この事件は国分寺市が「人権教育推進のための調査研究」事業の基調講演に、
上野千鶴子さんの「当事者主権」講演会を企画したことからはじまる。
事業の趣旨は、国の「人権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う」ものである。
新聞報道によると、東京都は、上野さんが講演のなかで、東京都が「使わない」と通達まで出している、「ジェンダーフリー」という用語を使うのではないか、と危ぐして、国分寺市に圧力をかけたらしい。
結果として、講演会だけでなく、この「人権を考える講座」自体が実施できなくなった。東京都の意志がはたらかなければ、講座は予定通り開かれたはずであり、国分寺市民は「人権」について学び考える機会を失った。この事実は重大だ。
都の言い分については、以下のような新聞報道がある。
この記事の都の主張を元に、上野千鶴子さんが「ジェンダーフリーという用語を使う可能性があるのか」「この事業の趣旨にそう講師なのか」の両面から検証してみたい。
上野千鶴子氏、都に抗議「用語統制に介入した」1/30朝日新聞
--------------------------------------------------------
都教委は04年8月に決めた「『ジェンダーフリー』という用語を使用しない」という見解を示し、「講座がその方針に反するなら実施できない」と念押しした。市は「講座でジェンダーフリーという用語や、関連する内容が出る可能性が否定できない」として提案を取り下げたという。(2006/1/28朝日新聞)
------------------------------------------------------------
事業を担当した都教委社会教育課は「都が委託するモデル事業である以上、都の見解に反した事業は実施できないと伝えた。中止は市が判断したものであり、都として拒否はしていない」と話している。(2006/1/28同朝日新聞)
----------------------------------------------------------
「ジェンダーフリー」という用語について、事業を委託した東京都教育庁は「男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられることがある」として使用しないことにしている。「講座でこの用語が使われる可能性があるなら実施できない」との判断を、同市に示したため、同市が提案を取り下げていた。(2006/1/31朝日新聞)
-------------------------------------------------
東京都教育庁の担当者は「ジェンダーフリーという言葉だけを問題にしたわけではなく、都の事業の趣旨にそうものかどうかの確認を市に求めた」と説明している。(2006/1/31同朝日新聞)
------------------------------------------------------
都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否していたことが分かった。・・・・・・・・・・・・ 国分寺市は昨年3月、都に概要の内諾を得たうえで、市民を交えた準備会をつくり、高齢者福祉や子育てなどを題材に計12回の連続講座を企画した。上野教授には、人権意識をテーマに初回の基調講演を依頼しようと同7月、市が都に講師料の相談をした。しかし都が難色を示し、事実上、講師の変更を迫られたという。このため同市は同8月、委託の申請を取り下げ、講座そのものも中止となった。(2006/1/10毎日新聞)
-----------------------------------------------------------
1.まず、上野さんが「当事者主権」をテーマに話したり、書いたりする場合、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのか検証してみた。
1)上野さんは自著の『当事者主権』(中西正司さんとの共著/岩波書店/2003.10)のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。
2)2004年12月、上野さんは、NHK教育の「福祉ネットワーク」という番組で「社会を変える“当事者”たち」というテーマで、当事者主権について話している。
この番組は大変な反響をよび、再放送までされた。わたしの回りでもビデオを撮ったひとが多いが、上野さんは番組のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。番組のなかでは『当事者主権』の本も紹介している。
NHK福祉ネットワーク「社会を変える“当事者”たち」(2004/12.24上野千鶴子さん×町永俊雄アナウンサー)
3)2005年3月26日、岐阜市内で、上野さんの「当事者主権 私のことは私が決める」という講演会を開催した。この日の資料でも講演でも、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。
いよいよ明日「当事者主権」講演会(2004/3/25付記事)
以上のように、上野さんは、人権講座のテーマの「当事者主権」では「ジェンダーフリー」という用語を使う可能性はまずない。
2.では、上野さんは「当事者主権」以外では、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのだろうか?
