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1995年1月17日の明け方、
異様な地ひびきを感じて目を覚まし、
直後にドーンとつきあげるような揺れがきた。
「地震!」と飛び起きて、
どこかで大きな地震だ、と直感し、
すぐにテレビをつけた。
岐阜、京都、大阪・・・・・
つぎつぎに画面に写る震度。
数字に取り囲まれて神戸だけは空白だった。
震源地は神戸なのか?
午後になると、空から、燃えている神戸が写った。
神戸と縁が深い会社の社宅で育ったわたしは、
胸がつぶれる思いで一日中テレビを見ていた。
そのころわたしは、
チェルノブイリ原発被災者のためのNGO、
「チェルノブイリ救援・中部」の代表をしていた。
活動の経験から、いったん大災害が起きると、
現地は大混乱でなにもかも届かなくなる、
ことを知っていた。
なによりも情報の空白地帯になることも。
同時に、自治体議員もしていたので、
必要なひとに必要なものを届けるために、
正確な情報を知りたいと、
援助が必要なあちこちの役所に電話をかけた。
わかったのは、どこも情報が錯綜し混乱していて、
行政システムがまったく機能していない、
という事実だった。
3日目の朝、いてもたってもいられない思いで、
リュックサックに思いつくかぎりの物を詰めて、
とるものもとりあえず、4人で神戸に向かった。
西宮から徒歩で神戸にはいり、
目に映る現地の惨状に言葉もなく、
唇をかみしめながらただ歩きつづけた。
「この大地震はどこに起きても不思議はなかった。
あの朝、救われていたのはわたしだった。
わたしは無力だ」と思いながら。
現地を自分の目で見たわたしは、
チェルノブイリへの救援活動をきゅうきょ
「阪神大震災の被災者支援」に切り替えた。
その後、救援車両の許可証をもらって、
必要な医薬品や生活物資を届けるために
なんども岐阜と神戸を往復した。
わたしたちの救援の基本は、
「援助が受けにくいより弱い人たちに」
「ハンド・ツー・ハンドで」だった。
テントの中などで孤立している人を探し、
救援物資を届けながら、あちこちの避難所に
「岐阜にきませんか」とポスターを張り、
たくさんのひとを無条件で受け入れた。
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あれから11年。
わたしが出会ったひとたちは、
いまどうしているのだろう。
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最後まで、読んでくださってありがとう。
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京都の自宅も震度5だったのですが、
なんども地鳴りがしたあの恐怖。
今も大きな音がすると心臓が固くなります。
あの時に感じた自然に対する人の無力、
そして各地から救援にかけつけられた人の
温かさ。
みどりさんの記事を見て、いろいろ思い出しました。
「私はフットワークが軽くない」というような
ことが書かれていたので、我が目を疑いました。
ここに書かれた震災の時の話だけでも、
みどりさんがいかにすばやく、適確に動かれたか
わかります。
自治体職員にみどりさんのような人が
もっとたくさんいれば、
震災の対応ももっと違ったものになっていたのでは?
ところで、シクラメンの花びらが
とてもきれいですね。
特に左側の写真の光の加減がすてきです。
きれいなものに素直に感動している気持ちが
そのまま出てますね。
絵葉書にしたらいいかも。
阪神大震災のあとは、岐阜のまちを歩いてると、あっ、この家こわれそうって、つい思ってしまって・・・・。かくいうわが家は全壊の第一候補ですが。
昨日は、テレビの黙とうを見て、震災のことを書きました。
通信編集もやっと終わりました。明日お届けします。
このところ固い記事ばかりでランキングがさがってます。
★かおるさん
ハハハ、「若いころと比べると」だったか「もう若くないから」と書いたのでは?(笑) もっと若いころは、逃げ足は早かったよな。最近は、気が付くと回りにはだれもおらず、ひとり取り残されてるような・・・かも。
シクラメン、わたしも左が好き。変わり咲きが800円でした。