札幌で初雪、瀧山にはうっすらと刷毛ではい
たような雪。冬の青空は、寒い季節を連れて
来る。昭和34年、初めて山形で迎えた冬。隙
間風が入って来る部屋にある暖房は、4、5人
で囲める火鉢がひとつだけ。物置の炭を取っ
て来て、炭火が暖かくなるまでじっと寒さに
耐えていた。夏目漱石の『永日小品』に、「
火鉢」という小品がある。明治41年、漱石42
歳の時の作品である。当時の東京もまた寒さ
に耐えつつ過ごす冬であった。
「火鉢に手を翳して、少し暖っていると、子
供は向うの方でまだ泣いている。其うち掌丈
は烟が出るほど熱くなった。けれども、背中
から肩へ掛けては無暗に寒い。殊に足の先に
は冷え切って痛い位である。だから仕方なし
にじっとしていた。少しでも手を動かすと、
手が何処か冷たい所に触れる。それが棘にで
も触った程神経に応える」
漱石の2歳になる男の子は、冬の間よく泣い
た。妻は、寒いから泣く、と答えている。明
治時代、日本の冬は、誰もが寒さに耐えて冬
が過ぎていくのをじっと待った。昭和34年の
学生寮もまた同じであった。
ニッケルの時計とまりぬ寒き夜半 漱石