わたしは、4年前から上野さんの本の読書会をしているが、上野さんの著作のなかで「ジェンダーフリー」という用語を見たことがない。
この事件がおきてから、あらためて、ここ数年の本を元に、実際に「ジェンダーフリー」という用語が使われているのか、いないのかを、一冊ずつ検証してみた。
『当事者主権』(岩波書店/2003.10)
『老いる準備 介護することされること』(学陽書房/2005.2)
『結婚帝国 女の岐かれ道』(講談社/2004.5)
『ことばは届くか』(岩波書店/2004.7)
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
『脱アイデンティティ』(勁草書房/2005.12)
『差異の政治学』(岩波書店/2002.2)
『現代の理論』「フェミニズムをリアルに生きる」(明石書店/05秋)
『現代思想』「ケアをすること/されること」』(青土社/05.9)
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
『サヨナラ学校化社会』(太郎次郎社/2002.4)
『at あっと』0号「生き延びるための思想」(05.5)
『at あっと』1号、2号「ケアの社会学」
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
3.本のタイトルおよびテーマに「ジェンダーフリー」という用語がつかわれているのは、以下の2冊である。
『ジェンダーフリーは止まらない-フェミニズムバッシングを超えて』は、辛淑玉さんとの共著だが、辛さんと上野さんは「ジェンダーフリー」という用語を本文中で使っていない。
なお、本の「刊行にあたって」に「『してはいけないジェンダーフリー?」』という設立集会のタイトルは2000年12月に某新聞紙上で繰り広げげられたフェミニズムバッシングのキャンペーンのタイトルをもじってつけたもの」との主催者の言葉がある。
『We』(フェミックス発行)2004年11月号のインタビューのタイトルは「ジェンダーフリー・バッシングなんてこわくない!」。
この中で、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語について、どのように考えているのか、以下のように述べている。
「・・・・次に「ジェンダーフリー」について、ご説明しましょう。この言葉は、出自からいえば、90年代後半に、男女共同参画社会基本法の審議のなかで出てきたと思うのですが、・・・・・・ジェンダーフリー」という用語は、「男女共同参画2000年プラン」という文書の中に1回だけカタカナで出てくるくらいでしょうか。その際も、カッコの中に「(性別に偏りのない)」と解説してあります。その他には、法の文言の中には出てきません。
ですから、「ジェンダーフリー」は、まず第一に研究者の使う用語ではなく、そして第2に法律用語でもありません。主として行政関係者が使ってきた用語なのですね。
わたし自身は、「ジェンダーフリー」は嫌いだし、使いません。なぜかというと、日本語で定着しておらず、なじみもないカタカナ用語をあえて使う理由がまったく理解できないからです。ジェンダー研究の分野での英語文献でも、「ジェンダーフリー」はなじみがありません。わたしは英語文献をたくさん読んできましたが、出会ったことがありません。・・・・・(P5~6)」
4.以上からわかるように、そもそも、上野さんが「ジェンターフリーという用語を使うかもしれない」という、東京都(と国分寺市)の前提と判断そのものが間違い。東京都の言い分は、「事実無根の言いがかり」としか言いようがなく、理由もなく上野さんを排除したものである。
東京都は、「当事者主権」講演会で、上野さんが「ジェンダーフリー」を使う可能性があるという根拠を示すべきだ。
5.つぎに上野千鶴子さんが、「この事業の趣旨に沿う講師なのか」を、この事業の法的な趣旨に照らしあわて、検証してみる。
この事業は文部科学省が都教委に委託し、都教委が市町村教委に再委託している「人権教育推進のための調査研究事業」。国分寺市は昨年、公募の市民も参加して企画した「人権を考える講座」の開講を事業提案することにした。「当事者主権」をメーンテーマに、「高齢化社会」「子ども」などを題材に計12回を計画。基調講演の格子を上野教授に依頼する予定だった。(2006/1/28朝日新聞)
1)事業は文部科学省の「人権教育推進のための調査研究事業」で、「国が東京都に委託、都が国分寺市に再委託」する形のもの。
以下の「人権教育推進のための調査研究事業 実施委託要綱(案)」には、
「1趣旨 人権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う。」 「2 委託先(1)都道府県教育委員会又は指定都市教育委員会等、(2)都道府県教育委員会と市町村教育委員会を中心に組織する協議会」となっている。
