少女小説」

3077/南図書館/図一般/304375041/保2/8/マエタ/前田珠子/孔雀の庭≪エシュラルト&ロキシム≫/スニーカーブックス/角川書店/

 通常、少女小説に分類される書き手。A5サイズのソフトカバーで、表紙は身体的接触もしていない着衣の男性二人。媒体もBLノベルズではなく、「BL」的描写も一切無い。何故選ばれたのかが完全に不明。おそらく、表紙に男性二人が描かれていることが原因と思われる。
 作中に、男性にストーカーする男性、女性を愛する女性がちょい役で登場するものの、男性同性愛の行為・心理描写は皆無。性行為描写にいたっては、男女のキスと、女性が女性の指を口に含むというシーンがあるのみ。(挿絵で性行為を暗示するのはこのキスシーンのみ)(熱田)

宮乃崎桜子/〔著〕 斎姫異聞 講談社X文庫 講談社
宮乃崎桜子/〔著〕 月光真珠≪斎姫異聞≫ 講談社X文庫 講談社

「斎姫異聞」は第何回だかわからないが、講談社ホワイトハート大賞だか佳作だかを受賞して和風ファンタジーで問題図書にされたとしたら審査員もびっくりだろう。主役である「斎姫」が実は両性具有であり、政略結婚の相手との初夜にそれがばれる、というシーンがちょっとあるけれど、性的描写の中に入れるのも疑問が残るぐらいのもの。(加納真紀さんメール)

(7)セクシュアル・マイノリティの日常を描いた本が指定されている

森奈津子/著 耽美なわしら 1 ASUKAノベルス 角川書店
森奈津子/著 耽美なわしら 2 ASUKAノベルス 角川書店
「耽美なわしら」は、ゲイやレズビアン、アセクシャル等の日常をかいたコメディであり、これをわかって指定したとしたらセクシャルマイノリティに対する差別としてしか考えられない。(加納真紀様メール)

作者はHPでバイセクシャルと自認しており、下ネタが多いことから来るバイアスではないだろうか。(加納真紀様メール)

(8)男性同性愛描写があるから指定された?

小沢淳/〔著〕 金色の少年≪ムーンライト・ホーン5≫ 講談社X文庫
講談社
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる≪誘惑≫ Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる 第3部 Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる 第4・5部 Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる Eclipsnovel 桜桃書房
かわい有美子/著 今、風が梢を渡る時 前編 パレット文庫 小学館
かわい有美子/著 今、風が梢を渡る時 後編 パレット文庫 小学館
小沢淳/〔著〕 茜の大陸≪ムーンライト・ホーン6≫ 講談社X文庫
小沢淳/〔著〕 神聖王国の虜≪ムーンライト・ホーン7≫ 講談社X文庫 講談社
小沢淳/〔著〕 密林の聖獣≪ムーンライト・ホーン8≫ 講談社X文庫 講談社

小沢淳のムーンライトシリーズは、国を亡くした王子と従者のゲイカップルが、旅をする話だが、どっちが受・攻かわからず、じれったい思いをしたことがある。
(直接的な描写はない)
あと王子が女好きの浮気性で女性と寝るシーンも少しあったと思うが、直接的ではない。

「僕は君のためにいる」は、作者による「自己流カラマーゾフの兄弟」で、実際にそんな感じ父親殺害をめぐる三兄弟+異母弟の葛藤が話の中心であり、性描写がメインなものではない。
最後に兄弟による性描写が少しあるが、直接的ではないはず。
徳田みどりによる表紙、挿絵が色っぽかったと思うので、そう判断されたのかもしれないが、ありえない。
かわい有美子がパレットに書いたものは青年同士の恋情のほのめかしはあっても基本、BLではない。(加納真紀様メール)

緑なす丘に我らは歌う(パレット文庫),ひかわ 玲子/著; 小学館,2005.4
花の告げし人を称えよ(パレット文庫),ひかわ 玲子/著; 小学館,2005.6
金の果実に祈りを捧げ(パレット文庫),ひかわ 玲子/著; 小学館,2005.8

パレット文庫は、「BL」として売られている作品もあるものの、通常は「少女小説」として売られている。ひかわ玲子は少女小説作家として大御所であり、指定された3作品(同一のシリーズ)も表紙は着衣の男性ばかりで、性描写を匂わせるものも無い。内容を見ていけば、男性同士のキスシーン、抱き合うシーンなどがあることから指定されたのだろうか。
前述の加納真紀さんのご指摘にもあるとおり、こうした性描写が非常に少ない作品も指定されている。男女の性行為であれば、キスシーンや抱擁シーンで有害指定されるとは考えにくい。(熱田)

(9)「BL」とそうでないものをノベルズやレーベル、文庫のシリーズ名で分けることは難しい

花丸ノベルスは初期はBLに特化しておらず、ファンタジーやSFも扱っており、性描写も少なかったはず。
BL作家でBLレーベルには、普通にBLを書く人でも混在するX文庫、パレット等には書かない作家もいる。

ASUKAノベルス/レモン文庫/新書館ウィングス文庫はBLレーベルではない、完全なジュブナイルレーベル。そういうテイストのものを混ぜるかもしれないが、性描写メインになるとは考えにくい。逆に言うと、そこまで子供を純粋培養して、どうするつもりなのか。

また新書館ディアプラス文庫はBLではあるが、性描写があっさりしているのを売りにしている。全くないものもある。特に菅野彰は少ないはず。(加納真紀さまメール)

(10)「文学」は指定されず、「ライトノベルズ」など若者向けジャンルのみが指定されている

 今回、指定されている図書の媒体・作家は、そのほとんどが若者・女性を読み手と想定しているものである。男性同士の恋愛・性行為描写が描かれた作品は、三島由紀夫や堀達夫などの一部の作品、比留間久夫や三浦しおんをあげるまでも無く、従来「文学」とされてきた分野でも枚挙にいとまない。(外国文学でも、ジョン・フォックス『潮騒の少年』、ジャン・ジュネ『葬儀』 、フォースター『モーリス』など…)しかしながら、こうした作品は一切指定されず、その内容や質的な際も議論・吟味されること無く、「BL」と認識された作品のみが有害と指定された。これは、本の貴賎を恣意的に観念されたジャンルによって決めるという、図書館がおこなうにふさわしくない行為ではないだろうか。
(熱田)

(11)書き手/想定される読み手の性別による選別が、暗黙裡におこなわれているのではないか
筋違いながら安堵致しましたのは、BLに紛れて90年代初頭にBLの萌芽に紛れる様にして紹介されたゲイ文学が排除されていなかった事です。(ぶどううり・くすこ様メール)

(10)との関連であるが、仮に、「ゲイ文学」と呼ばれる小説が指定されず、「BL」が指定される理由が、セクシュアル・マイノリティへの偏見ある表現があるかないかだとしよう。もちろん、BLの中にも、男性同性愛への偏見を含んだ描写のある作品があることは事実である。
しかしながら、その個別の表現が問題にされずに、「BL」というジャンルが有害とされることは、非常にナイーヴに、「ゲイ」という主体を本質化することだといえる。例えば、書き手が「ゲイ」であれば、セクシュアル・マイノリティへの偏見は作品に必ず表れないのだろうか。また、書き手が「ゲイ」でなければ、セクシュアル・マイノリティへの偏見があるということになるのだろうか。(熱田)

(12)「BL」を読んでいるのは女性読者のみとは限らない-読者を一定の範囲に定義するなどということはできない

BL雑誌の投稿欄に勇気を出して投稿して相談をして、幾許か救われた若いゲイの方も居たと言う事実があったとしても、彼等は冷笑をもって顔を背けるのでしょう。
ささやかながら資料の再確認をしている者の一人として、物悲しくなります。
(ぶどううり・くすこ様メール)

<「過激な性描写」を理由に「BL」を排除することの恣意性> 
 
(13)性描写の程度による振り分けがなされていない

西野花さんは、完全に18禁だと思います。綺月陣さんクラスですよ。
高遠 琉加/著 世界の果てで待っていて≪天使の傷痕≫は、同衾はしていますが、それは癒しあう行為のようなもので、これが入っているのは変です。(匿名メール-千田さん経由)

(14)「ストーリー」性や「文学」性があると思われる作家・作品が同性愛表現だというだけで排除されている

榎田尤利さん/BLに偏見持っている人には「夏の塩」シリーズを読んでみて欲しいです。この方は、とにかく人間の温かさということに重点を置かれてBLを書かれていると思います。

木原音瀬さん/人生の不条理ということを書かせたら一級です。三浦しをんさんも、木原さんの作品をBLでも直木賞候補に挙げたいと言っておられました。

英田サキさん/タイトな文体のハードボイルド。まるで映画を観ているようです。プロットの緻密さと甘さを排した内容は、BLという括りに入れて悪書と決め付けないで欲しいです。

栗本薫さん/大御所過ぎて、何もいえません(笑)。

花川戸菖蒲さん・鳩村衣杏さん・烏城あきらさんも、非常に良質な作品を書かれる方です。(匿名メール-千田さん経由)

秋月こおさん/Wikiより:1992年たつみや章名義で児童文学作家デビュー。2003年4月には熊本市議会議員選挙に立候補、初当選を果たしている。

本人も立派な方だし、BLでも芸術性・歴史性の高いお話を書かれる作家さんです。富士見二丁目などは、本当に音楽の薫香の高い作品です。
三浦しをんさんの、記事がありますので、参考にしてください↓。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060731bk0e.htm
(匿名メール-千田さん経由)

(15)男女の性描写がある、男性読者向けの本は性行為の度合いにかかわらず今回指定がない

堺市の図書館では、男女の性描写を扱い、表紙にも性描写を示すような絵や写真が使われている本を、開架で貸し出している。なかには、amazonなど、一般市場での流通においてはアダルトカテゴリーに配分され、18歳未満に対して警告が表示されるものもある。
こうした本を、置くなということではない。しかしながら、下記の実例を見れば、性描写の暗示の程度において、これらの本が「BL」よりも問題が無いと、どんな点から言うことができるのか。
また、仮に、こうした本が「官能小説」や「文学」であるという理由だとしたならば、「BL」というジャンルは「官能小説」や「文学」ではないとは、誰にもいえないということは、ここまでにあげた点から既に明らかであると思われる。(熱田)

下記に、2,3例を挙げておく。
異形の宴‐責め絵師伊藤晴雨奇伝/団 鬼六/著/朝日ソノラマ/2000.4/913.6 
1 北 202347233 8//タン/開架 図書一般  在庫
2中801178674 8//タン/開架 図書一般  貸出中

新編愛奴-外道の群れ外伝/団 鬼六/著/Paradigm human adult books/パラダイム/2001.4/913.6
1 南  304482979  8//タン/開架 図書一般 貸出中

※amazonではアダルト指定されている本
爛夢-官能アンソロジー/日本文芸家クラブ/編/藍川 京/〔ほか著〕/徳間文庫/徳間書店/2008.8/913.68
1東  401489752  8//ランム/   開架 図書一般 貸出中

(16)「BL」における性描写は恋愛を描くストーリー上、不可欠なものもある
 
仮に、性描写の「中身」が問題だとした場合に、下記のような意見もある。

かなり前に新聞でBLの特集があって、ある方が言っていましたが、男性向けの性描写とBLが決定的に違うのは、そこに『愛』があるかどうかだそうです。

男性向け性描写は、とにかく性的に興奮させることを目的としています。暴力もただの性的支配欲の表れです。

女性向けBLは、暴力やレイプがあっても、全ては愛に繋がっています。つまり、恋愛ごとの延長に全ての行為があるということです。

何故、女性にとって男同士の暴力はOKなのかというと、やはり弱者(女や子供)に暴力が振るわれる場面はリアル過ぎて引いてしまいます。男同士なら、暴力も所詮対岸の火事。そこでは何をやってもOKのある意味想像上の世界ですね。

そして、男同士の愛というものに、女性は男女間にない純粋な愛を夢見ているのかもしれません。
タブーの愛を貫く純愛というものに、心を動かされるのでしょうね。結婚というゴールのない、愛だけで成り立っている世界ですから。

女性向けBLではキャラの年齢が高いのも、特徴ですね。男性向けはとにかく若い娘優先ですから。BLでは、40歳だって立派な主人公です。ロマンチックな男性と違って、女性は現実的ということなのでしょうか。興味深いですね。
(匿名メール-千田さん経由)

参考文献 
Butler,Judith,1997,Excitable Speech: A Politics of the Performative , Routledge, London(=竹村和子訳2004『触発する言葉―言語・権力・行為体』岩波書店)

資料・著作が20冊以上排除図書に指定された作家の、作家別排除図書指定率

※網掛け:有害図書指定率が100%を超えている。何らかの理由で9月11日から蔵書数が減ったか、検索方法が違っていてでてこない可能性あり。
※下線(一件):同姓同名作家がいる可能性が考えられるが、特定できていない/元データの数値に疑問があるなどのケースで、数値が正確ではないのではないかと疑われるケース。また、同姓同名作家の存在の有無については、一部を除いて未対応。

