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日々の暮らしのなかで

固定概念

2008年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
夢を見た。
どんぶり鉢に飯をよそえと言う指令。
簡単なようで、実に難しい指令だった。
 
夢はよく見るほうだ。
たまに喋っていると、夢はあまり見ないって言う
人がいるが、羨ましくもあり、悲しくも感じるほど、
毎日と言っていいくらい、僕は夢を見る。
 
一番寝覚めが悪いのは、置き去りにされる夢である事は、
疑いのない所だが、他にも高い所から落ちたりとか、
隠れているのを見つかって、日本刀で袈裟懸けに
一刀されるとか、とにかく楽しい夢は少ない。
いや、あるにはあるが、
ココでは書けない。楽しい夢とは大半がそう言う夢だ。
 
そんなバラエティーに富んだラインナップの中には、
役立つ夢もある。
予知夢ってのはあるようだが、個人的に言うなれば
 
“教訓夢”
 
とでも言うべき夢。
 
教訓夢は、自分で自分に何かを伝えようとしているかの如く、
目が覚めた後に、何かを感じることが出来る夢のことだ。
今回の夢がまさにそうだった。
 
目の前に並ぶ大量の“どんぶり鉢”
それに白米をよそいで行けと言うのだ。
命令されるままに電子ジャーの蓋を開けると、
何故か炊き立ての白米のうえに赤飯が乗せられ
半分ほどは混ざっている。
白米だけを上手に取り出せても、どんぶりの数と
見比べてみると、足りないと直感できた。
 
もうひとつ“おひつ”があったんで、
恐る恐る開けてみると、何を入れて炊けばこんな色に
なるんだ?と思うほど、それはもうすでに、白米ではない。
どんぶりを片手に途方に暮れたが、
出来ない事は出来ないと、正直にそれを報告すると、
丁寧かつ優しい声で、こう言われた。
 
「君は、白米を大盛りいれようとしてるんじゃないの?」
 
そうか!と思った。
別に山盛りにしろとは聞いていなかった。
どんぶり鉢に白米をよそえと言われただけだ。
納得してもう一度ジャーの蓋を開けようとしたとき、
目が覚めた。
 
しばらくは放心状態で天井を見つめたが、
徐々に夢の意味を考えだした。
なぜ、僕は、どんぶり鉢に山盛りの白米を入れようと
したのか?
固定概念だろうか?パブロフの犬だろうか?
どんぶりと白米。大盛りとだと勝手に決め付けた理由は?
深層心理は?
 
そしてこの夢は、僕に何を暗示しているのか?
 
 
 
 
ただ単に、
 
前日、夕食を食べずに寝た。
と、言う理由だけではないような気がする。
 
たぶん・・・
 

 


コメント
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