2)また、「平成17年度『人権教推進のための調査研究事業』(運用指針)」によると、
1,2は同じだが、「3 事業の内容 (2)モデル事業の実施
下記の研究事項、人権課題、対象を組み合わせ、モデル事業の実施による検証等を行いつつ、実践的な調査研究を行う。
[研究事項]:人権に関する学習機会の充実方策
:学習意欲を高める参加体験型学習プログラムの開発、普及方策
:人権教育に関する指導者研修の充実方策
:人権教育に関する情報提供の在り方、関係機関との連携方策など
[人権課題]:人権一般、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、 外国人、H IV感染者・ハンセン病患者など
[対 象]:一般、幼児、少年、青年、成人一般、高齢者、保護者、外国人、行政関係者、社会教育指導者など 」と定められている。
3)以下は、委託事業の基本である「人権教育・啓発に関する基本計画」。基本計画は、法務省「人権擁護局」の所管で、各省庁が施策の実現のための事業を実施している。
この「人権教育・啓発に関する基本計画」「は、以下の「人権教育及び人権啓発の推
進に関する法律」(人権教育・啓発推進法)に関する、総合的・計画的な推進を計る
ための策定されたもの(この法律は、法務省と文部科学省の共管)。
4)以上のことから、この事業は人権教育推進のために全国の自治体に広く開かれたもの。上野さんは「女性」「高齢者」「障害者」「外国人」など、さきに紹介したなかでも、これら人権課題に関する本をたくさん著している。
よって、事業の趣旨や基本計画、法律にてらしあわせても、上野さんが講師として不適任と判断する理由および根拠ははまったくない。
都の担当者は、「都の事業の趣旨にそうものかどうか」と発言しているが、そもそもこの事業は、都の事業ではなく国の事業である。都も委託先の自治体の一つでしかない。つまり、委託を受けた都には、要綱と法の趣旨に従う義務があり、恣意的な判断や行為は許されない。
言論および思想・学問の自由は、憲法に保障された基本的な権利である。東京都が、講師の思想、学問、言論の自由に制限をくわえようとすること自体が、「人権推進」に反する行為である。
法および事業の趣旨に反しているのは、東京都のほうだ。
6.前述の「実施委託要綱(案)」は、「13その他」に、
(1)文部科学省は、委託先における事業の実施が当該趣旨に反すると認められるときは必要な是正措置を講ずるよう求める。
(2)文部科学省は、本事業の実施に当たり、委託先の求めに応じて指導・助言を行うとともに、その効果的な運営を図るため協力する。
(3)文部科学省は、必要に応じ、本事業の実施状況及び経理状況について、実態調査を行うことができる」と明示されている。
文部科学省は、趣旨に反する東京都に対し、「実態調査を行い」「是正措置を講ずるよう求める」べきである。
7.最後に、『当事者主権』は、
女性運動や性的マイノリティの運動も、その運動がターゲットとしている差別がなくなれば、歴史的使命を果たして、消滅する運命にある。
私たちは、性、年齢、障害、職業、民族、人種、国籍、階級、言語、文化、宗教等による差別のない社会を求めている。移動の権利、居住の権利(施設か在宅か)を選べる権利、必要な時に介助を受ける権利、働く権利、働かない権利(必ずしも資本主義下の生産活動のみが労働ではない、子どもや高齢者のお世話をしたり、環境をよくする運動も労働といえる)を求めている。時代はいま、包括的な差別禁止法を求めている。
そのために、全世界の当事者よ、連帯せよ。」
という言葉で結ばれている。
上野千鶴子さんは、国分寺市「人権教育推進のための調査研究事業」の講師として最適任者である、とわたしは思う。
「意識改革より具体策を」斉藤正美/2004.10.4朝日新聞
写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大。
最後まで、読んでくださってありがとう。
⇒♪♪人気ブログランキング参加中♪♪
署名に賛同された人は、ぜひクリックしてください。
「国内ニュース」のランキングがあがり、
この記事が多くの人の目に触れます。
アタシのお鼻↓ポッチンしてね
上野千鶴子さんの「当事者主権」講演会を企画したことからはじまる。
事業の趣旨は、国の「人権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う」ものである。
新聞報道によると、東京都は、上野さんが講演のなかで、東京都が「使わない」と通達まで出している、「ジェンダーフリー」という用語を使うのではないか、と危ぐして、国分寺市に圧力をかけたらしい。
結果として、講演会だけでなく、この「人権を考える講座」自体が実施できなくなった。東京都の意志がはたらかなければ、講座は予定通り開かれたはずであり、国分寺市民は「人権」について学び考える機会を失った。この事実は重大だ。
