台風が去って、おだやかな朝があけた。何事もなかったように、青空が広がり、周りの山々には朝の光があたっている。しかしテレビでは、台風がもたらした大量の雨が、多くの河川を溢れさせ、市街地の家が水没している映像を映し出されいる。これほどの規模の大きい台風は、過去は数百年に一度であったものが、今や数年おきにやってくるような時代になった。台風でなくとも、雨だけでも、同じ場所に何日も降りつ続く現象は、年に何度も起こっている。被害にあった人々には心からのお見舞いを申しあげる。もう今年は、台風はこれでお終いにしてほしい。
朝の味噌汁にとろろ昆布を入れて食べるのが習慣になった。テレビの健康番組で、とろろ昆布が血圧を下げる絶好の食材と紹介したからだ。マイタケを焼いて食前に食べると、血糖値を下げるとしったので、朝の習慣が二つになった。とろろ昆布は、北海道にいた頃からよく食べていたが、そんな意識もなかったので、思い出して食べるくらいであったが、この習慣は長く続けたいと思う。近所のスーパーでは、棚のとろろ昆布はこのところ品薄が続いている。テレビの健康番組で紹介された食材が品薄になるのは最近よく起きる現象だ。
昆布の歴史について、考古学の森浩一先生が述べている。平城京の都ができてから、陸奥の蝦夷である須賀というものが、「昆布を国府へ貢献してきたが、道のりが遠いので国府の支所を作って欲しい」と申し出た。この人は宮古に住む漁師で、国府は多賀城を指しているらしい。三陸はワカメなどの特産地だが、昆布がそれほど多いわけではない。森先生は、陸奥とオホーツク沿岸の交易について触れている。朝廷への貢ものとして、北海道のオホーツク産の昆布が入っていたのではないかという推測だ。
日本海航路が発達してからは、北海道の昆布がこの航路を経て、京、大阪へ流入していたことは、有名な話だ。大阪の塩昆布は、北海道産の昆布を原料としている。北の良質の素材を洗練した文化のある京、大阪で加工して、商品化するスタイルは、すでに平城京の時代から始まっていたことになる。
森先生の『食の体験文化史』には、先生の昆布の食べ方も紹介されている。「小皿に熱湯をいれ、醤油を少したらし、一味トウガラシの粉をいれて、そこへとろろ昆布を入れる。これを焼いたパンにのせるのが好きだ。もちろんあついご飯にもよくあう」昆布ほど日本人の生活に深くとけこんだ食材はないのではないか。長い食の長い歴史が、昆布のうまみを研究し尽くしている。