【千田有紀さんの意見】 

 個人的には、表現の自由は、ある一定の制限のなかで、守られる価値であると思っている。ある一定の制限のなかで、という譲歩をつけるのは、表現は無制限に守られるべきものではなく、ある表象が他者を傷つけないかぎりにおいて守られるべきだと思うからである。

 つまりこのボーイズラブ排除が、性的マイノリティからのある種の表現にかんする抗議としてなされたのであるならば、無制限に表現の自由を主張することは、できないだろう。しかし、排除の理由が、「性的な表現が含まれるから」であるというのであれば、首を傾げざるを得ない。性的な表現は、図書館のなかに満ちており、それらは許容できるが、ボーイズラブだけが駄目であるとしたなら、問われるべきは、「同性愛表現を許容できない価値観」のほうだと思うからである。

 この前提を踏まえたうえで、リストをみたときの感想は、やはり排除の基準がよくわからないというものであった。例えばリストには、鹿住槇さんや桜木知沙子さんの作品が多く含まれているが、これらの作家は、どちらかといえば、かなりソフトな古典的少女漫画タッチの作品を書くことで知られている。桜木さんの『金の鎖が支配する』という作品もしっかりリストに入っているが、これも性描写が出ていて桜木さんにしては珍しい挑戦だと思った記憶があるほどで、その他の作品は、家族の絆や愛情や信頼とは何かを問いなおし、ときに息苦しいほど「倫理」をみつめようとする、どちらかといえば「保守」といえなくもない作品群である。これらの作品も排除されるのかと知って、正直にいえば、驚きを禁じえなかった。

 また鹿住槇さんは、昔の少女小説タッチのソフトな作品を量産される作家で、性表現の厳しいアメリカでも漫画化された作品が翻訳されている『ヤバイ気持ち』(英訳『Desire』)などは、相手への性的関心から先に関係を結んだ高校生が息苦しさを感じ、心の絆を結びなおすという、男女であったら性教育の教科書として使われてもおかしくないような作品である。その他の作品も総じてソフトで性表現も過激ではなく、鹿住さんの作品に男性同性愛が描かれている以外の排除される理由が見当たらない。

 また割を食っていると感じられたのが、榎田尤利さんである。
榎田さんは、ボーイズラブとファンタジーを描く作家でもあるのだが、どれもこれも駄目という状態である。『普通の男(ひと)』などは、自分のことを「普通」であると思っていた男が、同性を好きになるという「異常」な事態に驚き戸惑うという過程が丹念に描かれており、セクシュアリティの理論書のような趣がある本である。次作の『普通の恋』でふたりが結ばれ、『普通の男』にはほとんど性描写はなかった(ように記憶している)。これも駄目なのか。また、魚住くんシリーズも、排除されている。魚住くんシリーズは、傷つきやすい魚住くんが巻き起こす青春物語で、1巻ではまったく性描写は出てこない。
 なぜ1巻という限定をつけるかといえば、2巻以降は、あまりの高値に入手を諦めたからである。現在はすべて絶版であり、12月2日現在、某サイト(アマゾン)の中古品で、最終巻は最低でも3200円、最高額で5000円で取引されている。

 ボーイズラブのように消費財的に読まれ、あっとうい間に消えてしまう作品こそを保存することこそが、図書館の使命ではないのか。桜木さんの作品など、ほとんどを読んでいると思っていたが、排除リストに入っているものには、知らないものもたくさんあった。絶版となり、ネットの中古市場からも消えてしまった作品は、図書館がなければ、実際にはまったくといって入手不可能となっているのが現実である。男性同士の恋愛を描いているという理由で、排除するにはあたらないのではないか。

 また秋月こおさんの『フジミ』シリーズ、『要人警護』シリーズ、『ロマンセ』シリーズなどは、どれも排除の対象であった。権威主義的なことをいう気はないが、秋月さんは、別名で児童文学も書かれており、熊本市議も務められた方である。  『フジミ』シリーズは、わずかながら性描写こそあるものの、基本は優れた音楽家を目指す二人の成長譚であり、栗本薫さんは「少女マンガ的構造」をもつ物語であると論じている。この評価は同意できるものであり、決して過激なポルノなどではない。
 またロマンセシリーズなどは、性描写も少なく控えめであり、平安時代を舞台としたスリリングな作品に仕上がっている。他にも、たけうちりうとさんの『薔薇とボディガード』シリーズやごとうしのぶさんの『タクミ君』シリーズなど、すぐれた長編が排除の対象になっているのは、いかにも惜しい。

 製造業で働く男たちのロマンを中心にすえた、烏城あきらさんの『許可証をください』のシリーズも排除の対象であった。また人間味あるドラマを描くことで定評のある木原音瀬さんも、絶版になった作品も多いにもかかわらず、排除の対象である。
 これらの作品に性描写がないとはいわないが、軽い味付け程度のものであり、この程度が排除の対象であるというのだったら、ボーイズラブ以外のほとんどの作品が排除の対象となるのではないかと思われる。

 そもそも、ボーイズラブは作家買いが難しい珍しいジャンルである。というのは、どの出版社のどのノベルズから出るのかという、ノベルズに作品のテイストが大きく規定されるからである。堺市のリストを見ると、上位から、角川ルビー文庫、リーフノベルズ(倒産)、白泉社花丸文庫、講談社X文庫、Beboynovels、徳間書店キャラ文庫、小学館パレット文庫、集英社コバルト文庫と大手の出版社の性描写も大人しい作品ばかりであり、(個人的に)ポルノ的な作品が多いと思い浮かぶプリズム文庫などは、2冊(3冊?)にすぎない。つまりは購入の際に、購入図書がかなり吟味されたうえで、決定されていたことが伺える。

 これらの作品を、ただ男性同士の関係が描かれているという理由で、図書館から排除するのは、いかにも行き過ぎであると思われる。
                               以 上


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特定図書排除に関する住民監査請求 補充書(特定図書リストについての分析-2)

2008-12-31 09:22:16 | 「ジェンダー図書排除」事件
この記事は、「特定図書排除に関する住民監査請求」で
12月9日に陳述で提出した「補充書(意見書)」です。

 特定図書リストについての分析-1からの続きです。
「住民監査請求書の監査結果はこちら。 


(特定図書リストについての分析-2)
特定図書排除に関する住民監査請求  補充書
特定図書リストについての分析-1からの続き

<選定基準に一貫性が無い>


(1)「挿絵」がないハードカバーのシリーズが指定されている例
(2)同じ、「BL」とされる媒体でも指定されているものといないものがある
(3)同じ作家の「BL」作品で、媒体や出版社が変わると「BL」指定されなくなっている例
(4)同じ作家の続きもののシリーズの中で指定されているものといないものがある
(5)性描写がほとんどないか、まったくない本が指定されている

<「BL」という無定義なジャンル概念を、無理に、恣意的な基準でくくろうとしたことによる問題‐明らかに問題のある排除がおこなわれ暗黙裡の差別があらわになっている>

(6)「BL」ではなく、男性同性愛の恋愛・性描写がないのに指定されている「少女小説」
(7)セクシュアル・マイノリティの日常を描いた本が指定されている
(8)男性同性愛の描写があるから指定されたとしか思えない本がある
(9)「文学」は指定されず、「ライトノベルズ」など若者向けジャンルのみが指定されている
(10)「BL」とそうでないものをノベルズやレーベル、文庫のシリーズ名で分けることは難しい
(11)書き手/想定される読み手の性別による選別が、暗黙のうちにおこなわれているのではないか
(12)「BL」を読んでいるのは女性読者のみとは限らない-読者を一定の範囲に定義するなどということはできない

<「過激な性描写」を理由に「BL」を排除することの恣意性>


(13)性描写の程度による振り分けがなされていない
(14)「ストーリー」性や「文学」性があると思われる作家・作品が同性愛表現だというだけで排除されている
(15)男女の性描写がある、男性読者向けの本は性行為の度合いにかかわらず今回指定がない
(16)「BL」における性描写は恋愛を描くストーリー上、不可欠なものもある

<選定基準に一貫性が無い>

(1)「挿絵」がないハードカバーのシリーズが指定されている例


『耽美小説SERIES』
神崎春子/著 オイディプス・ソナタ 勁文社
神崎春子/著 心裂けても - 勁文社
神崎春子/著 被虐の荒野 - 勁文社
神崎春子/著 聖らかな夜の娼夫 勁文社
神崎春子/著 瞳に星降る - 勁文社
神崎春子/著 心裂けても - 勁文社
神崎春子/著 泪色した韋弯 - 勁文社
神崎春子/著 夢郭恋道行 - 勁文社
神崎春子/著 月に踊る - 勁文社
神崎春子/著 少年人形 - 勁文社

こちらにリストアップして戴きました分、全て『耽美小説SERIES』であると言う認識でよろしいかと思われます。挿絵は無いとお考え下さい。
装丁はハードカバーノベルズ版一段組となっております。申し添えますならばこの叢書は呼称こそ耽美小説でありますが全てのBL小説専用レーベルの先駆と認識して差し支え無きものか、と思われます。

又、神崎春子女史の作品で二見書房・VelvetRomanに収録された『センチメンタル・シティ』もリスト上に上がっているのを再確認しましたが、この二見書房・VelvetRomanも又『耽美小説SERIES』と装丁を同じくする叢書です。真珠光沢をかけたカバーが特徴であるこの叢書も又耽美小説専用レーベルとして存在しておりました。こちらにも挿絵はございません。(ぶどううり・くすこ様)

 上記にあがっている該当作品は、表紙も、図1、2に示したとおり、とくに過激な性描写を暗示するものは無い。シリーズ名が『耽美小説SERIES』であるから指定されたのか。
他にも、表紙にも挿絵にも、具体的な性描写のない作品が多く指定されている。(熱田)

(2)同じ、「BL」とされる媒体でも指定されているものといないものがある

・『耽美小説SERIES』及び二見書房『VelvetRoman』の例
先のメールで触れました勁文社の『耽美小説SERIES』及び二見書房『VelvetRoman』の他の蔵書が気に掛かりましたので。

結果から申し上げますと、両者共に911リストに掲載されていない蔵書が存在しました。
VelvetRomanで11点、耽美小説SERIESで13点です。
VelvetRomanに関しましては書名検索で抽出出来ますので擱くとしまして、問題は耽美小説SERIESです。
以下に当方が抽出したものを簡略に記します。

青の迷夢/森内景生
くれない焔鬼/森内景生
くれない炎舞/森内景生
くれない幻花/森内景生
残月/森内景生
紅かんざし/深沢梨絵
残照の瞬間/原田千尋
君が蒼き天涯の玻璃/原田千尋
華王伝説/神崎春子
青薔薇の街/小沢淳

又、耽美小説SERIESと銘打たれては居りませんが勁文社からは以下の書も発行されております。

黄昏のバイヨン/榊原姿保美
胡蝶の夢/榊原姿保美
さくらさくら/榊原姿保美
荊の冠 上・下/榊原姿保美

これらを視る限り、あのリスト上に上がっていた作品群を選別した基準はなんなのかと気に掛かる所です。勁文社で言えば江上冴子さんの『エデンを遠く離れて』もリストに掲載されておりますが、蔵書全てが網羅されている訳ではありません。差異が7冊ございます。
(ぶどううり・くすこ様メール)

Velvet romanで指定されているもの
保2 8 カ 神崎春子/著 ベイシティ・ブルース Velvetroman
二見書房 1992 1993/4/3
保2 8 ス 菅野彰/著 死にゆく夏の、喘ぎにも似て Velvetroman
二見書房 1994 1994/4/19
保2 8 カ 神崎春子/著 センチメンタル・シティ Velvetroman
二見書房 1993 1993/9/11
保2 8 マ 真野朋子/著 ナルシスたちの憂鬱 Velvetroman
二見書房 1993 1993/6/16
以上、4冊。

堺市で蔵書しているvelvet roman
1青の蠱惑/尾花 有理/著/二見書房 1994.5 913.6
2雨夜の月/今岳 華子/著 /二見書房 1993.10 913.6
3アラン 真夜中の少年/ジョゼフ・ハンセン/著 二見書房 1993.8 933
4クライ・オブ・ソウル/いちえん咲子/著 二見書房 1993.5 913.6
5死にゆく夏の、喘ぎにも似て/菅野彰/著 二見書房 1994.3 913.6
6 聖少年/森薔子/著 二見書房 1993.12 913.6
7 センチメンタル・シティ/神崎春子/著 二見書房 1993.7 913.6
8 抱きしめて、硝子の花/藍川京/著 二見書房 1992.12 913.6
9 ナルシスたちの憂鬱/真野朋子/著 二見書房 1993.3 913.6
10烏珠抄/七条沙耶/著 二見書房 1993.11 913.6
11背徳の召喚歌/朝松健/著 二見書房 1993.9 913.6
12花を買う男/有田 万里/著 二見書房 1993.6 913.6
13ベイシティ・ブルース/神崎 春子/著 二見書房 1992.12 913.6
14頬に風、唇に恋歌を/飛雁 有紀/著 二見書房 1993.2 913.6
15僕たちの夏時間/西蓮寺 佑/著 二見書房 1993.4
以上15冊。

