常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

明月記

2019年10月10日 | 日記

『明月記』は歌人の藤原定家が書き残した日記である。定家19歳、治承4年2月から書かれた日記である。日記を書き始めて間もなく、俊成と定家親子の住む近くで火災が起き、親子の住む焼失し、北小路の知人の家に身を寄せた。多くの文書、書物もあったいう間に、煙となった。その日の記事を見ると、

十四日。天晴る。名月片雲無し。庭梅盛んに開き、芬芳四散す。家中人無く、一身徘徊す。夜深く寝所に帰る。燈彷彿として猶寝に付くの心無し。更に南の方に出て梅花を見るの間、忽ち炎上の由を聞く。乾の方と。太だ近し。須臾の間、風忽ち起り、火は北の少将の家に付く。即ち車に乗りて出づ。

日記は漢字のみを書き連ね、読みづらいので、読む人は国文学者ぐらいであったが、今川文雄の『訓読名月記』が上梓されて、興味ある人が読めるようになった。平安時代の貴族たちは、せっせと日記を書いた。その目的は、生活に必要な有職故実を記録し、家の子孫に伝えようとした。この日記が書き始められて、目につくのが、天の月の明るさである。おそらく、定家はその印象から、この日記を名月記としたのであろう。

天の原おもへばかはる色もなし秋こそ月の光なりけり 藤原定家

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風19号

2019年10月10日 | 日記

今朝、放射冷却で気温がさがった。藪にある野ブドウの色も深みを増してきた。先ごろまでは、台風の接近で、真夏のような気温で、身体にだるさを感じたが、今朝から朝の挨拶は、「寒いですね」に変わった。台風の状態は、時々刻々と、テレビやネットで入ってくる。情報が先取りできる時代になっても、千葉のような大きな被害が出るのが台風。まして、19号は15号より規模も風速も大きいようだ。千葉と静岡に、近親者がいるので、なんとか海上の東へ、進路を変えて欲しいと願うばかり。

昔、映画に「タワーリング・インフェルノ」というのがあり、その後井上光晴の小説『明日』が書かれた。映画は、タワービルの大火災、『明日』は長崎に原爆が投下されたことがテーマになっている。映画も小説も、その惨劇が起きるまで、人々は、少しも惨劇を予想することなく、その瞬間を迎えている。人々の日常の楽しみや、営みを綿密の描くことによって惨劇の痛ましさの大きさを浮き彫りにした。

大岡昇平の『武蔵野夫人』は、昭和22年のキャスリーン台風が、その舞台になっている。終戦後の混乱した社会で、人々は台風の情報にも接することはできなかった。この小説のヒロインも、台風が迫っていることを知らずに、武蔵野の原を歩いていた。

「風が梢を鳴らし始めた。湖面はいつか一面の三角波に蔽われていた。その白い波頭をならすうに、湖心の風の脚が移っていくのが見えた。雨が頬に当たってた。二人は立ち上り、道まで引き返した。武蔵野はすでに煙り、雲が一面に低迷していた。貯水池の中央を区切る第二の堰堤を渡る時、二人は絶間のない強い風に吹かれた。(中略)横なぐりの濃い雨が急に襲ってきた。二人は急いで長い堰堤を渡り、袂の茶屋に駆け込んだ。」

キャスリーン台風は、マリアナ諸島付近で発生し、勢力を増しながら日本列島に接近、遠州灘の沖合から房総半島をかすめて、三陸沖へと去った。気圧960㍊、風速45mを記録している。房総へ接近してから、勢力を弱めたため大きな被害は出なかった。それでも、武蔵野を歩くカップルを驚かせるには、充分すぎる強さであった。19号の進路は、キャスリーン台風よりやや西より、しかも勢力範囲800㌔もの大型だ。19号は915hpa、最大風速55m、瞬間風速75m、が現在の勢力である。東海から関東に近づく週末のには、やや勢力を弱めるものの、いかに大きい台風かがわかる。一昨年は大阪で、今年は千葉で大きな傷あとを残した台風。19号の被害が少しで小さいことを祈る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする