今年の秋は、すっきりした秋の日よりが少ないような気がする。毎週のように襲来する台風、真夏のような高温、雲に覆われる空。いつものあのすがすがしい秋は来ないと、心が痛む。そんななか、久しぶりの青空はやはりうれしい。朝日に柿紅葉が照り輝いていた。この晴れも束の間、金曜日ころからは、今週最大といわれる台風が、またも関東を直撃しそうだ。千葉の傷あとも生々しいなか、15号よりもっと勢力が強い、という予報が出ている。今週に予定している山行も、中止のほかはないようだ。
老いし木の枝かたくなに柿紅葉 水原秋桜子
読書対談という面白い試みがある。すでに読書家として知られている谷沢永一と向井敏による『読書巷談縦横無尽』だが、講談社文庫の一冊に収められている。この試みが行われたのが、昭和55年の春。それが、一冊の本にまとめられたのはその秋のことである。もう40年以上も前のことだ。とっておきの50冊として紹介されている本も著者も、その年代に関心があったもの、という制約を受けている。
その一項に「歌ごよみ」があり、安東次男『花づとめ』、室生犀星『我が愛する詩人の伝記』、和田誠『日曜日は歌謡日』の3冊が紹介されている。安東と室生の2冊は、なぜか私の本棚にあり、愛読したものでもあった。谷川は、この本について「日本の古典の詩歌への参道として読んで損のない本。万葉集とはこんなものだったんだとか、古今集にはこんなスタイルがあったんだ、ということを全部知れる便利さ。それに詩風の変遷もわかる。」
こんな視点を指摘され読み直してみると、『花づとめ』にはどきりとすような詩や歌がちりばめられている。詩人の西脇順三郎について、「大人の趣きがあって年頭になんとなくひらいてみたくなる。はてしない旅人の悲しみを抱いて人の何十倍も楽しく生きる法、とはなるほどこういうものかと、知らされる。」と書き、紹介する西脇の詩は
或る荒れはてた季節
果てしない心の地平を
さまよい歩いて
さんざしの生垣をめぐらす村へ
迷いこんだ
乞食が犬を煮る焚火から
紫の煙がたなびいている
人はなぜ詩を作り、また読むのか。この時代、生活に疲れた日々に、そこを吹き抜ける一陣の清風。詩や歌は、そんな役割を果たしてくれる。