常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

松かさ

2019年10月19日 | 日記
公園のベンチの下、風の当たらない辺に松かさが吹き寄せられていた。先日の台風のおりの風で、樹から落ちた松かさが、行へもない風に吹かれて、様々な種類のものが集まったと見える。夏には青々として、種を育んでいた松かさが、その役割を終えて、茶色に変色したさまは、植物の不思議な生命を物語っているようで、親しみの情がわいてくる。

井伏鱒二が漢詩を訳した訳詩に『秋夜寄丘二十二員外』がある。丘二十二員外とは、丘さん家の二十二番目の人を指している。作者の韋応物とは友人であった。
ケンチコヒシヤ ヨサムノバンニ
アチラコチラデ ブンガクカタル
サビシイ庭ニ マツカサオチテ
トテモオマエハ 寝ニクウゴザロ
井伏は訳詩の中で、友人を中島健一に読み替えて訳している。文学語るは、本詩では夜散歩しながら散歩しているのだが、井伏の友人はまた文学者であったから、訳詩でも健一と文学を論じている空想をしている。

井伏には他にも
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
という勧酒の有名な訳詩もある。井伏鱒二の父は、明治6年に岡山県後月郡西江原村に生れ、郷校興譲館に学び、素老の号で漢詩文をよくした人であった。井伏家の養子となって3男1女をもうけ、次男満寿二が5歳のとき、30歳の若さで死んだ。

素老は養子となってからも、漢詩の雑誌に投稿、100余編の漢詩文を残している。兄は父の遺言で家業を継いだが、満寿二を文学の道に進めるべく、早稲田大学の文科へ進学させた。父の遺品から、古いノートが出てきた。これは、唐詩選を俗謡調で訳したものが、書き留められていた。鱒二は、このノートの訳詩を参考に、自分流の訳を書き上げた。井伏は『厄除け詩集』を上梓したが、そのあとがきのなかで、詩執筆の動機を述べている。それは散文を書いていて、筆が止まったとき、自分が厄に逢うことでそうなる、そのために厄除けの詩を書いた、とある。おそらく、漢詩の訳詩もそうした折の筆のすさびに書かれたものであろう。
コメント
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