ぶどううり・くすこさんによると、指定されたものとされていないものの間に、性描写の程度を含め、質的な差異は見出せないとのこと。(熱田)

> ぶどううり様の方では、リスト上に上がっていた作品と、あがっていなかった作品の間に、質的な差異は見出せないということでよろしいでしょうか?(熱田)

はい。
むしろリストから取りこぼした作品の方が扇情的である可能性を否定する事が出来ないと愚考します。(ぶどううり・くすこ様メール)

  また、同じ絵の表現でも、たとえば、項目(12)であげた成人男性向け官能・ポルノ小説の表紙が問題にならないのだとしたら、「BL」の表紙に使われている、いわゆる「漫画絵」に対する偏見があるのではないか。(熱田)

(3)同じ作家の作品で、媒体や出版社が変わると「BL」指定されなくなっている例‐野阿梓

このリスト中では野阿梓氏のBL作品は『ミッドナイト・コール』一点のみと言う事になっておりますが、実際には後4点(内1点は版型変更による既作)が中央公論社から刊行されております。
又、早川書房から刊行されたSF作品にもBL描写を含む作品がございます。
それらについてはしっかり回避されておりますね。
(ぶどううり・くすこ様メール)

すみません、この点、もう少し伺いたいのですが、つまり、野阿梓さんは、ルビー文庫以外の作品でも、「BL」と認定できるような作品を書かれているということでしょうか?
だとしたら、選別者は「BL」かどうかを、媒体で判断している(実質的にその本がBLかどうかではなく)ということで、それも大変恣意的と言えるのではないかと思うのですが...。 (仮に、とてもいい本がルビー文庫に入っていたとしても、ルビー文庫だと排除されてしまうというような)(熱田よりぶどううり・くすこ様へのメール)

さて、続きまして野阿梓氏の著作について。
お訊ねの通り、野阿梓氏はルビー文庫収録の『ミッドナイト・コール』以外にもBL(≒耽美)と認識できる著作を残されております。
なおそれらの作品は『ミッドナイト・コール』とは異なる物語でございます。
それ故看過された可能性もございますね。
又ご指摘の通り、選別者が媒体によってBLであるや否やを選別していた証左ともなり得るかと。

月光のイドラ 野阿梓/著 中央公論社1993.2
緑色研究上 野阿梓/著 中央公論社 1993.11
緑色研究下 野阿梓/著 中央公論社 1993.11

この3点の野阿梓氏の作品はBLである、と申し上げます。
『月光のイドラ』から『緑色研究』へ続くこの3冊は作品の世界観にSFとある種の主義が巧みに織り込まれておりますのでそれ故看過された可能性もございます。
版型はごく一般的な単行本と同じものとお考え下さい。

又、BL描写を含む作品としましては
少年サロメ 野阿梓/著 講談社 1998.12
バベルの薫り 野阿梓/著 早川書房 1991.1

当方が記憶する限りこの二点が該当するかと。
前者は短編集であり、後者は長編小説でございます。
(ぶどううり・くすこ様メール)

堺市所蔵野阿梓 作品リスト
黄昏郷  野阿梓/著    早川書房 1994.4
兇天使上 野阿梓/著    早川書房 1986.6
兇天使下 野阿梓/著   早川書房 1986.6
銀河赤道祭上 野阿梓/著  早川書房 1988.5
銀河赤道祭下 野阿梓/著 早川書房 1988.5
月光のイドラ 野阿梓/著 中央公論社1993.2
五月ゲーム  野阿梓/著 早川書房 1992.7
少年サロメ 野阿梓/著 講談社 1998.12
ソドムの林檎 野阿梓/著 早川書房 2001.9
花狩人  野阿梓/著 早川書房 1984.5
バベルの薫り 野阿梓/著 早川書房 1991.1
武装音楽祭  野阿梓/著 早川書房 1984.11
伯林星列 野阿梓/著 徳間書店 2008.1
ミッドナイト・コール 野阿梓/〔著〕 角川書店(角川ルビー文庫)1996.6
緑色研究上 野阿梓/著 中央公論社 1993.11
緑色研究下 野阿梓/著 中央公論社 1993.11

※「ミッドナイト・コール」は通常「BL」の媒体とされるルビー文庫だから指定された?

(4)同じ作家のシリーズで指定されているものといないものがある

宮乃崎桜子/〔著〕 斎姫異聞 講談社X文庫 講談社
宮乃崎桜子/〔著〕 月光真珠≪斎姫異聞≫ 講談社X文庫 講談社
宮乃崎桜子「斎姫異聞」シリーズは、堺市に16件所蔵されている。何故この2冊のみが指定され、他のものは指定されないのか。

堺市所蔵「斎姫異聞」シリーズ
1 図書 暁闇新皇(あかときやみのしんのう) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 1999.8 913.6
2 図書 貴人花葬(あてびとをはなにほうむる) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 2002.8 913.6
3 図書 天離(あまさかる)熾火 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 2001.5 913.6
4 図書 斎庭穂垂(いつきにわにほのたれる) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 2002.2 913.6
5 図書 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 1998.4 913.6
6 図書 うたかた 斎姫異聞外伝 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 2003.8 913.6
7 図書 陽炎羽交(かげろうにはねをかわす) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 2000.5 913.6
8 図書 月光真珠 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 1998.8 913.6
9 図書 幻月影睡(げんげつのかげにねむる) 斎姫異聞
 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 2003.5 913.6
10 図書 花衣(はなのえ)花戦 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 2000.9 913.6
11 図書 宝珠双璧(にたまをならぶ) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 2000.12 913.6
12 図書 満天星降(まんてんにほしのふる) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕 講談社 1999.5 913.6
13 図書 夢幻調伏 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 1999.2 913.6
14 図書 六花風舞(かぜにまう) 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 1998.11 913.6
15 図書 諒闇無明 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 2000.2 913.6
16 図書 燐火鎮魂 斎姫異聞 講談社X文庫 宮乃崎 桜子/〔著〕
講談社 1999.11 913.6
(熱田)

(5)性描写がほとんどないか、まったくない本が指定されている

小沢淳/〔著〕 金色の少年≪ムーンライト・ホーン5≫ 講談社X文庫 講談社
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる≪誘惑≫ Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる 第3部 Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる 第4・5部 Eclipsnovel 桜桃書房
皆川ゆか/著 僕は君のためにいる Eclipsnovel 桜桃書房
かわい有美子/著 今、風が梢を渡る時 前編 パレット文庫 小学館
かわい有美子/著 今、風が梢を渡る時 後編 パレット文庫 小学館
小沢淳/〔著〕 茜の大陸≪ムーンライト・ホーン6≫ 講談社X文庫
小沢淳/〔著〕 神聖王国の虜≪ムーンライト・ホーン7≫ 講談社X文庫 講談社
小沢淳/〔著〕 密林の聖獣≪ムーンライト・ホーン8≫ 講談社X文庫 講談社

小沢淳のムーンライトシリーズは、国を亡くした王子と従者のゲイカップルが、旅をする話だが、どっちが受・攻かわからず、じれったい思いをしたことがある。
(直接的な描写はない)
あと王子が女好きの浮気性で女性と寝るシーンも少しあったと思うが、直接的ではない。

「僕は君のためにいる」は、作者による「自己流カラマーゾフの兄弟」で、実際にそんな感じ父親殺害をめぐる三兄弟+異母弟の葛藤が話の中心であり、性描写がメインなものではない。
最後に兄弟による性描写が少しあるが、直接的ではないはず。
徳田みどりによる表紙、挿絵が色っぽかったと思うので、そう判断されたのかもしれないが、ありえない。
かわい有美子がパレットに書いたものは青年同士の恋情のほのめかしはあっても基本、BLではない。(加納真紀様メール)


特定図書リストについての分析-3 につづく。


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特定図書排除に関する住民監査請求 補充書(特定図書リストについての分析-1)

2008-12-31 00:00:00 | 「ジェンダー図書排除」事件
「特定図書排除に関する住民監査請求」で
12月9日に陳述で提出した「補充書(意見書)」です。

わたしは、監査請求提出後の事実経過などを「補充書」として提出・説明し、
この意見書は寺町知正さんが説明しました。

排除された5706冊の「特定図書リストについての分析-1」で、
内容は研究者や当該書籍に詳しい人たちがリストを分析したもので
非常に詳細な講評です。
全部で25,000字ほどありますので3回に分けてアップします。
今日は大晦日なので、今年中に一挙公開です。

分量が多いですが、関心のある方はお読みになってください。


(特定図書リストについての分析-1)
特定図書排除に関する住民監査請求  補充書
2008.12.09

堺市から情報公開された今回の排除本のリスト(9月11日分)につき、恣意的なリストアップがされているので、研究者や当該書籍に詳しい人たちが分析した講評を補充の一部とする。
 自治体図書館が公費で取得した書籍等を、下記分析で明らかなように安易に「排除リスト」もしくは「排除すべきかどうか検討するリスト」として整理すること自体が財産の管理を怠る事実というべきである。
以下は、基本的には熱田敬子さんがご自身の意見や他の方の意見をまとめる形で構成されており、他の方の意見は氏名やペンネーム等を記載している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下、意見の本文)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※いただいたご意見に関して、熱田個人の意見とは異なるものも、原文ママで掲載し、それぞれの項目につけたタイトルで、その意見にから何が読み取れるかを示している。

※本文中作品名など以外で「」をつけている語句(例えば「BL」)については、その語句の示す範囲が極めて曖昧であり、本文の記述上便宜的にその後を用いるに過ぎないという認識を示す。

1. 選定基準の不明確さと非一貫性
 堺市のリストを確認した複数の意見を総合すると、本リストは統一された基準のもとに選ばれたのではないことがほぼあきらかである。
 個別の作品、シリーズを見ていくと、選別の基準とされたと推測可能なのは下記の通り。

・表紙と挿絵
・タイトルの与える印象
・ノベルズ・文庫
・作家(いわゆる「BL」作家とされているか否か)
・出版社
・性描写の程度や有無
・ジャンル(ライトノベルズか「文学」小説かなど)
・男性同性愛描写であるかないか(性描写の程度・有無と関係なし)
・女性読者向けであるかないかという、出版社の指定するターゲット・セグメント
・本の形態。ハードカバーかソフトカバーかなど。

 ただし、個々の基準はそれぞれ部分的に適用されているのみで、貫徹されているとは言いがたい(後の項目に実例を示したとおり)。
これらの基準が適用されたことにより、実際に問題のある排除が行われている例は後に示すが、すこし考えても次のような問題がある。

・表紙と挿絵…
今回のリストには、絵での性描写が全くないものも多い。
また、「BL」として指定された本の表紙や挿絵の描き手は、少女漫画やライトノベルズの挿絵との描き手と重なり合う部分がある。絵柄や画家での指定が難しいことは次の項目の作家と同様である。実際に、後の項目では、男性二人が表紙に描かれた少女小説が誤って排除されたと思われる事例(画家は波津彬子 )があがっている。(3節・項目(6))
また、同じ性行為描写を暗示する表紙があっても、3節の項目(15)にあげたような作品は、「有害」指定を受けない。「漫画」的絵画表現に対し、偏見があるのではないだろうか。

・作家…作家ごとに排除図書指定率を出してみると、蔵書が100%指定されている作家も数多く存在する 。ある作家の作品だから問題があるという発想だとすれば、表現の自由の抑圧以外の何者でもない。

・出版社…
 いわゆる「BL」を主力商品とする出版社が高い指定率を軒並み誇っている。同じ作家の男性同士の性行為描写を含む作品でも、出版社が変われば指定されていない例もある。(3節項目(3))ある出版社からでている本だから、図書館に置かない/開架に置かないという指定がされるとしたら、それは検閲に等しいのではないか。

などなど…。
そして、上記のような多様な要素が「BL」を判断する基準として、用いられ、その適用のされ方に統一した基準が無い中で図書を排除することが許されれば、非常に多くの本を恣意的に「BL」として排除することも可能になってしまう。実際に、今回のリストでは、排除された理由さえ分からない本が多数ある。3節に具体例を挙げてあるが、図書館はそれぞれの作品に関して、何故この作品を指定したのかを説明する必要があるのではないだろうか。