都の言い分については、以下のような新聞報道がある。
この記事の都の主張を元に、上野千鶴子さんが「ジェンダーフリーという用語を使う可能性があるのか」「この事業の趣旨にそう講師なのか」の両面から検証してみたい。
上野千鶴子氏、都に抗議「用語統制に介入した」1/30朝日新聞
--------------------------------------------------------
都教委は04年8月に決めた「『ジェンダーフリー』という用語を使用しない」という見解を示し、「講座がその方針に反するなら実施できない」と念押しした。市は「講座でジェンダーフリーという用語や、関連する内容が出る可能性が否定できない」として提案を取り下げたという。(2006/1/28朝日新聞)
------------------------------------------------------------
事業を担当した都教委社会教育課は「都が委託するモデル事業である以上、都の見解に反した事業は実施できないと伝えた。中止は市が判断したものであり、都として拒否はしていない」と話している。(2006/1/28同朝日新聞)
----------------------------------------------------------
「ジェンダーフリー」という用語について、事業を委託した東京都教育庁は「男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられることがある」として使用しないことにしている。「講座でこの用語が使われる可能性があるなら実施できない」との判断を、同市に示したため、同市が提案を取り下げていた。(2006/1/31朝日新聞)
-------------------------------------------------
東京都教育庁の担当者は「ジェンダーフリーという言葉だけを問題にしたわけではなく、都の事業の趣旨にそうものかどうかの確認を市に求めた」と説明している。(2006/1/31同朝日新聞)
------------------------------------------------------
都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否していたことが分かった。・・・・・・・・・・・・ 国分寺市は昨年3月、都に概要の内諾を得たうえで、市民を交えた準備会をつくり、高齢者福祉や子育てなどを題材に計12回の連続講座を企画した。上野教授には、人権意識をテーマに初回の基調講演を依頼しようと同7月、市が都に講師料の相談をした。しかし都が難色を示し、事実上、講師の変更を迫られたという。このため同市は同8月、委託の申請を取り下げ、講座そのものも中止となった。(2006/1/10毎日新聞)
-----------------------------------------------------------
1.まず、上野さんが「当事者主権」をテーマに話したり、書いたりする場合、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのか検証してみた。
1)上野さんは自著の『当事者主権』(中西正司さんとの共著/岩波書店/2003.10)のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。
2)2004年12月、上野さんは、NHK教育の「福祉ネットワーク」という番組で「社会を変える“当事者”たち」というテーマで、当事者主権について話している。
この番組は大変な反響をよび、再放送までされた。わたしの回りでもビデオを撮ったひとが多いが、上野さんは番組のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。番組のなかでは『当事者主権』の本も紹介している。
NHK福祉ネットワーク「社会を変える“当事者”たち」(2004/12.24上野千鶴子さん×町永俊雄アナウンサー)
3)2005年3月26日、岐阜市内で、上野さんの「当事者主権 私のことは私が決める」という講演会を開催した。この日の資料でも講演でも、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。
いよいよ明日「当事者主権」講演会(2004/3/25付記事)
以上のように、上野さんは、人権講座のテーマの「当事者主権」では「ジェンダーフリー」という用語を使う可能性はまずない。
2.では、上野さんは「当事者主権」以外では、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのだろうか?
