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日々の暮らしのなかで

面影

2008年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム
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先日、小学校のときの先生と出会う機会があった。
 
小学1年生の時の担任。
字の書き順がバラバラだった僕は
かなり厳しく怒られたりしたが、
それでも、本の音読はスムーズだと褒められたりと、
印象に残る先生のひとりだ。
 
出会ったと言ったが、正確には見かけた程度。
一瞬視線があったが、
どうも僕は昔の面影が浮かばないほど、
貫禄ある中年になっているらしく、
そのまますれ違った。
 
そういう僕も、後で思い返してみて
 
『今のは、先生?』
 
と思ったので、会釈することもなかったのだが・・・
 
しかし、一瞬わからなかったのは、
記憶がフィードバックされるタイムラグではなくて、
描いていたよりも、先生の顔が若かったから、
脳の思考回路が一時的にフリーズしたんだろうと思う。
 
同級生なら、何十年ぶりに出会ったとしても
判らないと言うことはまずない。
すっかり禿げ上がってしまって、体重が学生時代の
2倍に膨らんで、
同窓会の待ち合わせ場所に笑顔で現れ、
親しげに手を振る人影を見て、
 
『誰やねん、おっさん!』
 
と訝しがってみても、
半径5メートル圏内で見れば、
おぉー!久しぶり!って言えることを考えても、
判らないってことは、そうそうない。
 
しかし、先生、特に保育所・幼稚園当時の先生に
出会っても、暫くは判らない事が多い。
それは、
 
“僕は小さくて、先生は大人だった”
 
と言う固定概念が邪魔するんだろう。
冷静に考えてみれば、自分の親と同じような年齢。
保母さんなら、どっちかって言うと、
オカンより年下だって事の方が多いかもしれない。
 
だから、数十年ぶりに出会っても、
 
『先生はもっと歳をとられてるはず』
 
と思い込んでしまう。面影を勝手に作り上げて。
実際にはその分、こっちも歳をとってて、
向こうからしてみれば、いつの間にか
オッサンになってて、
びっくりされてるんだろうけど。
 
それにしても、何年ぶりだったろうか?
先生をお見かけして、
ふと、そんな事を思った。
 


コメント
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