2. 「BL」を定義すること自体の恣意性

 「BL」という本の範囲を決めることは、一体誰に可能なのだろうか。今回、TV番組「ムーブ」(大阪・朝日放送、2008年11月20日)に見られるように、「BL」をゾーニングすることが問題の解決になるという意見もあるようだが、「BL」というジャンルは、そのようなゾーニングを問題なくおこなえるほど、はっきりした定義を持っているのだろうか。「文学」の範囲に関する誰もが納得する定義が未だおこなわれていないのと同じく、「BL」に関しても定義は難しい問題だ。今回のリストを検討した結果、この定義の曖昧さが引起す、様々な問題が明らかになっている。(3節で詳述)

しかも、今回は、従来の猥褻表現に関する議論とは異なり、個別の本、個別の表現に関して問題が提起されたのではない。「BL」というジャンル自体が問題とされたのである。「BL」に関しては、「文学」よりもはるかに批評が少なく、表現に関する議論がつくされていない。それにしては、堺市における「BL」定義の仕方はあまりにもナイーヴであり、少女小説、同性愛を描いた文学作品、ライトノベルズなどの若者向け小説、官能小説など、隣接する様々な分野の表現までを抑圧する可能性に満ちている。「BL」とされる作品、今回のリストに掲載された作品の書き手、挿絵画家、出版社などは、こうした隣接分野と弁図のように重なり合っている。ある作品は「BL」であって、「少女小説」ではないという基準はなんだろうか。

例えば、「男性同士の性行為描写を描いた、女性向けの作品」を排除したのだとしよう。しかし、「男性同士の性行為描写」があればすべて排除されているというわけではないことは、後に載せる項目(6) (4) (9) (10) (14)からわかる。この差異は何によるものなのか。項目(6)であげた作品など、少女小説の中にも、同性同士の思わせぶりな仲のよさを描く、いわゆる「耽美的」とされる描写が存在する。今回のリストを見る限り、「BL」が、性表現のほぼ皆無な作品までリストアップされ、「耽美的」描写が不問にふされる理由は不明である。

もちろん、「男性同士の性行為描写」をもって本が排除されるとしたら、これはセクシュアル・マイノリティへの差別に他ならないことは、項目(7) (8) (12) (14)、また千田有紀さんの具体的な作品に基づいたご意見からも明らかだ。また、「女性向け」という部分を持って排除したとすれば、図書館が本の読者層を規定する行為であり、やはりするべきではないだろう。

 また、今回、性行為描写の「過激さ」の程度によって「BL」が問題とされたのではないことは、項目(2) (3) (9)(10)(13)(15)から分かる。ほとんど性行為描写の無い作品も、作家・ノベルズ・シリーズなどで判断されて、もしくは「男性同性愛」である、図書館の想定する読者層が女性であるという理由で排除されているとしか思えない事例がある。

 これは、リストを精査していないことによる一時的な混乱、混同なのであろうか? そうではない、と信じる理由がある。仮に、性行為描写が問題なのであれば、それこそ(12)にあるような男女の性描写も問題とするべきであろう。また、「文学」の性表現を問題の無いものとし、若者向け・女性向けとされる小説の性表現のみを問題とする、ジャンル差別が今回のリストからは透けて見える(項目(10))。ジャンル差別をおこなわないのであれば、「文学」の男性同士の性表現も問題とされるはずである。しかし、そのように、「BL」・「ポルノ」…と図書館が本に「有害」レッテルを張り、書庫にしまいこんでいくことが、「表現の自由」を侵すことは明らかであるはずだ。

 このような恣意的としか言いようの無いリストに対し、図書館の言う、「内容に踏み込んだ」精査が仮に今後おこなわれるとすれば、その「内容」とはなんだろう。「性表現」を基準に作中の行為者の性別や、出版社、ノベルズ名などを問わず「精査」するのだろうか。その際に、その性表現が作中のストーリーに不可欠なものであったとしたらどうなのだろう。3節の項目(14)や、千田有紀さんご意見では、男性同士の性行為表現がストーリー上不可欠と思われる事例が挙げられている。しかし、こうした「不可欠かどうか」の判断は、常に読み手にゆだねられるべきではないか。その本に性行為描写を必要とする、ストーリー性や文学性があるかどうかを、図書館が判断するのだろうか? (例えば、渡辺淳一の『失楽園』や『愛の流刑地』のsex描写はストーリー上不可欠で、「BL」のsex描写はストーリー上不可欠ではないのだろうか。)

また、図書館の使命の一つであるはずの、資料収集についても、後に掲載する千田有紀さんが述べておられるように、「BL」という消費され、消え去ってしまう本を、資料として留めることは必要であろう。同時代的に評価されない作品が、時間の経過とともに資料的価値を高める場合が少なくないことは、大宅荘一文庫などの例を挙げるまでも無い。

今回の、堺市での「BL」本排除に関して最大の問題は、この「BL」というジャンルを、図書館が一貫性を持たず、公の議論も経ていない、独自の基準によって、恣意的に定義し、かつそれを排斥したということにあると思われる。「BL」作品の中に、問題の無い表現が無いわけではない。男性同性愛を描きながら、書き手の同性愛嫌悪と受け取れる表現を含んでいる事例や、既存の極めて保守的で抑圧的な結婚・恋愛観を再生産していると受け取れる表現も存在する。こうした表現については、個別に取りあげて議論をおこなうことが必要であるかもしれない。しかし、「BL」作品の表現について、生産的で実りある議論をするためには、作品が誰にとってもアクセス可能であることが必須条件であろう。(Butler1997=2004)
ジャンル自体をいわば、「禁書」にするという発想、そして3節で詳述するリストを検討していた際に明らかになった問題群からは、大変残念なことに、今回のリストを作成した者の(おそらく無自覚な)偏見や差別意識が透けて見える。

3. 今回のリストに見られる具体的な問題例

下記、16項目にわたり、リストをご覧になった方からの実例を挙げた問題点の指摘や、ご意見をまとめておく。今回の分析にあたっては、ぶどううり・くすこさん、加納真紀さん、匿名のご協力者の方のご意見を参照させていただいた。それぞれの方のご意見については、ご本人に了解を取った上で、誰の発言かが分かるよう表記している。
また、社会学者の千田有紀さんからもご意見をお寄せいただいたが、これは一つのまとまりある主張となっていたために、切り張りはせず、末尾に掲載した。図書館の役割や、指定された作品の背後にある思想や主張を問わず、リストが作られている状況へのご批判など、大変貴重なご指摘がある。参照されたい。



特定図書リストについての分析-2につづく。

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堺市「特定図書排除に関する住民監査請求書」の監査結果が届きました。

2008-12-30 12:00:00 | 「ジェンダー図書排除」事件
昨日堺市監査委員に出していた
「特定図書排除に関する住民監査請求書」の監査結果が届きました。



この監査請求については、12月9日に、堺市役所に陳述に行きました。
堺市監査委員(堺市HP)は、代表監査委員の木戸唯博氏、小杉茂雄氏、
議員選出委員は、西村昭三議員と松本光治議員の4人です。

監査結果の結論は、
「請求人が住民監査請求の対象とした事実は存在しなくなったと
判断される以上、本件の住民監査請求は主張の前提を欠くこととなり、
請求人の主張を検討するまでもなく理由がないものと判断される。」

監査はしたけれど「訴えの事実がなくなったと判断」。

つまり、住民監査請求としては「棄却」で負けたけれど、
監査請求をしたから「対象の事実がなくなった」、
「現状がわたしたちの訴えどおりに見直された」ともいえます。

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●監査結果は、19ページまでがこちらの住民監査請求書の転記です。

監査結果の本文は、以下のとおりです。


監査請求に係る監査結果について(通知)

(P1からP19まで省略)
「監査結果」ワード版 80KB
「監査結果」印刷用 PDF版 170KB

 第2 監査の実施 
1 要件審査及び請求の受理
 
  本件請求は、地方自治法第242条第1項に規定する要件を具備しているものと認め、平成20年11月13日にこれを受理した。 
 
2 請求人の証拠の提出及び陳述
  地方自治法第242条第6項の規定に基づき、平成20年12月9日、堺市役所高層館19階・監査室において請求人及び堺市住民監査請求代理人に対し証拠の提出及び陳述の機会を設けた。
  この陳述においては、請求人等から新たな説明資料の提出があり、本市図書館が一部の市民の不当な要求を受けてBL図書という特定分野の図書を選別し、廃棄しようとしたことは不適切であり、またBL図書の選別基準も不明確・不統一であるなど、請求人の主張についての補充説明が行われた。

3 監査対象部局
 教育委員会事務局(中央図書館)
               
4 監査対象部局からの事情聴取等
  本件について、教育長に対して請求に係る意見書の提出を求めるとともに、平成20年12月9日、監査対象部局の職員から、本件請求に関する事実及び意見について事情を聴取した。その概要は以下のとおりである。
(1)事情を聴取した者
  教育次長(管理担当)、中央図書館館長、中央図書館副館長兼総務課長、中央図書館総務課参事 ほか

(2)本件請求に関する意見等
 ア 堺市立図書館の役割について
本市図書館については、図書館法に定められている「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする・施設」であると認識している。
  本市図書館は、市民が利用しやすい図書館として基本杓な図書館サービスを確実・柔軟に提供し、社会経済情勢の変化に的確に対応した運営を心がけ、市民及び利用者の読書や情報に対するニーズ、意見、要望等を適切に受け止め、常に業務やサービスを見直し、閑係法令等に照らし、図書館行政を推進している。

イ 図書(資料)の取り扱いについて
 ① 収集
本市図書館における図書(資料)は、図書館法に定められている「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーショシ等に資すること」を目的とし、「堺市立図書館資料収集方針」に基づき収集している。 
本市図書館の図書(資料)は、「多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する。」、「著者の思想的・宗教的・党派的立場にとらわれて、その著作を排除しない。」、「図書館員の個人的な関心や、好みによって選択しない。」、「個人・組織・団体からの圧力や干渉によって、資料収集の自由を放棄したり、紛糾を恐れて自己規制したりしない。思想・信条の自由は最大限に生かすことを確認する。」とする収集方針にある基本的な観点に立ち選択し収集している。
 ② 保存・管理
   本市図書館の所蔵の図書(資料)は、「堺市立図書館資料保存基準」に基づき保存している。また、図書の管理についても、市民のニーズや図書の新鮮度、蔵書構成など総合的な観点から判断して開架(閲覧室)及び閉架(書庫)で保存・管理している。
   収集図書のうち、表紙、挿し絵、イラスト等で特に過激な性的描写等のある図書については、青少年に配慮する観点から、開架せず書庫に収蔵し、請求があった場合に、閲覧及び貸出しに対応している。
 ③ 廃棄
 本市図書館所蔵の図書(資料)は、適切な維持・管理を図るために「堺市立図書館資料除籍基準」に基づき、常に全図書館の所蔵状況、出版事情を十分検討し、一冊一冊よく吟味して、将来の利用にも支障のないよう配慮しながら廃棄を行っている。
除籍基準における廃棄する主な事由は、「著しい汚損、破損または書きこみ等があり補修が不可能なもの」、「科学技術の進歩等により、記述内容が時代に合わなくなったもの」、「同一内容で更新(買い替え)されたもの」や「出版事情、蔵書構成、利用者の需要及び資料の保存価値を総合的に判断して保存する必要がない」ことなどとしている。

ウ 請求人の主張に対する意見
  請求人の「特定の図書を開架から排除し廃棄処分しようとしている」 という主張については、本市図書館は他の図書の取扱いと同様に「堺市立図書館資料保存基準」及び「堺市立図書館資料除籍基準」に基づき取り扱うため、廃棄していない。よって、請求人の・「廃棄処分しようとしている」という主張には当たらない。
 また、今年7月に「市民の声」における問題提起を受け、青少年に配慮するため、表紙、挿し絵、イラスト等で特に過激な性的描写のある図書について、従来通り書庫に入れ、9月3日以降、18歳末満の青少年への貸出しも、いったん停止し、調査・検討を行ってきたが、未成年の利用実態がほとんどなく、年齢制限にも法的根拠がないため、11月14日から青少年への貸出制限を解除した。
  現在のところ、表紙、挿し給、イラスト等で特に過激な性的描写のある図書の取り扱いについては、自由な読書活動を尊重しつつ青少年に配慮するため、関架せずに閲覧室の延長線上にある書庫に収蔵し、請求があった場合には、閲覧、貸出に対応している。よって、請求人の「貸し出し不可能な閉鎖状態で保管することは著しく恣意的」という主張にも当たらない。
  なお、今年7月に寄せられた「市民の声」で、一部の特定分野の図書の購入冊数や購入金額を明らかにするように求められ8月に冊数等を公表したことについて、この特定分野の図書の分類・定義や判断基準が曖昧で明確でないにもかかわらず、調査・検討のために、それに該当するものと思われるものを抜き出したもので、すべてが過激な性的描写があるものではない。この補足説明を加えずに、選定集計を公表したことは適切ではなかった。