わたしは、4年前から上野さんの本の読書会をしているが、上野さんの著作のなかで「ジェンダーフリー」という用語を見たことがない。
この事件がおきてから、あらためて、ここ数年の本を元に、実際に「ジェンダーフリー」という用語が使われているのか、いないのかを、一冊ずつ検証してみた。
『当事者主権』(岩波書店/2003.10)
『老いる準備 介護することされること』(学陽書房/2005.2)
『結婚帝国 女の岐かれ道』(講談社/2004.5)
『ことばは届くか』(岩波書店/2004.7)
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
『脱アイデンティティ』(勁草書房/2005.12)
『差異の政治学』(岩波書店/2002.2)
『現代の理論』「フェミニズムをリアルに生きる」(明石書店/05秋)
『現代思想』「ケアをすること/されること」』(青土社/05.9)
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
『サヨナラ学校化社会』(太郎次郎社/2002.4)
『at あっと』0号「生き延びるための思想」(05.5)
『at あっと』1号、2号「ケアの社会学」
「ジェンダーフリー」という用語は使われていない。
3.本のタイトルおよびテーマに「ジェンダーフリー」という用語がつかわれているのは、以下の2冊である。
『ジェンダーフリーは止まらない-フェミニズムバッシングを超えて』は、辛淑玉さんとの共著だが、辛さんと上野さんは「ジェンダーフリー」という用語を本文中で使っていない。
なお、本の「刊行にあたって」に「『してはいけないジェンダーフリー?」』という設立集会のタイトルは2000年12月に某新聞紙上で繰り広げげられたフェミニズムバッシングのキャンペーンのタイトルをもじってつけたもの」との主催者の言葉がある。
『We』(フェミックス発行)2004年11月号のインタビューのタイトルは「ジェンダーフリー・バッシングなんてこわくない!」。
この中で、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語について、どのように考えているのか、以下のように述べている。
「・・・・次に「ジェンダーフリー」について、ご説明しましょう。この言葉は、出自からいえば、90年代後半に、男女共同参画社会基本法の審議のなかで出てきたと思うのですが、・・・・・・ジェンダーフリー」という用語は、「男女共同参画2000年プラン」という文書の中に1回だけカタカナで出てくるくらいでしょうか。その際も、カッコの中に「(性別に偏りのない)」と解説してあります。その他には、法の文言の中には出てきません。
ですから、「ジェンダーフリー」は、まず第一に研究者の使う用語ではなく、そして第2に法律用語でもありません。主として行政関係者が使ってきた用語なのですね。
わたし自身は、「ジェンダーフリー」は嫌いだし、使いません。なぜかというと、日本語で定着しておらず、なじみもないカタカナ用語をあえて使う理由がまったく理解できないからです。ジェンダー研究の分野での英語文献でも、「ジェンダーフリー」はなじみがありません。わたしは英語文献をたくさん読んできましたが、出会ったことがありません。・・・・・(P5~6)」
4.以上からわかるように、そもそも、上野さんが「ジェンターフリーという用語を使うかもしれない」という、東京都(と国分寺市)の前提と判断そのものが間違い。東京都の言い分は、「事実無根の言いがかり」としか言いようがなく、理由もなく上野さんを排除したものである。
東京都は、「当事者主権」講演会で、上野さんが「ジェンダーフリー」を使う可能性があるという根拠を示すべきだ。
5.つぎに上野千鶴子さんが、「この事業の趣旨に沿う講師なのか」を、この事業の法的な趣旨に照らしあわて、検証してみる。
この事業は文部科学省が都教委に委託し、都教委が市町村教委に再委託している「人権教育推進のための調査研究事業」。国分寺市は昨年、公募の市民も参加して企画した「人権を考える講座」の開講を事業提案することにした。「当事者主権」をメーンテーマに、「高齢化社会」「子ども」などを題材に計12回を計画。基調講演の格子を上野教授に依頼する予定だった。(2006/1/28朝日新聞)
1)事業は文部科学省の「人権教育推進のための調査研究事業」で、「国が東京都に委託、都が国分寺市に再委託」する形のもの。
以下の「人権教育推進のための調査研究事業 実施委託要綱(案)」には、
