天智天皇の御代、藤原鎌足をはじめ、廷臣や女官が居並ぶなかで、天皇の仰せがあった。あでやかに花の咲く春と、秋山の黄葉のいろどりとで、皆はどちらに趣があるか詩をもって述べてみよ。廷臣たちは、漢詩を作り、さまざまな見方から、春の山と秋の山の趣きを競いあった。だが、これといった決定打が出ずに、万座がざわめいているなかで、額田王が次のような長歌を詠んで軍配をしめした。
冬ごもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど
山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば
取りてぞ偲ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我れは
額田王は春山派、秋山派のそれぞれの、主張をほとんど平等に取り上げ、最後の一句で、私は秋山がいいと突然の宣言をした。万座の恨みっこなしに、結論を出したやり方は、喝采を浴びたに違いない。さらに深読みをすれば、天皇の気持ちが秋山に傾いていることを忖度して、このような軍配を上げたのではないか。
額田王は御言持ち歌人であった。天皇の気持ちを、巧みな詩語で言い表す役割が御言持ち歌人に課せられていた。宴の雰囲気をやわらげ、なおかつ天皇の声を代弁した。