第3 監査の結果
1 本件の監査対象事項

  請求人が本件において主張する事実は、堺市の図書館が所蔵する特定分  野の図書の廃棄処分を行い又は行おうとし、あるいは貸し出し不可能な閉 鎖状態で保管しているとの事実であり、請求人はこれらの事実を住民覧査請求の対象である当該行為又は怠る事実としていると解される。
  よって、①請求人の主張する事実が存在するかどうか、及び②事実があるとすれば、その事実が違法若しくは不当な当該行為又は怠る事実といえるかどうかを、本件の監査対象事項とした。

2 請求人の主張する事実について
(1)請求人が主張する事実を確認するため、主張に関連する事実経過を整理すると、次のとおりであった。
 ① 平成20年7月24日 北図書館に対し、市民から電話でBL図書の所蔵等についての問題提起があった。
 ② 平成20年7月25日 南図書館に対し、市民から北図書館と同様の問題提起があった。
 ③ 平成20年7月25日 平成20年度第2回図書館事業調整会議において、昨日からの経過報告とともに、BL図書と称される図書の取り扱いについて各図書館の状況と見解を聴取し、今後の取り扱い方針等を検討した。
 ④ 平成20年7月30日 本市ホームページの「市民の声」Q&Aにおいて、一般にBL図書と称される図書を公費で購入した趣旨、目的、購入冊数、購入費用に関する市民からの質問を受け付けた。
 ⑤ 平成20年7月31日 中央図書館はBL図書と称される図書の冊数を集計等する必要から、各図書館に対し、BL図書に該当すると思われるものを特定し、開架されているものを書庫等に集めることを指示した。(BL図書かどうかの判断基準は明確ではなかったが、書店などで分類されている著者、シリーズ名、出版社などを参考に、BL図書に該当すると思われるものを各図書館の複数の司書が判断することとしていたとのことである。)
 ⑥ 平成20年8月8日 館長会議において、BL図書に該当すると思われるものについて、 すべて閉架(書庫入れ)とすること  今後は収集しないこと、 18歳未満の者には貸出ししないこと、を決定した。
 ⑦ 平成20年8月13日 中央図書館は、各図書館に対し、BL図書に該当すると思われるものについて、表紙及び本文のイラスト・文章表現で性描写の表現が激しいものがないかどうかの内容確認を指示した。
 ⑧ 平成20年8月20日 平成20年度第3回図書館事業調整会議において、8月8日の館長会議で決定された事項について確認し、書庫入れの作業手順等を検討した。
 ⑨ 平成20年8月22日 中央図書館総務課は7月30日に受け付けた「市民の声」Q&Aについて回答を行った。この回答は9月2日、本市ホームページに掲載された。
 ⑩ 平成20年8月29日 館長会議において、BL図書に該当すると思われるものについて、18歳末満の者へ閲覧・貸出しをしないことや書庫内の一定の書棚にまとめて保管すること等を内容とする「BL資料の取扱いについて」を決定した。
 ⑪ 平成20年9月3日 8月29日の館長会議の決定内容について、「BL(ボーイズラブ)資料の取扱いについて」と題する文書を中央図書館総務課長から各図書館長あてに通知した。
 ⑫ 平成20年11月4日 本件住民監査請求が提出された。
 ⑬ 平成20年11月14日 館長会議において、9月3日付けの「BL資料の取扱いについて」を変更し,18歳末満の者への閲覧・貸出しは制限しないことを決定した。同日、中央図書館総務課長から各図書館長あてに、変更内容について、11月14日から実施することを通知した。
 ⑭ 平成20年11月28日 館長会議において、これまで書庫内の一定の書棚にまとめていた図書は、一般図書として取り扱うことを確認した。

(2)ア 請求人の主張する事実のうち、図書の廃棄処分を行い又は行おうとした事実について、監査対象部局からの意見書及び事情聴取等によると、堺市立図書館における図書は、図書の保存・整理等に関する事務(以下「図書整理事務」という。)を担当する複数の司書が、図書館資料の適切な維持・管理を図るために制定された「堺市立図  書館資料保存基準」及び「堺市立図書館資料除籍基準」(以下「本市除籍基準」という。)に該当するかどうかを、図書の保存・整理等に関する司書の専門的見地及び経験をふまえて判断し、本市除籍基準等に該当する図書について除籍を行った後に廃棄している。

イ 本市除籍基準における除籍事由は、a-1著しい汚損、破損または書きこみ等があり補修が不可能なもの、a-2科学技術の進歩等により、記述内容が時代に合わなくなったもの、a-3同一内容で更新(買い替え)されたもの、a-4複本で保存の必要のないもの、a-5類書で保存の必要のないもの、a-6その他、出版事情、蔵書構成、利用者の需要及び資料の保存価値を総合的に判断して保存する必要がないと認められるものについて行う廃棄による除籍のほか、b亡失等の資料について行う事故等による除籍、C合本・製本による除籍、d他の図書館への移管による除籍となっており、特定分野の図書であることを理由とした除籍及び廃棄は含まれていない。
ウ 以上のことから、特定分野の図書であることを理由とした除籍及び廃棄は、堺市立図書館における図書整理事務として行われていないと判断される。
 また、(1)に前述した事実経過において、本件住民監査請求の対象 とされている図書が廃棄されていないことについても、監査対象部 局の意見書及び事情聴取等において明言しており、監査委員におい てもこの事実を確認している。
エ 次に、貸し出し不可能な閉鎖状態で保管しているとの事実についてみると、本件図書の保管については、本件図書は平成20年9月3日以降、これまで閲覧室に開架されていたものが書庫内の一定の書棚にまとめられ、18歳末満の者への閲覧及び貸し出しが制限されていたが、平成20年11月14日にはこれらの制限が解除され、閲覧及び貸し出しの請求があった場合にはこれに応ずることとされたことが、(1)に前述した事実経過から確認されている。
オ 以上のことから、請求人が住民監査請求の対象とした事実は、存在しなくなったものと認められる。

3 結 論
 以上のとおり、請求人が住民監査請求の対象とした事実は存在しなくなったと判断される以上、本件の住民監査請求は主張の前提を欠くこととなり、請求人の主張を検討するまでもなく理由がないものと判断される。

                                   以 上


堺市の問題に関しては、以下に経過などを書きました。
堺市立図書館で「特定図書排除」事件はなぜ起きたのか?(寺町みどり)


監査請求の陳述に関しては、図書リストの補充書(意見書)についても、
公開する予定です。


12/31追伸・
特定図書リストを分析した補充書(意見書)です。
特定図書リストについての分析-1

特定図書リストについての分析-2

特定図書リストについての分析-3



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『できそこないの男たち』(福岡伸一著/光文社新書)/女が生きるヒント『クロワッサン』特大号

2008-12-29 12:00:00 | ほん/新聞/ニュース
評判の福岡伸一さんの『できそこないの男たち』を読みました。

痛快な本です。説明はいらないと思います。

「できそこないの男ってどういうこと??」って思う人は、
まず読んでみてください。


『できそこないの男たち』
(福岡伸一/光文社/2008/10/17)


 内容
<生命の基本仕様>----それは女である。
本来、すべての生物はまずメスとして発生する。
メスは太くて強い縦糸であり、オスは、メスの系譜を時々橋渡しし、
細い横糸の役割を果たす「使い走り」に過ぎない----。
分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。
SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと
駆け引きの息吹を伝えながら
≪女と男≫の≪本当の関係≫に迫る、あざやかな考察。
目 次
プロローグ
第 一 章  見えないものを見た男
第 二 章  男の秘密を覗いた女
第 三 章  匂いのない匂い
第 四 章  誤認逮捕
第 五 章  SRY遺伝子
第 六 章  ミュラー博士とウォルフ博士
第 七 章  アリマキ的人生
第 八 章  弱きもの、汝の名は男なり
第 九 章  Yの旅路
第 十 章  ハーバードの星
第 十一 章  余剰の起源
エピローグ  
 

2007年に「第29回 サントリー学芸賞」を受賞した福岡さんの

生物と無生物のあいだ
(福岡伸一/講談社現代新書)

もとってもおもしろいです。

(2007-08-21)至福の読書/『米原万里の「愛の法則」』
『ぼくには数字が風景に見える』『生物と無生物のあいだ』



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『できそこないの男たち』の書評です。


(2008.12.21 岐阜新聞)

  しょせん、オスは使い走り~『できそこないの男たち』
福岡伸一著(評:後藤次美)
光文社新書、820円(税別)
 
nikkeibp 2008年12月15日 月曜日 後藤 次美

 小学生のころ、「まんがはじめて物語」というテレビ番組をよく見ていた。
 モグタンというキャラクターとお姉さんとが、タイムスリップをして、身近な物事の起源や歴史を物語風に解説してゆく。実写とアニメを両用していたのが特徴的だった。
 昨年、『生物と無生物のあいだ』でベストセラーをかっ飛ばした福岡伸一の新著『できそこないの男たち』は、どこか「まんがはじめて物語」と似ている。というのも、生物学的な男の作られ方を解き明かす本書もまた読者を次々と「はじめて」の場所へと連れていってくれるからだ。
 本書はまず、1988年のコロラド州カッパーマウンテンで開催された、アメリカ実験生物学連合会(FASEB)の研究会の1シーンから幕を開ける。上司が主催者だったおかげで、福岡伸一もその場所に同席する幸運に恵まれた。

〈司会者が次の演者の発表をアナウンスすると会場は水を打ったように静かになった。私は発表者がどこから現われるのかと目を泳がせていた。名前は知っているが、どんな人物なのかはわからない彼をいち早くとらえようと〉
 その男の名前は、デイビッド・ペイジ。彼はそこで「人類史上最も重要な発見について発表しようとしている」のだが、その発表の中身はまだ明らかにされない。
〈人は男に生まれるのではない。男になるのだ。でも一体どうやって? それがペイジの最も知りたい問いだった。そして1988年夏、その答えに最も近づいていたのが彼だった〉
 という寸止めの表現でプロローグは締めくくられる。
 ずるい。こんな切り出し方をされたら、読者はその先が知りたくなる。ところが、再びペイジの話が始まるのは、86頁からだ。
 その間に本書は、精子を最初に「見た」男や、性決定の遺伝メカニズムをはじめて解き明かした女のもとへ読者を誘っていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(日経BP 2008.12.19)



プロローグに出てくる詩を紹介します。

わたしたちおんなはむすめをうむ
だれのちからもかりずに

むすめはせいちょうし
うつくしいおんなになる わたしそっくりの

このようにしてわたしたちおんなはいのちをつむいでいた
ずっとずっと
ながいあいだ
このようにしてわたしたちおんなはへいおんにすごしてきた
ずっとずっと
ながいあいだ

あるあさ
うみべで
ララとナナはあそんでいた

ララは海の色も空の色もおよばないまっすぐな青
ナナは花の色も蝶の色もおよばないあざやかな黄金色

ララはかたわらのナナのからだをこっそり見ていた
流れるような髪
深いひとみ
磨かれたレンズのような頬
たわわな果実のような重く豊かな胸
ジガバチのような腰
胸と競い合うように張り出した腰
人魚の下半身のように伸びた足
ふと
ララは思った
わたしの青とナナの黄金色がまざるとどんな色になるの
それはいままで誰もかんがえたことのなかったことだった

ララはひとりになると
そっと自分のあばら骨の一部を抜き取り
そのあとを肉でふさいだ
あばら骨はほんらいララの娘のもとになる部分だった
ララは娘のもとから茎を引き出し
割れ目を縫い合わせた
そのようにしてララはキラルを造り上げた

キラルは
はじめは死んでいるようにじっとしていた
やがてキラルはその細い手足を震わせるようにうごかしはじめた
耳をすませるとキラルのか細い呼吸が聞こえた
ララはキラルを大事に育てた

キラルはありあわせのものからいそいで造られたため
小さく
華奢で
脆かった

それでもキラルはすこしづつ成長した

ある日
ララは
キラルをナナのところへ行かせた
ナナはキラルを誰もいないは序に導きそっと身体を重ねた
キラルが運んだものはそう
ララの青色の種だった

こうしてナナはむすめキキを生んだ
キキはこれまで誰も見たことがない色をしていた
ララの青とナナの黄金色がまざってできたすばらしい色
誰もがキキをうらやんだ

ララはキラルの作り方をみんなにおしえた
ありとあらゆる素敵な色がうまれた

そんなある日
空から燃える石が降り注いだ
火は大地を焼き尽くした
そのあと空気が冷え始めた続く何年もの間
太陽は姿を隠し
海は凍りついた
原色のものが消え
やがてララもナナもいなくなった

キキたちの世代は新しい色と寒さに耐える身体を手に入れることができた
かわりに
キラルの手を借りないと子どもをつくることができなくなった
色どりが増えた分 世の中が複雑になった