「1趣旨 人権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う。」 「2 委託先(1)都道府県教育委員会又は指定都市教育委員会等、(2)都道府県教育委員会と市町村教育委員会を中心に組織する協議会」となっている。
2)また、「平成17年度『人権教推進のための調査研究事業』(運用指針)」によると、
1,2は同じだが、「3 事業の内容 (2)モデル事業の実施
下記の研究事項、人権課題、対象を組み合わせ、モデル事業の実施による検証等を行いつつ、実践的な調査研究を行う。
[研究事項]:人権に関する学習機会の充実方策
:学習意欲を高める参加体験型学習プログラムの開発、普及方策
:人権教育に関する指導者研修の充実方策
:人権教育に関する情報提供の在り方、関係機関との連携方策など
[人権課題]:人権一般、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、 外国人、H IV感染者・ハンセン病患者など
[対 象]:一般、幼児、少年、青年、成人一般、高齢者、保護者、外国人、行政関係者、社会教育指導者など 」と定められている。
3)以下は、委託事業の基本である「人権教育・啓発に関する基本計画」。基本計画は、法務省「人権擁護局」の所管で、各省庁が施策の実現のための事業を実施している。
この「人権教育・啓発に関する基本計画」「は、以下の「人権教育及び人権啓発の推
進に関する法律」(人権教育・啓発推進法)に関する、総合的・計画的な推進を計る
ための策定されたもの(この法律は、法務省と文部科学省の共管)。
4)以上のことから、この事業は人権教育推進のために全国の自治体に広く開かれたもの。上野さんは「女性」「高齢者」「障害者」「外国人」など、さきに紹介したなかでも、これら人権課題に関する本をたくさん著している。
よって、事業の趣旨や基本計画、法律にてらしあわせても、上野さんが講師として不適任と判断する理由および根拠ははまったくない。
都の担当者は、「都の事業の趣旨にそうものかどうか」と発言しているが、そもそもこの事業は、都の事業ではなく国の事業である。都も委託先の自治体の一つでしかない。つまり、委託を受けた都には、要綱と法の趣旨に従う義務があり、恣意的な判断や行為は許されない。
言論および思想・学問の自由は、憲法に保障された基本的な権利である。東京都が、講師の思想、学問、言論の自由に制限をくわえようとすること自体が、「人権推進」に反する行為である。
法および事業の趣旨に反しているのは、東京都のほうだ。
6.前述の「実施委託要綱(案)」は、「13その他」に、
(1)文部科学省は、委託先における事業の実施が当該趣旨に反すると認められるときは必要な是正措置を講ずるよう求める。
(2)文部科学省は、本事業の実施に当たり、委託先の求めに応じて指導・助言を行うとともに、その効果的な運営を図るため協力する。
(3)文部科学省は、必要に応じ、本事業の実施状況及び経理状況について、実態調査を行うことができる」と明示されている。
文部科学省は、趣旨に反する東京都に対し、「実態調査を行い」「是正措置を講ずるよう求める」べきである。
7.最後に、『当事者主権』は、
女性運動や性的マイノリティの運動も、その運動がターゲットとしている差別がなくなれば、歴史的使命を果たして、消滅する運命にある。
私たちは、性、年齢、障害、職業、民族、人種、国籍、階級、言語、文化、宗教等による差別のない社会を求めている。移動の権利、居住の権利(施設か在宅か)を選べる権利、必要な時に介助を受ける権利、働く権利、働かない権利(必ずしも資本主義下の生産活動のみが労働ではない、子どもや高齢者のお世話をしたり、環境をよくする運動も労働といえる)を求めている。時代はいま、包括的な差別禁止法を求めている。
そのために、全世界の当事者よ、連帯せよ。」
という言葉で結ばれている。
上野千鶴子さんは、国分寺市「人権教育推進のための調査研究事業」の講師として最適任者である、とわたしは思う。
「意識改革より具体策を」斉藤正美/2004.10.4朝日新聞
写真をクリックすると拡大。その右下のマークをクリックするとさらに拡大。
最後まで、読んでくださってありがとう。
⇒♪♪人気ブログランキング参加中♪♪
署名に賛同された人は、ぜひクリックしてください。
「国内ニュース」のランキングがあがり、
この記事が多くの人の目に触れます。
アタシのお鼻↓ポッチンしてね