キラルたちはせっせとそれぞれのママの色を別の娘のもとに運びつづけた
色を運び色を混ぜること 
それがキラルのできるただひとつの仕事だったから

仕事が終わるとキラルは荒地に捨てられた
もともとキラルは小さくきゃしゃでもろかった
どのみちそんなに長くは生きられなかった

太陽がもどり 空気は暖かくなり始めた
大地には花が咲き 
海は穏やかな波をとりもどした

このようにしてわたしたちおんなはいのちをつむいできた
ずっとずっと
ながいあいだ
おそらくわたしたちはすこし油断していたのだろう
あるいは平和ゆえに慢心しすぎたのかもしれない

最初は気づかなかったが
徐々にキラルの数が増えはじめた
なぜならすべての女が 
色を運んできたキラルをそのまま住まいにとどめ
次々と色以外のものを運ばせはじめたから

はじめは薪を
ついで食糧を
しまいには慰撫までを運ばせた

キラルには知恵があった
薪も
食糧も
そして慰撫までも
余分につくりだすことができた
キラルはそれをこっそり隠しておいた
このようにしてキラルは
自らのフェノタイプを
限られた遺伝子の外側へと延長する方法を知ったのだった。
(原詩 Chiral and the chirality,by Iris Otto Feigns)


女たちのものがたりは、現代につづきます。

『クロワッサン』新年特大号は、
「女が生きるヒント~23人の素晴らしい女性が話します。」


 『クロワッサン』特大号1/10
「女が生きるヒント」
 

P52~53は上野千鶴子さんの、
「まだ日本は男社会!?
女が自分らしく生きるには。」

元気のでる、個性的なおんなたち23人の語りです。

2009年をおんなが自由に生きられる年にしたい。


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『iPS細胞』(八代嘉美)/『細胞の意思―“自発性の源”を見つめる』(団まりな)

2008-12-28 12:00:00 | ほん/新聞/ニュース
ちょっと出かけるので、10時に予約投稿。
こういう時に便利ですね。

サイエンス誌恒例 2008年科学の成果トップ10発表で、1位は「細胞の初期化」。
1位に選ばれたのは、京都大学の山中伸弥教授らによる
人工多能性幹(iPS)細胞研究に基づく細胞の再プログラミング化です。
ヒトiPS細胞の発見は、再生医療に夢と希望を与えると評判になったが、
朝日新聞に研究が遅れている、と載っていた。

山中教授「日本は1勝10敗」 iPS細胞研究で遅れ 
朝日新聞 2008年12月26日

 新型万能細胞(iPS細胞)の開発者の山中伸弥・京都大教授は25日、文部科学省ライフサイエンス委員会の部会に出席し、今年1本しか論文を出せなかったことに触れ、「1勝10敗で負けた」と振り返った。
 iPS細胞研究で、今年は海外から、サルやラットからのiPS細胞作製や、患者の細胞からつくったiPS細胞をもとに神経細胞を作製して病気を細胞レベルで再現するなどの成果が報告された。米科学誌サイエンスは今年の科学成果の1位にiPS細胞づくりで研究が活発化した「細胞の初期化」を選んだが、その中心も海外の成果だった。
 山中教授は「研究は勝ち負けではないというのも、もちろん正しいが、多大な研究費や支援を受けている中で1勝10敗はまずい。自戒をこめて、研究者がふがいないと思っている」と、日本の現状について話した。
 文科省はiPS細胞研究などの再生医療関連研究に今年度、45億円を投じている。京都大、東京大、慶応大、理化学研究所を拠点とする研究ネットワークも構築するなど研究推進態勢も整えたが、海外勢の勢いに圧倒された形だ。
(竹石涼子)
(朝日新聞 2008.12.26)


iPS細胞ってなに?、という方は、以下の本がおすすめ。



 『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』
(八代嘉美/平凡社新書/2008/7/15 )


分かりやすくて、目からうろこ。

目からうろこがポロポロ、といえば、以前読んだ、団まりなさんの
『性のお話をしましょう―死の危機に瀕して、それは始まった 』が面白いです。

この一冊でわたしはすっかり団さんのファンになってしまったのですが、
その団さんの新刊が、「細胞が私たち人間と同じように、思い、悩み、予測し、
相談し、決意し、決行する生き物だということです」という、
「意志を持っている」細胞の不思議をときあかす本。

 
 『細胞の意思―“自発性の源”を見つめる』
(団まりな/NHKブックス)
 

体内に異物が侵入すると、自らをカーペットのように広げ、仲間たちと協力し合いこれを覆ってしまう大食細胞。目的地である生殖巣に向かって、さまざまな困難を乗り越え胚の体内を移動する始原生殖細胞。外的変化にしなやかに対応しながら的確に行動する細胞たちのけなげな姿を生き生きと描き、生命を分子メカニズムの総体ととらえる硬直した発想を超えて、細胞こそが自発性の根源であることを力強く打ち出す。生命という複雑な現象の本質に迫る野心作。 

以下は、『細胞の意思―“自発性の源”を見つめる』と『iPS細胞』の書評です。

今週の本棚:養老孟司・評 『細胞の意思--〈自発性の源〉を…』=団まりな・著

 ◇人間のように「思い、悩み、決断する」
 本のタイトルは「細胞の意思」、帯には「思い、悩み、決断する細胞たち」とある。これは文学、それとも哲学の本か。あるいは昔の共産党の話か。そんな風にいわれそうな気がしないでもない。もちろんそうではなくて、れっきとした生物学の本である。著者は長年、大阪市立大学で発生生物学を研究してこられた。
 生物学といっても範囲は広い。本書の主題は、発生学の初歩を習った人なら、懐かしいはずの初期発生が中心である。受精卵が卵割という細胞分裂をして、初期の胚(はい)を作っていく。そのあたりの過程で、細胞たちは、どのようにふるまっているのか。それが記述の中心になっている。
 ただし最初の部分は、細胞には原核細胞、ハプロイド、ディプロイドという三種類があるという説明から始まり、次に一般的な細胞のふるまいをよく示す例として、大食細胞が紹介される。その次に「細胞の思い、人間の思い」として、主題が始まるのである。
 それなら教科書から始まって、これまでにいろいろ書かれているんじゃないのか。いまさらなにを書くことがあるか。いろいろ忙しいんだし、この本に出てくることで、いままで学界に知られていなかった新事実だけ、短くまとめて紹介してくれないか。
 私はそんなことをする気は毛頭ない。まず第一に、それは著者に対して礼を失する。科学者は一人一人が研究をしている。それはいわば文学や芸術と同じである。学界ないし学会が研究をするわけではない。学界が論文を読むわけでもない。それなら学界にとって既知かどうかには、大した意味はない。しかも著者だって、学界の一部かもしれないではないか。じつは「書かれたもの」は、すべて既知だというしかないのである。
 第二に、私が知りたいのは、同じような事実が対象であっても、それに対する著者の見方、考え方である。生物学のあらゆる部門のあらゆる詳細を知る暇なんか、だれにだってあるわけがない。それに私の場合には、もう寿命もない。初期発生をいまさら勉強しようなんて積もりはない。
 ではこの本からなにを読むのか。「私が本書で伝えたいことは、細胞が私たち人間と同じように、思い、悩み、予測し、相談し、決意し、決行する生き物だということです」。著者はまずそう述べる。ここで私は、夢野久作の『ドグラ・マグラ』の主人公を思い出した。精神病院に入院している博士は、「脳髄は電話交換局に過ぎない」「考えているのは個々の脳細胞だ」というのである。
 私は著者をからかおうと思っているのではない。夢野久作と団まりなの違いはどこにあるか。実際の細胞を観察しているか、否か、である。
 あるとき著者が細胞について話すのを聞いたことがある。ふつうの細胞の電子顕微鏡像が映し出された。著者は細胞内部のなにも写っていない地の部分を指し、ここになにがありますか、と訊(き)いた。実際の細胞ではそこに水があり、それに溶け込んださまざまな物質が存在し、流動している。でも頭で勉強した細胞のそこには、「なにもない」のである。
 私も著者と同じように、若い頃(ころ)に細胞を培養していたことがある。その細胞はしばしば平たくなって、培養皿の表面に張り付いてしまっていた。大食細胞がそうなってしまうことについて、著者は「細胞は皿を食べようとしているのです」という。それを読んで、私は笑い出してしまった。私自身もなぜ培養下で細胞が平たくなるのか、不思議に思っていたのだが、それ以上のことは考えたことはない。いわれてみれば、なんとも納得がいったのである。大食細胞が異物を食べようとするとき、小さいものなら、相手を「包み込んでしまう」わけだが、相手が大きいと、その表面に張り付く結果になる。
 「自然科学は、物理学と化学が先行したために、物質の原子・分子構造を解明するものとの印象を、人間の頭に強く植えつけました。このため、細胞を究極的に理解するとは、細胞の分子メカニズムを完璧(かんぺき)に解明することだ、という公理または教義のようなものが蔓延(まんえん)することになってしまいました。この教義は今も現役で、細胞に関する学問を支配しています」
 私もいわばこの教義が社会的に確立していく過程を生きてきたから、著者のいいたいことがよくわかるように思う。ただそんなことはどうでもいい。私がなんとも面白いと思うし、さらに感心することは、「著者にとってまさに細胞は生きものだ」ということなのである。女性の優れた研究者は、しばしば自分の扱う対象が「生きてしまう」らしい。バーバラ・マクリントックは遺伝学の研究で晩年にノーベル賞を受賞したが、「自分がトウモロコシの染色体のなかに立っている」と述べたことがある。中村桂子氏を引き合いに出すなら、おそらくゲノムがそういう存在なのだと思う。昔の先生なら、「仕事をやるなら、そこまで行かなきゃダメなんだよ」と一言いったであろう。
(毎日新聞 2008年9月7日) 



iPS細胞―世紀の発見が医療を変える [著]八代嘉美
[掲載]2008年8月24日 朝日新聞
[評者]瀬名秀明(作家、東北大学機械系特任教授)■SFの想像力と科学の目で迫る生命

 山中伸弥教授らによるヒトiPS細胞誕生のニュースは再生医療の未来に希望をもたらした。それから半年が過ぎ、一般向けの解説書が相次いで出版されている。世界中の研究者がiPS細胞を少しでも安全に扱えるようしのぎを削り、新たな知見が続出しているいま、自信を持ってこの一冊をお薦めしたい。
 若き幹細胞研究者・八代嘉美は、この分野のおもしろさを多くの人にわかりやすい言葉で伝えたいという熱意にあふれている。何よりすばらしいのは、ES細胞やiPS細胞を学ぶことは医療の未来を開くばかりでなく、生命の根源を探求することであり、それはわくわくすることなのだというスタンスに貫かれていることだ。類書にない大きな特長である。
 私たちの体は日々再生されている。新しい細胞が生まれ、古い細胞は剥(は)がれ落ち、傷口は治る。さまざまな細胞へ分化してゆく「幹細胞」のおかげである。神経幹細胞はニューロンをつくり、造血幹細胞は赤血球をつくる。ただし会社員がいきなりプロ野球選手になれないように、成長した体の幹細胞はまったく違う細胞には分化しにくい。だが私たちが赤ん坊のころ無限の可能性を秘めていたように、胚(はい)の幹細胞は多能性を持つのだ。どうすれば細胞をリセットし、別の人生を歩ませることができるのだろう。細胞が分化し体をつくってゆくとはいったいどういうことなのか?
 無数の可能性の根源となる幹細胞の秘密を解き明かすことは、生命の本質に迫ることに他ならない。クローン羊ドリーも、ES細胞も、その謎に迫るための足跡であり、iPS細胞はそれらの研究の延長上にある。著者の八代は本書の半分以上をかけてこれまでの幹細胞の研究を丹念に振り返る。誰もが読みたいと願うiPS細胞の話をあえてタメにタメて、ES細胞や体性幹細胞の理解を積み重ねてゆく。だからこそついにiPS細胞の解説が始まったとき、読者は生命の本質というロマンを共有して、さらなるビジョンへと飛翔(ひしょう)できる。それは私たちの「知」がタブーさえ超えてゆく未来だ。ES細胞は倫理的問題があったとされた。しかしiPS細胞ができたのは、ES細胞やクローン研究で科学の成果を培ってきたからだ。著者はSFの想像力を引きつつ科学の目で生命を見据え、従来の価値観を変えてゆく。そこまで描き切ろうとする著者の意気に大きな拍手を送りたい。
 別の構成力で語る新鋭の良書としては、他に田中幹人編著『iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?』(日本実業出版社)がジャーナリスティックな筆致で重要点を見事にまとめて手堅い。そしてやはり若き研究者・古谷美央の『iPS細胞って、なんだろう』(アイカム)は患者の側に立った細やかな優しい視線がよい。この本に収録されている写真群は、私たちの体にこれほど多様な細胞があることを改めて教えてくれる。iPS細胞がこれらの美しい細胞へ分化するのだと思うと、生命の源に触れて胸打たれるだろう。それにしても次々と新たな才能がまっすぐな情熱で生命の本質を伝え始めたことは感動的だ。科学の本はますますおもしろくなってきた。
    ◇
 やしろ・よしみ 76年生まれ、東京大学大学院博士課程在籍中。研究テーマは造血幹細胞の老化・ストレスにかかわる分子機構の解明。共著に『再生医療のしくみ』。
(朝日新聞 2008.8.24)


再生医療の最前線へようこそ~『iPS細胞』
八代嘉美著(評:栗原裕一郎)
平凡社新書、660円

2008年10月27日 nikkeibp

南部陽一郎、小林誠、益川敏英三氏の物理学賞に下村脩氏の化学賞が続きノーベル賞フィーバーが巻き起こっているさなかの10月10日、京都大学の山中伸弥教授が、ウイルスを使わないiPS細胞製作に世界ではじめて成功したというニュースが流れた。
 再生医療の実現に向けた大きな一歩と報じられたのだけれど、ウイルスを使わないことがどうして「大きな一歩」になるのか、即座に理解できるでしょうか。
 iPS細胞は現在進行中の科学的イノベーションとしてはもっともホットなもののひとつだが、なにしろ生命科学の最先端であり、「クローンが出来ちゃうんでしょ、すごーい。それでES細胞と何が違うんですか?」といったアバウトな理解にとどまっている人が多いんじゃないだろうか。いや、自分がそうだったのだが。
 そこで本書である。一読すれば、技術的な仕組みとそれを支える生命科学のバックボーン、生命倫理問題および先端科学技術をめぐる特許争い、そして──ここが筒井康隆が帯に推薦文を寄せている由縁だろう──「iPS細胞とはいったい何なのか?」というSFチックな形而上的問いまで、この発明を取り巻く事象の全体像をおおよそつかむことができるだろう。
 「iPS細胞」というタイトルながら、全9章のうち第5章まで、ページ数でも半分以上が、じつはES細胞に割かれている。ES細胞を乗り越えるためにつくられたのがiPS細胞であるという歴史がふまえられているためだ。
 ES細胞の正式名称は「胚性幹細胞(Embryonic Stem cells)」。「胚」という文字に注目。「胚」とは子宮に着床する直前の受精卵を指す。ES細胞は胚から採取した幹細胞を培養したものなのだ。
 一方、iPS細胞の正式名称は「人工多能性幹細胞(induced Pluripotent Stem cells)」。「pluripotent」は「多能性の」という意味で、それを人為的に「induced=誘導された」幹細胞だということだ。
 どちらもほぼ無限に増やせて、身体を構成するほとんどの細胞に分化させることができる。ゆえに「万能細胞」という呼び名がなかば定着してしまっているのだけれど、それは正しくない。ES細胞を子宮に戻しても胎児にはならないし、iPS細胞も同様である。ES細胞は胎盤をつくれないのだ。「万能」と呼びうるのは受精卵だけであって、それよりちょっと能力が落ちるので「多能性」と呼ぶのが正確だそうだ。
 さて、ES細胞には致命的な欠点がふたつあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)

 終章は最初に触れたとおり、「人類にとってiPS細胞とは何か?」という著者の思索である。なかでも、ES細胞をあれほど激しく拒否したブッシュ大統領とローマ法王が、iPS細胞については「胚を壊さないから」と諸手をあげて歓迎したことの皮相さを暴いたくだりは、生命倫理というものの根深い難しさをよく象徴していると思う。

〈なぜiPS細胞が胚を壊さないで済んだのか。それはローマ法王庁などが〈大罪〉と称する〈遺伝子導入〉という技術が存在したからである。(……)
 つまり、気づかないうちにブッシュ大統領らは彼らが斥けてきた価値観を是認させられ、その結果、彼らが希求する〈神が与えたもうた自然〉という幻想は彼方に去った〉
 最後になってしまったが、本書の著者、八代嘉美氏は、現在東大大学院医学系博士課程に在学する大学院生なのだ(前回の後藤氏に続きまたしても大学院生!)。ちなみに男である。そこ、がっかりしないように。
 iPS細胞自体の解説が実質1章しかなくて構成のバランスがちょっと悪かったり、それにつられてか「山中ファクター」と「nanog遺伝子」のところなど書き込みが足りないんじゃないか思う部分もあるものの、人文にも造詣が深いことをうかがわせつつも研究者らしい論理的な文章で整理されていて、今後も続々とつづくに違いないiPS細胞関連の成果を理解するための入門書として、しばらく定番の位置を占めることになるだろう。
(文/栗原裕一郎、企画・編集/須藤輝&連結社)


どちらもおススめの本です。

お次は、関連で遺伝子レベルで、女と男の不思議な関係を解く、
福岡伸一さんの『できそこないの男たち』。

 生命の基本仕様
「それは女である」
「弱きもの、汝の名は男なり」
 

つ ・ づ ・ く ・・・・・

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幻想的なイルミネーション/長良公園のメタセコイア

2008-12-27 15:16:52 | 花/美しいもの
長良の姉に野菜を届けがてら、
長良公園のイルミネーションを見てきました。
北海道から北陸までは大雪で、この冬一番の冷え込み。
思いつきで寄ったので、防寒の準備をしていなかったので10分だけのつもり。

 

一日遅れのクリスマスで、ツリーのようなメタセコイアが
イルミネーションでライトアップされています。
   

  

おくのほうに見えている三つの星の真ん中がいちばん高い木です。


寒さに震えながら芝生公園を歩くと、光の輪くぐり。


  

日本一のメタセコイアはライトアップしてないので、
そのお隣りのメタセコイア。
  



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7時になったら、↓一本の木だけ残して、すべてのライトが消えました。
  
えっもうおしまい?、と思ったら、カウントダウンでまた一斉に点灯。

橋の上から見えるメタセコイア、幻想的な美しさです。




  


橋をわたってスロープを下りていくと、次々に景色が変わります。

青い光(青色ダイオードか?)が息を呑むほどきれいなのですが、
手がかじかんでシャッターがうまく押せません。






一周回って、ここでバッテリー切れ。
替わりのバッテリーを持ってきませんでした。



最後の一枚です。
10分のつもりが約30分。
からだは寒かったけれど、こころは大満足です。

長良公園のイルミネーションは、年々、手が込んでくるみたいです。

 第8回長良公園イルミネーション  
2008年12月21日(日)~2009年1月3日(土)18:00~22:00
31日・カウントダウンイベントは23:00~より行います。
 

遠くからでも見に来る価値はありますが、
とっても寒いので、くれぐれも防寒装備をお忘れなく 


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第2回「M&T企画/議員としてのスキルアップ連続講座」報告/『む・しの音通信』68号

2008-12-27 00:00:00 | 「市民派議員塾」「M&T企画 選挙講座」
『む・しの音通信』68号に掲載した
10月24日から25日に開催された、
第2回「M&T企画/議員としてのスキルアップ連続講座」の参加者の報告です。
プロジェクトスタッフの島村紀代美さんの報告と、
青木利子さん、小池みつ子さん、小林純子さんの寄稿が続きます。

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第2回「M&T企画/議員としての
スキルアップ連続講座」報告
  プロジェクトスタッフ・島村紀代美

      
10月24日(金)25日(土)、ウィルあいち(名古屋市)にて、第2回「議員としてのスキルアップの連続講座」が開催された。第1回の講座で学んだ12人に、新規の2名を含め参加者は14名。講師は寺町知正さんとみどりさん。今回のテーマは「議会活動のレベルアップ。各手法の実践的テクニックを身につける」ということで、市民派議員としてさらなるスキル獲得をめざす。
【セッション1】の「議会を改革する=自分の議会がすべてじゃない」は、2部構成。前半の「議会運営の問題点」では、前回の講座で取り上げた「地方自治法の改正」に対して各議会がどう対応し、各自がどのように行動したのかを順次発表。考え方の違いと問題点を明らかにできた。また実例を参考にしながら議会内で問題発言があった場合の対処の仕方について、法的根拠、文書の出し方などを具体的に学んだ。だれもが「明日はわが身」であり、ここで法的な手続きを正しく理解できたのは心強い。
 後半では事前に参加者から提出された各議会の「申し合わせ」一覧を参照しながら、自分が改善したい項目について、それぞれが発言。まさに「自分の議会がすべてじゃない」ことが一目瞭然となる。
 【セッション2】のテーマは「発言、議論、交渉などの重要性」。ここではまず講師のみどりさんから質疑・質問の組み立て方のポイントと議論のコツについてレクチャーがあり、続いて各参加者が課題として取り組んだ一般質問のテーマについて説明。これに対し講師の二人よりコメントがあった。動機が弱かったり、立論と質問項目がずれているといった、自分ではわからないポイントが的確に指摘されていく。課題について事前に講師とすり合わせをしていく中で考え方がだんだん整理され、講座当日のこのセッションで質問・質疑の獲得目標に迫れる立論のしかたが認識できた。
 【セッション3】は「私のまちの情報公開の問題点と改善」。各参加者が事前に情報公開請求をして取り寄せた資料をもとに進められた。請求した内容は同じであっても、それぞれの自治体で公開の度合いが違っており、比較することで自分の自治体の現状が見えてくる。ここでは講師の知正さんから非公開になった部分で当然公開されるべき項目について指摘があり、さらにどのような観点で異議申し立てをするかについてレクチャーがされた。申し立ての根拠となる法律解釈の新たな視点を知ったのは大きな収穫だった。
 2日目は【セッション4】の「議会の議論を鍛える住民監査請求の立論」からスタート。実際に住民監査請求をした経験がない参加者が多いが、監査請求の対象になりそうな案件を調査し、レジメにまとめて事前に提出した。驚いたことに知正さんはすべての事例に対して、不当性や違法性を指摘するのに足りない部分の法的根拠や考え方を資料として提示。まだまだ難易度としては高く感じられていた住民監査請求に取り組む自信をつけることができた。
最後の【セッション5】は「議会改革で抱えている具体的な問題の解決」。前日でも一部取り上げた参加者ごとの議会の申し合わせや慣例の具体的な問題について、何を解決すべきか洗い出した。議会改革への自分の認識の甘さを痛感。最後に今回の講座で獲得したことについて参加者がコメントして講座は終了した。
 「すぐに使える」がこのスキルアップ講座のポイント。わたし自身もその後、市民とともに請願を提出、紹介議員になったが、その文書の組み立てにおいても講座で学んだことがとても役に立った。次のステップは住民監査請求。第3回の講座でもスキルアップをめざしたい。

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自分の議会を自己診断
      長野県下諏訪町・青木利子


スキルアップ講座の魅力は何かと言えば「実践的テクニックを身につけられる」こと。獲得したことは即次の議会で実践できる。
今回の【セッション1】のテーマ「議会を改革する」では、まず自分の議会を他の議会と比較して客観的に見て何が問題かを把握することからスタートした。例えば「申し合わせ事項や慣例・習慣」については、参加者15名の所属議会がそれぞれに独自の運用をしており、文字通り「申し合わせ」ただけのものが多かった。あらためて「自分の議会がすべてじゃない」と自覚させられた。
私が議会で働くための武器は「地方自治法」や「会議規則」といった法律やルールだ。講師のみどりさんが常に言うように「相手が言ったことを鵜呑みにしない」で条例や規則に則った議会運営がされるよう厳しく立ち向かうことが大事だと再認識した講座でもあった。
「会議規則」どおりに議案質疑に通告制をとっているのはいいが、法的根拠のない「申し合わせ事項」で質疑を制限したり、一般質問をしたら質疑は控えるといった規制をしているところがあると聞きびっくりした。
私の議会では通告制ではないから自分の意志で本会議質疑ができる。むしろ質疑ができるのにしない議員が多いことの方が問題だと常々感じている。講座を聞いていたら、講師のともまささんから「通告制は必ずしも悪い面だけでなく、通告することで職員に考える時間を与えるため良い答弁に導ける場合もある」と指摘があった。通告にはそんな良い面もあるのかと知り、さっそく次回の議会では事前に担当課に聞き取りし質疑に臨みたい。  
ただ注意したいのは、本番でいきなりの質疑の方が良い場合もあることも頭に置く必要がある。いずれにしても議案質疑は事前にたくさんの情報収集や調査をしっかりした上で、自分に自信をつけて臨むことが基本だ。
今回の講座でも「場数を踏むことが大事」というみどりさんのアドバイスが私にとって一番身にしみた。

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一般質問を組み立てる   
      愛知県長久手町・小池みつ子
      

 議会活動のなかで一般質問は、自分でテーマを決め調査し、限られた質問時間を使い、主張をもって論理展開し、執行部にただしていくもの。問題意識を持ったテーマのどれを取り上げていくか、政策決定や予算化などのタイミングも考慮しながら「次は何を取り上げようか」と議会ごとに考えるのは、結構わくわくする時間でもあります。しかし、実際に質問を組み立て、獲得目標に向かって、ぶれないで質問を重ねられたかというと、かなり疑問で毎回反省があります。
 さて今回の勉強会の【セッション2】は、この一般質問について。当日までの課題は、12月議会で取り組みたい質問テーマについて、獲得目標やそれに向けての立論など7項目について、指定の字数でまとめ提出。講師のみどりさんからメールで「獲得目標が漠然としている」などのアドバイスを受け、再度項目ごとに整理、組み立てをしました。
 組み立て直しながら、「獲得目標をしぼり込めず、結局あれもこれもとなって、どんどん広がってしまう」という、自分の陥りやすい傾向を自覚することができたと思います。思いつく質問をすべてするのでなく、獲得目標に向けて必要なことにしぼっていくことが、なかなかできていない点も再認識。
 講座のなかでは、「政策をつくる」のに必要な手順についてや聴き取り(ヒアリング)のコツについての具体的な話もあり、充実した時間となりました。聴き取った相手の話を鵜呑みにしないということ、聴き取り情報では行政にとって都合の悪い情報はでてこないということは、本当にそうだと思いました。私は普段はつい素直な(?)姿勢で聴き取りをしていました。
 相手を説得するには、「根拠に基づく論理的説得力を身につける」ことが必要。つい自分の思いを押し付ける姿勢になりがちですが、「相手の論理」も知り、自分の思う方向へ相手を誘導していくための「議論のコツ」のみどりさんの話にうなずきつつ、次の一般質問を丁寧に作り上げていこうと改めて思いました。

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自らの手を縛る議会の規則
      長野県安曇野市・小林純子


議会に提出された議案について、質疑(疑義を質す、質問)することは議会(議員)のもっとも重要な役目の一つである。それは、また、行政側にとっても説明責任を果たす大切な場面である。にもかかわらず、こんなことが起きている、ということで問題提起をしたい。安曇野市議会9月定例会の本会議、議案質疑でのことである。
安曇野市が出資する第3セクターの会社が、指定管理者として運営しているレストランの営業収支について質疑したところ、「700万円余の赤字」との答弁があった。しかし、情報公開により、わたしが入手したそのレストランの年次報告書では、500万円余の黒字となっている。「どうしてこうも大きく数字がくいちがっているのか」と質したところ、部長は「なぜ黒字になっているかわからないので、調査してから答える」として、答弁を保留にしたのであった。
後日の本会議で部長から答弁はあったものの、「はい、そうですか、わかりました」ですまされる内容ではなく、疑問は深まるばかりだったので、再質疑したいと議長に申し出た。
すると、
議長:「それはできない」
小林:「会議規則で認められているはずだ」
議長:「いや、それは当てはまらない」
小林:「ならば、その根拠を示せ」
と、押し問答になってしまった。
会議規則というのは安曇野市議会の会議規則第59条のことで、「延会、中止又は休憩のため発言が終わらなかった議員は、更にその議事を始めたときは、前の発言を続けることができる。」とある。今回のようなケースは、質疑に対する答弁が保留になったことにより「発言が終わらなかった」と理解したわたしは、当然質疑を続けることができると考え、「それはできない」とする議長に食い下がったのである。
再質疑の扱いに窮した議長は、議会運営委員会(議運)を招集。暫時休憩となった。
結果として40分ほど議事は中断。議運の結論は、会議規則第59条の「延会、中止又は休憩のため」というのは、議会の進行上の都合のことであるから、発言者である議員個人の事情によるものは認められない。また、本会議質疑はすでに終わっており、保留になっているのは答弁だけだから、質疑の続きはできないと結論づけた。
わたしとしては、会議規則の解釈の違いに納得したわけではなかったが、議運で時間をかけて話し合った結果であり、これ以上議事を止めることにためらいを感じたので、議運の判断に従うことにした。
40分も空転するなら、5分もかからない再質疑をさせてほしかった、というのがわたしのホンネである。
これに対して、議運の「ホンネ」ともとれる議論があったことを後で知った。再質疑が許されなかったのは、会議規則の解釈云々よりも、「再質疑を許せば、特定議員の発言チャンスを増やすことになるからマズイ」という理由が大きかったというのである。
「特定の議員」とは、今回はわたしのことに間違いないが、どの議員にも再質疑が必要となる場面はあるやもしれず、発言の機会を自ら制限するようなことが平気で通るのが不思議でしかたがない。
議会は「言論の府」といわれる。議場では言論で勝負するのが議員の仕事である。賛成にしろ反対にしろ、議員は自己の信念に基づいて発言し、我が意のあるところを市民に向かって表明する義務があるのだ。
わたしのような無所属の議員は、とかく「一人ではなにもできない」と軽んじられるが、議会での議論はいつも1対1であり、発言はそもそも一人でするもの。選挙区や後援団体のことが気になって、曖昧な発言でお茶を濁したり、発言すること自体を控えるような議員は「数の論理」に頼るばかりで、議員本来の仕事がなんであるかさえ忘れているのではないか。
議員自らの手を縛るような議会の規則は変えること、ここから始めなければならないというのが、多くの議会の現実であるようだ。
(『む・しの音通信』68号)



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ししユズジャム・いろいろ大根料理、ほか。

2008-12-26 14:54:44 | おいしいもの/食について
紅葉を見に行ったときに買った「シシユズ」がしなびてきたので、
シシユズジャムを作ることにしました。

半分に切ってみると、中は白いところが多くてザボンのようです。


細かく切って見たら、たった一個でボールにいっぱい。
  
皮に苦味があるといけないので2,3回ゆでこぼし、
皮が透き通ってきたら、やわらかくなるまで煮て、
  
甘みには蜂蜜を入れました。

はい。シシユスジャムのできあがり。

 

冷えたらちょっとかためになりましたが、小分けしてビンにつめ、
ストーブで焼いたフランスパンやクラッカーにつけて食べます。

去年のユズジャムや、イチジクや洋ナシのコンポートと食べくらべ。
ペクチンが多くて、さっぱりしたヘルシーなジャムになりました。

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沢庵漬けをつくるために、大根を干している所ですが、
まだ漬けるまでに時間がかかるので、すぐに食べられる大根の生漬を作りました。

生の大根は皮をむいて(皮は捨てずに料理に使います)、
縦に二つか三つに割り、適当な長さにきってビンに詰めます。
  
ここに塩と蜂蜜少々を混ぜた千鳥酢をひたひたに注ぐだけ。
ユズ酢を絞った皮も香り付けに入れました。
冷蔵庫に保存して、3日ほどすれば食べられるようになります。
生の大根とは違う、れっきとした生漬け大根の食感で、
塩分もきつくないので、ポリポリといくらでも食べられます。


切り干し大根用の千切り大根を沢山つくったら、
まずは、それで大根サラダいろいろ。
ハムや人参や柿や、ドライフルーツやドライナッツで
その時の気分で合えただけのシンプルサラダ。
   
好みのドレッシングをかけてもよし、そのままでもよし、
これがとってもおいしいのです。

残った大根葉はお揚げと炊いて、大根の皮は人参と金平に。
  
皮を千切り用のピーラーでむいて甘酢に漬ければ、即席漬けに。
今回はしょうがの酢に漬けてみました。

いろいろ大根料理のできあがり。


おいしい大根の定番は「ふろふき大根」。

2008.12.19 中日新聞

わが家は大根を薪ストーブのうえで、ことこと炊いています。
 
大根が減ってきたら、具を足しておでんにします。



お仕事の合間に、薪ストーブの前で寝ているのはつれあい。
パソコン疲れで両手にサポーターとシップを貼ってます。
 

鏡に写っているのはだれだ??(笑)。
 
マーサで見つけたフリースの着ぐるみ。
だれも買いそうにないくらい目立ってたので、超ダンピングで980円。
すっぽりと暖かくて、寒い日など一度着たら脱げません。

わたし、こんな姿でブログを書いてたのか・・・・(爆)。


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『愛と痛み―死刑をめぐって』(辺見庸/毎日新聞社)

2008-12-26 00:00:00 | ほん/新聞/ニュース
『悼む人』を読んだ翌日、『愛と痛み―死刑をめぐって』を読んだ。
愛と痛み、底に流れるのは、『悼む人』とも共通のテーマだ。


『愛と痛み―死刑をめぐって』
(辺見庸/毎日新聞社/2008/11/29)


辺見庸の本をはじめて読んだのは『もの食う人びと』だった。
病を得てからも、かれは言葉をつむぎつづけ、
『いまここに在ることの恥 』『たんば色の覚書 私たちの日常』と毎年、
本を出していて、わたしはそのほとんどを読んでいる。

かれの思索は深く、その言葉は心にずしんと響く。

21日の中日新聞の星野智幸さんの書評がとてもいい。

書 評
『愛と痛み』[著者]辺見 庸
 
毎日新聞社/1050円
[評者]星野 智幸(作家)
■誰が死刑と決めるのか?

 裁判員制度が始まる今、自分が選ばれたら死刑判決を下せるのか、という不安を抱く人は多いだろう。そんな人には、死刑をめぐる講演録である本書を強くお薦めする。
 日本の大多数同様、私も死刑は必要悪だと思ってきた。けれど、ここ数年、死刑判決や死刑執行が急増するうち、殺すことが奨励されているような嫌な空気を感じ始めた。「誰が死刑と決めたんですか?」「みんなですよ」と、まるで雰囲気で死刑が決まるかのようだ。裁判員制度が始まれば、「死刑と決めたのは自分だ」とはっきりする。もう、他人に責任転嫁はできない。私たちはその重責に耐えられるのか。
 辺見庸は言う。
 「死刑は国権の発動ではないのか。国権の発動とは、自国民への生殺与奪の権利を国家にあたえるということです」
 死刑の責任主体は、国家だというのだ。ところが日本では、その仕組みがよく見えない。「世間」が存在するからだ。
 本書で最も厳しく批判されているのが、この「世間」である。個人が集まって共存する「社会」とは異なり、「言葉で強要されることはないけれど、かわりに気配や空気で無私であることが期待される」、自分のない者たちの集合体。誰も自分を持たないのだから、国が暗黙のうちに死刑を欲すれば、「そうだ、死刑だ」と空気を読んで同調する。死刑判決にお墨つきを与えながら、痛みを感じるべき自分がない。
 裁判員になると、国家が負うべきこの責任を、数人の個人が負わされる。辺見庸は、死刑が執行される場面を執拗(しつよう)に描写する。私たちは間接的に、こんなグロテスクで残虐で痛みに満ちた行為を行っているのだ、と認識するために。
 私たち個人が責任を負えない死刑を、制度として認め続けてよいのだろうか。もう、「みんなの責任」と逃れることはできない。自らの心で考えて結論を出す時期が来たと、本書は告げている。
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へんみ・よう 1944年生まれ。作家。著書に『永遠の不服従のために』など「抵抗3部作」や『眼の探索』など。辺見庸コレクションを刊行中。
(2008.12.21 中日新聞)



辺見庸さん自身もブログで本を紹介している。

辺見庸ブログ
『愛と痛み―死刑をめぐって』刊行
私たちは〈不都合なものたち〉を愛せるだろうか?
私たちは他者の痛みを痛むことができるのだろうか?
愛と痛覚のふかみから死刑について考え、
私たちの無関心が国家による殺人を支えてしまう恐るべき構造を明らかにする。
死刑の本質をあぶりだす新たな思考! 写真・森山大道

■目次より
究極の試薬――まえがきにかえて
第1章 愛と死と痛みと
    〈不都合なもの〉への愛
    マザー・テレサの言葉の衝撃
    私の痛みから他の痛みへ
第2章 日常と諧調
    可変的な時間体としての人間
    日常はなにを維持しようとするのか
    壊れゆくものにたいする畏怖
    被造物の最期のにおい
    死の間際の痙攣
    死刑は有史以来、
    存在しつづけてきたが・・・
    いっさい情動のない殺人
    なぜ犬だと泣けるのか
第3章 日常と世間
    鵺のようなファシズム
    戦後民主主義は世間を超克しえなかった
    世間とメディアが合体する
第4章 世間と死刑
    「公共敵」というバッシング
    公共と世間は真逆の概念
    世間では個人が陥没する
    天皇制と世間
    執行の瞬間
    死刑は私たち世間が支えている
第5章 日本はなぜ死刑制度を廃止できないか
    文学は死刑と関係がないのか
    EUの死刑廃止宣言
    世間が司法を支配する
    ギュンター・グラスと恥の感覚
    恥なき国の日常
    臆病者の暗い眼で見る
    マザー・テレサのこころの叫び
第6章 死刑と戦争
    国権の発動たる死刑と戦争
    憲法第九条と死刑
    「私がスパルタクスです」


辺見さんはいう。

「他国民にも死刑を拡大していくのが戦争。
死刑と戦争は通底すると考えざるを得ない」と。


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